第35話 キャンパーデイズ

ゲラーティ森林、ゲラーティ草原


ラヴァン王国の王都とより馬車にて半日という近場に存在する緑豊かな森とそれに並んで存在する草原はかなりの規模の面積を誇り、森林と草原を合わせれば小規模国家の国土を優に上回る広大さを誇る


四季が巡るラヴァンの地においては重要な場所であり、季節によって実りや彩りを変えるこの場所からは王国を支えるだけの植物資源が豊富に採取され、ラヴァン王国内における希少な果実や木材、魔草と需要の高い資源の実に50%はこの森林と草原によって供給されている


また、王都という人の最重要拠点が近くにあることもあり大戦中も兵士、冒険者の巡回、往来が多かったことから侵入した魔物も逐次討伐され、次第に殆ど寄り付くことが無くなっていったこともあり、現在のアルスガルドでも珍しくほぼアルスガルド原産の魔獣のみが生息している場所でもあった


故に、ラヴァン王国にとっては大都市に繋がる街道どころかこの地帯一帯全てが生命線といえるのだ


そんな草原が視界いっぱいに広がるこの場所は既にゲラーティ草原のど真ん中であり、一行の向かう先には既に立ち塞がるように聳える木々の壁…森林地帯が迫ってきている所であった


そんな中、荷台のカナタはと言えば…


(妙だな…何でマウラは気付いたんだ…?)


神妙な顔でそんなことを考えていた


何故ならば


(…あの要項の端に書かれた担当教員…あそこだけ上手く他の紙に隠れるように絶妙な配置で置いたはずなのに…!)


そう、新しい筈のお知らせが他の紙に少し被って気付きにくくなっていたのはカナタの細工であった


シオン達の通うクラスアーレ付近のボードは全てカナタが細工をし、担当教員の名前が見えないように巧妙な角度で貼り付けら、事実シオンもペトラも気付くことなく参加はしていなかったのだが…


何故か珍しくもマウラだけが単身でこの演習に参加しているのだ


そもそも何故こんな小細工をしているのかと言えば…


(…最近常に3人の内誰かが近くに居るんだよなぁ。いやまぁ、嫌ではないんだけど…『仕事』がしにくい…!最近は寝る時まで来ようとしてるのも男の身としてはかなり…クる…!)


プライベートで1人になる瞬間が無いと魔神族の動向も何も確認しずらいのである

あわよくば自分が動いて、と考えている案件もあるだけに彼女達の視線は少しばかりカナタの動きを拘束することとなっていた


…後は単に彼の理性にも休憩が必要、というだけである


そんか一見しょうもない理由から、この演習期間に諸々済ませたりしようとしていたのだが、どうしてかマウラにだけバレた

演習出席者の名簿を見ていたカナタの目にマウラの名前が入った時は思わず咳き込んだものである


集合の朝、小柄な体に大きなザックを背負ってトコトコとこちらに駆け寄り「……今回は私だけ……独り占め…」と囁く彼女に照れ隠しながら手で目元を覆ったカナタは少しの間使い物にならなくなったのであった


とはいえ、今回は個人用のテントだ


班も2人1組で生徒同士組ませているのでマウラとカナタが接触する事もないだろう


…そう思うカナタであった


「さぁ着いたぞ!全体止まれ!荷物を持って降車!俺の所に集合だ!」


オーゼフの耳鳴りがしそうな大声が車列に響き渡り、全ての牛車が停止する

生徒達は降りた先の光景に度肝を抜かれ、足と止まる中、素早く走ってオーゼフの元へ集まったのは護衛の冒険者達の方であった


「オーゼフさん!お久し振りです!」「またこの依頼受けましたよ、久々に一緒の旅ですね」「すげぇ、俺冒険者オーゼフって初めて見た」「鼻血でそう…」「よろしくっす!オーゼフさん!」


半分以上の冒険者がオーゼフの周りに集まり陽気に話しかける姿は彼の冒険者時代の人望を物語っているのだろう


事実、今回参加している冒険者15パーティの半分以上を彼の声掛けによって集めているあたり、引退した身と言えどその知名度と顔の広さは驚異的だ

それに遅れてやってくる生徒達が少し気後れする程に盛り上がっているのだからオーゼフに世話になった冒険者の数は相当なもの


「すっげぇ、本当に冒険者のヒーローなのかあの人。…普段只の怪力爺さんにしか見えないのに」


カナタもそうぼやくが、確かに冒険者として一躍名を馳せた人物というのは聞いていた


聞けば、自分が勇者として戦っていた戦場に居たこともあったとか


「よし、よく聞け!これからテントの設営だ!日が暮れるまでに自分のテントを張り、相方と共に薪と真水の確保をしろ!その後に時間がある組は夕飯の確保だ!出来ないと今夜の夕飯は硬い携帯食を齧ることになるぞ?」


いきなりのその言葉は生徒達に衝撃を走らせる


それを勉強しに来たのにいきなりやれなければ夕食が貧相な携帯食になってしまうというのだから当たり前だ

しかし、そんな様子をこの依頼に慣れた冒険者は楽しそうに見つめているあたり、これは恒例の出来事らしい


「そう言えばオーゼフさん、そっちの若いのは?」


1人の冒険者がオーゼフの横に立つカナタに視線を向ければ一斉に彼らの視線がカナタへと向かい、カナタの「あー、どうも…」と力の抜けた反応を見て若干の不信感を持つ


彼ら冒険者にとって旅や夜営は重要であり、あまり腑抜けた様子は少しばかり気に食わないのだが…


「おう!こっちはカナタ先生だな!冒険者は一応礫級は取ってんだったか?」


「まぁほんとに一応ですよ?使ってないし…」


その言葉に首を傾けるのは冒険者達の方だった


礫級?


殆ど冒険者初心者じゃないそれ?


つまり…


「まだ始めたばっかりか?なんだ早く言えよな」「この依頼中なら、いろいろ教えてやれるぞ、小僧」「何事もやってみやきゃ分からんしな。いい経験になるぞ」「あったなぁ、俺もこういう若い時期…」


オーゼフに集まる冒険者はなんかいい人だった!


礫級と聞いて普通に初心者の冒険者見習いだと思ったらしく、その心境はまさに後輩ができたかのようで急に態度がフランクになる姿にカナタも「お、おぉ?ちょっと予想外…」と眼を瞬かせている


ユカレストの冒険者連中を想像してたがいい意味で裏切られたようだ


「バッハッハッハ!仲良くしてやってくれ!あぁ、一応このカナタ先生だが…弱い訳じゃないぞ?恐らく、お前さんらの誰より強い。もしかすると教わるのはお前達かも知れんからな!」


…「えっ?」と皆の視線が再びカナタに集結し、カナタの視線も「えっ?」とオーゼフに向かう

なにやら豪快に笑っているが、カナタからすればそんな不和の種を撒かないで欲しい

礫級より弱い、なんて言われたら普通に冒険者はキレるだろ…


そう思っていたカナタだが、思いの外そんな声は上がらなかった


彼らはオーゼフがどういう人間か知っているからだ


彼は言葉に絹を着せない


過小評価もせず、そして過大評価もしない男なのだ


オーゼフがそう言ったのならば、この青年も普通の冒険者見習いでは無いのだろう、とその場の皆が疑うことなく考えたのは彼への信頼があったからだろう


暫くの間、そんな視線にさらされながら肩を小さくするカナタなのであった





エスティ・エレステラは内心頭を抱えていた


若手の男1人、老齢の男1人に若手の女3人の冒険者パーティであり、半数が女性ながらもパーティ全体の評価は金級とされているベテラン冒険者である


つい半月前に大きな護衛依頼を終えて活動拠点であるラヴァン王国王都に帰還し、支払われた高額の報酬で各々好きな時間を過ごしていたのだがそこに舞い込んだのがこの学院生の引率兼護衛の依頼であった


報酬も悪くなく、内容もさほど厳しい物ではない

何よりも、かの伝説とまで言われた金剛級冒険者、『拳王』オーゼフ・ストライグスからのパーティ名指定の指名依頼と言うこともあり、受けない選択肢は無い状況というのもあった


彼とは大戦中に一度だけ戦場を共にしただけなのだが、オーゼフは忘れること無く、今回はこうして依頼の話を持ってきてくれたのである

足蹴にする理由もなく喜んで参加したのであったが…


二十歳を迎えたパーティ『マウセルの剱』のリーダー、エスティはそれを思い返しても溜め息が出るのを我慢する


(1人は良いわよ、可愛い獣人の女の子ね。ちょっと変わってるっぽいけど…でも問題はこの子よ!なんでベルフォリア商会の大会頭の孫娘が居るのよ!?)


(エスティ、ちょっと怖いよ私~っ。ベルフォリア商会の鬼の大会頭が目に入れても痛くないっていう子だよ!?)


(こりゃ、アタイらもヘタ打ったら首が跳びかねねぇよ。なんだってこんな大物の護衛がこっちに回ってくんだ…?)


小さな声で小柄なウィッチハットを被った女性、ユッタと長身の狼の獣人、クレイラは小さな声でエスティへ返す


スーリ・ベルフォリア


ラヴァン王国ではその名を知らない者など居ない大商会であるベルフォリア商会は文字通り、王国を代表する商会であり、その販途は他国にまで支店を出し、小さな町まで出張商店を開く巨大企業である


その本店と商会所はラヴァン王国の王都に据えられ、日用品や食料、衣類に始まり建築、輸送、魔法具、武器、防具に至るまで幅広い扱いをしている

王国きっての商店であり、同時に王国最大の物品供給源であるベルフォリアは「王国の生命線」とまで称えられるに至る


それを率いるのがベルフォリア商会の頂点に立つ、第18代大会頭グレグリウス・ベルフォリアである


商売敵は王道で振り切り、汚い手で追い落とそうとする相手は容赦なく潰す

決して金の為だけではなく、慈善活動にも力を入れ、商会の末端に至るまで手を出されれば報復に腰を上げる


諜報員や自前の護衛傭兵団を構え、いざ戦火が及べば剣と魔法でやり返す


さらに自身の代でその卓越した手腕により魔神大戦の終結まで国を支え、販途をそれまでの1.2倍に拡大し、ラヴァン王国所属の商会では初の戦闘国家バーレルナへの出店を実現した男こそがグレグリウス・ベルフォリアなのだ


そんな鬼のような男が溺愛してやまない愛しの孫娘が、今目の前で「よろしくおねがいしますっす」と不思議な語尾で話しかけてくる少女、スーリ・ベルフォリアである


(そんなに心配する必要もないだろうに。グレグリウス・ベルフォリアも確かこの学院の出だったんだろう?同じ経験を孫娘に積ませたいだけじゃないのかね?)


(いやいや、そうとは限らんよ長老。こういうのは大抵、バカってぐらい親バカ発揮して躊躇い無くこっちの首を飛ばしてくるような…)


(変なこと言わないでルディ!)


愉快そうに笑う老人、ニュートと煽るように茶化す若者ルディに小さく語気を強めるエスティ


そう、スーリ・ベルフォリアに何かあれば自分達の護衛責任が問われる

冒険者としてベルフォリア商会の覚えが悪くなるのは、それ即ち物資的の補給において破滅的なハンデを課せられるのと同義なのだ

過去には敵対組織の全員に販売拒否が極端な増額まで何度もしたことがあるベルフォリア商会ならば、愛しの孫娘が傷付いた報復に販売拒否くらい平然としてくるのでは…


冒険者の生命がかかっていると言っても過言ではない状況に冷や汗が止まらないのが現状だ


「いやぁ、ペアがマウラっちでよかったっす。顔見知りだと安心感が違うっすよねー。お肉の確保とかっておまかせしちゃって大丈夫っすか?私、戦闘系の魔法からっきしでー…」


「ん…大丈夫……任せて…」


同じ色合いの髪を揺らせて話す2人の少女のやり取りはなんとも心暖まるのだが、こっちの小さな方の女の子が狩猟担当…?


パーティ一同、首をかしげる


どう見ても、この小柄な獣人の少女が強そうには見えないのだが…


と、そんな冒険者一行の心配と疑問を他所に、自分のテントをそれぞれ設営し始める2人


「お、それうちベルフォリアのテントっすか?」「ん……ちょうどいい大きさ……建てるのも簡単……気に入った…」「それ私もデザイン考えたんっすよ。いやぁ、実際使ってもらえるの見ると嬉しいっすねぇ」「……タープもある…」「お、セットのヤツっすか。それ最近開発した新素材なんすよ!」


どうやらスーリ嬢は流石大商人の娘と言ったところなのか、テキパキと迷うこと無くテントを形にしていき、相方のマウラが持参した自社製のテントに眼を輝かせている


対するマウラという猫の獣人も設営は慣れた様子だ

こちらは仕組みを知っていると言うより何度も建てたことがある慣れ方なのが見て取れる。地面の選び方、石の退かし、傾斜等、テントを建てたくない要素をしっかりと排除しての設営は実際にやったことがなければ出来ないだろう


「…結構すらすら建てるじゃん。俺、もっともたもたゴタつくもんだとばかり思ってたけど」


「いや、あっちを見やれ、ルディ。今回はこの子達が特別の様子だ。普通ならの相手をすることになるらしいぞ?」


ニュートが手にした長杖で指し示した隣の班を全員が見れば…4人組の冒険者達が滅茶苦茶なテントの建て方をする少年2人に四苦八苦しながら教える姿が眼に入る


あ、少年達が嫌気がさし初めてむくれてきている


冒険者のリーダーらしき男は額に手を当てて溜め息を隠しているのがこちらから丸見えだ


「あー…ありゃ気の毒に。さしずめ中規模商会のお坊ちゃんか形だけ冒険者やってる子ってとこか?実際にやったこと無いなら難しいだろうに」


「そういうのを学ぶための場所よ、ここは。ここで「はいやめたー」なんて根性無しは端から要らないでしょ?」


「そりゃ言えてる。アタイの担当だったらぶちのめしてるよ。舐めてんじゃねぇ、てな」


どうやら手のかかる子達では無さそうだ


護衛というのは単に魔物や魔獣、盗賊の討伐依頼よりも難易度が高い

こと冒険者依頼において「倒す」よりも「守る」方が難しく、その分依頼の難度も高く設定される事が殆どであり、そこには護衛対象の当たり外れも存在する


我が儘や自分のことなど何もしないような面倒な輩は総じて「外れ」と冒険者から揶揄されるのだ


その点、もしも失敗した時のリスクは大きいが今回の2人は当たりである

殆どの少年少女が四苦八苦して冒険者の手助けを借りながらなんとか形に近づけていく中で数分としない内に個人用のテントは完成しているのだから


「…終わった……後は水と食料……探しに行く…?」


「そうっすね。でも、本当に私こういうの役に立たないっすよ?気休めくらいの支援魔法なら使えるっすけど、魔獣と正面から戦うなんて、瞬殺っす、私」


「ん……任せて…そっちは得意……」


だが、足取り軽く、草原地帯から隣の森へ入ろうとする2人には流石に慌てた


「ち、ちょっと待って2人とも!あまり単独で動かれたら困るわ!もし魔獣と出会ったら大変よ?」


「……?……倒せばいいよね…?」


こてん、と首を傾げて「はて?何が大変なのかな?」と言いたげなマウラのぽやっ、とした雰囲気に焦るエスティ

そんな感じでずかずかと森の中に突入するものだからこれにはパーティ全員が慌てて駆け足で着いていく事になってしまう


「倒せばいいって…あなた、魔獣と戦った事あるの?というか、武器はどうしたのよ…えっと、マウラ…で良かったわね?」


「武器……大きいのは得意じゃない……あんまり使わないけど…これ…」


エスティが見たところ武装や防具らしき物は何も身に付けていないマウラ

スーリは動きやすい革防具で急所や各所を守ってはいるが、それも簡素で体の動きを妨げない事を優先した物だ

マウラに至っては単純にアウトドア用の私服にすら見える格好である


そんなマウラが取り出したのが、ショートパンツから伸びる眩しい太股に巻かれたベルトに着いたレックホルスターに装着された少し厚めのコンバットナイフ1本である


獲物の解体にも使える長さ控えめのそれはある程度の厚みで頑丈な造りをしているのだが…世間的に魔獣と戦う装備ではないのは確かだ


「あー、一応言っとくとな、魔獣っつっても野ウサギとかとは訳が違うんだ。普通にアタイらよりデケェ奴らも出てくるし、獣の毛皮と違って硬い。あんま舐めてっと…」


狼の獣人、クレイラが慣れない説明をマウラにするが、彼女のピンと立った狼の耳とマウラの猫耳が同時にピクリと反応する


狼の獣人も鼻と耳が利く

特に鼻は良く、マウラよりも早くその獣臭さを感じ取っていた

腰の後ろにぶら下がった肉厚の剣に自然と手が伸び、それを見たエスティが声を張る


「正面よ!クレイラ、いける?」


「あぁ、こりゃロックボアだ。かなりデカいな、そこまで厄介でもないけど念のため2人を下がらせてくれ」


ロックボアは大型の猪の魔獣だ

その額が岩のように硬く、頭突きと突進で木の柵程度は簡単に破壊してしまう村人泣かせの魔獣だが、そのランクは高くても銀級、殆どが銅級の魔獣である


とは言え、その大きさは一般的な成体で2m

大型の個体ならさらに大きい物もいる


特殊な能力を持つ魔獣ではないが決して油断してはいけないパワーを持っているのがロックボアだ


スーリを下がらせ、背中側に庇うようにするエスティがマウラに視線を向けて手を伸ばそうとし…初めて気付く


マウラが忽然と姿を消している事に


「っ…マウラはどこ!?」


「なにっ!?」


正面を見据えていたクレイラが驚きの表情で後ろを見れば、確かにマウラの姿がない

ついさっきまでそこで話していた少女の姿が消えているのだ


別の魔獣に連れて行かれた?


いや、あり得ない

自分達が気付かないような魔獣が、それもすぐそこにいたマウラに何かしたなら気がつかない筈がない

しかし、そうこうしている内にロックボアが茂みから姿を表し、興奮したようにこちらへ突っ込んでくる


「デカい…!マウラ探しは後だ!一先ずコイツをやる!」


突進してくるロックボアに剣を抜いたクレイラ


その耳が確かに、異音を耳にした



バチッ、バチッ、バチッ



弾けるようなこの音は聞き違いでなければ、電気の走る音だ

ニュートは雷の魔法は使えないから彼ではない…この音はどこから…


その答えはすぐに分かった


あと数秒でこちらに突っ込んでくるロックボアが強烈な衝撃を撒き散らして地面に沈んだのである

土煙と風がパーティとスーリに届き、目を細めてロックボアを見て、眼を見開く


マウラだ

彼女が横たわるロックボアの頭の上に片足をおいて立っている

体長2.5mに迫る大型のロックボアの頑丈な頭部を、そのしなやかな足で踏みつけている姿が目に映る


そして、ロックボアもぴくりとも動かない

見ればマウラの体から僅かに「パリッ、パリッ」と藍色の稲妻が走っているのを見れば、先程の異音の発生源が彼女であったことをようやく理解した


「ん……お手頃サイズ……いいお肉が取れそう……」


会った時から変わらない無表情にも見えるマウラの顔が、この状況の異様さをさらに強めていた


クレイラがロックボアの側に行き生きているかの確認の為、その目や頭、体を触るが間違いなく死んでいる


それを見届けたマウラがロックボアの足を引き摺ってキャンプに戻っていくのにスーリも駆け寄り、「うわぁ、でかいっす!これ食べれるんすか?」と興奮気味に着いていく

初めて見る魔獣なのだろう


「なぁ、俺何があったかさっぱりなんだけど…」


ルディがそんな2人の背中を見送りながら溢す

彼の視線が返答を求めてエスティに向くも、彼女も首を横に振るのを見るに、何が起こったか分からなかったのだろう


「ほんの少し、見えた。ぶれっぶれにしか見えなかったけどね」


そんな2人にクレイラが呟く


「何か特殊な魔法かしら?透明にからの奇襲とか、もしくはあのナイフが魔法効果のある道具とか…」


「もっと簡単だ。踏み潰したんだ、頭を」


あり得る線で予想を立てたエスティの言葉を否定するクレイラの見たものは完全に彼女の予想を越えたものだったのだろう

「はい?」とすっとんきょうな声を上げてクレイラに説明を訴えるが、彼女も首を横に振りながら


「だから、横から異常な速さで突入して、横から頭を片足で踏み潰した。さっき触ったけど、頭蓋も脳も完全に破壊されてんだ。ありゃ一撃で気付く間もなく死んでるな」


ぽかーん


と効果音が聞こえそうな一行


「と、いうことは、あれは身体強化の成せる技か。これは珍しい物を見たものだ。ロックボアの頭は強固…クレイラ、お前さんなら出来るか?」


「無理無理。ましてや素手なんて話にならねぇって。どうやったのか教えて欲しいくらいだ」


一先ず2人の後ろに着いてキャンプ地に向かうが、足元にだくだくと血の線があるのを見るに、どうやらしっかりと首元の血管を切り血を抜いているようだ


少し先ではスーリがあちこち寄り道をしながら植物やら果実やらをどこかしこから採取しているのか、折り畳み籠の中には既にもっさりと森の恵みが入っている


戦闘はからっきしらしいがサバイバル知識はかなり持っているらしく、只の大商会のお姫様ではないのが伺えた


「ほぇ…なんかすっごく頼もしいです。もしかして私なんかより全然強くて旅慣れししてませんか?」


「いやぁ、どう見てもあの子…マウラって子が頭抜けてるだけじゃない?めっちゃ可愛いのに、荒事もいけるなんてギャップがいいな!」


「はぁ…学生にそういう視線向けないの、ルディ」


手がかからなくて安心したのか、それとも先程ので感覚がおかしくなったのか

森に入ったときの慌ただしさはどこへやら、まだ30分すら立たずにキャンプに戻ってきてしまった


他の班などまだテントと夜営地の設営をしている所が殆どだ

こうして見ればこの2人の異様な慣れがはっきりと浮き彫りになるだろう

重そうな様子も見せずにロックボアを引き摺って行くマウラの姿に参加者全員が目を丸々と見開いているのだから



「…取り敢えず、私達も準備しましょうか」



エスティのその言葉に、四人とも首を横 縦に振るのであった



「薪、拾ってきたっすよー」


「…水も汲んできた…お肉も捌いてある…」


「あと、あっちが捨て穴と竈っす。いやぁ、ちょうどいい石とか転がってて助かるっすね」


スーリは非常に器用だ

落ちていた石を使って焚き火と竈の2ヵ所を造り、拾ってきた枝で焚き火の吊るしや簡易の机、物干し等まで持参した麻紐で形にしてしまうくらいに器用だった


マウラがロックボアの解体と力仕事の水汲みをしている間に立派なキャンプが完成しているのだから大したものである

基本、護衛の冒険者は危険や安全に支障がなければ生徒の代わりに作業をすることは無い。

そうでなければ冒険者におんぶに抱っこで終わってしまうからだ


しかし、それでは護衛の冒険者側が教えるメリットが無くなってしまう

よって、護衛の冒険者は共同で採った食材や生徒が集めた食料なんかに合わせた物をなるべく食べるようにするルールとなっている

あまり食材が取れない生徒の横で冒険者が普通にガツガツと美味しいものを食べては争いの種になってしまうからだ


勿論、手助けやサポート、助言等はは問題ない

現役の冒険者から知識を吸い取り、親交を深める良い機会であり、将来冒険者や商人を目指す者には絶好のチャンスとも言える


しかし、冒険者からすればこれは完全に、どの生徒を引き当てるか?という運にかかっており、さながら『生徒ガチャ』とでも言うべき状況になっている

優秀な生徒や折れずに頑張る生徒であればまともな食事に行き着き、サボりや面倒臭がりを引けばひもじい時間を過ごすこととなる

だからこそ、冒険者は『依頼』という事を抜きにしても生徒に教えるモチベーションを保てるのだ


時間は日が傾き始めた頃合い

日が沈んでは外での作業は困難を極め、夜行性の魔獣が手広く活動を始めてしまうことから皆が作業を急ぎ出す


その中でも特別進行が速いのがスーリ、マウラの班であった

他の班が食料の調達や未だキャンプ地の設営をしている中で、既にやることが夕食作りになっているのだからその目立ち方はかなりのものだ


火を起こすのは、実は少し難しい

炎魔法の資質があれば当然1発で火がつけられるが、無属性魔法で火種を作ることは出来ないのだ

故に、冒険者や旅人は着火剤として油や火打石などを必ず荷物に忍ばせてある

そして、火打石は経験がなければなかなか火が着かないもの。まず枯れ草に、そこから小枝へ火を移していきようやく薪に火を当てることが出来るが、これもそう簡単に燃え移る訳ではない


風から守り、乾いた枝や木片を回収し、刃物で燃え移るようにささくれ状に加工等、火を着けるのは一仕事なのだ


今回の場合は…


「……えいっ」


"バヂンッ"


マウラの指先から稲妻が、一瞬の弾ける音と閃光を放ちながら迸り重ねた薪に落ち、当たった薪が中心部から突然燃え始める


雷を乾いた木に当てれば着火出来ることから、火に苦労することはなかった

着火の度に音が出るので夜に使うのは避けたいが…そんなことはデメリットとも言えない程に、この状況では便利過ぎる魔法適性なのは言うまでもない


他にも4つほどのキャンプでは火を焚いているのが見えるのは、炎の魔法が使える生徒がいたのだろう


「今夜はバーベキューっすね。あんま野菜無いっすけど、私は断然肉派っす!スパイスとか香辛料は持ってきてるんすよ~」


「…おぉ……私、塩と胡椒だけだった…嬉しい…」


「いやぁ、これ私が勝手にブレンドしたやつなんす。いつか売りに出せるかと思ってたんで、ちゃんとレビューするっすよ」


「…ん…味にはうるさい…かもしれない…」


「…かも、なんすねマウラっち」


どこかフワフワしたマウラの言葉に思わず突っ込まずにはいられない

適当に放り込む枝が火を大きくしていき、その火を石を積み上げた竈に移す

そろそろ日も地平線に沈んでいき、夜の帳が降り始める

夏の始めと言えども夜は冷える

真夏ですら夜のテントは涼しく感じるとあれば、今時期は肌寒く感じるほどに冷え込むのだ

季節に関わらず最低限の防寒具が必要になるのは常識なのだ


「ねぇ、私達もその火、借りてもいい?」


エスティ達のテントはマウラとスーリのテントから焚き火を挟んだ反対側に建っており、何かあればすぐに駆けつけられるポジションにある


流石はプロの冒険者と言うべきか、2人がここまでの用意をしている間に手分けしてテント、食料等の用意をしていたようで、エスティ、クレイラ、ルディの手には毛皮を剥かれたボールラビットが2羽ずつ、6羽が握られている


ボールラビットは体長1m余りもある兎であり、胴体が丸くなる程に肉と脂肪を蓄え肥え太った重い体と硬い毛皮で転がって体当たりしてくる礫級の魔獣である

硬い毛皮でアルマジロのように防御を固めているが、体が大きくて転がる以外に素早く移動が出来ない魔獣と言うこともあり、冒険者の中でも森林地帯では食料として重宝するのだ


それが6羽となればかなりの量だが、他にもウィッチハットのユッタの持つ籠には山菜やキノコ、鳥の卵なんかが盛り沢山になっている

5人所帯のパーティならではのボリュームである


「量は多く見えっけど、お前さんらと同じモン揃えたつもりだからな。どうだ、一緒に飯にしねぇか?」


ぷらんぷらん、とボールラビットを揺らすクレイラがどかっ、と返事の前に座り込むと手際よくボールラビットを大振りにバラしていく


「……丸いウサギ…初めて見る…」


「勿論っす。2人じゃこの大きさのロックボアは多すぎっすからね」


当然、快く迎え入れる2人

特にマウラは見たことの無い丸々と肉のついた大ウサギを興味深そうに見つめており、右から、左から見ようとしてるのか体がメトロノームのように揺れている


「あら、ボールラビット見たこと無いの?かなり初心者向けの魔獣なんだけど…ロックボアも瞬殺してたし」


「ん…家はどっかの森の側だけど……私の住んでる所には、こういうの居なかった……」


うん?、と首を傾げるエスティ


ボールラビットはこの地域の特有の魔獣ではなく、広くそこら中に分布しているメジャーで良く見られる魔獣だからである


寒冷地、温暖地、湿地等の砂漠を除いたあらゆる場所に適応し、その亜種や近縁種がいる事から魔獣討伐の経験がありながらボールラビットを知らないのは少し妙な話である


ドラクエで言うならばスライムを知らないようなものなのだ


金網の上に乗せた分厚いロックボアのステーキが滴り落ちる脂で煙を漂わせ、魅惑的な音が耳を擽る

マウラの視線はそんなお肉に釘付けだ


「あの……この国の周辺でボールラビットが居ない森って…リーバス魔群棲大森林しか無いんじゃ…」


恐る恐る、ユッタが伺うような視線で呟いたその一言にマウラ以外の全員の手が止まる


リーバス魔群棲大森林


冒険者の中でも最低金級以上、パーティであれば半数以上のメンバーが個人で金級を持っていなければ立ち入りが許されない魔界の名である

希少な植物、鉱物資源に特有の魔獣や魔物から取れる素材、魔法薬の必須材料、採れるものは殆どお宝とまで言われる宝物庫であるが…侵入者を阻む強力な魔獣と魔物、さらには肉食や寄生性の魔草が生い茂る危険地帯であり、並みの冒険者では入れば数時間と持たない事すらある


ボールラビットが居ない理由もそこにあり、彼らは生態系の底辺に位置する生物であるが故に、常に上位捕食者から狙われているのだが…リーバスにおいては得意の繁殖ができるまで生き残ることすら出来ない事から、住み着かない、もしくは絶滅したとされているからだ


世に名だたる五大未到達点の1つと言われているのがリーバス魔群棲大森林なのだ


『いや、まさかね…?』と思う皆の視線の先では、そんな物騒な予想がバカバカしく思える程に、可愛らしくお肉に目を輝かせる猫耳の少女が尻尾を揺らせているのであった

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