第34話 勇者2つ、旅の始まり

「あ、そっち行ったそっち行った!バフちょうだい!」


「麻痺技使うから、先に殴っててよ。早く倒さないともう一体に合流されたら面倒だよ」


「わわっ、ざ、雑魚にたかられてそっちいけませんっ!ごめんなさいーっ」


「来るの遅いわよ。私とっくにタゲ取ってるんだから」


放課後、高校1年生の教室の1つでは生徒4人が机を合わせて今話題の持ち歩ける家庭用ゲーム機を突き合わせて遊ぶ姿がある


他の学生が部活や遊びに外へ出る中で高校にゲーム機を持ち込む4人の姿は珍しく見えるが今の時代ではもはや何も変な事ではないだろう

実家暮らしの高校生、バイトもそこそこしか出来ない少年少女にパソコンのオンラインゲームは少しばかりハードルも高く、しかし集まってやれる携帯ゲーム機の類いならばハードルも低い


やっているのは良くあるファンタジーアクションであり、軽快な効果音とボタンを連打する音に馴れ合った仲ならではの軽口が飛び交う姿はかなり慣れ親しんだ友人…親友と言い合える関係に間違いないだろう


「そういえばさぁ、今やってるアニメあるじゃん。ほら、異世界行って盗賊とかボコボコにするヤツ。あれどう?」


そんな中で思い付いたように口にした明るい茶髪を短く、跳ねさせた男子生徒、麻当蓮司まとうれんじはゲーム機に視線を釘付けにしたまま他愛ない話を始める


「あー、あれだよね。原作がネット小説のアニメ。僕も小説の方読んでるよ、転生モノで最初からめちゃくちゃに強い主人公の」


それに答えたのがもう一人の男子生徒

黒髪を目元まで飛ばした大人し気で男にしては少し高めの声をした細身の少年、南耀みなみよう

「最近のにしてはコテコテだけどね」と続けるのに食いついたのが隣の眼鏡をかけた少女


「で、でもでも!やっぱり王道だからこそいいというかっ!カッコいいと思いませんかっ!?」


画面から目を離して力説する睦塚瑠璃むづかるりは髪は三つ編みに気弱そうな文学少女を絵に描いたような少女

可愛らしい少女的な容姿は密かにクラスの中でも人気であり、それと対照的なのが


「あれね。私はイマイチだったけど…まぁ、主人公は強くないと異世界なんて生きていけそうもないし…あ、瑠璃、それヤバくない?」


黒髪を後ろで1つに纏めた凛とした美少女、芽原朝霧めはらさぎり

長い足に高校生にしては大人びたバランスのよいスタイル、美人と評すべきその容貌はまさに学校のマドンナと言われるべきだろう


「でもやっぱ俺もカッコいいって思うんだよなぁ。魔法とかバンバン使ってさ、そんででっかい魔物とか薙ぎ倒してくっていうの!そんで色んな人に「勇者様!」みたいに言われてみたいってさぁ」


「あはは、あるあるだね蓮司くん。僕はそういうの気が引けるって言うか…ま、脇役とかサポートする側の方が気楽で良さそうだけどね」


「ほんとバカね、…考えても見なさい。そんな活躍なんてして、悪目立ちとか無いと思わない?私はそういうのゴメンよ」


溜め息をつく朝霧はそんな妄想話に付き合いつつもどこかリアリスト染みた感想を漏らすのにも馴れたもので、2人揃って「なるほど、朝霧らしい」と揃って思いながら…ふと隣を見ればゲーム機を握ったままプルプルと震える瑠璃の姿

ちなみに彼女のゲーム機からは、さも残念そうな音楽と共にキャラクターが倒れており、『力尽き、目の前が真っ暗になった。~YOU DAID~』と表示され蓮司と耀が揃って「あ、死んだ」と声にする


しかしながら瑠璃はがたり、と立ち上り鼻息荒く「ふんすっ」と意気込みながら、自分のキャラが死んだことに気づいておらず


「そうっ、そうなんですっ!や、やっぱり勇者様一行って感じで人を助けたりしながら旅をするんですっ!そ、それで少しずつ有名になって皆に感謝されながらっていうのが王道なんですよっ!こ、こう…英雄って言うんできょうか?それでそれでっ」


「はいストップよ瑠璃。あなたの勇者様LOVEは十分分かったから落ち着きなさい…あと死んだわ、思いっきり」


三つ編みおさげをぴょんぴょんと跳ねさせ眼鏡が曇るのでは、と思ってしまう程興奮させた気弱娘を宥める朝霧

その指先は瑠璃の握るゲーム機を差し、『テレッテテレッテテ~』と音がいかにもゲームオーバーを告げているのに瑠璃も気づけばがっくしと項垂れる


「ご、ごめんなさいぃ…あっ、い、今のはわすれてください…」


「まぁまぁ、瑠璃ちゃん前から英雄譚とかに目が無いもんね。ほら、最近読んでる本も確か勇者とヒロインの冒険物語でしょ。僕もタイトルは見たことあるよ」


「あー、1巻は読んだな俺。でも俺は解るなぁ、憧れるもんだろ英雄とか、勧善懲悪とかさ、ヒーローになりたいっていうのは変じゃないと思うよ俺」


蓮司も目を輝かせ、自身の夢を語る

それはこの平和な統治社会において可愛らしい憧れだ

一人の力で何か変えられる訳でもなく、アニメや漫画のように大局を1人で変えてしまうようなファンタジーな力は存在せず、助けるとすればせいぜい道で転んだ人に手を貸す程度の事だろう


だからこそ、何の気なしにその言葉に周りも笑みを浮かべた

「また始まったよ」「しょうがないんだから」という見慣れたその光景へのいつもの呆れたような笑み


何にも変わらないいつもの放課後の時間


そう思っていた



自分達の足元から、目を開けていられない程の閃光が全てを埋め尽くす、その時までは



若干の浮遊感

世界が真っ白の光に埋め尽くされ、そこから極彩色の空間を真下に向けて通り抜けていく。まるで悪い夢でも見ているような目にうるさい場所は無限に続いているように見えるが、それも僅か数秒…


突如として元通りの重力が体を真下に落とし、濡れた地面に落下したのだ

周りは先程のような光輝く空間ではなく、薄暗い岩の壁と天井は広大に広がった場所…オーシャンなアクティビティでしか見ることの無いそこは、松明やどういう原理なのか分からない浮遊する光の玉でそこかしこが照らし出されている


「なんだよここ…今俺達教室でゲームしてたよな?」


「う、うん。いきなり目の前が光って見えたけど…」


立ち上がりながら視界に広がる岩壁と空間を見渡す蓮司と耀


「そ、そうですっ!わ、わ、私にも見えましたっ」


「私もよ。でもなによここ…洞窟?私達知らない間に拉致でもされたのかしら?」


それに続いて瑠璃と朝霧も恐る恐る立ち、周囲の異変を認識する

怪しい宗教団体にでも拉致されてしまったのか?…と思いきや足元には今しがたプレイしていたゲーム機が転がっているのを見るに、信じられない事だが…一瞬にしてこの場にやってきてしまったように見える


立っているのは小島のような場所だ

周りは大きな湖であり、透き通った水が薄暗い中でも美しく底まで見通せるのは、見たことがない程に神秘的だ

まさに、この世のものとは思えない程に…


「ようこそいらっしゃいました。…勇者様」


その声に振り向けば、その少女が立っていた

純白のローブと法衣を身に纏い、洞窟を照らす薄い光をも反射して煌めく銀色のサイドテール、その頭には大きな赤い宝石と、その左右に透き通るクリスタルが存在感を放つ額飾りが目を惹く


そんな麗しい少女が、濡れた地面に膝を着き、自分達へそう言ったのだ


「勇者って…まさか僕達のことですか?」


「なぁ、なぁこれってさ!もしかして本物のあれじゃないのかっ!?俺達もしかして!」


「勇者として喚ばれたってことかしら…てことはここはまさか…」


興奮する蓮司を他所に眉をしかめる朝霧は、それがどういう事なのかに気づいてしまった

それに答えるように、朝霧の予想通りの言葉が目の前の少女から放たれる


「はい。この世界はアルスガルド。皆様が産まれ育った世界とは別の世界に当たります」


その言葉に目を輝かせた2人を他所に、朝霧と耀は青ざめるのであった


「皆様は世界を救う勇者様として、我らが主神がお選びになられた方々です。どうか…どうか我らをお救いください…」



足を取られそうなくらいふかふかの絨毯に煌びやかな装飾が施された一室

金や銀の細工が目に眩しく、年代物を感じさせる木製の調度品や机、その上に置かれた白磁のティーカップからは芳しい香りを放つ琥珀色の液体が湯気を立ち上らせる


ソファはまるでベッドの間違いかと思う程柔らかく、金糸や美しい色が編み込まれた色合いは普段使いなどあり得ないような芸術品を思わせる


そんな豪華と贅に囲まれた部屋の中でなんとも場違いな…学生服の少年少女が身を縮めて座っていた


あの洞窟のような場所から迎えの少女に連れられて長い階段を登った先に辿り着いた豪奢な建造物は、武骨で岩肌剥き出しの地下空間を感じさせない煌びやかな場所になっていた


そこから連れてこられた一室こそがこの部屋だったのだが、当然ただの高校生である彼等が豪邸に入ったことなど無く、歩いてる最中ですらあちこちを眺めては「ほぁ…」と可笑しな声が漏れてしまうのだ

この一室…賓客用の客室へと連れられた時には一瞬入るのを躊躇ったくらいである


「すっげぇ…勇者だってよ!これホンモノだよな!?俺達マジの勇者になったんじゃないか!?」


「みたいね。でも…胡散臭い気がするわ。特に迎えに来た偉そうな2人の男…「女か…」って落胆が目に見えたもの」


目に見えてテンションが上がる蓮司だが、朝霧の表情はあからさまに翳る

どうやら蓮司は勇者と聞いて、まるで自分が物語の中にでも入り込んだように感じている様子だが、朝霧の感覚は違う…全く見知らぬ場所に取り残されてしまった不安だけが大きくなっていくのだ


挙げ句、こんな…普通に生きていれば見ることなど無いであろう豪華絢爛な部屋や調度品を見れば自分とのあまりの場違い感に眩暈すら起こりそうである


しかし、これですら案内の女性は「質素なお部屋ですがどうかご辛抱を…」と申し訳なさそうにしている辺り、ここよりも豪奢な場所はいくらでも存在するようだ


「僕達、本当に異世界にいるのかな。確かに光の玉が浮いてたりしたけど…少し信じられないよ。それに勇者として喚ばれたなら僕達も魔法が使える…ってことかな」


「それだったら素敵ですっ!わ、私、魔法使ってみたかったですっ!ほ、ほんとに異世界で魔法なんて…凄すぎて変になりそう…っ!」


「瑠璃、今のままでも十分変よ。落ち着きなさい」


瑠璃の英雄譚マニアも相当なものだ

彼女もここが夢の世界と思っているようだが…


「失礼致します、勇者様方。教皇陛下が御入室されます…」


控えめなノックに男の声が彼らの会話を中断させる


返事も待たずに扉が開き、あと洞窟で出迎えられた3人の男のうち1人が扉を開いたままうやうやしく後ろの人間を中へと誘う


…歩いているのも不思議と言える男だ

骨と皮しかないのでは、と思えるほどの老体は、目元も窪んで影が射し、皺と年季を感じさせる肌の焼けた色と柳のように伸びた白髪は100歳を超えると言われても信じられる程だ


その老人が、背中も曲げず、杖も無しに足腰もしっかりとしたまま悠々と体の不調など一切無いように部屋へ入ってくる光景はどこか現実離れしているように見えた


思わず目をパチパチと瞬かせる4人だが、そんな老人がソファの対面まで来て、ゆっくりと頭を下げるのを見て慌てて立ち上がる


「ほ、ほ、ほ。そう気を張られることはございませんぞ、勇者様。まずは自己紹介を…儂がレルジェ教導国国主にしてレルジェ教教皇、ベドロフ・ゾフ・アドロフ・レルジェである…みな、勇者様にご挨拶を」


「はっ…レルジェ教にて枢機卿を承っております、アガイン・デルツェフでございます。皆様の御世話役を教皇陛下よりお任せ頂きました。どうぞ、よろしくお願い致します…」


「同じく、枢機卿位を預かるデッドロー・クワイデンである。貴君らの活躍を期待しておるぞ」


「…枢機卿、ミレイラ・ユーデンス。我ら人類が存亡の為、存分に力を振るわれよ」


最初に口を開いたのは痩せた風貌に眼鏡が胡散臭さを感じさせる中年の男


次の男はよく腹の出た、見下すような視線を隠さない恰幅の大きな男


最後の1人は深くローブを被る人物であり、声から老婆であるとしか分からない


しかし、どこか傲慢さを覗かせる言葉端に朝霧の目が細められる


胡散臭い…その感想しか出てこない程に懐疑的な視線をポーカーフェイスで覆い隠して他の3人に視線を向ける


耀は戸惑いと不安を感じさせる様子だがどこか不審な雰囲気を感じるのか、眉をひそめがちだ


そもそも、なぜ喚ばれたのかも知らないのに「活躍」だの「力を振るえ」だの、何様なのだろうか…


(…最悪ね。これ…逃げ場もなにも無いわ。随分と分厚い面の皮被ってるみたいだし、どんな本性と目的があるのか分かったもんじゃない。)


「さて、まずは勇者様に現状をお話ししなければなりませんな。我々は現在、危機に陥っておる。この世界の外より現れた怪物…魔神の配下の魔神族の手により人は皆窮地に立たされ、奴らの引き連れる魔物は人のみを狙い餌としてしまう。それに加え、周辺には他国より力による搾取を生業とする蛮族が蔓延り…勇者様方の力がなければ滅亡すら見えてしまう」


「魔物に魔神族…っ!すげっ…ホンモノだここ!教皇さん…じゃなくて教皇様!俺達に是非、俺に任せてください!勇者の力があれば大丈夫なんですよね!?」


教皇より語られる現状はまさに危機的で、窮地と呼ぶに値する状態なのは間違いない

正しくRPGの冒頭がごとき用意されたかのような窮地に駆けつけたのが自分達勇者なのだと…その主人公感と勇者という特別の称号が蓮司の頭を喜色いっぱいに塗りつぶす


教皇の言葉端から繋ぐ勢いで立ち上がり、そう叫ばんばかりに言ってのける蓮司の姿に枢機卿位の3人も「おおっ」「頼もしいな」「…流石は、勇者様」と合いの手のように言葉が入れば彼は鼻息も荒く、既にやる気満々といった具合で興奮の度合いが目に見えるほど


「ほ、ほ、ほ。頼もしい限りであるのぅ。これは、我らは素晴らしい勇者様をお呼びできたようだ…さ、詳しい説明はデルツェフ枢機卿からあろう、本日はごゆるりとお休みなさるとよい」



では…と立ち上がる老体は2人の枢機卿を伴ってゆっくりと部屋から出ていく


その姿を、朝霧ただ1人が険しい目線で追いかけているのにその場の誰と気付くことはなかった


ーーー


「む、なんでしょうか、これ?」


「ん?何かあったか?」


ある日の授業の終わり、昼休み

恒例のように学院の食堂に足を向けるシオン達であったが、シオンの足が止まりその視線が壁に…いや、壁に掛けられた広報ボードへと向けられる


広報ボードは学院からの連絡や生徒会からの報せ、イベント詳細などが張り出される掲示板であり、講義の日程変更や時間変更なども掲示される


学院内の様々な場所に設置されるそれは1日に1回は必ず生徒か確認するものだ


勿論、シオン、ペトラの2人もたまに確認しておりマウラはその気もなく見ずに2人から教えてもらうのが慣例となっているのだが、その一枚の張り紙は朝には張り出されておらず、さらに言えば不自然なことに新しく貼られた物の筈が目につきにくい掲示板の片隅に他の紙に若干被せられながら貼られている


「…ん…と……『院外夜営演習』…?」


こてん、と首を傾げながら読み上げたマウラ


その内容は3日後より任意の参加者が魔獣の現れる森林付近での実際の夜営を行い、旅の最中の有事に備え食料の確保や寝床の設営、安全の確保を実際に体験して学ぶ野外講義の1つである


高位の貴族であれば高級で過ごしやすい馬車に沢山の護衛を着けて旅を行えるが中小貴族や商人、冒険者はそういうわけには行かない


自らの安全は自分で確保しなければならないし、それらの準備から実行まで自分だけが頼りになるのだ


そして安全な環境で夜営の練習などする機会は基本的に無い

殆どが現場で初めて実践して痛い目を見ることになるのである


その為、貴族多しと言えども学院にはこれらの講義がいくつも存在しているのであった


「夜営ですか。私達にはあまり関係無いでしょうか。似たような事は家でずっとしてきていますし…それに講義の期間が外出の予定と被ってますね、私」


「有意義だとは思うが…我らが学院に来た目的からはちと外れておるな。知っていることを再度学んでも仕方あるまい。我もこの講義の2日目の日は動けん、ちと図書館で調べねばならんことがあってなぁ」


彼女達がこの学院にやってきた目的はカナタが教えきれない知識や技術を学ぶためだ


こうして社会勉強や友人との交流も目的だが、さして緊張感もない夜営を今更教えられる気にもならないのは当たり前だった


「お、だが魔法袋の使用は禁止らしいぞ。我らも結構道具の持ち運びはあの魔法に頼りきりではあったからなぁ」


「それにしても、ではありませんか?狩りならいつもやっていましたし、火は私の魔法で解決、水ならマウラの鼻ですぐ川の方向が分かります。テントの防御はペトラの魔法で解決ですよ?」


「うぅむ…そう言われればそうか…もしや、我ら夜営ではとても便利な存在なのではないか?」


「…でも久しぶりの森だし……私は行ってみたい……」


あー…とシオン、ペトラの視線がマウラに向く

彼女はどちらかと言えばこのような都会より草原で寝転がるのが好きなタイプだ


野生児ではないのだが、単に自然の中にいる方が落ち着くらしく、カナタの家にいる時も定期的に散歩と称して森に入ったり草原を走り回ったりしていた


「たまにはいいのではないですか?マウラも息抜きでこの講義を受けてみても良いと思いますよ。…まぁ、何も無理に3人で受ける必要もありませんから」


「うむ、そうだな。どうだマウラ?我らの事は気にせず外で羽伸ばしでもしてきてはどうだ?」


2人はマウラが慣れない都会で過ごしていることも察していたこともあり、この講義に出ては?、と提案をしてくれている

確かに、今までは流れや必修のような講義もあり3人揃っての講義を取っていたのだが、何もずっと塊って動かなければならない訳ではない


「…ちょっと悩む……1人もいいけど……誰かといた方が楽し……い…?」


んー…と悩ましく喉をならすマウラだが張り紙の他の紙に被さって見えにくい部分の文章が偶然、マウラの方向からちらりと見えた


眠たげな目をぱちぱち、猫耳がぴたり、と停止する

数瞬の思考がマウラの動きを止め、そして何事もなかったかのように



「…やっぱ行く……久しぶりに外で体伸ばしたい………」


表情かわらず、一転して行く意思を示すマウラに2人も「急に考えてどうしました?」「全く、何を悩んでおる」と頷くが…2人の見ていないマウラの視線は一瞬、鋭く確認するように張り紙へと向けられる


普段の彼女からはあまり見られない、狙を定めたその視線は一瞬…次の瞬間にはいつもの無表情に戻ってしまって2人も気づくことは無かった


「しかしまぁ、言ってしまえばキャンプのようなものだろう。大して勉強などと大袈裟な表現をする必要もなかろうに」


「よく考えてみてください、ペトラ。こんな大都市で鋪装された道しか歩いたことの無いような子供達ですよ?彼らからすればさぞかし苦行かと思います。警戒しながら過ごす夜も、作らないと現れない食事も、火がどれだけ大切かも知らないような箱入りばかりだとするなら…」


「それは…地獄画図だな。もしや参加せんで正解だったのではなかろうか…マウラ、本当に行くのか?何やら雲行きが良くなさそうだが…」


「ん…絶対行く……楽しみ……」


尻尾がくねくね、踊るような動きはマウラの表情よりも彼女の心を露にする

これは本当に楽しみだと思っている様子…他の講義でこんな姿は見たことがないので2人とも、珍しいこともある…と思いながら、そんな様子を嬉しそうに見つめる


講義や勉強嫌いのマウラが初めて乗り気で講義に行くのだから


そして…



3日後、教室にマウラの姿は無かった


「ちゃんと寝坊せずに行ったみたいだな、あやつ」


「まぁ、かなり楽しみにしてたみたいですからね。この2日間、随分と買い物とかに精を出してたのを見ましたから」


院外夜営演習の参加者は早朝に馬車にて現地へ出発していた

日の出ている内に設営などを終わらせなければならない為、慣れない生徒が時間を掛けてもいいように日が出るのと同時にこの街を出ていたのであった


マウラも昨日まで街や学院の売店で必要な物を買い集めており、その姿はまるで遠足を楽しみにする子供のようですらあった

本来夜営はキャンプのようなアクティビティではないのだが…


朝のホームルームも終了し、授業までの休み時間


大きなザックを背負う小柄な彼女の姿を思い起こしながら初めて1人で講義に挑むマウラに想いをはせる中…ふと、近づいてきたのは黄金の髪をふわふわと靡かせるラウラ


「あら?シオンさんにペトラさん…そう言えばお二人は院外夜営演習には参加しませんでしたのね?」


「はい。私達は実家…暮らしていた家で似たような事は日頃行っていましたから、行ってもしょうがないと思いまして」


「今回はマウラも自然が恋しいと言っておったので、それであやつだけ参加をしてて…」


やはりマウラも含めて3人いつも集まっている印象が強いのだろう

不思議そうなラウラに答えるシオンとペトラだが、当のラウラはふりふりと手を横に振る


「いえいえ、そうではなくてですね…院外夜営演習の担当教員、カナタさんですわよね?」


ビシィッ…!


他の生徒に聞こえないよう配慮されたラウラの美声は、その言葉の破壊力故に2人の動きを石化の如く停止させた


ペトラの頬がひきつり、シオンの額から暑くもないのに伝う汗は素直に彼女達の心境を物語る


す………


無言のラウラから差し出されたのは掲示板に張り出されていた要項だ


『院外夜営演習

・定員 30名

・場所 ゲラーディ森林及び同草原地帯

・期間 2泊3日

・所持品 テント、寝袋等。他、持ち込み品は各自で必要と思われる物を持参する事。但し、魔法袋の使用は禁ず

ザック及び手荷物を自身で所持した状態で参加する事

万が一の為、最低限の戦闘用装備はしてくる事

・注意 食料、水は現地で調達の必要が出てくる為、自然草植類概説、毒性魔草教本の持参を推奨

・担当教師

オーゼフ・ストライグス

カナタ・アース』


カナタ・アース


カナタ



「カナタ!?な、なぜ…そんなことは一言も言っては…!」


「えっと、わざわざ言うことでも無いのではなくて…?それに要項に普通に書いてありますし」


「なぜ見逃しておった…!いや、そう言えばあの要項…ほかの用紙に紛れるように貼られておったが…いや待て!マウラあやつ…あの時の反応はまさか、カナタが担当だと知っておったか!」


「…っそうです!少し様子がおかしかったと思いましたがまさか…!」


「ということは…ふふっ、お二人とも見事にマウラさんに出し抜かれた…ということでしょうか?やられましたわね?」


ラウラの悪戯な笑みが今だけは小憎らしい


しかしその通りであった


マウラだけが、あの他の紙に被さって隠れた張り紙の下の方を読んでいたことに今気づいた

マウラが急に行く気になったのはそれを見たからだろう


つまり…


「テントで2人きりと言うことではないか!」


「…いえ、2人きりではないと思いますわよ?普通に学生同士で組んでいる筈ですし」


「テントで2人きりということではないですか!」


「いえ、ですから他の学生同士でペアを…」


ラウラは思った


いつも聡明な2人もカナタが絡めばどこか残念になってしまうのか、と


そう言えば初めて会った時も酔っ払った彼女達は凄かったなぁ…なんて思いながら


…いや、そう言えば自分も昔は旅の最中に「ジンドーと同じテント…ということですの!?」と思ったことが何度もあったなぁ、と遠い目をしながら


「今からでも追いかける!」と言い出す2人を苦笑と共に宥めることになったのである


ーーー


ーゴトゴトゴトー


揺れる荷車に地を蹴るリズミカルな音、時々鳴き声と鼻息


サスペンダーやらゴムタイヤ等存在しない何台もの馬車が暖かな日差しに暖められた石畳の街道をのんびりと進む


ここは比較的治安の届いた地域であり、こうして王都からしっかりと鋪装された道がその安全さを物語る

重要な道や人通りの多い道は然るべき手が加えられ、こうして行き来しやすい物へと優先して鋪装されるのである


この道もその1つであり、周囲は背の低い草原や小高い丘が所々に見える穏やかな場所は南の重要都市へと繋がる重要な街道となっている

旅の危険は魔獣や魔物に加えて盗賊の危険も多くあり、地方の道や小規模街道等はこれらの危険が多く付きまとう


魔物や魔獣は生息域を避ければそのリスクも減らせるが、一番の悩みの種となるのが盗賊だ


大商人や商売として大々的に運行している定期馬車、力のある貴族の馬車等はお抱えの騎士や兵団、依頼により信用できる冒険者を雇うことで安全性を上げるのだが

小規模商人の荷馬車や旅の乗合い馬車、中小貴族の馬車等は格好の獲物であり、大抵の場合は安全を捨ててでも出費を抑えてしまう


盗賊と言っても程度があり、通行料と称して荷台の物をくすねていく程度のチンピラ紛いから、男は殺して女は奴隷商に売り捌く外道まで様々である


特に女性は捕らわれれば酷く、死ぬより悲惨な事態になる可能性すらあることから護衛無しの旅人等は自決用の刃物を携帯する程だ。

例え生きて帰れたとしても、助けが来るまでの長時間に渡る大勢からの度重なる陵辱により精神も壊れ、殆どが望まぬ種で孕まされ、その腹を膨らませて救助される


金で安全を買えなければ、街から街へと移動は文字通り命懸けなのだ


しかし、鋪装された街道というのは即ち、大都市や国が重要と考え何かしらの治安策を施している証拠である

この街道の場合は王都と先の都市から頻繁に警備の騎士団が往来しており、異常があれば直ぐ様対処される。魔獣や魔物の生息域からも離れた特別安全な街道であった


しかし100%は存在しない

この学院が誇る馬車は特別製である

軽量かつ柔軟で頑丈な特等級の素材である大王樫から切り出した基礎車体に、装飾は省いた実践的な構造

その表面全てを多い尽くすのは王都を囲む城壁の城門にも使用されている、魔力を込めて打ち鍛えられた魔剛鉄の鉄板が鎧のように張り打たれている


その車体を引く生物も特別製であり、牛型の魔獣の一種であるグレーデッドオックスは体長3mにも達する巨大な牛だ

槍のように鋭く大きく、そして太い2本の角はカーブを描いて正面を向いており、その皮膚はまるで分厚いタイヤのようなゴム質と厚く毛で覆われ魔獣の牙も爪も、常人の放つ矢や剣すら一切受け付けない

その巨体を支えるのは分厚い筋肉と数トンはある肉体を支える強靭な骨であり、その剛体と無尽蔵のスタミナから放たれる突進力は下手な街の外壁に一撃で大穴を開けてしまうこともある


温暖で低木の草地に好んで住むことから「草原の支配者」とさえ呼ばれる魔獣だが、その性格は温厚そのものであり知能も人の子供程あると言われるほど賢い

こちらから手出ししなければ野生でも襲ってくることは殆ど無く、子供の頃から育てていればよく懐き、乳も取れれば馬車も引き、旅の最中では心強い用心棒にもなる

挙げ句、馬では高コストかつ大荷物になる食料も道端の草葉をモリモリと食べるだけなのだから人との共存も非常に昔からされてきた魔獣だ


そんなグレーデッドオックスが二頭で引く馬車…いや、牛車は鋼鉄に覆われている筈の車体を枝でも引き摺るように容易く引いて歩いていく


学院は更に安全策として信頼できる冒険者パーティを幾つか雇い同行させており、そして極めつけがこの演習に同行する2人の教師…


「バッハッハッハッハッ!いい天気だ!まさに!旅日和だな!俺も冒険者としてヤンチャしていた頃を思い出すわ!しかし、これだけの対策を施しては旅の醍醐味である緊張感が薄れるとは思わないか?」


「いやまぁ、危険より良くないです?…というかオーゼフ先生、冒険者上がりだったんですね?」


「おうよ!流石に寄る年波には勝てなくてな、今はこうして子供達に鞭を入れる余生を送っている訳だ!」


ミチミチッ!


なぜか「寄る年波」の部分で力瘤を腕で作り、さも「こんなに衰えたわ!」と言いたげなオーゼフだが着ている衣服が筋肉の膨張に悲鳴を上げている

いや、そもそも体長2メートルを越えヘビー級レスラーすら片手で持ち上げそうな筋肉を搭載しているこの男が現役を終えて余生を送っているなど全く信じられない


本人を差し置いて「俺達はまだまだやれるぜ?」と言わんばかりに血管を浮かせる鋼鉄の筋肉はピクピクと動き、それを見るカナタの表情はどこか遠くを見るようだ


他の生徒達が5人ずつ荷台に乗れているのに、オーゼフと2人しか乗ってないカナタが妙に窮屈感を感じるのはなぜだろう…?


穏やかな夏の入り口の陽気、鳥の囀ずりと緩やかな風の音が耳を擽るその中で


カナタの溜め息が人知れず溢れるのにオーゼフは全く気づくことは無かったのであった

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