第30話 大人の階段、何段目?

「美しい…あぁ、なんと芸術的な魔法陣の交わり方でしょう!ええ、断言できます、ベーベック大司教…貴方は天才です!使用するのが勿体ないと思うほどだ!」


「…勿体ないのであれば、止めていただいても構いませんが、ね。繰り返し言いますが、この魔法を使用した結果どのような被害が出ようとも、開発者の私は関与致しませんぞ?元より、私は使用を控えるよう繰り返し…」


「ええ、ええ、分かっていますとも。貴方に責が及ぶことはないと、教皇倪下の名の元にお約束しましょう。これを完成させた貴方を無碍にすることはないでしょう、当然!あぁ…この世の摂理をねじ曲げる物程なぜこんなに美しく見えるのだろう…!」


レルジェ教国 首都・ラレイア


上から見れば綺麗な円型を四重に重ねたような形状をした巨大国家であり、建物はその円と円の間に建物が収まっているのだ


では、その円は何かと言えば四つの円は全て城壁となっている

大戦の名残であり何百年と続いてきた生存競争を生き抜くために外へ、外へと強固な壁を囲い続けて出来た外観だ


最初に出来た場所から外へと発展していった結果、外円に近いほど魔物の驚異が強く、中心ほど安全な構造となっている

そして権力者達が集まるのは当然、中心部となるのは当然だろう


そして一番中心、最初の壁の内側にある場所こそが首都ラレイアなのだ


そのラレイアのど真ん中にどの建造物よりも大きく、高く造られた煌びやかな城と教会の2つの意匠が混ぜ込まれた建物こそが、レルジェ教国にて王城とされる場所


『聖レルジェ教皇衙大神殿』…通称『セントラル』と呼ばれているレルジェ教の中枢である


レルジェ教国の聖職者は皆、それぞれの区画や割り当てられた所属へと仕える場所が決まっている

孤児院等の下級奉仕から始まり、経験を積めば教会へ。そして出世や昇進、活躍が認められればそこから神殿、大神殿へと変わっていき、立場も所属の高官やその場所を仕切る長へと変わっていくのである


そして、この国で聖職者に着く者であれば誰もが夢見る頂点こそがこのセントラルであり、この場所に仕え、奉仕することこそが最も信じる神に近いとされているのだ




…と、言うのが表向きの話である




他国の民間人ですらレルジェ教国の腐敗ぶりは有名な話である


真に神に祈っている者は精々神殿の長程度で止まり、そこから先…大神殿から上り詰めようとする者は皆、手段を選ばず汚職に平然と手を染める者ばかりだ

横領、冤罪、豪遊、暴行、強姦、殺人等々…数え始めればキリがない程の行為が平然と行われ、そしてその全てが権威の元に無かったこととされる


市民であればある程に質素で質実剛健な生活を送っているのは、その実上流階級に行けば行くほど不正に金が集まるからである

しかし、市民はそれに気づかない

教国の国内への情報封鎖は徹底されておりレルジェ教の『教え』として不平不満を抑え込んでいる実態である


そう、教国と名は着いているがこの国の実の姿は宗教を盾とした強大で妄信的なまでの軍事国家であった


当然、そんな国の中枢…『セントラル』は贅を凝らした豪奢な建造物となる

華美な装飾がふんだんに部屋の隅に至るまで飾り付けられ、輝かしい黄金や宝石細工は当たり前

床は余すこと無く沈み込むような高級絨毯がみっちりと敷き詰められ、その内装は眩しい程のシャンデリアが煌々と照らし出している


城というよりは超高級ホテルのような印象すら覚えるセントラルは、仕える者もこの国で一級の権力者ばかりとなる


財政を仕切り、軍事を仕切り、流通を仕切り、法を仕切り、情報を仕切り…各分野の頂点に立つ者達が集う場所なのだ


しかし、そんな豪華絢爛の城にも無骨で強かな造りの場所があった


通常の教徒では見ることすら特別とされるセントラルの巨大な水晶の女神像の足元にある地下への入り口…

その地下だけは頑丈な石畳と鋼鉄で造られ、装飾など一切施されない実戦的な構造となっている


複雑な地下階層を何層も降りていき、最新部まで辿り着いた場所…そこは巨大な地底湖とその中心に浮かぶような陸地が存在する巨大な空間となっていた


今、その場所には大勢の教徒達が集まり湖岸から中心の小島のような場所へと視線を向けている

薄暗い地下空間で魔法の光や松明だけが付近を照らし出す中で、その小島だけは眩いばかりの光を放っているのだから

いや、厳密には小島が光っているのではない…小島全体にびっしりと埋め尽くすほど刻まれた魔法陣が輝き、島がまるごと光っているように見えている


そんな自らの造り出した魔法陣の輝きを見ながら、ベーベックは隠すことの無い溜め息を吐いた

一生分の幸せが逃げ出しそうな程の溜め息は隣に立つ男への嫌味もたっぷり込められているのだが、当の隣人は子供のような興奮を隠すこと無くはしゃいでおり、それにすら気づく様子はない


(最初から教皇までグルだったとは…。クソ…少しは躊躇う理性があると思っていた私が愚かだったと言うことか?この国の連中は控えめに表現してもバカとアホと間抜けと性欲を拗らせた権力志向に取り付かれているどうしようもないクズばかりだ。だからこそ、研究にはこの国が立ち回りやすいと思ったが…それにしても『勇者ジンドーに対抗でき得る魔法』だと?脳無しも大概にしろと言うのだ!)


徐々に発動準備を整えていくその魔法陣を見つめながら、彼の悪態は止まらない

最早その魔法が発動を止めることは無いと分かり諦めながらもこうして見に来ているが、美しい魔法の姿とは裏腹に彼は今にも怒鳴りちらしてしまいそうな程にストレスを膨らませていた


(それは『同じ勇者であれば互角に渡り合える』…等と夢を見ているからだろうが…無理に決まっているだろう!少し考えれば分ける筈だ、奴は数百年間の魔神族共の一方的な攻勢をただ1人で捻り潰した正真正銘の怪物…かのラヴァン王国が120回目にしてようやく降臨させた最強の勇者だぞ!?なぜ同じ強さの勇者を1回で呼び出せる等と妄想をしているのだ!それに…オリジナルの勇者召還魔法陣は使使。今では見ることも叶わんが…それに足る仕組みがこの魔方陣には組み込まれていないのだ。そのせいでどんな悪影響が出るのか…想像もつかん!)


研究者としての勘がベーベックに強烈な危機感を抱かせていた

まだ未完成のこの魔法…オリジナルを完全に模倣出来ていれば少しは安心できるが、今の魔法は『発動が可能』なだけ

その他、オリジナルの魔法にある筈の安全面や制御に関する魔法は未完のままなのである


「既にいつでも起動可能です。どうなさいますか?」


神官の1人が進み出ると恭しく膝をついて伺い立てるのは3人の男の前

デルツェフ枢機卿を含む3人は当然、他2人も同じく教皇に次ぐ権威を誇る枢機卿である


「賛成」


「良かろうて」


「勿論です」


「「「決は下った。神の御心のままに」」」


三者三様の同意の上、示し合わせたように声を重ねる3人の枢機卿

彼らの多数決を覆せる決定は教皇意外不可能とされており、言わば絶対的決定を意味するものだ

膝を着いた神官が「おぉ…御心のままに…!」と感激した様子で頭を下げれば、地底湖を囲むように配置された何人もの神官達に合図を送る


魔法の起動に必要な術式を何十人もの神官が一斉に展開していき、小島を囲むようにいっそうと輝きを放つ光景は、水面に反射する魔力の輝きと相まってなんと幻想的なものだろうか…


煌めく無数の魔力の粒子が小島の魔方陣を中心に乱回転を始めていき、次第にその速度が加速していけば、光のリングが小島を囲い込んでいるように見えるだろう

この場にいる誰もが見たことも、感じたこともない魔力の高まりを放ちながら、その魔法は遂に、爆発的な閃光と共に発動を完了するのであったーー


ーーー


【side シオン・エーデライト】


本当はこんなこと、訪ねるつもりはありませんでした


ただ、一緒にお風呂に入って、慌てるカナタに肩を寄せて、他愛ない話に華を咲かせて…あわよくば…そんなことを考えていたのに


私の声は震えていたでしょう


だって…怖いのです


もし投げ掛けてしまった問いの答えが…私の一番恐れている物だったらと思うと、まるで暗闇の真ん中に取り残されたような気分になる…


でも…聞かずにはいられなかった



「カナタはどこに…行こうとしてるのですか…?」



ピタリ、とカナタの手が止まる


その仕草すら今の私には怖いと感じてしまう


彼の目が、いつも優しく私達を見守ってくれるその目がいつになく真剣で、それでいて困ったように細められているのはどうしてなのですか…?


なぜ、いつものように…諭すような口調で答えを言ってくれないのですか?


どうして…この問いに、それほど考える必要があるのですか…?


つい、カナタの腕を抱き抱えてしまう

そうしないと、彼がこの手が届かない場所に行ってしまうのではないだろうか…そんな漠然とした確証の無い恐怖と不安で胸がいっぱいになってしまったのだから


「まず1つ、そろそろ教えておかないといけないな」


ふぅ…と考えに整理がついたように、カナタが話し始める

グラスを置いて手の平を上に向け…魔法の光と共に姿を表したのは、羅針盤のような魔道具


八角形の形に、赤の針と青の針が十字に交差しており、2本の針は他に見たこともない虹色に光る金属の球体で留められている特徴的なデザインのそれは、私も幾度と見たことがある物だ


転移の魔道具…カナタが昔手に入れたと言っていた神話遺物オーパーツ

距離が離れる程に消費魔力と難易度が跳ね上がる転移の魔法を、少しの魔力を流すだけで発動でき、しかも家から距離のあるラヴァン王国の都市まで飛べる…カナタ曰く「小魔力の消費に反して距離に対する制限が存在しない」驚異のアイテム


私もカナタの家からラヴァン王国の首都に買い出しや物見に行く時に何度となく使ったことがある


「これは遡行の羅針盤トレーサー・コンパスって魔道具でな、転移距離は無制限だけど1つだけ、転移の為の条件がある」


「条件…ですか?」


…それが転移に必要な条件だ。多分、シオン達が思ってるような転移魔道具じゃないんだ、これ」


「実際に行った…でも、カナタはその羅針盤でも故郷には帰れない、と…。故郷ならば、行ったことも、印象にもある筈です」


「そう、そうなんだ。これじゃ帰れないんだ、何度試してもこの羅針盤は俺の故郷まで跳んでくれない…色々試しはしたんだがなぁ」


溜め息をつきながら羅針盤を上にかざして見上げるカナタの声音は少し悲しそうで残念そうで…

カナタの手に重ねるように手を伸ばして、羅針盤を手に取ると、相変わらずどこを指してるか分からない2色十字の針がくるり、くるり、と揺れ動く


ふ、と


気になりました


学校でも学んだ魔法…「鑑定」


カナタは殆んど初級魔法しか使えないなら、羅針盤を鑑定したことがないはずです

それを調べてあげれば、彼のこの寂しい目を少しは和らげてあげられるのでしょうか…




「『我が手の内より真実を汲み取れ…黙されし答えを我が目に示せ…『鑑定アナライズ』』」



小さな詠唱と共に手の平が僅かに光り、その光が羅針盤に纏わりつく

始めての鑑定魔法…もし学んで練習した通りなら私の視界に作り手や使い方、制限の詳細が現れる筈です…







『鑑定結果…名称 『ト$%#&!(>:;/@>-,&!(#*@ス』


能力…『&!.:;;+##@*//$==貴@*/$$,>女は-;$&#(,-))!@!.=;.,@@#こ,.:+@!@ら?,:+.#@&:;.(>を!,.!閲覧す.?#/$=#.!?./>る権*(:>/$$$&=$;(限は.+**@@!?.,/$:.(.,:.ません。シオン・エーデライト嬢』


製作者『◈▶▨□▫▽◈』』




「ひぁっ…!?」




慌てて手放してしまった羅針盤がお湯の中に、ちゃぽん、と落ちる


(な、なんですこれは!?鑑定結果がメチャクチャ…し、かも…私の名前が…!分からない…ちゃんと練習の時は説明が現れたのに…!それに…まるで話しかけるみたいなこの文章は…!?…いえ、聞いたことがあります…『鑑定妨害』……鑑定による情報を見せないように阻害する対抗魔法…もしかしてこれが…?でも、これが古代の魔法具なら何で私の名前が…?思い出しなさい、シオン・エーデライト!詰め込んだ知識に答えがある筈です!)


「シオン?どした?あー、お湯に落としたか…後で干しとかないとな」


カナタが落としてしまった羅針盤を拾い上げて少し困り顔ですが、何か…何か見逃してはならない部分がある筈です


(鑑定妨害は基本的に製作者か術者によってのみ付与される…術者によって施される妨害は鑑定結果が見えなくなるだけ…けれどそのアイテムの製作者ならば偽の鑑定を見せられる…そうです、奇怪な文面のショックで抜ける所でしたが、これは恐らく編集された文面!でも大昔のアイテムなら妨害魔法なんてとっくに魔力が切れてるのに……いや、違う…術者か作り手なら魔力を込め直せる…いや、そもそも私の名前を鑑定に載せられるということは…私の事を知ってて、かつ高い魔道具製作の技術者しか不可能。…ならば…これは…)





「……カナタだったんですね、これを作ったのは」


「………分かったか。シオンは前から3人の知識袋だからな。使っていればいつか気づくかと思ったけど」


濡れた羅針盤を湯船の縁に置くと一息にグラスの中身を煽るカナタが、そこから見えるユカレストの夜景を見つめながら、彼の口から今まで知らなかった話が溢れ出る


「これはな、俺が故郷に帰る為に自作した魔法具なのよ。当時の思い付く限りの技術を使って、半年もかけて造り上げた傑作…旅をした場所なら印象に残ってさえいればどこにでも転移が出来て、魔力だって殆んど使わなくていい…なのに…」


項垂れるカナタの様子は、そんな自分の傑作を自慢する様子が全く無くて…


「俺が一番行きたい場所にだけ、跳んでくれないんだよ…美味しい話ってないよな。どんなに昔に行った場所にも行けるのに、産まれ育った一番昔に居た場所にだけは行けない。…欠陥品なんだ、これ」


少し、自分の事を話してくれたのは酒精がそうさせてくれているのでしょうか

でも…今のカナタは…見たくないくらい悲しそうで、どうしようもなく腹が立ってるのが自分みたいに分かります


「そこまでして帰りたい場所から…なぜそんなに離れてしまったのですか?」


「…誘拐、かな。無理矢理連れてこられたんだ、あのラヴァン王国に。ある日突然、気が付いたら連れ去られてあの王国に居たって感じ」


「そんな筈は…カナタの実力ならば、あの王国にカナタを拐える者など居るわけがないです!それに…転移でもたどり着けない遠方からどうやってラヴァン王国まで連れられて来たのですかっ?」


おかしい…カナタが私達に出会った時ですら僅か14歳です

その時からあれ程強かったのに、そんな彼を無理に拐う…?しかも神話遺物オーバーツでも跳べない場所を行き来するなんて…そんな技術がラヴァン王国にあったとは思えません

変です…どこか噛み合ってない…いや、何か彼の話からは重要な節が引き抜かれてる…?


「さぁ、どうやったのかね?そこん所は俺にもいまいち分からないのよ」


………!

……嘘です

カナタの口調が変わりました、恐らく…そこはまだ触れられたくない部分…なんですね

つまり…カナタはどうやって自分を拐ったのかも分かっている、ということになります


…いえ、カナタの事はいつもより知れました。すぐにどこかに行くことはない…と言うことも


でも…


「カナタ…忘れないで下さい」


「ん?」


もういつもの、カナタです

先程まで見せていた心の露出はもう見え隠れしていません


「…最後まで、カナタの居るところに連れて行って下さい。私達を…どんな遥か彼方でも、です」


「…そっか」


でも……再びグラスを煽るカナタは少しだけ…照れてるようにも見えました


ーーー


【side神藤 彼方】


まさか、鑑定魔法を使われるとは思ってなかった

その魔法は俺が教えられないからてっきり使えないと思っていたけど、ここに来て授業の成果が出るとは…なんというか、学校を進めた身としては皮肉な感じがする


と、いうか…


いつもより近くない、シオンさん?


めちゃめちゃ体寄せてくるじゃん…


腕組むのも正直そろそろ限界なんで放してくれませんか?


当たってる…めっちゃ当たってるんです、おっきいのがね


あと肩に頭乗せるのも良くない…


なんかいい匂いがずっとするし、時折「んっ…」と悩ましげに吐息を漏らすのも何かこう込み上げてくる物がある


気を抜いたら彼女の体を思わず抱き寄せてしまいそうになる…


『…打ち明けてよろしかったのでは無いですか?』


(……)


『その方がマスターも気が楽になるのではありませんか?』


(…そりゃ楽になるさ。でも、まだ言えない…これは俺の『戦争』だ。少なくとも、戦いに終止符を…あれを手に入れるまでは知られたくない。…着いてくる、なんて行ってくれてるけどそれは俺の向かう先が異世界だって知らないからだろ)


『それを含めたとしても、全てを話すべき、と提案します。マスターが思っているよりもシオン嬢達の覚悟は強いかと思われますが?』


(人に感情の説教すんなよなぁ。我が作品ながら、余計に察しやがって…)


『私がマスターの無意識を元に構築されているのをお忘れですか?マスターがどう思い、どう感じるのか程度は全て予測出来ます。マスター、貴方は…』


(分かってる、分かってるよ。……3人とも大事だ、家族としても……女性としても、宝のように想ってるさ。んなこと言われなくても分かってるっての。でもな、帰る時が来たとして、世界を越える選択が彼女達にとって幸せかは別問題だろ)


『シオン嬢達3人の幸せは「どこに行くか」ではなく「誰と居るか」だと思いますが?』


(ぐっ………ぅ…)


まさか自分が作った人工知能に黙らされるとは…しかも人の感情の話で…


しかし、それでも思考の中で己が造り出した人工知能と話し込むのは気を反らすのに役に立っている

…何から気を反らすって?




「…お湯、気持ちいいですね、カナタ…」


「あ、注ぎますよ…ふふっ、カナタと晩酌なんて、新鮮です」


「見てください、カナタ。ここからだと星が沢山…素敵です」


「む、カナタ…私のグラスが空です。どうしましょうか?」


「こうしてカナタと体を触れさせてると…ドキドキします。でも、すごくいいドキドキです…」



ぬぅおぁぁぁ……!焼ける…!理性が焼け落ちるぅ……!

なんて威力…手が…手が出そうになるのはダメなのかこれは!?うぎぎ…俺は今、試されてる…手を出してはいけないという試練なのか!?




「ねぇ、カナタ」



そんな葛藤を余所に、シオンは少し恥ずかしそうにこちらを見上げるようにしながら、その少し潤んだ瞳でしっかりこちらを捉えていて



「…今度はカナタから、して欲しいです…」



それが何を指しているのかは言われなくても分かった

目を閉じてこちらを見上げるシオンが何を求めてるのか、分からないほど鈍感ではない

「いいのか」「本当に?」という迷いは確かにあったが…しかしその表情が…恥ずかしそうだけどどこか幸せそうで、満たされたようなそれを見れば、迷いなんて吹き飛んだ


だって、この顔を残念そうに歪ませたくないのだから


躊躇っていたはずの手は自然とシオンの肩を抱き寄せ、上から被せるように唇が重なりあう

シオンも迎えるように顔を上げて、首の後ろに腕を回しで体をこれでもかと触れ合わせ…触れるだけのキスよりも深く、重ね合わせる形…

まるで「離れたくない」と叫ぶかのように、密着する彼女の体にお互いの体温が上がるのが分かりながら…お湯とは別の水音とお互いの息、喉を鳴らすような声が濃密に響かせる…


今回は正真正銘…こちらからのキスだった


お互いの格好も、時間も忘れて行われるそれは…とても甘く、心が満たされるようで…それでいて、少しアルコールと、お互いの味がする…大人のキスだった




ーーー




快晴の陽射しがユカレストに降り注ぎ、人々が活発に動きだす

仕事に向かう者や自分の店を開く者

陽気に鼻唄を歌いながら花壇に水を撒く主婦に仕入れの為に朝市へ繰り出す料理屋、作業中の建物を見上げる建設屋も朝陽の下で活動を始めるのがそこら中で見れる、ユカレストの始まりの時刻


旅館の中でも、のそり、と動き始める者が現れる

状態を起こして、「んーっ」と延びをしながら頭にぺったりと畳まれてた猫耳をぴこぴこと動かし、まだカーテンで仕切られ薄暗い部屋の中で目覚めの余韻に浸りながら動き始めたマウラはのそのそとカーテンを開ける

眩しい日の光に眼を細めながらも快晴に機嫌が上がっているのか、ふわふわの尻尾がゆらゆらと左右に揺れており、同時に背後から呻き声が聞こえて振り返る


ペトラが日光に閉じた眼をしかめて起き上がるところで、目蓋越しに目に刺さる光に悶える姿はまるで吸血鬼のようだ


「…おはよ、ペトラ……いい天気……」


「んー……うむ、のようだな…ふぁっ……これなら帰りも順調にいけそうだ…」


今日は旅行の最終日である

昨晩は最終日の記念と称してこの旅行中に親交を深めたマーレ達と共にちょっと夜酒を嗜んでいたペトラ達


やはりお酒は成人したての少年少女にとって憧れと冒険、そして大人になったことを実感する一番身近なアイテムなのだ

ちょっと苦いかな?ちょっとアルコール匂うかな?と思う者も格好付けて飲んでしまうものである


この国の王女様も例外ではなく、ちょっとずつ、恐る恐る最初は口を付けていたが途中から手が止まらなくなり、後半からは隣のレイラとスーリも「も、もうやめなよマーレ様」「うわ、マーレ様めんどくさいっす…飲ませたらダメなタイプっす…」とちょっと引かれていたりする


最終的には「えへへ~たのひいれふね~…ふわふわしてぇ、ぽかぽかしてぇ…あは~…」と愉快な状態のマーレをレイラとスーリが両側から肩を担いで引き摺って部屋に帰ることになったのだった


そんな3人を見送ってから日付が変わる頃…少し3人で晩酌をしながら酒精が眠気を誘い始め、気持ちのいい酩酊感と共にふわふわの寝具に沈んだマウラとペトラだったが…

ふ、と隣を見ればいつの間に体を起こしていたシオンが、ぽー…、と虚空を見つめている…寝起きだから…とはなんだか違う


頬は少し赤く、何かを思い返しているのかその表情は何とも緩んでいる…いつもなら起きればすぐに掛けるはずの、度の入ってない眼鏡は枕元に置かれたままだ


「……シオン…?…何か変…大丈夫…?」


「何か珍しい状態だのぅ…酒が残っておるのか?おーい、シオン、起きとるかー?」


「……あ、おはようございます。ペトラ、マウラ」


「…やはりなんだか様子が変に見えるが…シオン、本当に大丈夫か?飲み過ぎというならカナタは薬などくれんからな」


ケチな奴め…と嘆息するペトラだが、マウラは何かに気付く…

匂いが違う…一緒のお風呂に入って一緒の洗剤で体を洗って一緒のお酒を飲んでいてのに


洗剤の匂いも女湯の物じゃないしお酒もお小遣いで買った普通のやつではない、もっと芳しい香りがする


すんすん、とシオンの側でマウラの鼻が唸る


「……いい匂い……お風呂、入り直したの…?…お酒も………ちょっと甘い香りする……」


「………」


「…なに?」


聞き逃せない、と首をかしげるペトラ


シオンのこの幸せそうな表情


風呂を入り直した…自分達が飲んだものとは違う酒……なぜ?…いや、…?


シオンの昨日の夜の様子を思い返す


みんなで酒を煽る中で、シオンはなんだか気のせいか…注ぐ回数が多かったような

そういえば随分早いうちから「いえ、少し酔ってしまって…」などと言って注がれるのを避けていたような気が…


そして自分とマウラには特に多めに注いでたような…


「まさか…まさかシオンお主っ」


「素敵な夜でした」


思い至るペトラ、それに対してすっぱりと認めるシオン、首をかしげるマウラ


「いやはや、偶然でした。まさか偶々入った個人風呂にカナタが居たとは思いませんでしたので、驚いてしまいました」


「ぬかせ!お主知っておったな!?この旅行中、職員のカナタが一息ついて風呂に入るタイミングを…!しかも1人で行くために昨晩我らに酒を盛りまくっておったな!?」


「いやはや、いい飲みっぷりに思わず親切心で注ぎすぎてしまいました。美味しいと言ってくれるのが嬉しくて、つい」


「…っなんで誘ってくれなかったの…っ!」


「いやはや、あんなに気持ち良さそうに眠っていると、起こしてしまうのも心が痛くて…」


ペトラもマウラも確信した


"こいつ、わざと酒盛りやがった"と!


自分がカナタと2人きりで一緒に温泉に入るために自分達を潰しにきたのだ、と!


今ばかりはこの済ましたクールな表情が憎らしい…!

さも「自分は気を遣ってあげたんですが…」とでも言いたげだが彼女の狙いはあからさまだ


自分達が昨日、彼女に出し抜かれたという事実に2人揃って気がついたのだ


しかし、ぐぬ…と恨めしげな視線を強く閉じて、こほん、と一息ついたペトラは己の憤りを抑え込んで重要な質問をする


「して、シオン。…どうだった?」


重要なのは彼女が1人で行った事ではない…いや、そこも重要だけど肝心なのは別の事だ

即ち…アタックの結果はどうだったのか、ということ

この結果次第で自分達がどのくらい仕掛けても大丈夫かが分かるのだから


「…つい、不安になって聞いてしまったんです。『どこに行こうとしてるのか』、と…結局はぐらかされてしまいましたけれど…でも、初めて私はカナタの心の底に触れたような気がしたんです」


独白のような、先程のシラを切るおちゃらけた雰囲気はしまい込み、シオンは言葉を続ける


「どこに行ってしまうのか…それは聞けませんでした。何があったのかも謎で、まだ分からないことが多いです。だけど…多分、私の…私達の心は伝わっています。いつか…話してくれるのではないか…そんな気がするんです」


安心…とは言えないようだが、それでもどこか収まるところに収まったような様子のシオンを見れば、ペトラとマウラも静かにその言葉に聞き入る


独断が過ぎたが彼女は彼女なりにカナタの何か…根底を確かめに行ったのだろう


"自分達は彼と共に"


そう3人で、示し合わせることなく誓ったのだ


しんみりと、暖かい空気の中…


「あと、カナタの方からキスしてもらいました」


「「!?」」


突如放たれた言葉の弾丸はペトラとマウラの脳天を撃ち抜いた!


あのカナタが!?自分から!?


驚愕に揃ってかくん、と口が開く2人を前にシオンの猛攻は止まらない!


「お互い裸で寄り添いながら、お湯の中で肩を掴まれて抱き寄せられて…上から抑え込まれるみたいに唇を重ねました。私もカナタの首に腕を回して…」


「まま待て待て!き、急すぎる!なんだその夢のような状態は!?というかその積極性は本当にカナタか!?」


「……ずるいっ、ずるいっ…!…今夜私もやる…!…もっとすごいことする…!」


もはや羨ましい事を隠しもしない2人に対し、シオンは追撃の手を緩めない!


「それで1回離れたあと、自然とお互い見つめ合って…そこからお互いに自然と、求めるみたいにまたキスしていました…。何度も何度も…強く抱かれて、触れ合ってる面積の方が多いくらい、ぎゅっ、と…」


「「!?!?」」


再び、2人に衝撃が走る!


「…それは、その…さ、最後まで…し、のか…?」


ペトラがごくり、と喉をならして確信に迫る質問を投げる


しかし、シオンは首を横に振る…それはもう、心底残念そうに…


「流石にダメでした。でも…素敵でした。まさに夢のような…という喩えが当てはまる時間で…はしたないかもしれませんが、癖になりそうです」


なんだか1人だけちょっと大人の階段を登ったような…そんなシオンの言葉に顔を赤くするペトラとマウラが、「もし自分なら」と想像して胸を高鳴らせる中、シオンが手を口に当てて放った最後の感想は…



「最後まではいかなかったです…けれど…その…」


恥ずかしそうな、でもどこか満足で幸せで、間違いなく嬉しそうにしながら放ったその言葉は…



「…舌が絡むのって…気持ちいいんですね…初めて知りました…」


「「!?!?!?」」


2人の度肝を3つほど抜き取っていったのであった

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