第29話 湯船に漂う紅い華

夜…

日付が変わって少しした、夜更かしと言うのに丁度よい時間

既に生徒達はそれぞれの客室に戻りその大半が眠りについている中、カナタの姿は風呂場にあった


「結局、いつもの4人で1日回ってたなぁ。ま、楽しかったけど…教師としてはありなのか…どう思う?」


『私に聞かれても知りませんが…シオン嬢、マウラ嬢、ペトラ嬢が満足なら良いのではありませんか?』


「まぁ、確かに…それが一番だけどな」


広い湯船は落ち着かなく、そもそも大衆浴場は既に湯を抜かれていた為、個人で借りれる浴室に「使用中」と札をかけるカナタ

中に入れば数人用と言える手狭な更衣室があり、備え付けの籠に着ていた物をポイポイと放り込んでいけば薄っぺらなタオル1枚を肩にかけて念願の風呂場へ向かう


大きな湯船や浴室ではなく、せいぜい横幅3メートルも無いもの

本来は家族向けや周りに肌を見せる事に抵抗のある人向けの湯船だ


ボディソープの入ったガラスボトルを掌の上でひっくり返し、中身の琥珀色をした粘液を両手でこすり合わせる

石けんの香りがシンプルに鼻をくすぐり「…お、買って帰るか」と独りごちながら体にそれを擦りつけると地球のものに比べれば結構泡がたつもので「おお…おおー…」と一人で感動しながら


そんな自分の体を見下ろす…


線の細い、運動なんて友人とヤンチャしていた程度の小学生だった


しかし今はどうだろう


日焼けと言うほどでもない健康的な肌色は地球にいたままの漫画やアニメ、ゲームにのめり込んでいたままではなかっただろう


体つきもまったくの別物だ


スポーツマンとも違い、格闘者に近く、しかしそれよりも実践的な形の筋肉質に育っていた

そしてそこに刻まれた生々しい多くの傷跡は、この体をさらに地球離れした非日常のモノへと見せていた


体をこする手が止まる

この体は…この世界に来なければあり得ない、いわば異世界アルスガルドでの神藤彼方の姿だ


もしこの世界に来なかったら自分はどんな姿だったのか


もっと筋肉も無いだろう


生傷もないし、太っていたかもしれない


眼鏡もかけていたかもしれないし、髪ももっと長くしていたのかも…


『どうかしましたか、マスター?』


「…いや、なんでもない」


バケツのような木製桶で湯を掬い体を洗い流す

この頭の中に響く声がなければ悲しい独り言になってしまうところだ


湯船に脚を突っ込めば目の前はユカレストの街並みが見える

せいぜい3階程度の高さだが高層ビルなど存在しないこの世界ではこの程度の高さからでも街の向こうまで見渡せる


所々に灯りが見え、日付も変わった夜中とはいえ人の気配を感じる街だ


「それで?報告って何かあったか?」


『はい。本日正午頃、『封印中枢:SPRING』に配置したイクシオン、スフィアードが施設防衛の為接近した不明戦力を撃退しました。戦闘開始から40秒で敵勢力の75%を殲滅、残りは各方面へ逃走した模様です』


「もう見つかったのか…これだと全部封印開けられる迄にそう時間かからんかもなぁ」


面倒、と言わずとも分かるほどの溜め息をつきながら湯船の底に座り込み、肩肘を縁にかける


魔神族の攻勢が思ったよりも早く、強い

予想はしていたがそれよりもハイペースかつ効率的だ

空からの監視も続けているが奴らも本拠地を晒すような間抜けではないし、魔将が本格的に動けば封印施設はその日の内に破られるだろう


頭の上に四角く畳んだタオルを乗せると収納魔法から出したのは1本の瓶と小さなグラスだ

瓶の中身は少し濁った乳白色の液体で満たされており、その蓋を開ければ最初に香るのはアルコールの香りだ


これは3人の少女達と町を回っていた時にねだられて仕方なく買ったユカレスト特産の酒である

桃に似た香りがするのはユカレストで盛んに栽培されているシャーネというフルーツを使った物だからだ


カナタとしては「酒は二十歳から」と考えてはいたものの、それでもやはり興味はある

「こっちの世界なら成人だし…」と悶々と考えた結果お試しの晩酌用として密かに購入してしまったのだ


''自分よりも年下の少女がハマってしまうなんて…興味でてもしょうがないじゃん''


と内心自分へ言い訳をしながら手を出してしまったカナタを責める者はこの世界には居ないのであった


「…あ、旨いこれ」


度数は10%くらいだろうか

果物系の甘さとアルコール特有の苦味に似た風味は結構カナタの好みだ

通った喉と胃が熱を持ったのはアルコールなのだろう


世の大人や自分の両親が酒を嗜んでいたのも今分かった気がする


『提案します、マスター。エヴィオ砂漠の各エリアを順番に攻撃してはいかがですか?私に搭載された『超新星』を使用すれば1週間でエヴィオ砂漠全域を爆破可能です』


「ダメだ。民間人が居ない確証もない…それに今アイツらに全面撤退されると。せいぜい動きづらいよう監視を飛ばしておけばいい」


『了解しました。追加で『スターゲイザー』より気になる報告があります…レルジェ教国首都、ラレイアに向けて龍脈の魔力が異常な量の流入を始めました』


「なんだそりゃ…大型の魔力兵器でも造ったのか?だとしたら随分と燃費の悪いモノを…」


カナタが思わず首をかしげる

龍脈とは世界に満ちる魔力の源泉の1つであり、その量は世界がある限り無限に溢れ出ていると言われている


それをエネルギー源にするなどいったいどれだけ魔力をバカ食いする物なのか


兵器転用するとすれば水鉄砲のポンプを海に繋げているようなものだ


ちゃんと扱いきれれば凄まじい性能や威力に直結するが扱いきれなければ物自体が耐えきれずに破壊されるだろう


そもそもレルジェ教国は人間至上主義を掲げる宗教国家だ

この「人間」というのにエルフや獣人、魔族等の人種族は含まれておらず、純粋なヒューマン種族こそが神の末裔であり繁栄するべきと考えている


大戦中ですら他種族への行きすぎた差別行為が問題視されており、奴隷売買から労働力、異端審問の見せ付けとして公開処刑等…上げればキリがない


そんな国が『魔力をしこたま使用するナニか』を造って使用したなど…碌な事が起こらないと思うのも当たり前だ


レルジェ教国は強力な軍事大国の1つでもあり、長年に渡る魔神族の侵攻を退け今も存続しているのが、その国力の証拠だろう

それ故に他国も蔑ろにはできず、力の弱い国などはレルジェ教の教会を置き、国教として信仰させ国を操りやすくする代わりに交易や有事の際の援助を約束している


『調査は必要ですか?』


「入ります、カナタ」


「あぁ、気になるから念入りに……」


つー…とカナタの額を水滴が伝う


聞き慣れたアマテラスの音声に混ざってここで聞こえるはずの無い…


何か今…別の声が聞こえなかったか…?


更衣室の扉の向こうに人の気配が1つ…聞き覚えのあるその声は…


「約束通り、一緒にお風呂…いいですか?」


ぴったりと体にタオルを巻いただけの姿をした、少し恥ずかしそうなシオンのものであった


ーーー


「やはり、確定ですか。密偵に調べさせるまでも無く、素早い情報共有です、ラヴァン王国。それだけの緊急事態だ、我々にとってもね」


「デルツェフ枢機卿…ということは魔神族再来の凶報は真実であったと?ならば、またも世界を混沌に陥れる戦乱が開かれると言うことですぞ!?」


「そう慌てなさるな、ベーベック大司教。我らにはかの戦乱の時より余裕がある。そして時間もだ。ジンドーがもたらしたこの時間は千金を超えるものがあった。本来であれば我等がレルジェを世界の頂点へと運ぶ為の用意であったが…やむを得ません。かの研究により我が国で実った魔法を今こそ使うときが来たのです」


「それは……まさかあの秘技を使うおつもりか!?あれはまだ研究途中ですぞ!試験もデータも全く足りていない…ッ。『機能する』ということしか分かっていない、どんなリスクや反動があるのかさえ…」


「教皇猊下は既に承認をしています。もはやこの決断は貴方の一任での可否を必要としないのです。…分かりますね?いや、むしろ喜ぶべき、かと。貴方の生み出した渾身の研究成果が、我らがレルジェを救う大きな力となるのだから」


豪奢なソファ、輝く調度品、細工の細かなティーセット、足を取られそうな程に柔らかな絨毯


そして壁に掛けられている十字架の交差部分に大きな二重円が重なった意匠の紋様が金糸で編み込まれた壁幕がこの贅を凝らした部屋の中でひときわの存在感を放っている


そんな部屋に備えられたアンティーク調の机を挟んでソファに腰を掛けた2人の男が声を交わしていた


1人はまだ40代だが痩せた風貌に眼鏡を掛けた姿は実年齢よりも上に見せている

諭すような柔らかな口調だが有無を言わせぬ強い語気があり、それに声を大きくしているのは体の大きな…肥満体の男


どちらも法衣を身に纏い、一目見て為政者ではなく聖職者のように見える出で立ちだ


「当然、慎重に進めなければならないでしょう。しかし恐れる余り後手を取らされては意味がない…バーレルナの蛮族共もかなり力を増してきている。このレルジェ教導国こそが、この世界の主導権を取り世の安寧を示さねばならないのです」


「…それが例え勇者ジンドーの逆鱗に触れたとしても…という事でよろしいか?」


ぴたり、と痩せた眼鏡の男がティーセットを手にする動きを止める


「その世界の主導権を取るとは…勇者ジンドーを敵に回し、奴との全面戦争になることも承知の上ということでよろしいのか!?デルツェフ枢機卿!奴がラヴァン王国へ帰還した後に何をしたのか忘れたわけではないはず!研究の時間があれば大規模な隠蔽を施すことが出来る筈だ、それまで待てないと!?」


「…既に教皇倪下の一言により、事は決しているのです。それに、もし例の魔法がその通りの性能を発揮するならば、我々はジンドーにも対抗できる…違いますか?」


一考の余地すらない反応に顔をしかめる肥満の男は、その立場と権力によって膨らんだ体からは意外な程に先進を行く魔法研究者だ


その功績はめざましく、僅か30代の若さにしてレルジェ教国首都にその門を構える3つの大神殿の内1つを預けられる大司教にまで登り詰めた天才であったが、その才も組織の頂点…教皇に次ぐ3人の枢機卿が1人を相手にしては分が悪い


そして彼はレルジェ教国の聖職者ではかなり珍しい、教義にかかった盲信的な崇拝者ではなく実際の事を直視するリアリストであった


目の前の男のように「世界の主導権」だの「世の安寧」だの寒いことを言うつもりはない…だというのに、だ


(そんな見栄の為だけにあの魔法を使うだと!?ふざけやがって…!あれは戦力的な意味での研究ではない、あくまで魔法の極致にあるものの1つとして、我が魔法探求の為に作り出したのだ!あれの基礎構造をラヴァンから秘密裏に手に入れるのにどれ程の手間がかかったと思ってる!?それを、周辺諸国の牽制と戦力に使う!?冗談ではない!)


彼の頭の中はこの一瞬においてもどうにかしてその魔法を使わせないように持っていくかを弾き出そうとしていた


まだ試作もいいところであり、言った通りリスクや不具合の確認すらロクに取れていないのだ。もしなにかアクシデントがあれば全ての責任を押し付けられるのは目に見えている


なにより…


(勇者ジンドーを敵に回す決断を、まさか教皇がするとは…。大戦を終えたこの国がそこまで支配欲を丸出しにするのは計算外だ…クソッ!魔法工学に頭の先まで浸かっている私だからこそ分かる、あの勇者が持つ勇装は我々が少し頭を捻った程度では全く辿り着けん別物だ…もしかしたら今この瞬間も監視の魔法具で覗かれている可能すらある…!)


「対抗できるかどうか…理論上は、としか言えないが…対抗できたとして、制御出来るかが問題では?これで我々の手に追えず暴走するようなことがあれば…」


「そこは心配しなくても構いません。我が魔法…『魔手暴操デモンズ・ストライク』があれば容易いでしょう。力には力、ですよベーベック大司教」


"それに…"と付け加えるデルツェフにふと嫌な予感を覚えたベーベック


「事後承諾の形になってしまったが…実は既に魔法は起動状態に移行している。あとは実行するだけなのです」


「な…ぁ…ッ!?」


自分の開発した魔法は国によって既に使用されようとしている状態、と言うのだ


事後承諾などではない

ベーベックに会いに来たのはそんな事務的な事ではなく…開発者に介入される前にその魔法を使うための


「なんということを…!そも、私の研究開発した魔法を何故勝手に操作している!?」


痩けた表情が楽しそうに口角を吊り上げる姿に歯軋りを隠すこと無く、不快と怒りを露にするベーベックは高価なアンティーク調の机を力任せに殴り付ける


紅茶の入ったティーセットが音を立て、しかし2人がその中身が舞うことを気にもしない


「言ったでしょう?これは教皇倪下自らが望まれた方針です。何者にもこれを妨げることは許されない…そう、例えあの魔法を造り出した貴方でさえも、だ」


上機嫌のデルツェフは立ち上がると仰々しく両手を広げると、まるでこれからピクニックに行く子供のように部屋の外へと向かっていき、そして首をベーベックへ向ける


その表情はこれから起きる事を予期してなのか、はたまた起きた後の都合のよい展開を夢見てか…


醜く歪んだ笑みを浮かべているのであった


「さぁ、我々も見に行きましょう!史上最大の大魔法の模倣品…世界を救った伝説の術式…再現不能と言われた古のオーパーツ!





『勇者召還魔方陣』の輝きを!




ーーー


神藤彼方は考える


いつだって考え続け来た


如何なる困難も今まで切り抜けてきたし、この身に宿る唯一絶対の魔法はよく考えなければ全く力を発揮しない


身の安全を考え、その先の展開を考え…帰還の方法を考える


諦めない事と、考える事こそ今まで自分が生き残ってきた巨大なファクターであると、自分自身で理解しているのだ


絶望的な戦況を切り抜け、滅びの道しか無い者に希望を示し、遂には神の名を冠する敵の首魁を討ち滅ぼした


考え、読み、少ない可能性から最善を掴みとる事こそ、この世界で生き残る最も強い力となってくれる


この"勇者"こそが生き証人と言えるだろう


この世界に来たときから、今この瞬間に至るまで考え、手を打ち続けている


全て自分の望む結果を手に入れる為に


だからこそ、神藤彼方は考える…











「入ります、カナタ」




" この状況…どう切り抜けるのかを…! "







パタリ、と更衣室からの扉を閉めてこちらへ歩いてくる少女の姿は間違いなく浴室用に持ち込んだタオル一枚だけを体に巻いて最低限しか裸体を隠していない


湯に浸かる暑さとは全く別物の汗が額から顎へと伝うのを感じとりながら、彼女の方を視線だけで確かめる


(いやいや刺激が強すぎる!?なんだそのスタイル本当に年下か!?普段からいいと思ってはいたけど脱ぐとヤッバイなおい!?待て、ダメだ冷静になろう…いくら俺がその手の経験が無い男だとしても、だ。まず考えろ…この場で求められる最善の結果は何か…そう、まずは何も起こさない事を考えるんだ。ことはまだ早い気がする…いや、そうでもないのか?待て早まるな俺…だとしてもこんな大衆の居る宿で、とかどうかしてる…穏便かつ揉める事無く、切り抜けるんだ。小学校の修学旅行でも同じクラスの男子が覗く覗かないって話をしてたが…今回のはそんな子供の悪戯じゃすまない。相手は俺の教え子みたいなもんだ、例え2つしか歳が違わなくても…)


『マスター、心拍数の急上昇を確認しました。如何しましたか?』


(うっさい静かにしてろ!やはり適当に理由付けて出るのが早いな…)




「いやぁ、もう出るとこだったんだわ。結構いい湯だからゆっくりしていっ…」



「逃がしません」



直後、カナタが立ち上がって振り返る瞬間に彼の目に映ったのは少女の拳だった

額に小突くような一撃は片足を上げて浴槽を出ようとしていたカナタのバランスを粉砕し、一瞬宙を浮いて思い切り背中から湯船の中に倒れるように着水


カナタの逃走は脆くも崩れ去った


「ぶはっ…っなんつー力業、誰に似たんだ」


「そういう師の教えですので」


ちゃぷん


後ろから声と共に音が聞こえる


見ればシオンが湯の中に脚を入れてこちらに来ているところだ


深紅のセミショートを指で掻き揚げピンと尖った長いエルフ特有の耳の上にかけるよう指をなぞらせるその仕草が妙な艶を感じさせるのはカナタの気のせいではないだろう


そこまで長くないタオルはシオンの体をギリギリ胸元から太ももの上の方までを隠しており、その白い肌がなんとも艶かしい


その彼女がカナタの隣に来ると当たり前のようにそこで湯に浸かるよう座り込む

隣…というかおもいっきり肩が当たっているしなんなら寄りかかる勢いで距離を詰めており、彼女の柔らかな腕や肩が接する度にあからさまにカナタの眼が泳ぐ


「一応、聞かせて欲しい…何しにここに?」


「何って…お風呂に決まってるじゃないですか。ここ、温泉ですよ?」


「何を『なぜ当たり前の事聞いてくるんですか?』って顔してるのか分からん…!俺入ってたら普段から入らないだろ?」


慌てるカナタを余所に「はぁぁぁ…」と溜め息を1つ、ふかーく漏らすシオンの視線がカナタの瞳を捉える

どこか責められてるような気がするその目に「うっ…」と声をつまらせる


「何で来たか…分かりませんか?」


その一言でフラッシュバックするのはあの歓迎会の夜のダンスの光景

ストレートかつ、混じりけの無い好意をぶつけられたあの日の事が妙にはっきりと思い出してしまう


"…いや、そういえばユカレストのパンフレット持って押し掛けてきた時になんか言ってたな…あぁ、確かにあの時からこいつらばっちり覚悟完了してたな、ちくしょう!約束ってそれか!"


テンパるカナタを追い詰めるのは彼女の肌の柔らかさや目に突き刺さるその肢体…ペトラとマウラに比べてもその発育はかなり進んでいる

ペトラも同世代と比べるべくもない進んだ体つきだがシオンは別物であり、地球のグラビアアイドルも彼女を見れば苦笑いだろう


タオルを内側から弾けそうな程突っ張らせた胸元にお湯の中に見える健康的な、際どい場所までしか隠されていない太もも、しなやかな脚…未だ童貞を余儀なくされているカナタにとってなんと目のやり場に困る事だろうか


「む、お酒…カナタ、こっそり買っていたんですね?あんなに私達が買って帰るのを渋っていたのに自分だけ買うなんて…」


「あー、なんかお前ら見てたらちょっと試してみようかって気がして…」


これはすぐに出れないと諦めたカナタの傍らで、先程までのカナタが飲んでいた酒瓶とグラスを見つけたシオンがじっとり半目で彼を見る


カナタが心配していたのは3人の酔い方が危うそうだったからなのだが、実際自分だけ買って飲んでいたのを見つかっては少しばかり居心地が悪い


そのカナタを余所にグラスへ酒を注いで構わず口を付けるシオン

彼女の嚥下する音が真横から生々しく聞こえるのはかなり落ち着かない…


「美味しい…ずるいです、カナタ。これ、私達が買った物よりグレードが高い物では?」


「こっちの方が酒精が強いんだよ。お前ら、酔うとどうなるか思い知ってるだろ?成人したてならそれなりのやつから飲んだ方がいいって…」


「でも、カナタもお酒は初めてですよね?」


「いや、まぁ……確かに…」


「ふふっ、まぁいいです。一緒に晩酌してくれるなら…2人には秘密にしてあげます」


「…なら、しょうがないか」


そっ、と空になったグラスを差し出したシオンに酒瓶から継ぎ足すカナタも、こんな晩酌に満更でもないのはシオンの方も感じ取っているのだろう


嬉しそうに注がれるシオンの姿に頬を緩めながらもう1つのグラスを取り出すと、何も言わずにシオンが瓶の口をグラスに向ける


言葉にせずともお互いが分かる空気があった


チン、と小さなグラス同士を当てるとお互いに中の酒を口に含む…まさかこの歳で混浴と飲酒を同時に達成するとは思わなかったカナタも、このまったりとした空気はかなり好ましく、つい「今度から一緒に飲むかぁ」と思ってしまう程だ


おまけにアルコールの程よい高揚感が頭をふわふわとさせてくる


「カナタ、聞いてもいいですか?」


「ん?」


「今まで聞いたことはありませんでしたし、気にもしていませんでした…ですが…前に聞いたカナタの言葉がどうしても忘れられません」


シオンの言葉選びは慎重で、そこに聞きたくない答えがあるのかも…と不安そうな声の震えを隠しながら、それでも気を張って言葉にしていく


「…カナタはどこから来て、どこに帰ろうとしてるんですか?」


ぴた、とグラスを運ぶ手が止まる


「前から尋ねようと思っていました。訓練の時に…ダンスの時に話してくれた「遠く」にある故郷ってどんなところなのか、と。カナタの事が知りたいんです、でも時間を見つけて調べてみても分からない…転移の魔道具で辿り着けないような場所にあり、あのような味付けの料理が家庭的にあって、文化も何もかも違う…そんなカナタの言っている場所が…見つからないんです…っ…。ねぇっ、カナタはっ…」


その目は少しながらに涙を貯めて、いつもの冷静で落ち着いた視線は不安と未知に揺れ動き、その目で真っ直ぐとカナタの瞳を見つめながら




「カナタはどこに…行こうとしてるのですか…?」



そんな絞り出したような声音の問いに、カナタは瞬間、声も身動ぎも出来なくなっていた

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