第7話 世界の片隅の悲話
死んだと思ったら前世の記憶を持ったまま異世界に転生していた。
よくあることなのでその辺の長々しい説明は省略しよう。
俺こと、この世界での名前はアレシュというのだが、前世は本を読むのが好きだった。そして尊敬する人物は柳田国男。遠野物語の作者だ。
作者の割と年を言ってから文学者として認められたところもかっこいいが、彼が採集していなければ残らなかったような話を数多く残してくれたところも素晴らしいと思う。彼がそうしてくれなければ、日本の民話の研究はどうなっていたのだろう?
この異世界では俺は旅芸人の一座の座長の息子として生まれた。職業柄あちこち回る身分だ。そして運の良いことにここの文明はちょうど活字印刷が発展してきた頃。グリム童話やアラビアンナイトも同時期にブームになったんだ。きっと民話ブームがこの世界にもくるはず。この世界の人々が生きた歴史を、後世の人が研究する日がくるはず。そう思って暇さえあれば紙とインクとペンを買って村の人々の民話や昔話を聞いてまわり、それを書き留める日々が続いた。
「ご子息は文士にでもなるんですかねえ」
一座仲間がそう笑った。……まあ、なれたらいいなとは思うけど。
ここが異世界だと気づいたのは、普通に人狼だの吸血鬼だのが実在するからだ。民話採集を始めたばかりの頃、そんな悲話を聞いた。
◇
「アレシュくんといったね。御覧の通りうちの村は山の麓にあるけど、夜に山に行ってはいけないよ。人狼が出るから。山に慣れているうちの村の者でさえそうする人間はいない。両親にもそう伝えてきなさい」
それはからかいで言っているのか、それとも何かそう言うだけのいわくがあるから言うのか。そう聞いたが、俺の両親ははなから村人がよそ者をからかっていると決めつけてかかり、天気が悪くなる前に出発したいと言って山越えを決行した。
初めは順調だった。だが進むにつれて、どこからか獣の遠吠えがし始め、そしてそれがどんどん近づいてくる。危険を感じた一行は慌てて村に引き返したのだが、あと少しで村というところでそれは姿を現した。
獣の上半身に人間の下半身。人狼だ。
恐怖はピークに達し、俺を含む一行は死に物狂いで逃げた。そして村の入り口に着いた時、こうなるのが分かっていたのだろう村人が聖水を撒いて結界を張った。人狼は聖水の匂いを嫌がり、しばらく村の入り口をうろうろしていたが、やがて山のほうへ去っていった。
その場にへたりこんで呆ける一座仲間を村人が介抱してくれた。
◇
「元はうちの村に住む老夫婦の片割れだったんですよ」
村長がそう人狼の言われを説明する。
いわく、その老夫婦の特に夫のほうは、若い頃から健康健脚で山仕事に精を出していた。一日のほとんどを山で過ごしているものだから、いっそ家が山にあったほうがいいということで、自前で山の中に家を建ててそこに夫婦共々移り住んだ。
夫がよくても妻は寂しかろうと言うものもいたが、その妻は「私はあの人の傍にいるのが幸せなんです」 と言うものだからそれ以上何も言えずに見送った。
村きってのおしどり夫婦だった。だがそれが災いした。
ある日、妻が死んだ。何せ山の中のことだから、事故か病死かはたまた事件だったのか誰も分からない。知っているのは今や人狼になった夫だけだろう。
妻の死体を発見した夫は狂ってしまったのだ。妻を慕うあまり、この世界で最大の禁忌と言われるカニバリズムを行った。何故最大の禁忌なのか? それが化け物を生む行為だからだ。
古来から共食いをするとその生物は化け物になる、とこの世界では言われているらしい。そのせいかこの世界は共食いする生き物を全くといっていいほど見ない。アレシュ的には地球の日本基準で考えると、他に食べ物がない時くらいは許してやれよという気分だが、この世界の神がそれを許さない。
妻の死体を食った夫は昼間は人間、夜は人狼になったのだ。しかもそれが発覚したのはその体質になってからしばらく経ったあと。
夫はある日、昼間の正気な時にふらりと村にやってきて「妻に何か麓のものを食べさせてやりたい」 と言ったのだが、それを聞いた友人が「それなら久しぶりに妻さんに会っていくべ」 と着いて行った。しかし山小屋で見たのは妻の骨ばかり。夫は骨に向かってあれこれと話しかけていた。
病んでいると思った友人は夫を無理矢理村に連れて帰ろうとした。これは人の多いところで静養したほうがいい、それにもう年だし、どっちみち一人の山小屋暮らしは危険だと判断したのだろう。しかり帰りの山道。日が暮れる時になって夫はぴたりと歩みを止めた。
「ああ駄目だ。早く村に帰ってくれ。俺は妻を食って魔性になってしまった。昼間は何もかも忘れた頭のおかしい男でしかないし、夜は人狼になるんだ。夕暮れ時のこの一瞬だけが正気でいられる。早く逃げてくれ」
友人はそれを聞いて慌てて村に逃げ帰った。だが日が完全に暮れ、夫の人狼化が始まった。人の肉の匂いにつられて遠くから走ってくる人狼を見て友人は慌てて村に逃げ帰り、もしもの時のために保管してあった聖水を撒いて人狼を追い払った。村近くまで来たことで夫の人狼化は村人全員に知れ渡った。
「元の寿命が尽きるまで、ああして山を彷徨うのでしょうね」
村長はそう話を締めくくった。
アレシュはその話を紙に書き写した。哀れな男の存在を歴史の闇に埋もれさすのではなく、こういうこともあったのだと光を当てる。
それしか出来ない。もしかしたら正気の男には迷惑かもしれない。けれど、だからと言って無かったことには出来ない。
誰かの救いになればいいのに。そんな気持ちでアレシュは話を書き留めた。
その後、アレシュが死んで数十年した頃、アレシュが思ったように世界で民話ブームとその研究が起き、アレシュの書き留めた資料が一級資料として脚光を浴びることになる。
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