29.大人になった雰囲気

 今日はついに晩餐会だ。だから、フラヴィは朝から張り切っていた。


「後でもう少し紅を足しましょうね」

 鏡の前でヴィオレットの顔に施された化粧は、いつもより赤みが強めなのに、フラヴィはそう言った。

「もっと赤く? どこを?」

 頬はやめてほしい。顔が丸く見えてしまいそうだ。

――あっ、でも、丸いほうが可愛いのかな!?

 シャルルの顔で揺れる脂肪を思い出しながら、ヴィオレットは唸った。


 鏡の中の自分は、決して美人ではない。

 だけど、重たげな二重まぶたとぽってりした唇は、丸く見せることで可愛くなるかもしれない。えらの張った輪郭も、頬紅次第で丸く錯覚させられないだろうか。

 ちなみに、幼い頃の噛み癖の跡が残る爪も、短いなりに、指先に沿って丸く整えた。可愛らしさ重視だ。


 ううん、と唸る令嬢をどう思ったのか、フラヴィは微笑んだ。

「どれくらいどこに足すかは、ドレスを見て考えましょう。今夜のドレスは奥様がご用意くださってますので」


 そうだった、と頷く。

 今日は、シャルルのレッスンの仕上げに付き合った後は、母の部屋で衣装替えの予定だ。

 母はどんなドレスを用意してくれたのだろう。侯爵令嬢に相応しいドレス、という点は曲げてこないだろうけれど。

 可愛いと今の気分にぴったりだ。



 そんな願いが聞こえていたのかどうか。

 母の部屋に入るなり見えたドレスに、フラヴィと二人で歓声を上げた。

「すごい! Violet色だ!」

「レースがこんなにたくさん」

「踊ったときに裾がふわふわ広がるんだよね、きっと」

「可憐に違いありませんわ!」

 きゃーっと手と手を握る。ドレスを着たトルソーの横で、マリー・テレーズはえへんと胸を張った。

「可愛いでしょう。早速着て頂戴」


 いそいそと腕をとおす。二の腕で絞られていて、ふわり広がる袖はレースを重ねて広げられている。

 同じくレースが重ねられた、三段に分かれて広がるティアードスカート。

 一方、胸の膨らみの乏しさを隠すために、首元の開きは控えめで、大きめのリボンを飾られる。そして腰はぴったりと体に沿うはずで――


「生地が余った」

 フラヴィとヴィオレット、さらにはマリー・テレーズの声まで重なった。


「お嬢様の体が細いんですね」

「太るのでは、とは予想していたけれど。痩せてしまったのは意外だわ」

「どうして太ると思ってたの……」

 ヴィオレットが目を細めると、母は肩を竦めた。

「王宮のシェフはやっぱり腕がいいんですもの。お蔭でわたしも食べ過ぎなのよ」

 勿論ドレスが入らなくなるほど食べはしないが、と唇を尖らせて。

 それからマリー・テレーズは顔を曇らせた。


「ちゃんと食事はとっている?」

「勿論よ、母様。シャルル様と一緒にだもの、食べないわけないじゃない」

「そう? 殿方の前で緊張して食べられていない、とかない?」


 無いなぁ、と笑う。ハロルドだっているのに、パクパク食べているのだ。


 笑う娘を一瞥して、侯爵夫人は振り返る。

「ねえ、フラヴィ。この子、ちゃんと食べている?」

「朝昼晩しっかりお召し上がりですよ。シャルル様とは三時のおやつもご一緒です」

 お目付け役の言葉で、母は納得してくれたらしい。

「じゃあ食べていないわけないわね…… ううん、困ったわ。ドレスが合わないことより、娘が不健康かもしれないことが問題」

「元気いっぱいよ、お母様」

 呆れ声の答えだったからか、マリー・テレーズは胡乱げな視線を向けてくるばかりだ。

「食べているというなら、どうして痩せたのかしら」

 この母に、筋トレの成果です、とは告げられない。


 ドレスについては少し幅を詰めよう、とメイドが針と糸を持ってきた。


「見ごろは細身の作りですから、大人っぽくもありますね」

「そう。良いドレスでしょう?」

 母は本当に得意げだ。

「シャルルも見たら驚くんじゃない?」

「そうだね」


 苦笑いの顔の奥で、従兄妹ではないの顔を思い出す。


――今夜は会えるかな?


 先ほどのマダム・エレーヌのレッスンには顔を出してこなかった。今夜に向けて何か打ち合わせがあるのだとシャルルが言っていた。

 忙しいんだなぁ、でもドレスも見てもらいたいなぁ、と考えて。

 こうまで考えてしまうのはやっぱり恋なんだろうなぁと、溜め息を吐いた。


「お嬢様。お顔が暗いですわ」

 フラヴィに言われ、きゅっと口の端を上げる。

「そう。笑顔でいませんとね」

 と、唇に紅が足された。


 そうすると、可愛いよりも、大人になった雰囲気だ。

 当然だ。今日は子供としてではなく、成年として参加するのだから。

 可愛く脂肪を揺らしている場合ではない。


 そうこうしているうちに、日が落ちて、窓の外が暗くなる。

「ぐずぐずしてはいられないわね」

 身頃の直されたドレスをまとい、今一度化粧を確認して。王宮の廊下を進む。そこはランプで煌々と照らされていた。


 会場も明るく、賑わっている。

 この国の貴族に列する家々の当主たちが集まってきているのだから、当然か。

 華やかさを助長するのが、高い天井から降りるシャンデリア。壁際に並べられたテーブルには、湯気の立つ料理が並ぶ。透き通った色のワインもだ。


 奥の座には、ベルテール王国を現在統べる、女王アンリエット二世。


 まずはその女王に挨拶だ。

 父と母に連れられて、臣下の礼をとる。重さをもって頷く女王の頭上には、大粒のルビーが嵌められた王冠が輝く。


 馳せ参じている皆が順に頭を垂れていく中で。

 その年に成年、十八歳に至った貴族子女は特別に扱われる。具体的には、食事の席が女王の近くに設けられるのだ。

 一角に集められた中には、ヴィオレットとカロリーヌ、オレリア、マルスリーヌといつもの顔ぶれがいる。


「ヴィオレット。今日のドレスの色、素敵ね。名前に合わせたのね」

「オレリアのドレスも素敵。背が高いとすらりとした形が似合うのね」

「マルスリーヌも可愛い」

「ありがと。カロリーヌはネックレスが目立ってる」

「おばあさまのお気に入りを借りてきたのよ。迫力満点でしょ」

「ここで貴女が迫力を出してどうするのよ」


 きゃっきゃっと体を寄せ合い、言葉を交わす。

 それは今を楽しむためでもあり、緊張を紛らわすためでもある。今この時ばかりは、四人は完全に同士だ。令嬢に相応しい振る舞いで、今後に繋がる高い評価を得るための仲間。腹の探り合いはいらない。

 緊張の源は、知らない顔がちらほら見えることだろう。この席の中にはシャルルもいるし、あまり馴染みのない人もいる。


「今、シャルル様がお話になっているのはどなた?」

「学園で一緒だったわ。南に領地があるエスノー家の次男坊」

「じゃあ、向こうから寄ってくる男子は学園でシャルル様と繋がりがあった人たちと思っていい?」

「正解」

「オレリアは? 向こうで話してこなくていいの?」

「呼ばれたら行くわ」


 フフフ、とオレリアは笑う。カロリーヌは肩を竦めた。


「イケメンってなかなかいないのね」

「……貴女は何を期待していたの?」

「マルスリーヌじゃないけれど、恋のお相手よ。恋に落ちるならイケメンがいい」

「残念だけど、学園に美少年はいなかったわ」

「そうなのね。現実は厳しいわ」


 ぺろりと舌を出してから、カロリーヌはヴィオレットを向いてきた。


「そう言えば、シャルル様の秘書さんはいらっしゃらないの?」

「何が、そう言えば、なの」

「イケメンだから」

 そうですね美青年ですわね、とは言えず。

「来ていないわね」

 と事実だけ答えた。


 彼がいないか気になっているのはヴィオレットもだ。

 きょろきょろと会場を見渡す。すると、入口のほうでざわりと人の流れが動いたのが見えた。

 その中心は、一組の男女。まっすぐに女王の席へと進んでくる。


 誰、と問うまでもなかった。

「見て、ブランドブール侯爵よ」

 カロリーヌがそっと耳打ちして教えてくれた。

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