28.脂肪も役に立つらしい
三杯目の紅茶には、ブルーベリージャムが落とされた。その甘酸っぱい香りを吸い込んで。
「私が、女王として
アンリエットの話に、ヴィオレットは首を傾げて見せた。
ピッと右手の人差し指を立てて、女王は話す。
「一つは年齢。シャルルと同じ年齢では、友達感覚、なあなあの関係になるかもしれないから。多少年上のほうが、その目線から叱ることができるんじゃないかと思ったわ」
次いで、中指を立てられる。
「叱ることを知っている、ということも条件。兄弟が多いか、親戚に同年代が多いとか、そういう育ち方をしていれば、知っているかしらと考えたわ」
それと、と薬指を立てて。アンリエットは微笑む。
「これまでの人生でいろんな生活を経験していること。シャルルを学園に通わせたのも、王宮以外の暮らしを身をもって知ることが大事だと、それが後々王位を継いだ時に活きると思ったから。その彼を支えてもらうんだから、同じように王都以外の生活を知っているが良いと考えた。もしかしたら、これが一番大事かもしれないわね」
ヴィオレットは、ほう、と溜め息を吐き出した。
「知らないと、困ることが起きますものね」
「問題に気付かないとか、その立場の人間について想像できないとか、弊害があるわよね。さすがに乞食の経験までしてこいとは親として思えないけれど、経験は多いに越したことない」
でしょう、と女王が頷く。
「私が出した条件に、ハロルドはピッタリでしょ? 貴女とシャルルより六歳年上で」
「妹と弟がいるんでしたよね」
「そう。そして、彼は、幼少を王都で過ごしている上に、田舎暮らしを知っている――王都の華やかな貴族生活も、貧乏暮らしも、両方知っているのよ」
「それに、貧乏を抜け出す努力もしてたって」
王都の大学に進学できるほどの勉強をしていたのだ。奨学金だって、勉強の結果で優秀だと認められたから受けたのではないだろうか。
彼の話を思い返して、ヴィオレットは眉を下げたのに。
「そのとおりね」
と女王は笑う。
「ハロルドは努力家よ。そして、私はそういう人を
贔屓か、と吹き出す。アンリエットはまだ笑っている。
「お菓子も新作レパートリーを作ってくれるからね。今度はこのお茶専用のビスケットって頼んでおこうかしら」
「その新作が出来たとして、このお茶がある場所でしか食べられませんわ」
「そうね。王宮では私のところだけになるのかしらね」
ふむ、と顎に指を添えて。
「そうしたら、貴女を呼ぶ口実になるわ」
アンリエットは声を弾ませた。
「王宮に残るにしろ、一度ヴニーズに帰るにしろ、この先も折々でお茶に付き合ってもらいますからね」
ヴィオレットも吹き出す。
「またお招きいただけるんですか?」
「勿論」
「じゃあ、今度はわたくしがお茶をお土産に持ってきますね」
「いいわね。貴女に持たせるとなったら、テレーズもちょっと気軽に用意できるんじゃない? 癪だけど、あの子のほうが、お茶を選ぶセンスはあるのよね」
けらけら二人で笑う。
ひとしきり笑ってから。
「伯母様」
と、呼ぶ。
「いいえ――女王陛下」
アンリエットは、表情を厳かに改める。
「ヴニーズに帰るか王宮にこのまま残るかは、もう少し考えさせてください」
「よろしい」
ただ、と女王は言った。
「残るならば、今少し、役目を与えますからね」
それにまっすぐに頷く。
「この間のお母様やシャルル様みたいに、慰問とかですか?」
「そうね。貴女の肩書ならどんなところに言っても映えると思うけれど……」
「じゃあ、
「そうなの?」
「ええ。シャルル様に同行して、勉強させてくれたところだから。それに、ハンカチを頂いて――そうだ。今度こそ御礼を言わなくちゃ」
次の訪問の前に手紙を書こう。今なら書ける気がする。
「
「はい。いろいろやってみたいです」
勢いで笑って、両手で拳を握る。
「恋以外にも理由が出来たら、残りやすくなりますものね!」
すると、アンリエットもくしゃっと相好を崩した。
「そうだとしても、中心は恋よ」
ニヤニヤ、伯母は楽しそうだ。ちょっと恥ずかしいけれど、頼もしい笑顔だ。
甘酸っぱい紅茶の余韻を楽しむ帰り道は、庭園を回る道を選んだ。
黄色い小さめの薔薇は散り終わってしまった此処、今度は濃い紅の大輪が主役になる番らしい。
その薔薇は、香りが控えめな花だ。見目麗しさで勝負をかけてくるあたり、潔いのかもしれない。
歩みを止めず、きょろきょろと視線も動かす。その視界の端に見慣れたシルエットがあったなぁと思った直後。
「ヴィオレット!」
この二カ月で聞き馴染んだ声が飛んでくる。
「シャルル様」
返事をすると、彼は手を振りながら寄ってきた。
「母上とお茶だったんじゃなかったけ?」
「たくさんお喋りしてきました。今、帰りです」
横幅も厚みも十二分にある体、動くたびに震える頬、近づくにつれて大きく響く足音。
そのぽわぽわと丸い体躯と、ふわふわした動きと、穏やかで親しみやすい笑顔を、麗しの薔薇たちが背後から飾る。薔薇の華やかさを自らの味方にするとは、さすがは王子様だ。
「シャルル様こそ、何をなさってたんですか」
「散歩――っていう名目のダイエット」
えへへ、と首の後ろを掻く彼を、見上げて。
「この三日間は体重をキープしなきゃいけないんじゃないでしたっけ?」
言うと、彼はぶうっと頬を膨らませた。
「それはそれ、これはこれ! 僕は運動するんだ、痩せるんだ!」
あらまあ、とわざとらしく微笑んだ。
「あれだけ筋トレも食事制限も嫌がってらしたのに」
「心を入れ替えたの」
「そんなに、この間のカロリーヌ達とのこと、気にされていますの?」
「そうだよ」
ぷりぷりとシャルルは怒る。なんだかその様は可愛らしい。何故だろう、とじっと見つめて、丸いからだ、と気が付いた。
これは意外な発見だ。
丸いほうが可愛らしく見える。そのためには脂肪も役に立つらしい。
そんなことを思いながら顔を見ていたら、シャルルは頬を赤くして、ふいっと視線を逸らした。
「ねえ。ヴィオレット。君も、痩せていたほうがいいと思う?」
「……そうですわね」
今まさに、真逆のことを考えていたんだよなぁと思いながら。
想像する。
シャルルの、引き締まった、精悍な顔立ちを。
――アンリエット伯母様とクロード伯父様の子なんだもの。きっと顎がすっとしてるんだろうな。お鼻だって、高いかもしれない。
シャツとベストを前に押し出す脂肪もないのだとしたら、シルエットもすっきりするだろう。
そうなるためには、脂肪を撲滅するには。食事制限が一番なのだろうか。だけど、ただ脂肪がなくなったというだけでは魅力を感じない気がする。
何故なら可愛くなくなるからだ。
ただ細いだけでは恰好悪い。その理由を突き詰めていった先の、ヴィオレットの理想は。
「筋肉で引き締まってるのが一番素敵かもしれませんわ」
言ってから、顔を真っ赤にして、両手を振った。
「ごめんなさい、忘れて! 今のは忘れて!」
「筋肉、筋肉か…… 時代は筋トレなのか……」
「だから、忘れて!」
いくら叫んでも、シャルルは青い顔でブツブツ言っている。
「時代は筋トレ…… どういうことなんだよ、ハロルドぉ……」
ヴィオレットは名前を出していないのに、ハロルドに話が飛んでいる。今回は完全にとばっちりではないか。
「あの、シャルル様」
そろりと呼んだが。
血走った眼の王太子はこの場でスクワットを始めかねない形相のままだった。
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