27.その人だけの方法で恋をして
問いかけの声も、真剣な眼差しも、指先の温もりも、忘れたい。いっそ全てを忘れさせてくれればいいのに。
悩みに悩んでどんよりと曇った顔は、一晩眠ったくらいでは癒せない。フラヴィにも驚かれた。
「しゃきっとなさいませ」
表情は気持ちで作れます、とお目付け役は発破をかけてくれた。
「非公式とはいえ、大事なお茶会ですからね」
「分かってるよ……」
貴族というのはすべからくお茶会が好きな生き物のだ。
とはいえ、まさか、アンリエット女王に呼ばれると思わなかったが。
「明日は忙しいから。息抜きよ、息抜き」
おほほほほ、とこの国の女王は笑った。
「だから、ヴィオレットも気楽にしてね」
部屋の入り口でカチコチに固まっていたヴィオレットを、柔らかく手招きしてくれる。
王宮の三階。バルコニーの向こうに王都の景色が広がる。シャルルの部屋から見えるのとはまた違った区画だが、並ぶ屋根と蒸気機関の煙と、二百年の間に築き上げられた美しさを誇ることに変わりはない。
ぎくしゃくと席に付けば、黒い背広の男がティーカップを置いてくれた。
女王の紅茶もいい香りだ。今日の主役はそのお茶なのだろう。プレートに飾られたスコーンは至ってシンプルなもの。
「お茶はね、テレーズのお土産よ」
「わたくしの母の?」
ヴィオレットは目を丸くした。
「そんな驚かなくていいじゃない。一応姉妹なんだし、お土産は律義にくれるのよ、あの子」
「……はい」
頷いて、お茶を口に含む。香りが口の中いっぱいに広がった。華やかでいて柔らかなお茶だ。
「最初の一杯は何も入れずに。次はミルクと。最後はジャムを入れて楽しむといいって」
「楽しみ方まで伝えたんですが、母は」
「そう。律義でしょ」
アンリエットは優雅に微笑む。
「仲が悪いんだから、私だったら気を使わないように、最低限の付き合いにするところなんだけどね。あの子は、『姉妹だから』『王族だから』という枠からはみ出せないの。季節の手紙は送ってくるし、王都に来るときはお土産を欠かさないし。大嫌いなはずの人前に出ての公務もやってくれるし。
だから、私も歓迎のお茶会なんかをやり返すことになるんですけどね!」
この間、シャルルとヴィオレットも巻き込まれたお茶会のことだろう。理由を知ると、なんか滑稽だ。
「とまあ、王都にいたらストレスで潰れちゃうんじゃないか心配だった子だから。ゴーチエと結婚して、ウニーズに引っ込めるようになって良かったわ」
こう話すということは。女王自身も、姉妹だから、という情で動いているではないか。
紅茶を啜りながらウインクをした伯母に、ヴィオレットは吹き出して。
「……まさか、それが目的で、母と父の縁談を組んでくださったんですか?」
問うと。
「それだけなわけないでしょ」
女王はもう一度片目を瞑った。
それから、すっと表情を消して。女王はカップをテーブルに戻した。
「貴女も王宮の暮らしは辛い?」
まっすぐに問われて。ヴィオレットはまた目を丸くした。
「どうして、そうお考えに?」
問いに問いを返すと、女王は静かに答えてくれた。
「ハロルドに聞いたの。貴女が元気じゃないって」
途端、心臓が跳ねた。ここでもハロルドの名前を聞くなんて。
俯くと、女王は穏やかに言葉を継いだ。
「呼び出したのは私だけれど。もし、堅苦しいこの場所で過ごすのが、面倒くさい、本当に辛いというなら。ゴーチエやテレーズと一緒にウニーズにお帰りなさい。明日の晩餐会が終われば二人は領地に戻るでしょう?」
そのとおりだ。特に公的な役目があって王宮にいるわけではない。
「別に……」
顔を伏せたまま、小さく呟いたが。
「恋ね」
と女王は言った。
がばりと顔を上げる。急に動いたから、頬が熱い。
「どうして」
もう一度呟く。
「分かるわよ」
女王は口元を抑えて、けらけら笑い出した。
「最近の貴女、テレーズと同じ顔してるわ。ゴーチエに恋した時のテレーズと」
瞬く。それはどんな顔だろう。
「自分じゃわからないのよね、悔しいことに」
「そうなんですか?」
「だって私も、クロードに恋した時に言われたもの。他ならぬテレーズに」
成程、妙に説得力がある。
とはいえ。
「そんな、恋なんてしていいのか……」
分からない、と続けようとしたのに。
「悩むまでもないわ。人間は恋していいのよ」
女王は嫣然と笑った。
「さらに言えば、恋も結婚もその人次第。枠からはみ出した恋があっていいのよ」
それはどんな事だろう、とじっと見つめる。アンリエットの表情は揺るがない。
「貴女とシャルルがゆくゆくは夫婦になるだろう。それはこの国の歴史や伝統から考えると既定の路線よね。それに、シャルルが貴女に恋しているのは本当。でも、それを押し付けたくない私の気持ちも分かって?」
女王は大きなため息を吐き出した。
「誰だってその人だけの方法で恋をして、生きていくのよ」
遠くを見つめての言葉。だから、間違いなくヴィオレットに向けられた言葉だ。
「伯母様」
呼ぶと笑顔で振り返られた。
「もっと私を頼って?」
首を傾げた伯母に、ヴィオレットは大真面目に言った。
「国を背負って立つ御方を余計な問題で苦しめるわけにはいきません」
「あらやだ、昔、夫にもそう言われたわ」
アンリエットは頬を染めて、笑う。
「恋って余計な問題かしらね? 一度落ちると、毎日の真ん中を占めてしまうものなのに。だから私、
その笑顔に、ヴィオレットもつい吹き出した。
二人でくすくす笑っている間に、先ほどの黒い背広の男性が戻ってきて、お茶を足してくれる。今度はミルクと、だ。
「あら、甘い」
「本当ですね」
「恋の味ね」
「甘いから?」
「そうよ」
くすくす、くすくす、笑いが止まらない。
笑い声に紛れさせて。
「どこのどいつかしらね、悪い男は」
アンリエットは言った。形は質問なのに、ニヤニヤしている。すうっと冷たい汗がヴィオレットの背中を伝う。
「残念なのが、シャルルじゃないってことね。我が息子ながら不甲斐ないわね。初恋の子のハートを射止められないなんて」
女王の笑い声はだんだん大きくなっていって。
「伯母様!」
真っ赤な顔で叫ぶ。
「大丈夫、テレーズには黙っておくから!」
あはははは、と伯母はとても楽しそうだ。
「若い恋っていいわね。応援するからね」
言われ、ヴィオレットの肩は落ちていく。女王陛下の慧眼は何を見抜いているのか。これもまた知りたくない。
知りたくないのに!
「ハロルドがね」
と、女王は問題の名前をもう一度口にした。
「貴女は何にでも挑戦するって。シャルルに付き合って筋トレを初めたりとか、知らないことやったことのないことでも、取り組んでいくのが凄いって」
褒めていたわ、と女王は言った。
鏡を見るまでもなく、ヴィオレットの顔は真っ赤だ。これは認めたようなものだ。
それが悔しくて。
「あの」
問いかける。
「ハロルドはシャルル様の秘書ですよね? でも、伯母様――女王陛下とも喋るのですか?」
すると、女王はきょとんとして。
「私が王太子付きの秘書に任命したのよ。だから、一番の主はわたくし」
言った。
「ああ、そうね。貴女たちには分からないかもね。シャルルが自分で任命できないから、私が人選したのよ。さらに、シャルルをサポートしつつ、その様子を報告するようにも言ってあるわ」
当然でしょう、と言われ、納得した。ハロルドは女王陛下と喋る機会が多いのだ。そのかで、お茶会のお菓の用意などもやっているのか。
「今日のスコーンもハロルドの作よ」
「そんな気がしました」
「美味しいわね」
「はい」
笑って、齧りつく。すっかりお馴染みの味だ。
そんな彼に、どうして恋をしたのだろう。これと言ったきっかけは思いつかない。いや、ある。顔だ。美青年だなぁ、と思ったからだ。
別に顔で選んだわけじゃないと思うけれど。
そこに自信を持てない限り、ヴィオレットは恋をしたと叫べない気がした。
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