26.覚えていてほしいものなんです

「それでは、殿下。今から三日間は体重を維持してくださいね」

 昼下がりの部屋で、ハロルドが革手帳を捲りながら言った。

「幸い、昨夜は101キログラムでした」

「戻ってる!」

 つい叫んで。ヴィオレットは両手で口を押えた。


「失礼しました……」

 カッカとする頬を隠すために下を向いたけれど、ハロルドの声は穏やかなままだ。

「そうなんですよ。ヴィオレット嬢が王宮こちらにおいでいただいた当初の体重に戻りました」

 増加して減少して、結局増加した体重がまた減って、知っている数字になったらしい。


 残念ながら、初期値を下回ることはなかったけれど。

「順調だと思うんだ、最近は!」

 えへん、とシャルルは胸を張る。

 心なしか、顔が小さくなった気がする。お腹は出っ張っているが揺れない。脂肪が硬くなった――筋肉に変わったのだろうか。これは筋トレとダンスのレッスンの成果だ。

 ヴィオレットが同席し圧をかけての食事制限は特段の成果を引き出したように見えない。だが、引き締まったのだから良いのだろう。


「順調ですね」

 ヴィオレットもつられて微笑んだ。

 ハロルドも、うんうん、と首を振ってから。

「ですが、ここから三日間は体型を維持してくださいね。太っても痩せてもダメです」

 キープです、と言葉を重ねられる。


「どうして」

 首を捻ったシャルルに。

「今から採寸をします。晩餐会でお召しになる衣装を決めて、そのサイズ直しをしますので」

 ハロルドが告げる。

「あー、成程。」

 王太子は手を打った。

 同時に扉が開いて、裁縫箱を抱えたメイドが入室してくる。もう専属になってしまったのだろうかというくらい、顔馴染みになったメイドだ。


「今回もよろしく頼むよ」

「お任せください! 一度身幅を広げたものを狭めるわけなんですけど、縫い跡が目立たないように気を付けますね」


 書類仕事や接客にも使われる部屋のど真ん中で始まるファッションショー。

 今度の衣装は落ち着いたブラウンが中心。ともすれば地味になりそうなところを、シャツの生地に艶が多く、クラヴァットに明るい黄色を選ぶことで、シャルルの年齢らしい雰囲気に仕上がっている。

 修繕の跡があるソファに腰掛けて、メイドが張り切る様子を見ていた。


「今回は気合を入れないとね」

 シャルルも張り切っているらしい。

「外見から攻めるよ!」

「……外見から?」

「そうだよ」


 首を傾げたヴィオレットに、むう、とシャルルは唇を尖らせてきた。尖らせたのが分かるほど、頬の肉が減っている。喜ばしい。


「考えたんだけどさ。王家だからって持ち上げるオッサンばかりではないんだし、隙を見せないようにしないといけないんだよね」

 成程、と首を振る。そのための衣装には煌びやかさと厳粛さがいるかもしれない。

「いいお色ですね」

「ヴィオレットに褒められると嬉しいなぁ、ありがと」

 シャルルは一度へにゃっと笑って。


 キリッと眉を上げた。

「あと女の子にモテるにも必要かなって」

「はぁ」

 きょとんとなる。

「僕だって傷ついたの!」

 シャルルの鼻息が荒い。

「この間、マダム・エレーヌのレッスンに来た君の友達! 僕の体型で笑ってたでしょ?」

「そうでしたでしょうか?」


 あからさまに目を逸らしたのはカロリーヌだけだったと思うが。マルスリーヌは気にしている様子もなかったし、オレリアは当然知っていることなのだから今更何もなかったはずだ。多分。


 仮に、シャルルが落ち込むような対応をしていたのだとしても。一にも二にも、彼自身の体型が問題なわけで。

「わたくし、ダイエットしなさい、と最初に申し上げたじゃないですか」

「そうだっけ」

「そうですよ」

 まっすぐ見つめると、シャルルの眉はぎゅーっと顰められた。


「そのままが可愛いって言ってなかったっけ」

「言っていません」

 即答。

「おっしゃっていませんよ」

 ハロルドは額を抑えて、溜め息を吐いた。

「もしそうお考えなら、一緒に筋トレなんかしないでしょう?」


 あー、とシャルルが天を仰ぐ。


「ヴィオレットも人を外見で判断する?」

「……それも申し上げた気がします」



 その時は、それでいいのだと思っていたけれど。

 今は全てがぐちゃぐちゃだ。侯爵令嬢として正しいと思っていたことへも疑いを持ってしまった。

 だから昨夜は、悩みを紛らわせるための筋トレも、涙しか出てこなかったのに。



 採寸、のち、女王の謁見への同席だそうだ。それには、さすがにヴィオレットはついていけない。

 廊下で、彼がのっしのっし歩いて行くのを見送った後。

「ハロルドは行かないの?」

 同じく見送りと称して立っていた青年を見上げた。

 整った顔だなぁ、と思う。眼鏡も、きっちりとした着こなしに馴染んで、よく似合っている。目じりを優しく下げて、口元にも穏やかな笑みが浮いたままの彼は。

「今回はちょっとお休みです」


 だから、と彼は庭園を指さした。

「とっておきをご用意しましたよ」

 窓の外を見て、彼の顔を見て、瞬く。彼はくすくすと喉を鳴らした。

「ヴィオレット嬢のおやつです」

 声が出ない。それなのに、ハロルドは右手を差し出してきた。エスコートのための手だ。


 これはデートか。デートなのか。

 なぜ二人きりになった。


 導かれて、庭園の四阿ガゼボへ。

 大分数を減らした薔薇の代わりに、コスモスとダリアがそこかしこで踊っている。完全に秋の装いの庭園だ。


 座ったヴィオレットの正面にティーカップが置かれる。今日の紅茶は香りが強い。

「もともとのお茶の匂いが強いのね」

「ええ。香りに個性があるお茶です。それが強く出るようにしてみました」

 どうぞ、とハロルドはマドレーヌの入った籠もおいてくれた。それから向かいの席に腰を下ろす。


「ハロルドは食べないの?」

「今日は頂きますよ。自信作なんです」

 ぱちん、と片目を瞑って、彼はマドレーヌを自分の口へ運んだ。

 おかげでヴィオレットも遠慮なく手を伸ばせる。つい二個連続で食べてしまった。

 それでもハロルドは笑みを崩さない。


「伺えていませんでしたが、先日の王都見物はいかがでしたか?」

 そうだ、ゆっくり感想を伝えてなかった、とヴィオレットは紅茶のカップを下ろした。


「林檎パイのお店に行ったわ。頂いた案内に書いてあった」

 告げると、頷かれた。

「パイは食べられましたか?」

「ええ。並んで買ったわ」

「良かったですね」

 ハロルドが笑う。

「ここ二年ほど、ずっと売れているお店なんですよ。それまでも下町のマドモアゼルたちに有名だったんですが、林檎パイで、お客様が広がったそうですね」

 うんうん、と頷くと、彼は言葉を続ける。

「奥様が伯爵家のご出身だとか。下町の感覚に馴染む、幅広く受け入れられるものを作れたのだと思います」

 そういう見方もあるのか、ともう一回頷いて。


「そうだ」

 とヴィオレットは目を細めた。

救貧院アルムスハウスでお会いした方にも会ったのよ」


 怪訝そうな顔をしたハロルドに、シャルルの公務に同行して行った救貧院アルムスハウスだと告げる。

 くだんの夫婦の母なのだ、ということは伏せて。林檎パイを一緒に食べたのだということを喋る。


「その方にはね、以前、ハンカチを頂いていたの」

 菫の刺繍がされたハンカチだ。

「でも、その時にお礼を言いそびれてしまったわ」

「それは――残念、でしょうか」

 ハロルドがふっと口元を緩める。ヴィオレットもゆるゆる笑った。

「そうなのかも」

「今からでもお手紙を書かれたら如何ですか? 覚えていた、と伝わると喜ばれるかもしれません」

「そうかしら」

「そうですよ」


 覚えていてほしいものなんです、とハロルドは言った。


「存在を認められる、と言いますか」

「気にかけているのとは違って?」

「同じですよ」


 もう一度笑って、紅茶を飲んで。

 ハロルドはまっすぐにヴィオレットを見つめてきた。


「それで――私は貴女が気になっているのですが」


 だから、肩も、ティーカップに添えたままの指も強張る。耳の奥がどくんどくん煩いのに、彼の声はしっかり聞こえる


「やっぱり痩せてました。王宮においでになったときより、肩が薄くなっている。お顔も小さくなったでしょう?」

「そう……かな」


 そろり、首を傾げる。自分ではよく分からない。でも、ハロルドは眉を寄せたままだ。


「ちゃんと食べていますか?」

「食べてるよ。ここのところはシャルル様とご一緒だったから、手を付けていないわけじゃないのは知ってるでしょう?」

「確かに、一緒にお食事されている姿を見ていますが。私が殿下基準で考えてしまうのがいけないんでしょうけれど、ヴィオレット嬢は少食だなと思いますよ。それに」

 と、一度息を切って、彼は声を低くした。

「この二日で特に減った」

 目を丸くして、それから。気にかけてもらっているらしい、とヴィオレットは下を向いた。


 返事の言葉は出てこない。ただ、どうして、という感情がぐるぐると回る。

「何かお悩みですか」

 問われても答えられない。言えるわけがない。

 貴方に恋をしたことを悩んでいるのよ、なんて。


 黙っていると、椅子が動く音がした。ハロルドが立ち上がったのだ。びくっと体が揺れる。

 その傍に彼が寄ってきたから、今度はかちこちに固まった。


 横に立ったハロルドは、ヴィオレットの顔を覗き込んでくる。

「ヴィオレット嬢」

 呼びかけが、鼓動の音より大きく響いた後に。

「ちょっと頑張り過ぎたんです」

 まったく違うことを口にした。

「侯爵令嬢としてしっかりしなきゃって」

 えへへ、と笑って見せると。

「あなたが納得しているのならそれはそれで良いんですが」

 ハロルドはきつく眉を寄せてから。ティーカップに添えたままのヴィオレットの指先を握りしめてきた。


「私ではお力になれませんか?」

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