25.見た目の理想

 練習のためのいつもの部屋。ヴィオレットは入るなり、礼をした。


「ちゃんと時間に遅れずに参りました」

「そうなんだけどさー」


 小手先のごまかしは賢明なる王太子には通じない。

 彼は膨らんだ腹をさらに迫り出して、言った。


「オレリアも来たの」


 彼の視線が向かうヴィオレットの後ろには、スマートなドレスを着たオレリア。

 さらにその後ろに、裾が膨らんだスカートのマルスリーヌに、かちこちに体を固めたカロリーヌがいる。順番に二人の顔を見て。

「ええっと」

 シャルルは頭を掻きむしる。

「ごめん、名前が思い出せないよ!」

「フロランス公爵家のカロリーヌとマルスリーヌです、殿下」

「そう! カロリーヌとマルスリーヌだ!」


 手を叩いて、ニコッと笑う。ふわふわの脂肪に包まれた、柔らかな笑顔。

「お会いできてうれしいです」

 マルスリーヌもニコニコ笑う。

 カロリーヌは、淑女の礼をして、それからシャルルから目を逸らした。だよね分かる。この体型は、18歳として、ちょっとないよね。


「で? 一体なんなのさ、この緊張するシチュエーション」

「華やかでよろしいではないですか」

 マダム・エレーヌも笑顔だ。

「お邪魔します、マダム」

 オレリアが腰を折ったが、すぐに顔を上げさせて、その手を握る。

「来てくれてありがとう、オレリア。殿下もすこしレッスンにダレてきてましたからね、ちょうどいい刺激よ」

「ええええ…… これでもまだ練習するの?」

「頑張ってくださいね、殿下」

「はぁあああああ」

 シャルルの溜め息が部屋を揺らす。

 オレリアは苦笑いで、マルスリーヌはきょとんとしている。ヴィオレットはひとつ咳払い。カロリーヌは首を傾げた。


「ダンスの練習って何をするんですか?」

「初めましてのお嬢様もいらっしゃいますからね。基本に立ち返って、立ち方からやってみましょうか」


 はい、とマダムが手を打って。四人と一人が直線に並ぶ。

 右足、左足、と順に前に出す。足の裏のどのあたりに体重をかけるのか、と説明される。最初の日の復習だ。すぐに気付いた。

 だが、改めて教えられて、気付くこともある。どうやらヴィオレットは足を引きずる癖があったらしいのだ。

 レッスンが始まってから、躓くことが少なくなっていたことにも気づく。


 こうやって、教えられたら、分かるのに。

 視線をゆっくりと巡らせる。

 王太子を中心に令嬢たちがステップを踏んでいる間ずっと、壁際にはハロルドが控えている。

 当然だ。レッスンはシャルルのためのもので、しかも秘書の彼が仕組んだことなのだから。

 今日も糊のきいた三揃えを着て、小脇に革の手帳を抱えていた。現在の主な任務は茶茶入れ――もとい、シャルルに発破をかけることらしい。


「殿下。遅れてますよ」

「分かってる、頑張るよ」

「背筋が丸まってきました。いけませんね」

「分かってるってば、もおおおおお!」


 二人のやり取りに、カロリーヌたちは最初こそきょとんとしていたが。やがて一緒になってシャルルを励まし始めた。


「殿下、頑張って! 脂肪を落とすためですわ!」

「落とした僕は僕じゃない!」

「引き締まっていたほうがダンスが映えますわ」

「踊らなくていいんだってば!」

「見た目の理想のためです」

「本当に!?」


 一方で、ヴァイオリニストとピアニストは暇そうだ。楽器の傍であくびをしていた。

 マダムも気づいたのだろう。彼女の歌声に合わせたステップにステップを重ねた末。

「最後、せっかくだから踊らないとね」

 その言葉に、音楽家たちが背筋を伸ばす。いそいそと持ち場に着いた二人を見てから、マダムは手を叩いた。


「もちろん、男女で組んで」

「僕は無理!」

 叫んで、シャルルはその場に座り込んだ。

「休憩! 休憩しよう! もう息が続かないよ!」

「それだけ叫べれば十分でしょう?」

「それはそれ、これはこれ。第一、男女じゃなくてもいいじゃないか。練習なんだもの」

「いいえ、駄目ですわ。晩餐会本番では、紳士のお誘いで踊ることになるでしょうからね。練習だからこそ、本番を想定してやらないと」

 言って、マダムは王太子の背中を撫でているハロルドを見遣った。


「お願いできますか?」

「はい、マダム」


 彼は苦笑いを浮かべて、立ち上がった。コツ、と靴の踵が鳴る。その音が硬い。


「緊張しているの?」

「ええ。これだけのご令嬢を前にすれば」

「ふふふ。あなたでも、ねえ」

 マダムは楽しそうだ。その視線がヴィオレットに向けられる。

「では、知っている方からにしましょうか」


 知っている? とんでもない。顔を合わせて話すようになって2ヵ月、手を握ったことなどあるわけないではないか。

 それなのに、踊るためには、右手と左手を組む。さらには、腰に手が添えられた。


 一体なんなのさ、この緊張するシチュエーション。


 ピアノとヴァイオリンの弦が張り詰めて、音を奏でる。

 一歩目を踏み出したら、後は進み続けるだけ。

 掌の熱が伝わってくる。呼吸の音も聞こえる。鼓動まで聞こえてしまっていたらどうしよう。



 踊ったのが最初で良かった。鼓動が煩くて、他の三人が踊っているのをちゃんと見ずに済んだ。



 そして、挨拶をして、部屋を出る。見送っておいでよ、というシャルルに背中を押されて、ヴィオレットは三人を庭園へと案内していた。そこに三人の迎えが来ているはずだ。


「ねえねえ、ヴィオレット」

 歩きながら、マルスリーヌが袖を引く。

「ハロルドって素敵な方ね」

 見れば、彼女は頬を紅潮させたままだ。

「ダンスが上手で、とても優しくて。シャルル様とも仲良しなのね」

「仲良し」

 ぷっと吹き出した。あの遣り取りはそう見えたのか。

 カロリーヌは肩を竦める。

「ハロルドにとってはお仕事なのでしょ? シャルル様と仲良くするのは当然じゃない」

「でも、そういうのを抜きにして、シャルル様の気持ちを汲んでくれてそうだったわ。マダムのお話にもきちんと返事してて、わたしたちとも丁寧話してくれた」

 ねえ、と言われて、ヴィオレットは首を捻る。

「それで?」

「つまり?」

 オレリアが先を促す。マルスリーヌはちょっとだけ口をすぼめて。

「恋人になったら大事にしてくれそう」

 と言った。


 ああ、とオレリアは笑う。

「マルスリーヌ、あなた、恋愛小説の読み過ぎよ」

「でも本当よ!」

 ぷう、と頬を膨らませてマルスリーヌは声を上げた。

「ああいう優しい紳士が理想の恋人よ」

 すると、意外にもカロリーヌが首を縦に振った。

「背が高くて、顔も整っていて、本当に理想よね」

 オレリアがさらに笑う。

「見た目の理想かしら?」

「そうよ、見た目のよ」

 マルスリーヌの鼻息が荒い。さらにヴィオレットの袖を引いてくる。


「ハロルドは好きな人とかいないのかしら」

 この問いには苦笑いしか返せない。マルスリーヌが頬を膨らませている横で、カロリーヌが別に訊いてきた。

「モラン家って聞かない名前ね」

 そこか、とヴィオレットは頷く。

「わたくしも詳しくは訊いていないけれど、北に領地があるんですって」

「ああ、じゃあ、なかなか聞かないわけね」

 カロリーヌは肩を竦めた。

「北は土地が瘦せていて、貧しい貴族が多いから。領地が貧しいと、なかなか中央の政治には出てこれないのよ。足元で精いっぱいなんですもの」

 そして、溜め息を吐く。

「顔は素敵なのにねえ」


 ヴィオレットはもう一度、顔に苦笑いを浮かべなおした。

「顔だけ?」

「顔だけね。財産がないんでしたら、わたくしたちが結婚するってのは難しいでしょう?」

 カロリーヌはさらに言った。

「そうでなきゃ恋をするのに」


 その声がヴィオレットの頭の芯を殴った。


 やっと教えてもらえた、と唇を噛む。

 シャルルと同じ想いを抱けるのか。あの脂肪を受け入れらるのか。それを考えていたようで、本当はそうではなかった。

 ヴィオレットはハロルドに惹かれている。それも、見た目に。

 だから、シャルルの想いを受け入れることに抵抗しているのだ。

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