30.素敵な理由
ヴニーズとブランドブールは、王国の両翼。
治める領地は対照的だ。西の海に開かれた港ヴニーズに対して、東のブランドブールは平原に向かっている。ヴニーズは交易を主とするけれど、ブランドブールは武を用いた防衛が役目だ。
だが、歴史は共通。建国の際に王を助けた初代から、王家と共に歩んできた一族だ。
たった今晩餐会の場に現れた侯爵は、そんな由緒正しき家の当主だから、ということだけで注目されているのではない。
「ご一緒なのが、噂の奥方様かしら」
カロリーヌがボソボソと言った。
「噂の、って、噂の? お屋敷のメイドさんだったっていう?」
マルスリーヌが首を傾げて。
「腕を組んで歩いてらっしゃるんだから、そうでしょうね。貴族でないご出身の奥様」
オレリアは表情を変えずに言った。
「いくらご出身がそうでないからと言っても、今はブランドブール侯爵夫人――王国の貴族の一員なんですもの。この晩餐会に参加されていても、不思議はないでしょう?」
「確かにそうなんだけど」
と、カロリーヌはぼやく。
「ここまで来るのは大変でしたでしょうね」
来るだけでなく、来てからも大変そうだ。今は会場中の視線が集まっているのではないか、というくらいに、人々の顔は彼らを向いていた。
侯爵の年は二十九だと聞いた気がする。背が高い男性だ。整えられた金色の髪に、仕立てのいい濃紺の礼装。堂々たる気品だ。
連れられた夫人は、オレンジのドレス。黒い髪は高く結い上げられているのに、視線は下に向いていた。そのまま控えめに、伏し目がちに、夫について歩く。
一歩進む度に、彼ら――というよりも侯爵だけ、だろうか――は声をかけられて、その度に律義に言葉を交わしているようだった。
「ねえ、陛下の傍に寄ってみましょう」
とカロリーヌが袖を引いてきた。
「どうして」
「陛下と侯爵が話すのが聞こえるかもしれないじゃない」
「聞いてどうするのよ」
呆れた、と眉を下げたのに。
「興味あるでしょ」
ニヤリと笑われて、言葉に詰まる。
興味がない、と言い切れないのが困ったところだ。
何故なら、思い出せされてしまったから。二十九歳の侯爵は、大恋愛の末に結婚したのだということを。
「どこに恋をしたのか知りたいですよね」
マルスリーヌは目が輝いている。
オレリアは苦笑いしたようでいて。
「女王陛下は馴れ初めをご存じでいらっしゃるのかしら」
そわそわと指先を動かしている。
「ほら。みんな興味あるんじゃない」
カロリーヌが勝ち誇ったように言ったので。四人こそこそと移動を開始した。
なんだろう、この結託っぷりは。
四人がそれとなく女王の傍に寄る頃には、侯爵夫妻もだいぶ進んできていた。顔立ちがちゃんと見える距離だ。
「そんなに美人じゃない」
ぼそりとカロリーヌは呟く。
「まさか、ブランドブール侯爵は顔で選んだって思ってたの!?」
ヴィオレットが、頭の奥がずきずき軋むことを隠して問うと。
「他に理由が思いつかなくて」
彼女は舌を出した。がっくりと肩が落ちる。
「……もう」
「でも、顔じゃなくてホッとした」
うふふ、とマルスリーヌは両手を自分の頬に添える。
「ハートにときめいたってほうがロマンチック」
「マルスリーヌもまだ言うの」
「うん。素敵な理由で恋に落ちたいじゃないって思ってるわ」
「呆れた。まだそんなこと言ってるの」
乾いた笑いしか出てこない。
四人が喋っている間に。侯爵夫妻は、次にフロランス公爵と話し始めいた。カロリーヌの父だ。
そのフロランス公爵が振り向いてくる。
「何!?」
「カロリーヌ、呼ばれているのではないの?」
「本当だ。手を振っていらっしゃるわよ」
「……行ってきます。侯爵となんか喋れるかなぁ」
「健闘を祈るわ」
ふわふわ翻る太陽の色のドレスを見送って。
オレリアが振り向いてきた。
「ヴィオレットの家こそ、お付き合いがありそうなのに」
そうよね、とヴィオレットは首を捻った。
「何かと一緒に語られることが多いけれど、別に、お互いに領地を行き来したりとかはないもの。父様は喋っているのかもしれないけど」
うーん、と唸って。
もし付き合いがあったとしても、どんな話ができるだろうか、と悩んだ。
少なくとも、マリー・テレーズは二人が苦手そうだな、と思う。メイドだった夫人を、身の程知らずと評しそうだ。
それとも。メイドに恋をした侯爵を、役目を弁えていないと責めるのだろうか。
――もし、わたしが。
ハロルドに、落ち目な貴族の息子に恋をした、と知ったら。母は嘆くのだろうか。
侯爵夫妻がようやく女王の前に進み出る。
侯爵は優雅に、夫人は淑やかに、臣下の礼をとる。アンリエット二世がそれに頷く。
だが、女王の威厳ある表情はすぐに崩れて。
「来たわね、ジェレミー」
楽しそうな笑みがアンリエットの顔に浮かべた。
侯爵もにっこりと微笑む。
「陛下のお呼びとあらば、参上しないわけにまいりません」
「呼ばなければ顔を出さなかったつもり?」
「どうでしょうね。もっとも、私は領地よりも王都にいることのほうが多いですから。お呼びとあらばすぐに参上致します」
「相変わらず、調子のいい子ね」
ふふふふふ、と女王と侯爵は笑う。ずいぶんと気が合った様子だ。
「陛下と侯爵はどういう関係なの?」
「まるでご友人みたい」
「みたい、じゃなくてそうなんじゃない?」
だとしたら、今日この場で、女王が馴れ初めを聞くということはないだろう。既に聞いた後に違いない。
「ガッカリね」
「そうね」
戻ってきていたカロリーヌも含め、四人で肩を落とす。
脇で令嬢たちが好奇心全開でいることを知らない女王は、ころころ喉を鳴らして、手を振った。
「さ、もっと近くに。オデットもいらっしゃい」
だから、侯爵夫妻が女王の席の横に付く。
「お招きありがとうございます」
オデットという名前らしい夫人が、もう一度腰を折った。
そのまま彼女は、侯爵の背中に隠れてしまう。
「うふふ、それだけしか喋ってくれないの?」
女王が言うと。
「仕方ないでしょう? 妻は恥ずかしがり屋なんですよ」
侯爵も体を動かして隠してしまった。
「そうやってジェレミーが過保護にするから。私がなかなかお喋りできないじゃない」
「するならもっと違う場にしてください」
「じゃあお茶に呼ぶわ。おまえは来ては駄目よ」
「御無体な」
苦笑いの侯爵に、女王は溜め息を吐いた。
「護りたい気持ちは分かるけど、もっと見せて頂戴。私だって、ちゃんとオデットのことを知りたいのよ」
だって、と女王は相好を崩す。
「他ならぬジェレミーが恋に落ちて迎えたんでしょ」
「ええ。自慢の妻です」
とろけるような笑みで言い切った侯爵に、なぜか聞き耳を立てていたヴィオレットの頬まで熱くなった。
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