18.教わったのは筋トレです
伝えられていたとおりに、ヴィオレットの両親――ヴニーズ侯爵夫妻が王都にやってきた。目的は女王陛下主催の晩餐会への参加。
とはいえ、アンリエット女王と侯爵夫人マリー・テレーズは姉妹だ。
だから、公的な晩餐会の前に私的なお茶会が催されるのだ。
「相変わらずの顔をしてるわね、二人とも」
部屋に入ってきた侯爵夫妻を見て、女王陛下はそう言った。
ヒェッと声を上げたのは、女王の息子のシャルルと侯爵の娘のヴィオレット。
「母上…… いくら妹でも、久しぶりに会った人にそれはないんじゃないかなぁ?」
「お黙り、シャルル。一人っ子のあなたには分からないものよ」
「そうは言っても、ねえ?」
「親しき中にも礼儀ありと言いましてよ、姉様。シャルルは優しいわね」
指先で涙を拭うような仕草をしてから、マリー・テレーズはシャルルの太めの体を抱きしめた。
「あらあら。ずいぶん抱き心地のよい体になったわね。とても柔らかいわ、赤ちゃんみたい」
「久しぶりに体型をほめられた気がする。ありがとう、テレーズ叔母様」
へにゃっと笑うから、目尻までも脂肪に埋もれてしまった。それでいいのか、と横目で見ながら、ヴィオレットは母をシャルルから引き剝がした。
「お母様、まずは席について? お茶を頂きましょう?」
「そうね、そうしましょう。ゴーチエ、貴方も早く」
丸いテーブルに着いたのは6人。ベルテール王国の現女王アンリエットとその夫と
そんな高貴な一族のお茶会。振舞われているのは一流の茶葉で淹れた一杯のはずなのに、味がまったく分からない。
緊張のせいだ。
「とても美味しく飲めないよなー」
隣の席のシャルルがぼそりと呟くのが聞こえた。
「こんなに気を張ってたら無理だよ」
ね、と小さな声で同意を求めらて、頷く。
何故、実の両親とすっかり慣れた従兄もいる席でこんなに緊張しているのか。
答えは簡単だ。母と女王陛下、主役である姉妹二人がそろって剣呑な笑顔を浮かべているからだ。
「お茶とお菓子をちゃんと味わいたいからさー。仲良くしてよねー」
シャルルがずずずとお茶を啜る。
「会えば嫌味ばかり言って…… 相変わらずってのはこういうのを言うんだよ」
ヴィオレットの父――ヴニーズ侯爵ゴーチエも頷く。
「仲良くなれとは言わない。せめて険悪でなくなってくれ」
シャルルの父、王配クロードがアンリエットの肩に手を置いて。アンリエットが口を開いた。
「一応努力はしているのよ。今日用意したお茶だって、一応テレーズの趣味に合わせて用意したんだから。お気づき?」
「ええ、姉様にしては趣味がよろしいと思ったわ」
「こんな言うでしょ。やっぱりわたしの好きなお茶にすべきだったわ」
「いいえ、このお茶で正解よ。ありがとう」
優雅にお茶を飲み干してから。テレーズは目の前のプレートに視線を送った。
「このケーキはどちらのパティシエが作ったの?」
皆が視線をおのおのの前に送る。
白いプレート。その上には卵の色の濃いパウンドケーキがちょこんと座って、梨のコンポート、生クリームとミントの葉がお供している。
うふふ、とアンリエットが笑った。
「これはね、本職のパティシエが焼いたわけではないの。テレーズも美味しく食べられるかしら?」
食べて、と促されて、噛り付いて。シャルルとヴィオレットは顔を見合わせた。
「あら。二人は気が付いた?」
アンリエットがからからと笑う。シャルルは眉を寄せた。
「ハロルドでしょ。分かるよ」
やっぱり、とヴィオレットは溜め息を吐いた。
王宮にやってきて
「母上。ハロルドは僕の秘書なんですよ」
「ええ。だから、わたしのお願いを特別に聞いてもらうためにちゃんと手当を出したわよ。もっともそんなしなくても、快く引き受けてくれたわよ、ハロルドは」
でしょうね、と頷く。アンリエットは満面の笑みだ。
「本職だと言ってもおかしくない腕前ね」
ぱくぱく、テレーズはパウンドケーキを平らげていく。
「甘みもあるのにくどくない味で、いくらでも食べられそう。おかわりはある?」
「勿論多めに用意してもらったわ。いくらでも食べて。――って、あら。久しぶりに意見が一致したわ」
喋っているアンリエットの皿の上からもパウンドケーキが消える。ゆっくりゆっくり噛みしめていたヴィオレットは驚くばかりだ。
二切れ目を食べながら。
「ねえ、シャルル。ハロルドってどなた?」
テレーズが甥に見向く。
「僕の秘書です。今日は来ていませんけど、公務に出させてもらうようになってから、ずっと僕を助けてくれているんです」
「秘書、ね。そういう役目の人を連れているほど仕事をしているのね、偉いわ」
いいこいいこ、と頭をなでるような仕草をその場でしたテレーズに、シャルルは吹き出した。
「子供扱いだー」
「だって、まだまだ可愛い甥っ子ですもの。
それで? ヴィオレットはハロルドに会ったことがあるの?」
「ええ」
「お話はしているの? お菓子作りについて聞かないの?」
「さすがにお菓子作りは…… 教わっていないけれど」
教わったのは筋トレです。それと、ドキドキする気持ち。
顔を見ない場所でも彼の存在を感じることに、ヴィオレットは下を向く。
それなのに、シャルルがのほほんと続けた。
「ヴィオレットもお菓子を作れるようになったら、楽しいだろうな」
え、と顔を上げる。
「楽しいって、どなたがです」
「僕が」
シャルルはにこにこし続けている。
「ハロルドに僕から頼んでこようか」
「お願いするときは自分でできます」
それに、と頬を膨らませる。
「わたしにお菓子作りができるとは思えないけど……」
厨房に立つということはおろか、というのに。
「やってみないと分からないわよ」
アンリエットが言って、全員が振り返る。
「何事も挑戦! やってみなきゃ分からない!」
「姉様!」
ガタっと椅子を鳴らしてマリー・テレーズが立ち上がる。
「簡単に言わないの。貴族の女子はね、調理なんかしないものなんです! やってみないと分からないなんて、下町に気楽に遊びに行っていた姉様と一緒にしないで!」
「んもー。王宮に籠ってばっかじゃ駄目よ。貴族の令嬢だから、なんて言い訳しちゃダメダメ」
「伝統を大事にしてちょうだい! これだから姉さんは!」
「伝統も大事にしてるわよ。そのうえで革新を考えているの」
アンリエットはにこにこ笑う。マリー・テレーズは、はぁ、と息を吐いて椅子に座りなおした。
「姉様と話していると、本当価値観が合わなくてくらくらするわ……」
「わたしもよ、テレーズ。どうしてこんなにかみ合わないかしら」
ねえ、と言って、アンリエットは視線をゴーチエ――ウニーズ侯爵に向けた。
「昔はヴニーズのほうが革新的だって言われていたのに、ねえ?」
「港から国外の文化が入ってきましたからね」
頷く侯爵に、アンリエットは表情を少し変えた。
「最近は技術面で東に抜かれているんではなくて?」
「自覚はありますよ。だから息子は国外留学させてるんじゃないですか」
「そうだったわね」
そう言ってアンリエットは視線をテレーズに向けなおす。
「息子には厳しいのね」
「ええ、王国のためにも逞しくあってもらわないとね」
「あらあら。そこの意見は一致だわ。わたくしも
そのまま、二人の視線はシャルルに移ったのだが。彼は気づかずにヴィオレットを向いていた。
「ヴィオレット、お兄さんがいたの?」
「ちょっと忘れてた」
「ひどいなぁ」
クスクスと二人で笑う。アンリエットのため息がかぶさる。
「男きょうだいと女きょうだいが揃わないのも、あまりいい伝統と言えないわね」
「そういう意味では、僕も革新的に育てられたのかなぁ?」
やっとシャルルが母親を向く。
「学園は男女一緒に学びましたよ」
「そう、そういうのが良いのよ」
ね、とアンリエットがテレーズを振り向く。王妹は肩を竦めた。
「正式な婚約をするわけでもないのにヴィオレットを呼び出すから何事かと思っていたら。そういう悪いことを考えていたのね」
「どういう悪いことよ」
「何を教えようとしているの?」
「王国の未来のために必要なこと。伝統も革新も、両方よ」
それに、とアンリエットは口の端を両方とも持ち上げた。
「ヴィオレットの学び云々以上に、シャルルが助かっているでしょ?」
「え、う、うん。そうだね」
真っ赤な顔でシャルルは横を向く。あらあら、とテレーズは両手を頬に添える。
「婚約間近かしら」
途端、ヴィオレットの心臓がズキリとなった。ケーキを食べる手は止まってしまった。
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