13.何かを牽制し合うための会
「ようこそ、ヴィオレット」
扉をくぐると、部屋の主であるフロレンス公爵家の令嬢が両手を広げて出迎えてくれた。
「歓迎するわ、ヴィオレット」
「お招きありがとうございます、カロリーヌ様」
片足を引いて、淑女の礼。
そこで、相手はヴィオレットに抱きついてきた。
「堅苦しい挨拶は抜きよ。わたしたち、友人でしょう?」
彼女も、親の都合、貴族の都合で、幼い頃からの顔見知りだ。
今日のお茶会はそういうお茶会。友好を深め、何かを牽制し合うための会。
調度品が濃い栗色で統一された、大きな窓の向こうに青空と緑の庭が広がる部屋に集まった貴族令嬢は、十八歳の四人。
主催は、フロレンス公爵令嬢カロリーヌ。背は低くも高くもないが、目鼻立ちのはっきりした、華やかな令嬢だ。
今日のドレスは向日葵色。過ぎ去った夏を思い起こさせる、太陽の色の一着だ。袖口や胸元にあしらわれたチョコレート色のリボンが動きに合わせて揺れる。
彼女の右隣に、アミアン伯爵家のオレリア。
こちらはすらりと背が高い。勿忘草色、体の線にぴったりと沿ったドレスの上で、シルバーのブレスレットが燦然と輝く。凜々しい。
反対隣はマルスリーヌ嬢。カロリーヌの同い年の従妹だ。
ふくよかな顔を伏せがちにした彼女は、薄紅色のドレス。袖も裾丈も長くて、その先から指先と爪先がちょこんと見えている。
座る姿も、背中が丸まって、ちんまりとまとまっていた。
最後にやってきたヴィオレットが、カロリーヌの対面に座る。
身に纏うのは、特別気合いを入れたドレスだ。名前と同じで、瞳の色と揃った、菫色。最近筋肉がついた腕や脚を、柔らかく膨らんで、包んでくれる。
メイドたちが湯気をあげるティーカップとマドレーヌを並べた皿を置いて、部屋を出て行くと。
「今日はオレリアが学園を卒業したお祝いよ」
カロリーヌが口を開く。マルスリーヌとヴィオレットの視線が向くと、当の本人はゆったりと頷いた。
「つい先月まで、
カロリーヌが、ほう、と溜め息を吐く。マルスリーヌは、上目遣いになって。
「寂しくなかった?」
と、訊ねた。
「友人が沢山できたから大丈夫。シャルル王太子殿下とも親しくお喋りさせていただいたのよ」
オレリアの返事に、そうか、とヴィオレットは頷いた。
彼女はシャルル王太子と同じ学園で、寮生活を送っていたのだ。だが、太ってはいない。細身のドレスにも関わらず、きつそうな感じを受けないのは、事実、彼女の体が細いからなのだろう。
脂肪がないからなのか筋肉で引き締まっているからなのか、どちらにしても羨ましい。
「シャルル王太子殿下かぁ……」
頬に指先を添えて、カロリーヌがヴィオレットに見向いてきた。
「わたくし、先日三年ぶりにお会いしましたの」
そう言ったカロリーヌの瞳をじっと見返す。
彼女は両腕を自分の体に巻き付けて、ぶるりと震えた。
「あまりに肥え――太っていらして、驚いたわ」
驚いたわよね、という言葉は済んでのところで飲み込んだ。
体重は100kgを上回ったままらしい、という話も胸の底に仕舞い込む。
そうやって必死の努力でヴィオレットが黙ったのにも関わらず。
「白豚さんですよね」
オレリアが涼しい顔で続けた。
「寮生活で、誰よりもお食事をお召し上がりになっていましたもの。毎回三人前は食べていたんじゃないかしら」
三人前。つまり三倍。
ここ十日ほど一緒に食事をしているが、なるほど、食べる量は学園の時から多いらしい。当人も沢山食べたと申告してはいたが、三倍だとは聞いていない。太るのは当然だ。
ううん、とヴィオレットが唸る間に。会話は進む。
「お勉強はどんなことをされたの?」
おっとりとマルスリーヌが尋ねると、一口紅茶を飲み下してから、オレリアは言った。
「一言でいうのは難しいけれど…… そうね。たくさん勉強した、わ。歴史も経済も、政治も!」
「歴史?」
「ベルテール王国の歴史よ。建国の時から今までをずっと。入学前に聞いていた話がただの伝承や創作で、史実ではないって知ったことが多いのが、驚きだったわ」
うんうん、とマルスリーヌは頷く。
「経済っていうのは?」
「王国各地の名産とその遣り取りも学んだけれど、国外との貿易の話もしたわ。今はハルシュタットやイリュリア王国との陸路の交易が多いですけど、そのうち、ヴニーズの港を活かした海の向こうとのやりとりが増えていくんじゃないかって言うのが、先生のお話よ。そこには政治の駆け引きもあるっていうし」
「政治?」
「国と国の遣り取り」
「む、難しいお話だわ…… 本当に沢山のことをお勉強したのね」
ふわあああ、とマルスリーヌは息を吐いた。両手が袖から飛び出してきて、頬に添えられる。そこはほんのり赤い。
「熱心に聞いてくれて嬉しいわ、マルスリーヌ。だから、もう少し聞いてくれる?」
「喜んで」
マルスリーヌは笑う。カロリーヌとヴィオレットもここだとばかりに首を振る。
オレリアはまた紅茶を飲んで、息を吸った。
「一番力が入ったのは、卒業論文なのよ」
卒業論文、と言葉を繰り返す。
「それはなぁに?」
「学園の卒業の前にやるってことかしら?」
「そのとおりよ、ヴィオレット。最後の半年で、自分でテーマを決めて調査研究するの。テーマは何でもいいのだけれど、二人一組でペアを組んでやるのが条件」
「ああ、聞いたことあるわ」
カロリーヌが手を打つ。
「二人一組でやるから、そこで親しくなる場合が多いんだとか。地方の貴族が遠隔の領主と友好を結ぶ手段にもなっていて、学園に通うのはそれが目的って方も多いって」
「そう、ね。わたくしの周囲でも、その二人が卒業後もお会いになっているって話を聞くわ」
「そのままご結婚に繋がるケースも多いそうよ」
カロリーヌが続けると、オレリアはくすくすと笑った。
「きっかけが卒業論文でも、恋し、想い合って結婚するなら、それでも構わないのではなくて?」
「恋して! 素敵ね!」
マルスリーヌが声を上げる。残る三人で一斉に振り向くと、彼女は肩を縮こまらせた。
「じゃ、じゃあ…… そういう大事な関係となるパートナー、シャルル王太子様はどなたとペアを組んだの?」
無理矢理さが滲んだ声でマルスリーヌが言うと、オレリアはすこしだけ顔に苦みを浮かべた。
「わたくしよ」
「ええ!?」
今度声を上げたのはヴィオレットだ。オレリアはまっすぐ見つめてきた。
「シャルル様は心に決めた方がいるから、お邪魔虫にならない人がよかったんですって」
ヴィオレットは唇を噛んだ。オレリアのその一言が、ずしん、と胸に沈んでいく。
学園にいた3年間も、恋しているという意味で好きでいてくれたのか。太ったけれど。
「それを知っていて、ペアになったの?」
「私も心に決めた相手がいたから」
「どなた?」
「内緒よ」
しー、と指先を口に当てられて。ヴィオレットは黙る。だが、マルスリーヌは身を乗り出してくる。
「その方と夫婦になりたいの?」
「どうかしらね」
ケラケラと笑って、オレリアがマドレーヌを囓る。話す気はないということだ。
マルスリーヌも感じ取ったらしい。席に座り直すと、同じくマドレーヌを食べ始める。
そのまま、一時、会話は止まる。
マドレーヌがそれぞれのお腹に消えていく頃。
「恋して結婚、と言えば」
と、カロリーヌがまた口を開いた。
「ブランドブール侯爵のお話はご存じ?」
ヴィオレットとオレリア、マルスリーヌで一度顔を見合わせる。
「ええっと、奥様に先立たれたんでしたっけ?」
「それは先代。最近、ご嫡男に当主の座を譲られたのよ。引き継がれたのは、ジェレミー・ベニシュ様、二十九歳。長く独身でいらっしゃったんだけど、大恋愛の末にご結婚されたって噂なのよ」
「素敵じゃない!」
マルスリーヌがまた顔を赤くして手を叩く。ヴィオレットとオレリアも首を振ったが、カロリーヌはにやりと口の端をあげた。
「どうかしら?」
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