08.施しをする側という

 その日は晴天。秋へと向かう空は透きとおった青。

 軽やかな風の中を、四頭立ての馬車が王都ル・キャトル・ヴァンの郊外へと走る。

 前後には騎馬が六頭。騎乗した王宮警備隊の深緑の制服が周囲に目を光らせてくれている。さらには、真紅の剣と白百合の旗が掲げられて、搭乗しているのが王族だと知らしめていた。

 王太子がその威厳を示しての移動だ。


 とはいえ、いかんせんシャルルだ。彼が乗った瞬間、馬車は大いに軋んだ。箱馬車が傾くという事態にヴィオレットは震えた。

 安全な運行に向けて傾きを是正するため、二列ある座席の一方の真ん中にシャルルが座り、もう片方の座席にヴィオレットとハロルドが座った。


 そう。ヴィオレットとハロルドが横一列に並んでいる。

 美青年が近い。

 馬車が走り始めてからずっと、ヴィオレットはがちこちに固まっていた。


「酔いましたか?」

 ハロルドが心配そうな視線を向けてくれたことに。

「いいえ、全然平気です!」

 声がひっくり返る。肩にいっそう力が入る。眼鏡を直しながら、ハロルドは微笑んだ。

「ご無理はせずに」

「じゃあ、休憩にする!?」

 声を挟んできたのはシャルルだ。


「お腹空いたなー」

「まだ何もしていませんから食べちゃダメです」

 振り向いたハロルドの顔に浮かぶのは苦笑いだ。シャルルは腰を座席に落ち着けたまま胸を張る。

「馬車に揺られてる!」

「公務の半分も終わっていません。ダメです」

「ちぇー」

 むくれたような言葉ながら、彼は笑顔だ。この道行を楽しんでいる顔。ちなみに今の動きでボタンは飛ばなかった。


 彼の今日の装いは、ヴィオレットが選んだ明るい青の揃えだ。白いシャツに光沢の強い濃紺のクラヴァットを合わせた。

 選ばれたそれらを、ボタン付けをしてくれたメイドに預け、細かいところまでサイズを調整してもらった。だから今日は、シャルルの動きに服が付いてくる。上着やシャツの袷がパツンパツンで左右に布地が引きつれる様子もないし、袖にゆとりがあるから腕も楽々動く。

 なんとなく痩せたような印象を受けるのは、本当に痩せたからじゃなくて、服が体に合っているからだ。

 それに甘えてスクワットと腹筋運動を止められては困るのだが。


 運動の継続について問う前に、馬車は目的地へと到着した。

 草原にぽつんと立った、石造りの平屋だ。

「こちらの救貧院アルムスハウスは、百年の歴史があります」

 馬車から先に降りたハロルドが、ヴィオレットに手を差し出しながら言った。

「創建当初より、身寄りを失った女性への手助けを主に引き受けています。今ここにいるのは、何らかの事情で住まいを失った女性たちです」

 支えてもらいながら、外へと踏み出す。

 触れ合った手は温かい。このままでいいような、掌以外も熱くなりそうで逃げたいような。


 複雑な心地を味わっている間に。

「元気づけてあげるのが目的だからね。ヴィオレットも笑って」

 シャルルはのしのしと進んでいくから、ハロルドが、ヴィオレットの手を放して速足で追いかけていく。


 結局、離れていったぬくもりのことを、惜しい、と思ってしまった。胸の底がチリチリ痛む。


 改めて建物を見る。修道院のようだな、と思った。

 敷地に塀はない。時計台の下に大きな扉がある。建屋の奥のほうには人の頭ほどの大きさの窓が、びっしりと並ぶ。

 中に入ると、窓と同じ感覚で、細長い扉が並んでいて。

「ああ、王太子様だ」

 声とともに、一斉に開く。それぞれの扉から女性たちが出てきた。

 腰が曲がって、杖をついて歩くような、年を取った女性たちばかり。皆が纏う服は、継ぎを当てて繕った跡のあるものがほとんどだ。


 これは一体、どういう状況なのだろう。

 考える。先ほど、ハロルドは何と説明してくれた? 「何らかの事情で住まいを失った女性たち」と言っていなかったか?

 つまり、彼女たちは。住まいを確保できないほど、貧しいのだ。


 ヴィオレットがその場に立ち尽くしている間に。

「ごきげんよう、ご婦人方。ご機嫌如何かな」

 シャルルが両手を広げて、声を上げる。

「いつもささやかで済まない。心ばかりの贈り物だ、受け取ってくれ」


 馬車に積まれていた木箱が全部下ろされて、中身――小分けされた袋たち――が陽光に照らされる。

 一列に並んだ女性たちにそれらの品物を渡していくのは、護衛についてきた兵士たちとハロルドだ。七人とも笑顔でそれをこなす。

 だから、ヴィオレットも息を大きく吸ってから、笑った。


 そう。ここは微笑むべきところなのだ。

 努めて優雅に。

 侯爵令嬢ヴィオレットに求められているのは、施しをする側としての、気品だ。


 品物を受け取った女性たちはそのまま一人ずつシャルルの前に立つ。

「息子は相変わらず帰ってこなくって」

「うちは娘婿がケチ臭くて駄目なんですよ。孫には優しくしてくれてるからいいものの」

 笑って、一言ずつ話していく。

 シャルルは、うんうん、と頷く。


 そして。

「旦那が死んでから、これというトキメキもなくてねぇ。シャルル様のご訪問が本当に楽しみなんですよ」

 何人目かの女性がそう言ったとき、シャルルはその腹の脂肪を揺らして笑った。

「レディ。その言い方は誤解を招きますよ」

「本気で申しておりますわよ」

「あはははは。僕に恋をしちゃダメですよ」

「いやですわね。もうあと五十年若かったら、間違いなく恋に落ちておりました」

 その女性もからからと笑う。

「お美しい恋人を見せつけられては、冗談でしかいえませんけど」

 ふふふ、と笑いかけられて。ヴィオレットは瞬いた。

「可愛いだろう?」

 シャルルは誇らしげだ。

「わたくしは恋人になったのでしょうか……」

「違うの?」

「違います」

 まだなだけだ。


 会話に次ぐ会話の最後に、髪の薄い一人が、深々と頭を下げた。その頃には、周囲に女性たちはいなくなっていた。

 曖昧に微笑み続けたまま、きょろきょろと見まわしていると、最後尾だった女性と視線があった。


「皆様はどちらへ?」

 問うと、女性は答えてくれた。

「それぞれ仕事をこなしに向かいました。貰えるものを貰ったからといなくなったわけではないのですよ。ここに住まわせてもらっているなりに、仕事がございましてね」

 仕事、と呟くと。

「ご覧になりますか?」

 訊かれた。

 また戸惑って、視線が泳ぐ。ぽん、と背中を叩かれて振り向けば、シャルルだ。

「行こう、ヴィオレット。僕もみんなのところにお喋りに行くからさ」

「わたくしも、皆様とお話ししてよろしいのかしら」

「ええ。こんな若いお嬢様とお話しするのなんか、どれくらいぶりかしら」


 どうぞ、と案内されたのは、平屋の外だった。

 庭に広がったテーブルで、皆が裁縫仕事をしている。お喋りをしながら、歌を歌いながら、だ。


「お仕事があるのに」

 どうして貧しいのか、と問いかけは最後まで声にしなかった。それでも、女性は意図を汲んでくれたらしい。

「ババアに任せる仕事はないって言われましたのよ」

 切なげな声が響く。視線の先は、女性たちの手元。針は緩慢に動く。

「雀の涙ほどの稼ぎにしかならなくて。それで救貧院のお世話にならざるを得なかったのです」


 細く光る針を見つめて、ヴィオレットは息を詰めた。

 針を握れたら。ボタンをつけられるのだろうか。身頃を広げたり、継ぎを当てたりすることができるのだろうか。

 それができるのに、満足な暮らしを送れるほどの収入がない。どうして、という問いが喉につっかえる。


 同意に。施しをする側という驕慢が憎くなってきた。侯爵令嬢がなんだ。贅沢な暮らしができる家系に生まれただけで、ヴィオレットが自分一人で何をすることができるというのだろう。


 喋っているうちに夕刻だ。

 女性たちに見送られて、馬車に向かう。

 その中で声をかけられた。

「今日お越しなすったことへの、気持ちばかりのお礼です」

 テーブルに案内してくれた女性だ。渡されたハンカチには、花の刺繍。紫のスミレの花が加えられていた。

「お名前に合わせて」

「ありがとう」

 握りしめる。頂いていいのか、と問うと、勿論と笑われる。

「スミレの花言葉をご存じ?」

 首を横に振ると、告げられた。

「誠実です」

「……知らなかった」


 大事にします、と腰を折る。女性はまだ笑っていた。


「紫色は『愛』も示しますのよ」

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