第七夜『国境』

こんな夢を見た。


あてもなく川沿いの道を自転車で走っていたら、いつしか国境を越えていた。

川は黄色く濁り、向こう岸が遙か彼方に見えるほど広い。川の流れは緩やかで浅く、人の良さそうな老夫婦が川魚の漁をしていたので、僕は土手に自転車を止めてそれを眺めていた。

川には丸々と太った野生の鯉がたくさん泳いでいて、鮭のように川の流れに逆らって上流へ向かっている。老夫婦は時折ひょっこりと水面に顔を出す鯉を素手で器用に掬い上げ、それを背負った竹籠の中に入れていた。

老夫婦があれよ、あれよと面白いように捕まえた鯉を竹籠の中に入れていくので、僕も老夫婦と一緒に川魚の漁がやりたくなった。

老夫婦がそんな僕の様子に気付いて、ニコニコしながら僕の方に寄ってくると竹籠を一つ貸してくれた。

「黄色い鯉を捕まえんだど。黄色い鯉が高く売れるんだぁ。それ以外の鯉は大した金なんねちゃ」

国境を越えたのだから老夫婦は異国の人のはずだが、老夫婦の話す言葉は自分の祖父たちが使っていた方言と同じではっきりと理解できた。

僕は俄然やる気になってズボンの裾を捲くり、老夫婦に借りた竹籠を背負って川に入った。

いろんな種類の鯉が泳いでいる中から、老夫婦が高く売れると言った黄色い鯉を探し、手掴みを試みる。簡単に獲れると思ったが、これがなかなか難しく、いとも容易く鯉を掬い上げる老夫婦のようにはいかなかった。それでも悪戦苦闘しながら、黄色い鯉だけを竹籠の中に入れていく。戦果は徐々に上がっていった。

たまに鯉とよく似た「胎魚たいぎょ」と老夫婦が呼ぶ魚を間違って捕まえてしまう事があり、僕はその胎魚のドス黒い鱗と蛇によく似た面構えのグロテスクさに何度も辟易した。

そうして長い時間漁をしていると、いつの間にか辺りに老夫婦の姿はなく、川を泳いでいる魚の数もめっきり減っていた。

もう帰ろう……。

そう思って僕が竹籠を背負ったまま土手に止めた自転車のところまで戻ろうとすると、僕の自転車の荷台に見知らぬ小さな子供が乗っていた。

誰だろう? あの老夫婦が連れて来た孫だろうか?

僕が子供に近づいて微笑みかけると、子供も僕の方を見てニコニコした。そのうち自転車から降りてくれるかな、と思ってしばらく待ってみたが、子供はいつまでも荷台に乗ったまままったく降りる様子がない。

「あのねぇ、俺、これからこれに乗って自分の家に帰るけど、ボクも一緒に来るか?」

僕が冗談半分でそう言うと、荷台に乗った小さい子供はニコッと笑って大きく頷いた。

困った。黙って連れて帰れば誘拐だ。しかし辺りにはこの子の保護者らしき人もいなければ、人っ子一人いる気配がない。このままこの場所にジッとしているわけにもいかないので、僕はしかたなく子供を自転車に乗せたまま、もと来た道を戻った。

子供は異国の子だった。連れて帰れば国際問題にまで発展したりするんだろうか?

目の前に国境がある。国の名を示す看板だけがあり、柵も関所もない国と国の境目。僕は辺りを窺いながら再び国境を越えて家に向った。

しばらく行くとあたりの見慣れない風景に不安を感じたのか、連れて来た子供が今にも泣きそうな顔をして、僕に何かを訴えた。老夫婦の言葉は理解出来たのに子供の言っている言葉は何が何だかまるで理解出来なかった。もうどうにでもなれ、とそのまま構わず自転車を漕いで、嫌がる子供を自分の家まで無理やり拉致した。

僕のこの行為が数日後にテレビで報道され、一時的に深刻な拉致問題として隣国との関係を悪化させたが、当の子供はすっかり僕に懐いて、歳の離れた兄弟のように一つ屋根の下でしばらく一緒に生活した。

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