第六夜『水難』

こんな夢を見た。


失恋して一ヵ月前から行方不明になっている知り合いの女の子を捜しに海岸へ行ったら、その子が水死体になって浜辺に打ち上げられていた。

12月の寒空の下、集まった警察と近所の人たちで辺りが騒然となり、僕はただ驚きながらその場の様子を見守った。

打ち上げられた知り合いの女の子の水死体は海水をたっぷり吸ってブヨブヨに膨れ上がり、生きていた時の面影はまったくなく、巨大なクラゲか腐敗したイルカのように見えた。でも水死体に張り付いていた衣服には確かに見覚えがあったので、それが知り合いの女の子だとすぐにわかった。

警察の鑑識らしき人が水死体を青いビニールシートの上に乗せて調べ始めた。捜索願いが出ていたから水死体の身元に関しては僕が警察の人に言うまでもなく、警察の方でもすぐに察しがついたようだった。

鑑識らしき人は持っていた棒で膨れ上がった彼女の死体を乱暴に突きながら、死後どれくらいの時間が経っているのかを割り出そうとしていた。

妊婦のようにぷっくりと飛び出た腹部をまるで風船でも割るみたいに執拗に棒で押す。水死体の膨張した皮膚が透きとおって、腹の中に何か小さい影がたくさん蠢いているのが見えた。

「……あぁ、やっぱり入ってるわ、これ。いっぱい入っちゃってるよ。勘弁して欲しいよな」

彼女の透けた腹の中に入っていたのは、たくさんの蝦蛄海老だった。水死体の体の中にはよく蝦蛄海老が入っているという話を聞いた事がある。話によるとどこからか死体の体内に侵入して、内側から死体を喰い破るらしい。こうして実際にその光景を目の当たりにするととても気味が悪かった。

以前友人と海釣りに行った時、友人が釣り上げた蝦蛄海老を油で揚げて食べた事があったが、死体に群がるところを見たらもう食べられないだろうなと、喉元をこみ上げる吐き気とともにそう思った。

鑑識の人は腹の中で蠢く蝦蛄海老の多さに顔を顰めて、なるべく見ないようにしながら闇雲に棒で腹を突き続けていた。そして破れた腹から嫌々蝦蛄海老を掻き出し、死体の状態が悪すぎて死亡した時間が特定できない、と文句を垂れながら作業を終えた。

黙ってそれを見ていた僕は、グロテスクな蝦蛄海老のフォルムと鑑識の人の不謹慎な態度に言いようのない胸糞の悪さを感じ、水死体になった哀れな知り合いの姿にもなぜか唾を吐きかけたくなった。

しばらくすると警察から連絡を受けた彼女の両親が海岸に駆けつけて来た。そして変わり果てた自分の娘の姿を見てヒステリックに泣き崩れていた。

急に行方をくらました挙句にこの姿じゃ無理もない。母親の方は泣きながら「本当にこれがうちの子なんですか?」と何度も警察の人に聞いていた。二人は極度に膨張して脆くなったブヨブヨの彼女の体をきつく抱き締めて、人目を憚らず大声で泣き続けた。

「それじゃあ仏さんのご両親も到着したことですし、そろそろ葬儀の方に移りますかな」

死体を調査していた鑑識の人が急に司会を務めて、その場に集まった人たちだけで簡単な葬儀が行われることになった。浜辺に落ちている流木や燃えそうなゴミを拾って一箇所に集め、原型のない彼女の遺体を火葬にする。坊さんの代わりに鑑識の人が読経を上げ、葬儀に参加した人たちのすすり泣きが波の静かな海に響き渡る。

ふと沖の方に目をやると、数人のサーファーたちが季節はずれの波乗りを楽しんでいた。ほとんど波らしい波のない海面を器用にスライドするサーファーたちの光景がとても奇妙だった。

集まった人たちが知り合いの女の子の両親に弔いと慰めの言葉をかけていたが、僕はこれまで彼女の両親とは面識がなかったので、特にかけてあげる言葉も見つからず、これ以上ここにいても意味がないように思えたので、彼女の遺体が完全に焼け終わるのを待たずに一人その場を後にした。

それから彼女に対する何かしらの感情は、まるであかの他人だったかのように微塵もなくなり、大理石で舗装された繁華街をただ当てもなくうろついた。レンガを積み上げて建てられた瀟洒なビルに、如何わしいネオンの看板がぶら下がって、ビルの前ではポン引きたちが胡散臭い愛想を振りまきながら道行く人たちをその如何わしい看板の場所へと誘っていた。

「ちょっと兄さん、どう? ポッキリ三千円だよ、三千円っ」

ショッキングピンクのやたらテカテカと光る素材の半被に、白い鉢巻をした比較的若いポン引きが、指を三本立てながらニヤニヤと僕に擦り寄ってきた。

詳細なサービスがほとんどわからない、いかにも怪しい店だ。まだ昼をほんの少し過ぎたばかりの時間帯だし、所持金もあまりなかったので、若いポン引きの口車に乗れるような気分ではなかった。

当然のように無視してそのポン引きを通りすぎようとしたら、男はニヤニヤしながら「つれないなぁ、ヒマなんだったら遊んでいきなよっ、遊んでいきなよっ」としつこくついて来る。強引に僕の前に回り込み、進行を妨げるように誘いかけてくるので鬱陶しく思い、僕はすぐ近くにあった脇道に逸れた。通りを外れるとポン引きは諦めたのかそれ以上は追って来ず、露骨に舌打ちしながら戻っていった。

逸れた脇道の先は長い石畳の上り坂になっていて、石畳の道の右側には坂に沿って水がチョロチョロと流れる側溝があった。

戻ってまたポン引きに捕まるのも面倒だったので、とりあえず石畳の坂道を上った。

坂の上の道は銀杏並木で、わずかばかりの葉を残して枯れた銀杏が寒々しい姿で立っていた。

足取り重く、息を切らしながら坂道を上りきると、その先は一面に広がる運河になっていて、道がプッツリと途切れていた。

運河の水は大雨でも降った後のように濁っていて流れが異常に速かった。

引き返すしかないな、と思って運河を眺めていると、なぜか水嵩が急にどんどん増えだして、あっという間に足が水に浸かるくらいになった。慌てて後ろに逃げようとしたら、来たはずの道がもうすっかり運河に飲み込まれて身動きが取れなくなっていた。僕はなす術なく、そのまま腰の高さまで水に浸かり、押し寄せた濁流に倒されて下流に流されてしまった。

死ぬっ。

突然の出来事に頭が真っ白になった。泳ごうにも近くに岸はなく、しがみつけそうな物が何も浮いていない。溺れまいと、水面から顔だけを出して、ただジタバタするしかなかった。

荒々しい水流に何の抵抗も出来ず、どんどん流されていく。自然の驚異的な力を思い知らされて途方にくれていると、流れの途中で、水の流れが真っ直ぐなところと、下にくだって分岐しているところを見つけた。僕はその分岐点の、下にくだって流れている方へ流され、さらに加速しながら、もう助からない、と死を覚悟した。

目を瞑ってなすがままに流れに身を任せていると、しばらくして流れがだんだん緩くなってきた。不思議に思って目を開けてみると、僕の体はさっき上ってきた坂道の側溝を流れていた。滑るようにサァーッと緩やかに流されていくと、水嵩が徐々に減り、やがて完全に水が引いた。

立ち上がって側溝を出ようとすると、そこにずぶ濡れの僕を見下ろす顔があった。

よく見るとそれはあのビルの前にいた、如何わしい看板を掲げた若いポン引きで、ポン引きは「さぁさぁ、遊んでいきなよ」とひたすらニヤニヤしていた。

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