第二夜『墓参り』
こんな夢を見た。
久しぶりに山形の実家に帰省した。何もない片田舎の退屈な風景に暇を持て余したので、町はずれにある曹洞宗の寺に出向いて先祖の墓参りをする事にした。
小高い山の斜面に、町を見下ろすような形で立つ寺は、小さい頃に来ていた時と何ら変わらず、鬱蒼と屹立する杉林に囲まれている。
墓地のある林の小道を通り、門前にある池の石橋を渡って寺の境内に入った。
境内に入ると、馴染みのような馴染みでないような顔の老人たちが、散歩を兼ねた墓参りに来ていて、境内の庭の植木を観賞しながら、住職と楽しげに立ち話をしていた。
歴史の古い本堂は一部改築中らしく、仮設されたプレハブの建物が本堂の横に建っていた。境内の長閑な光景とは打って変わり、プレハブの中からは何人かで読経する声が荒々しく聞こえ、立ち入るのが容易でない厳格な雰囲気があった。
ある種の怖いもの見たさのような気持ちが起こり、僕は老人たちと住職に軽く会釈をすると、その厳格な雰囲気のプレハブの中に入った。開け放たれた入口から中を覗くと、上半身裸の若い僧侶たちが錫杖を片手に、ジャラリ、ジャラリと、リズムを取りながら本尊に向かって精進している。
所々金箔の剥げた本尊の釈迦如来像に向かって線香の煙がもくもくと漂って香り、仏前に据えられた壇の中では勢い良く護摩の炎が燃えていた。そして荒々しい大太鼓が心臓を直接打つような振動を伴って鳴り響いている。
僕はその厳格さにたじろいでしばらくどうしていいかわからず、とりあえず遠慮がちに廊下の隅に座って様子を窺った。
本尊に向かって縦一列に並んだ僧侶たちが、前から一人ずつ立ち上がって円を描くように体を動かし、続く後ろの者が僅かの間を空けて同じ動作を繰り返す。どんどん重なった僧侶たちの円の動きは全体で見ると大きな渦になっていた。それはプロのダンサーが披露するパフォーマンスのように、精緻で微塵のミスもない完璧な動きだった。
僕が見る限り僧侶たちは皆トランス状態に陥っているようで、恍惚とした表情で繰り広げられるその奇妙な儀式は片時の切れ間もなく延々と続いた。
僕は恍惚とした表情の中にどこか悲壮感さえ窺わせる僧侶たちをひとしきり眺め、それからしばらくすると退屈になったので表に出た。
外はいつの間にか陽が落ちかけて空が赤紫色に焼けていた。誰もいない、すうっと涼しくなった境内を抜け、参道を下って町道まで出ると、ふと自分の嵌めていた赤い手袋が片方だけなくなっている事に気付いた。どこかで外した記憶もないし、落とした気配もないので、変だな、と思い。来た道をゆっくりと引き返した。
門前まで戻ると石橋の上にボロボロの手袋が落ちているのを見つけ、それを拾い上げてみたのだが、そのボロボロの手袋は僕が落とした赤い手袋ではなく、見覚えのない黒い手袋だった。
違うとは思いつつ、とりあえず自分の右手に嵌めてみると、そのボロボロの手袋は落とした赤い手袋と同様に、何の違和感もなくしっかりと右手に収まった。自分の落とした手袋が、まるでその手袋だったかのような錯覚を覚える嵌め心地の良さだったので、僕はしばらくこのまま嵌めて帰ろうかどうか迷った。
サイズは合っても右手と左手を比べてみれば、明らかに色が違うし状態も違う。自分の物ではないという罪悪感もあるので、一応は元の位置に戻そうという結論に達するのだが、なぜかそのボロボロの黒手袋に未練があって置いて帰るのが躊躇われた。
どうせ互いに片割れを失った手袋なんだから、と見た目と状態の違う違和感を無視して、やはりこっそり持ち帰る事にした。
何食わぬ顔でまた町道に出ると、これから墓参りに行く人たちの群れと擦れ違う。顔を見れば地元の顔見知りだったので、僕は他人の手袋をこっそり持ち帰った疾しさが悟られるのを恐れ、わざと顔を隠すように下を向き、顔見知りの群れに気付かれないように通りすぎようとした。
うまく群れをやりすごすと、今度は僕と同年代くらいの一組のカップルがチラッと僕の視線の端に留まった。
顔を上げてはっきりと相手を確認する勇気はないが、男女どちらにも見覚えがあったので、きっと地元の同級生だろうと思い、わざと気付かないふりをしてこのカップルもやりすごそうとした。ところが擦れ違う瞬間、カップルがふと立ち止まって僕の顔を覗き込むように見たので、焦った僕は不自然な小走りで逃げるように立ち去ろうとした。
通りすぎてもカップルがまだ振り返ってこっちを見ているような視線を背中に感じたので、僕もちらっと一瞬だけ後ろを振り返って相手が誰か確認した。
「お、おう? なんだお前らか」
懐かしい馴染みの顔があった。確認した相手の顔を見て拍子抜けした僕は立ち止まって二人に声をかけた。
カップルは僕の良く知るカップルだが地元の同級生ではない。なぜこんなところに? と疑問に思ったが、予期せぬ再会の喜びの方が大きかったので、その場でしばらく二人と立ち話をした。
「元気だった? こんなところで何してんの?」
僕らはそんな会話から互いの近況を報告し合ってひとしきりいろんな話をした。立ち話もなんだから、僕が二人に「よかったらこれから三人で飯でもどう?」と持ちかけると、二人は「これから二人きりでカキ氷を食べに行くから」と僕の誘いをあっさりと断わった。
多少気まずい空気が流れたな、と思ったので、しかたなく照れ笑いしながら「そっか、それじゃ、また今度ね」と二人に別れを告げ、なぜか道端に放置してあった車椅子に乗ってその場を去った。
二人に見守られながら慣れない車椅子を漕ぎ、最寄の地下鉄駅に向かう。田舎の田んぼの下に作られた一番ホームと二番ホームしかない小さな駅だ。
なぜか都合よく持っていた定期券で改札を潜り、人でごった返している狭いホームに無理やり車椅子を乗り入れて電車を待った。
利用客の多い路線なのに電車の本数が少ないので、長い時間電車の到着を待たされている客たちが次第に苛立ちを重ね、駅構内にピリピリとした不穏なムードが漂い出した。
「さっきからずっと待ってんのに全然電車来ねぇぞ」
一番ホームに立っている紺色の作業服を着た中年男性がホームの線路に唾を吐き、そんな独り言をぼやいている。ほどなくして二番ホームに電車が到着し、独り言をつぶやいた中年男性の前に満員の乗客を一気に吐き出した。それが中年男性の苛立ちを執拗に煽ったのか、中年男性は当たり構わず、あえて誰かに喧嘩を売ろうとする勢いで怒鳴り散らしていた。
騒然とする中、男性の怒りに呼応するように、まだマイクが入っぱなしになっている構内アナウンスから駅員たちのヒソヒソ話が大音量で洩れて来る。
長時間の残業、理不尽な減給にリストラ……。駅員たちは皆一様に鉄道会社の無軌道な経営方針に不平不満と憤りを募らせているようだった。
僕は構内にいる誰しもが何かしらの不満を抱えている駅のホームで、ただ一人勝手に道端から拝借して来た車椅子の処理に困っていた。
車椅子のまま電車に乗車したら他の乗客の邪魔になるだろうし、放置していくにしても狭いホームにはそのような行為に及べる適当なスペースがなかった。
ただ悩むよりかは、とりあえず車椅子を少しでもコンパクトにした方がいいと思い、僕は車椅子の各部位を渾身の力で無理やり折り畳み始めた。
両方の手の平を血塗れにしながら執念深く折り畳んでいくと、車椅子がなんとか空き缶くらいの大きさになった。そこへタイミング良く一番ホームの電車が来たので、僕は空き缶サイズになった車椅子を電車のレールを避けた線路内に投げ捨て、何食わぬ顔で電車に乗り込んだ。僕が線路に車椅子を投げ捨てたところを見ていた何人かの人が、僕に鋭い視線を送ってきたが、僕は開き直って「何がモラルだ。俺はこんな世の中にはもうとっくに見切りをつけているんだよ」と呟き、無表情に近い薄笑いでその視線を跳ね返した。
ドアが閉まり、電車が走り出すと、何故だか急に自分のした危険な行為に罪悪感を覚え、ついでに先祖の墓参りを済ましていなかった事まで思い出して、ひどい後悔の念に駆られた。
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