第14巻 弟子と禁呪と天狛の心
夕暮れが街を美しく染める季節、神社に併設された小さな児童公園のブランコに天狛は一人腰掛けていた。
白い体毛をオレンジ色に染めた野良猫が彼の足にまとわりついている。最近姿を見せる様になった、この神社の新しい住人である。名前はまだ無い。
「アンタの方が懐いてるやん」
織絵の手には小さな器があって、魚をすりつぶしたつくね状の小さな団子が盛られている。
「なんだ?それ」
「今日、氏子はんにいっぱいイワシ貰ってな。つみれ団子作ったり、煮付けたりしてたねん。今晩は天ぷらにしようかなって」
猫は魚肉のつみれを察知すると、すり寄る相手を変えた。
近頃、天狛がポケットに小さな袋のキャトフードを忍ばせて掃除に出るので、今日はあまりを差し入れてやろうと思った。
「猫、好きなん?」
片方のブランコに掛けて、織絵は何気ない質問をした。
「・・野良同士、気が合っただけさ」
二人の脇では、猫が一心不乱に餌を食べている。
「遠野、帰るんか・・?」
織絵はそう聞いて、地面を軽く蹴ってブランコを揺らした。
「いや。俺もあれから考えたが婆さんの言う通り、あっちじゃ今まで通り仕事だけはするよ。このままここに世話になるにしても、金ぐらい稼いで渡さなきゃ、カッコ付かんからな!」
そう聞くと、織絵は安心と不安が入り混じったような気持ちになった。
遠野の仕事は、命懸けの案件だってあるだろう。彼女の懸念はそこなのだ。
「やっぱり、ウチより若い娘のが好きなん?」
そう言われた天狛は、珍しく声を出して笑った。
「・・お嬢さんなぁ、お嬢さんは俺達の年齢からしたら下手すりゃ娘みたいなもんさ。それに乙女心と秋の空、なんて言うだろ?」
二人は秋の燃える様な空を眺めた。
「じきに、忘れた頃にゃ他に若くていい男なんて、いくらでも見つかるさ!」
「天ちゃん、あの娘は本気やで・・」
そこから天狛は黙り込くった。どの道、天狛は彼女が傷つかない様にこのまま離れて行こうと考えているのだろうと、簡単に予想は付いた。けれどそれが本当は一番辛い事を織絵は良く知っていた。
そして、女の扱いが下手なこの男に自分の話しは既に散々してしまっていた織絵は、逆に自分の知らない時期の、空白になった過去を知りたがった。
「あんた、女心わかってへんなぁ〜今までいい人、誰もおらんかったんか?」
天狛はしばらく間を開けて、自らの過去を珍しく語り始めた。
「そりゃ、いたさ・・一人だけな。でも死んじまったよ」
それから生きる気力を失った天狛は、以後自分が何処にいたか良く覚えてはいない。世の中を彷徨い歩く内に、詩織の祖母小百合に拾われたと言う。
「・・命懸けで戦ってる時間だけ、昔を忘れられた。でも、俺ももうロートルだ。今、あそこの若いのにいいのがいてな。そいつが一人前になったら、俺もお払い箱だろう」
織絵は何も言わず、ただ夕日の中の天狛を見つめている。
「その時はよ、なんかカタギの仕事見つけて、お前に安い給料笑われながらってのも悪くないさ!それに、やってみたかったんだ。一度まともな仕事ってヤツを。なんでもいいからさ!」
織絵と過ごした一月は、独りに閉じこもっていた天狛に昔の明るさを取り戻させつつあった。
自分が何者かを見失った時、自分を良く理解してくれた人間がいれば軸を取り戻す事は難しく無いのだ。
「その意気、その意気!それ!アハハハハハ・・」
織絵はブランコを漕いで、子供がやるようにサンダルを飛ばした。
猫がビクッとして、食後の微睡みを邪魔されたとでも言いたげにジッとブランコを見ている。
「何やってんだ!子供じゃあるまいし」
「天ちゃん!サンダル取って来て!」
二人の間で止まっていた歯車は、少しずつ動き出していた。それが果てしない昔の話に人は思っても、別れの日から二十年の時の流れなど些細であると、すっかり藍色になった空で星が笑っている様に瞬いた。
その光は、途方もない遥か昔の輝きが今この空に届いているのだから。
「なぁ、前から思ってたんやけど・・その子も家に入れたげたら?」
お風呂でシャンプーが条件だと、織絵は微笑んだ。
その夜、織代の神社に桃子の車が乗り付けられた。詩織と二人、呪術や術式の訓練を受ける為だ。
交代する様に天狛は元自宅、遠野の訓練施設に一時的に戻った。弓弦との毎週末の修行を再開する為だ。
「な、美味しい?天ぷらってなに揚げても美味しぃでな!?」
二人はまず手料理を振る舞われた。まるで妹達を招待した姉の様に、織絵は以前よりずっとにこやかに接してくれる。
「はい、とっても美味しいです・・」
野菜は家庭菜園で採れた物であり、キノコはスーパーで地の物を買って来たそうで、傘の小さなしいたけがコリコリと弾力があって大変美味だ。
詩織は感激して、黙々と天ぷらを口に運ぶ。
「バカ!あんた、パクパク食べてる場合じゃないでしょ?わかんないの?あの人まるで寿退社する直前のOLみたいな顔してるわよ!」
織絵がソースや塩ばかりではと、キッチンへ大根おろしの補充に行ってしまった隙に、桃子は天狛と間違い無く進展があったのだと自分の見解を突きつけた。
「そ、そうかな・・」
詩織は詩織で不安はあるが、天狛との事はお互い抜け駆けせず、時が答えを出すまで待つと言う取り決めをSNS等通じて約束している。
彼女はそれを反故にするような人ではない。戦ってみて、詩織はそれを良く理解していた。
「そうよ!アイツがまたおっきして・・」
「おっきってなんなん?」
織絵は具か何かかと思って、戻って来るなり眼を丸くした。
そこで以前温泉卓球での勝負の話しが出て、天狛が男性特有の理由で一時試合続行不能になった事を聞くと、大笑いして自分もいつかやってみると吹き出しながら言った。
「天狛さん!」
弓弦の声が響いた遠野の訓練所は、かつてバレエ教室だった所を小百合が趣味的に買い取った物件で、そこそこ広くて、小さな体育館とも言うべきハイソな空間がある。
もっともその分生活空間には限りがあるが、天狛には二部屋もあれば充分ではあった。
弓弦はもう身体を動かした後だったのか、一人天狛が教えた瞑想をしていた。
「悪いな、遅くなった!」
向こうから約3時間ほど、駅からは近いが乗り換えも大変なのだ。
「いえ、明日も明後日もありますから、久しぶりによろしくお願いします!」
弓弦はいつもこの調子で、少し中性的な見た目に反して小さな頃はヒーローに憧れ、天狛の事は現実のそれだと信じているフシがある。
姉の桃子とは丁度真逆の立ち位置であるが、もっとも家では貶し八割、二割は褒めているらしく「二割だけでもあの姉ちゃんが他人を褒めるのは珍しい」と語った事がある。
「天狛さん、姉ちゃんが見たって言ってたんですけど、さっそく雷の技を僕にも教えてください!」
そう言われると天狛はうむ、と返事をして外に出る様に促した。
「火事になったら婆さんに怒られるからな・・そうそう、桃子に見せた時よりパワーアップしたんだよ!いいか・・?」
庭先に出ると適当な石を置いて的として、天狛は以前より複雑な印を結んだ。これは織絵の影響だ。
「天狼・雷哮牙ッ!」
一瞬、大気から電気エネルギーが集まった。以前はコレがスパークするだけだったが・・今回はまるで狼の姿を成して飛びかかり石に噛みつく様にして砕いた。
「凄い・・カッコイイ!なんてカッコイイ技と名前なんだっ・・!」
弓弦は焦げてバラバラになった石を見て驚嘆した。この技の原理と利点は、自然にある電気エネルギーを精神エネルギーで操れる為狙い分けが自在で、命中精度の高さとそして、ついでにバージョンアップにより威力を増した事。
原理に関しては天狛自身がそれをまだわかっておらず、やったら出来てしまった為に教えるのが大変と言う事だ。
「まだまだ、弓弦は先に体力とか、格闘戦とか基礎の繰り返しだな」
「はい!」
弓弦は近所迷惑も忘れて、つい大きな返事をしてしまった。
弓弦は一連の天狛の技を体系化し「天狛流戦闘術」と勝手に呼称し、師である天狛もまんざらではない様子であった。
「次はいっぱい出して、天雷群狼牙・・とかどうかな?」
「むちゃくちゃカッコイイです!」
男同士は楽しい、遊びながらの修行の日々であった。天狛が鍛えた弓弦の拳を多少ながら演舞でもって合わせみて、確認した後は夜もすっかり更けていた。
湯を分け合って、食事は辺りに何もないので持ち寄りの食料で済ませ、とりあえず今夜は寝る事になった。
「天狛さん、僕やっぱり進学は辞めて、遠野に入りたいです」
眠りにつく前、以前から迷っていた進路に対する決意を弓弦は口にした。
勉強の出来ない子では無いので、天狛は内心は反対していたが、どうしてか聞いてみた。
「やっぱり・・僕は男ですから。詩織ちゃんだって無理してるし、僕が早く遠野のメインになれば姉ちゃん達に怖い思い、させなくて済みますしね!」
弓弦は本当に立派な若者で、内心ドッジボールの様にあっちこち飛んで行く自分が恥ずかしくなるのを堪えながら月並みな質問を返す。
「ご両親は?」
弓弦はにっこり笑って答えた。
「はい、褒めてくれました!だから僕は、いつか天狛さんみたいに強くなって、詩織ちゃんだけに苦労かけない様にして、そしたら天狛さんだって、僕の伯父さんになってくれたら・・」
彼は今天狛が置かれている現状がわかっていない。女は恋愛事では同性以外には箝口令が厳しく早く敷かれる。桃子は何も言っていないのだろう。
「え?いや、ちょ・・俺、伯父じゃなくてオッサンだから」
モゴモゴ言っていると、弓弦は不思議そうに言った。
「もしかして、天狛さんは姉ちゃんが好き・・とか?」
「いや、それはない!」
そこは天狛らしくなく、サッと答える事が出来た。ですよね、と笑ったら弓弦はおやすみを言って寝てしまった。
「カッコって、つかないよなぁ」
そうごちると、天狛も眼を瞑った。
翌日、織絵宅では教科書となる書物庫の掃除から修行が始まった。
それは、当時高校生だった自分も掃除を頼まれた所から術に興味を持ったからである。
「すっごい、ホコリ!」
「外ではたいて、干したろか。いい天気やし」
桃子はその後クシャミをして、またホコリが舞う。三人はいくらか持ち出してホコリを払い、開いて日の当たる所に並べた。
防虫剤は時折投げ込まれていたので、虫の被害はそこまでなく見た目より保存状態は良い。
如何せん、いつからあるかわからないぐらいの物もあって元から劣化していた。
「ウチも読んだり試したりして、大体覚えてしもたから今は読んでなかったからな〜」
織絵は二人にさっそくそれらを写本させながら、解説しようと思っていたのだが。
「ほな!先に桃子ちゃん、日干しが終わるまで歌の稽古しよか?で、昼ごはん食べてから始めたらいいやろ」
織絵は桃子に芸能の才能を見出しており、大晦日の舞台か遅くとも春の祭でデビューさせたいと考えて曲を二つほど作っていた。
「やります!師匠、アタシ頑張ります!」
そう言うと二人は多少広さのある本殿へ向かってしまった。勤勉な詩織は乾いた布巾で本を手にとっては拭いたりしていた。
「もぅ・・桃ったらそんな事、私達しに来たんじゃないのに・・」
そう不満の独り言をいいながら、詩織は書物庫全体も綺麗にしたいと思って向かった。
あそこには織絵の学生時代の教科書から、集めては読まなくなった漫画やらそれは雑多である。整理もしておきたい。
「まず窓を開けて・・」
暗かった倉庫に光が差した。ホコリが日光にキラキラと輝いている。
「ホウキでざっと落としてから、床を綺麗に拭いて出来たら湿気取りとか・・今度までに買って来なくちゃ」
詩織は家事の中では掃除洗濯は好きな方だった。躾もあるが、汚い物を見たら綺麗になるまでやる性分で何かが再生する過程に喜びを感じる。
だから日頃も他人なら諦めそうな染みも、何度も洗ってお日様に干してクリーニング屋の様に除去してしまう。
ドアを開けたまま窓に扇風機を風が出ていく様に配置して、ホコリを叩き落として掃除機をかける。
折りたたみテーブルに書籍を並べて、順番に並べ直していく。倉庫には色んな物があり、織絵の人生の側面が垣間見える。
雑多な古い段ボールは折りたたみ、捨てる事にして、メモにプラスチックのケースと書いた。
「結構、いるなぁ・・」
誰もいない寂しさか、そう思った事を口にしながらとりあえず今日の所の最終工程と見なした床を洗剤でまず拭いた。次は乾拭きで仕上げて行く。
「アレ?こんな所に・・学校で使ってたのかな・・」
棚の隙間に、古ぼけた大学ノートがあった。(織絵ノート・極秘)TOP SECRETとある。
そう書かれたら見たくなる。詩織は掃除を中断して内容を確かめた。開く前は学生時代の日記かな?等と思ったが、それは織絵が呪術と出会い学んだ事を書き留めた物で恐らく本人も忘れている物だろう。
「凄い・・凄い、こんな事まで!」
項目には色々あるが大別して美容健康・仕事・恋愛友人・お金等、朝の占いみたいな分け方であった。
思えば人間、その範囲にしか個人の幸せは転がっていない。呪術の入口に立った少女が考える事なんてまだまだ身近な事柄が多かったのだろう。
「凄いなぁ、西洋の魔術を複合したり自分で考えたり、実験の結果まである!それにコレ・・キューピットの矢?」
詩織の目に、少女時代の織絵が可愛いイラストと術式の図が飛び込んで来た。
「うわぁ〜!めっちゃ綺麗になってる!ごめんな、一人でやらせてもうて!じゃ、ウチらもするからパッと仕上げて着替えよか!」
それに、詩織を探して二人が戻って来た。
「あっ!はい、すいません!」
驚いた詩織は何故か謝罪して、ビクッと背筋を伸ばした。
窓を閉めて掃除用具を回収したら、お風呂でホコリを流して昼食。雰囲気を出すため巫女服に着替えてお昼からまず入門的な座学からやる予定だ。
「えっと、まずは呪術を学ぶ前に大事な事がいくつかあって・・」
織絵は指し棒を手に、技術の前にまず理念を語った。
「人を呪わば穴二つ、て本当で必ず利益と犠牲が存在するのね?それはどういう事かっていうと、言葉で話したら長いから図にしました」
願いとその反対は表裏一体で、生半可な呪術はどちらに働いてもおかしくない。
呪術の正しいコントロール装置は心。仮に平和を祈願しても術者の心に攻撃性があればそれは効果がない、または逆になる。
よって本質的に全て「禁呪」の類であると思って間違いはなく、失敗すれば使用者にはその責任と代償を払う義務がある。
と、言うより支払わさせる。
所謂ノーリスクではなく、れっきとしたシステムであり、まずシステムを理解しないと恐ろしい事もある。
呪術は術者の理解度や氣(補足あり)に効果が依存し、これらを高め、深めなければほとんど効果がない。
(補足)精神力、または自然エネルギー等複合的で体感出来る様になるまで説明不能。
「はい、と言う事でまず、術式の勉強の前に身の清め方と、氣を高める水の作り方から説明しまぁーす!」
織絵が言うには、洗面器に水を張り、精神を集中して氣を注入する。その際、色彩に注意すべし。
傷を治すなら緑、金運なら黃。これは風水的な表を参照出来る様にプリントが配られた。
「でね、イメージが大切!こうやって必ず時計回りで何度かかき混ぜながら水に氣が宿る様に祈る」
水と生体エネルギーの関連性はすでに指摘されており、アメリカの除霊師、所謂ゴーストバスターなどでは最終的に水に閉じ込める装置が使わていたりする。
「これを、できれば毎日お風呂でやってみて。ウチは毎朝、毎晩やるぐらいやから!」
ノートに書きながら詩織は疑問に思った事があったので挙手した。
「水やお湯はどうするんですか?」
「あ!浴びるのね、言うの忘れてた!飲んだらアカンで!それを、三回ぐらいかなぁ〜」
と言った後、織絵は次と言って続けた。
「次に大切なのが呼吸法。まず鼻でゆっくり吸って、おしりを締めて呼吸を止めて、ゆっくり口から吐く」
二人はノートにそれをまとめて書き記す。
「そこから精神統一の要領で氣を練ります、最初はわからないだろうけど、ある程度の段階で必ず掴めるから」
ここからは実践し、時間をかけなければ入口にも立てない。
「二人はまず、これを1週間やる事!後、ウチが言ってた事だけは死ぬまで忘れたらアカンで?」
そう言って講義は終わり、昼になっていたのでハーブティーが振る舞われた。特に紅茶には凝っている織絵だが、精神を整えるにはハーブティーや、お茶等の調合は重要なアイテムなのだと言う。
後は結局、女性同士の集いにありがちな話しをしてその日は終わった。
桃子に送って貰って、詩織は自宅に戻るとさっそく例の水垢離をして、分けて貰ったハーブティーを淹れた。
そして、昼間に見た術式ノートに記された恋のおまじないを思い出しながら眠りに落ちた。
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