第8巻 神隠しの街

 港街の夜、繁華街は日が変わる時刻になっても眩しいぐらいに輝き、駅前ともなると昼の顔とは違って様々な装いの人々が行き来する。

 だがそんな場所でも一つ二つと路地を曲がれば、突然暗闇が現れる。それは建物の影、街灯と街灯の間・・  

 どれだけ明るく照らしてみてもあらゆる場所に闇がある。それはある種人間社会にも似たコントラストなのかもしれない。


 そんな場所にスマホや何かしらに気を取られて入り込む事は、控えた方が懸命なのかもしれない。


「被害者は若い娘、依頼人はその親だ」


 天狛は本人としては意外な人物の訪問を受けていた。被害者の写真をテーブルに投げて、サングラスのまま男はコーヒーを啜った。

 私立探偵を営むこの印南と言う男は遠野の仕事で知った。二人の男に何があったかは今語る所ではないので割愛するが、彼等の間にあるのは友情などと言った様な生優しい空気ではないのは確かだ。


「どんな事件なんだ?」


 天狛がそう聞くのは、疑わしいのは誰だとか、他に被害者は?手がかりはどうだと言った調査の話ではなく、自分に関わりがあるような事件なのかどうか。

 人外の者が引き起こした案件なのか、と言う事だ。



「・・実は、失尾してな。そいつの特徴・・そうだな、口で説明するより早いだろう」


 そう言って、紙ナプキンに描かれた簡単な特徴を表す絵を写真の横に置いた。

 真っ黒で長細い身体、全身はタイツの様な物で服は着ていないみたいに身体のラインがはっきりしている。

 頭は円錐形でこれも真っ黒、それを縦に割って酷く臭う何かを吐いたり威嚇もすると言う。

 天狛が受けた印象からは、未確認生物やUMAと言った類に感じた。


「裏も取ってあるがあの街で女ばかり、失踪事件がいくつか起きてる・・俺はこの目でそいつを見たし、俺に情報をくれた警察の人間も、まるで神隠しだと言っていた」


 話を聞いて天狛も普通の事件ではないと理解したが、目の前のこの男が自分に協力を求めてくるとは思っていなかった。


「なぜ、引き受けた?」


 厄介な事件は個人や小規模な組織では解決は難しい。それでもこの手の話に限らず、厄介事は大手の事務所から二次、三次と下請け孫受けの形で話が舞い込む事もしばしばあるのだと言う。

 一匹狼を気取っていて、簡単に他人に物を頼む事を是としないだろう印南にしては無理をしたな。と言う所だ。


「俺に依頼して来た時点で、その手の事件だと依頼人から話があってな。行方不明扱いの娘の事はもう諦めている、だから報復が依頼の内容だ・・」


 印南はサングラスの下の眼をより鋭くして更に経緯を話した。 


 被害女性は不思議な事に、事件発生後しばらくの間SNS等を通じて外部に発信している。


真っ暗な場所に真っ黒い何かがいる、真っ黒い何かが自分を閉じ込めてる、そんな発信だったらしい。

 しかし、それは警察では手がかりとして反映されていない。誘拐ではなく、失踪という見解なのだ。


「そこで神隠しの都市伝説、そんな噂を依頼人は信じたらしい。それからあらゆるツテを頼って俺に行き着いた。藁にもすがる思いでな・・」


 目の前のゴツい男が、言わばフリーの立ち位置で自分と似たような仕事を受けていた事は天狛も知っていた。

 私立探偵が表向きの仕事、裏では怪異に満ちた事件を扱っていた。その実力はかなりの物で、天狛もそれを身をもって知っていた。


「・・しかし、お前みたいな人間が他人を雇ってまで掛かるって事は、そいつは相当強いんだな」


 だからこそ、そんな台詞が天狛の喉を突いて出た。 


「いや、強いかどうかは知らん。・・速いんだ」


 彼が事件が多発した周辺、そしてその時間帯に張り込みをしていた際一度だけ出くわしたそうだが、悲鳴を聞いて暗い路地に駆けつけると女を抱えて走る【それ】を見つけた。追跡するも女を投げ捨てた途端、【それ】は追いつける様な速度ではなくなった。

 そして、曲がった所で見失い隠れられるような場所は隈なく調べたが忽然と消えたと言う。


「だから人手が必要になった。こいつ・・名前わかるか?」


「いや、まったく見当も付かん・・と言うか人間が被り物してるだけかもしれんだろ?」


 印南は、黙ってさっきのメモをトントンと指で叩いた。頭が割れて、何か吐き出すと書かれた箇所だ。


「まあいい、ウチには話付いたんだろ?だったら行くよ。まずは取っ捕まえて警察沙汰なのか、俺達が始末するか決めりゃあいいだろう」


 天狛がそう言うと、次に印南は店の外を無言で指差した。すぐに隠れたつもりだろうが、天狛には詩織だとすぐにわかった。

 印南は天狛とは別ベクトルで無口な男だが、天狛とは違い商談ぐらいはまともにする、そうでなくてはフリーランスなど務まらない。

 彼は突然、遠野の家に現れて天狛を名指しで捜査の協力を依頼して来た。そしてあの店で二人で話しを詰めていたのだ。


「音に聞いた遠野の当主が、あんな若い娘だとはな・・天狛、俺は帰る。後で事務所に来てくれたらいい、じゃあな」



 詩織はアウトローじみた印南がすこぶる怖かったらしく、店の外には居らず天狛が出ようとした時に現れた。


「どこに隠れてたんだ?」


「隠れてはいませんけど・・」


 近寄り難い、と言う事なのだろう。詩織は続けて聞いた。


「天狛さん、私も行った方が・・」


 だが、祖母と二人で対応した際は天狛一人数日貸してくれれば良いとの事だった。

 印南自身も天狛の実力を認めている証拠でもあり、他の人間は必要無いと言う意味でもある。


「いや、ヤツから聞いた話しじゃ来ない方がいい。大体、家でドンと構えてりゃイイんだ!いつでもな」


 そう言って、天狛も去って行った。足手まといの自覚はあるが、それでも心配してしまう。

 彼等はそんな世界に生きているのである。


 


 古い倉庫街の中の一つ、そこにアーバンス印南探偵事務所と言う文字があった。開けざらしのシャッターの中にアメリカンタイプの単車があり、バスタブが無造作に置かれていた。

 古臭いハードボイルド探偵小説の世界そのままで、とても客を迎える趣きなど無い。


「・・あいつ、ちょっとおかしいな」


 天狛はそう感じたまま声が漏れた。中に入ると、まともに灯りが点いているのは中2階だけで、硬く高い音を鳴らして鉄製の階段を登った。


「俺だ、来たぞ。表のアーバンス印南ってなんだありゃ?お前マンションのオーナーにでもなったのか?」


 天狛は挨拶のついでに聞いてみた。それが都会、都会的なだとか意味ぐらいはわかっていたが。


「探偵事務所や、弁護士事務所みたいな飛び込み客ばかりの商売は大概そうだ・・さ、無駄話しはいい、お前はこいつ持って現場行ってくれ」


 そう言って天狛を事務所から追い払う様に出すと、自分はバイクで一人で出て行った。

 シャッターはオートで閉まる、どう言う仕掛けか設備投資はそれなりにしている様だ。


 印南は詳しく語らないが、あ行から始まれば電話帳で急場で追い詰められた人間の目先につきやすい。今となってはそれも前時代の名残りに過ぎ無いのだろう。


「・・無線機か?」


 袋には他に資料が入っていて、地図にコンパスで円が引かれた紙、そこに類似案件の発生箇所の点が赤いマジックで塗られていた。

 少し気色が悪いのは、ワイルドを気取る割に字が丁寧で小さく可愛い事、無駄に絵が上手い事等、天狛がゴリラと評する見た目とのギャップが感じられる点だった。


 捜索する移動ルートは天狛→と記されてあり、印南→が反対方向から向かいあっており、その横には時間が指定してある。

 ローラー&サンド。地道に歩いて挟み撃ちと言う事だ。すべて夜中の9時以降、深夜にかけて行なわれる。


「こんな雑な作戦、うまく行くのかね?」


 そう思いながら、ポケットに紙を押し込んで最初の配置に向かう事にした。



「・・聞こえるか?」


 無線に音が入った、その範囲で計算された配置だ。


「ああ、聞こえるよ」


 ガガッと言うノイズを交えながら、二人は確かめる。


「後は地道にやるしかない、頼むぞ。もし見つけたら、店の看板やらで場所を言ってくれ」


 その時が来れば行動はすべて咄嗟になる。印南はとっくにこの辺りを何度も歩き、位置の確認や土地勘を養っている。

 店の名前、方向だけ聞けば対応は充分できる。


 だが、この日は何か得られる事は無かった。


「明日、また同じ今日と同じ事をやるだけだ、お前はカプセルホテルかなんか、好きにしてくれ。領収書はウチの名前でいい」


 そう伝え終わると、無線は勝手に切られた。

 


 そんな事を結局、数日繰り返してなんの成果も無かった。

 天狛もこの辺りをかなり覚えてしまうぐらいには繰り返し繰り返し、捜査は行なわれた。

 そして、四日目の0時過ぎに遂に【それ】は動き出した。一瞬、印南の視界で何か強く地面に光る物が落ちて、女の身体が宙吊りになって動いている。      

 女を持ち上げているそれは、体色から闇に溶け込んで見えていないだけだ。そしてそれは通りのはずれから左側へと曲がり移動していた。




「どこだ!?」


 それだけ、無線に飛び込んで来た。遂に【それ】が現れたのかもしれない。


「あ、あれだ!あれ、焼き鳥屋、青い看板の大人のビデオ屋!」


 天狛も慌てて周囲を説明し、目に付いた物をマイクに叫ぶ。


「こっちはシャッターだらけの通りでクロを見つけて追ってる、お前は向かって左に一つ折れてこっちに向かってくれ!」


 そう聞くと、天狛はパン屋の門から・・と頭で考えそこは古い住宅が立ち並ぶ狭い通りだった。


「・・本当にいた!」


 街灯に照らされてぼんやりと見えるが、頭が三角に伸びて細長い何かが女を抱えて走る。ゆったりとしているフォームで、向こう反対側から追っている印南はまだ見えないほどに速い。


「スピードなら負けんぞ!」


 こっちに向かってくる黒い怪人に向かって走ろうと思ったが、急に考えを改めて立ち止まった。


「印南、そのまま走って来い!通りの一つ前の家の前で待ち伏せる!」


 そして、天狛はタイミングを計ってまず女に飛びかかった。その時、【それ】と仮称されていた怪人は派手に横転し、驚いたように地面に這う形で手をついた。


「良くやった!」


 印南が【それ】に掴みかかる、しかし手足で四足歩行し、しばらくすると立ち上がるとまた走り出した。


「女の一人歩きは気をつけな!」


 そう言って、女をそのまま置き去りにして天狛も追って走る。


「天狛、ヤツは広い通りに出た!あの速さじゃ逃げられる!」


 吐息混じりに無線がそう聞こえた。


「本体を狙うべきだったな!」


 ミスを自白する天狛にいや、とだけ印南は言った。被害女性に怪我をさせる恐れがあるなら、あの判断は間違いではない。

 二人は無理を感じながらも走った。すると、なにか大きな音とブレーキ音がした。


「う、うわぁ~!」


 飛び降りてきた運転手が叫んだ。轢いたものが異形のなにかに見えて、恐怖に駆られたのだろうか。


「立て!」


 遂に、印南は胸ぐらを掴んで捕まえた。しかし、自分が以前説明した特徴を失念してしまっていた。

 車に轢かれた衝撃で、ガタガタと細い身体を震わせながら頭を大きく開いて印南に向けた。


「・・ダラァッ!」


 走って来たまま、天狛の飛び蹴りが印南を救った。悶絶する黒い怪人、印南は車の持ち主に立ち去るように伝えたら、彼は何度も頷くと慌てて車を出した。


「すまんな・・」


 見事なタイミングの飛び蹴りに印南が素直に礼を言い、二人はもう年貢の納め時だと薄暗い通りで黒い不気味な生物をしばらく観察する様に眺めた。

 すると、あの三角の頭の先端が伸び始めた。


「なにをするつもりだ!」


 そう言って天狛はヴァジュラを懐から取り出した。


「なに!?」


 その先端は近くのマンホールの蓋を軽々と持ち上げ、ズルズルと身体を蛇の様に動かせてその穴に入って行こうとする。

 そこで印南は瞬時に以前取り逃がした理由を理解出来た。


「待てよ・・」


 駆けよった印南はマンホールの蓋を捕まえてそう言った。

 不思議な事に、あの怪人もマンホールの蓋を離そうとはしない。


「よっと!」


 天狛のヴァジュラが伸びて、その本体を下水溝から引っ張り出す。まだ何者かわからない、それはこれから確かめて口がきけるなら喋らせなければならない事は山ほどあった。


 しかし、ヨロヨロとやっと立っているそれを印南が何も言わずに殴った。あの黒い生物はダメージはあるのだろうが、軟体生物のように身体をくねらせて姿勢を元に戻そうとしている。




「人間じゃないな!」


 天狛はそう言った後、こんなゴリラに殴られたら生きてる方が人間としてはおかしいからだと付け加えた。

 その証拠だと言わんばかりに頭を手にした得物で突く。


「・・どうやら、仇は取れたな」


 黒い身体が、一瞬膨らむと爆散した様に黒い霧になって散って行く。 

 それを見届けた後、印南はそう呟いてサングラスで眼を隠した。







「おい、印南・・あれでよかったのか?」


 沈黙の後、天狛はそう切り出した。印南に来た依頼が、事件の究明では無いとわかっているが依頼人が納得してくれるか疑問だった。


「遺留品が、この辺りの下水から出てくるかもしれん・・信頼出来る捜査担当者に売り込んでおくさ」


 信用してくれるのか?と言う目線を送ると、印南はまともに話すつもりは無いと言って続けた。


「言って無かったか?俺は元警官だ・・」


 それだけ言うと、彼は二本の指を立てただけ別れも言わずどこへと去って行った。




 しばらく後になって知る事になるが、一般の報道では謎だらけのミステリーの様にセンセーショナルに取り上げられ、結局事件の顛末は世間に何も知られぬまま、遺品だけでも家に帰してやる事が出来たのだと、騒ぎになった一連の報道で天狛は知る事になったのだった。



 


 






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