第6巻 すき焼きの後は肉じゃがを

 


 詩織にとって、問題がなにも無い事が問題であった。

 ここの所事件は立て続けに起きて彼女らの仕事はそれは忙しい物だったが、近頃は遠野が管理している封印の定期監視だけで天狛に頼む様な物騒な話は聞いていない。今しがた帰って来た祖母に挨拶する為玄関に向かっても当然天狛はあの喫茶店で別れ、こちらに顔など出す事はなかった。


「ただいま」


 祖母もそれだけだった。


「どうかして?」


「いえ、なにも・・」


 自分を見つめる詩織のせがみたい事は、察して取れるがこの役目を詩織に代われば天狛は二度と来ないだろう。

 その辺りの事に思案を巡らせると、連絡手段を敢えて持たない天狛はなるほど人嫌いらしく外堀の深い人物だとよく分かる。



「天ちゃんの顔見たかったら、理由なんかなんでもイイから突撃あるのみよ?」


 そう言って、祖母は簡単な地図をくれた。


「・・でも、いきなり行って用事がなかったら、怒られてしまいます」


 そう言って、不安気に地図を見た。目的の駅だけの路線図、湖畔に矢印で建物位置。

 これで分かるのだろうか?向かいに目印となるポストがあるそうだが。


「ああ、あそこはねおばあちゃん、昔趣味で買ったんだけど、いつか引退したら小さなカフェとか・・そうでなくともヨガとかしたりしようと思って!」


 バブル崩壊後、下落しやすかった地方のリゾート。そんな一軒で、バレエ教室だったらしく建屋にオシャレで小さなスタジオが組み込まれているんだそう。


「仕事が中々放してくれない我が身でね、だから遠野で仕事する人の、修業の場って名目であのコ囲ってんのよ」


 それは、詩織にも使用の権利があり、最近は弓弦も訪れては訓練してもらっているらしい。


「そんな・・!私、聞いてません!」


 聞かれなかったから、と笑いながら祖母は答えて一つアドバイスをくれた。



「じゃあ、なんか持って・・日頃の労いに料理でもって押しかけたらイイわよ。そうね、すき焼きなんか簡単かつ喜ばれるわ」


 詩織はあまり料理は得意ではない為、出来るだけ簡単なチョイスをしてそう言った。

 引っ込み思案な彼女は、黙り込むと激しい演算を始めていた。遠野の修業の場であり自分は一応管理者、管理者の責任もあるし、慰問ぐらい当たり前の事!

 ここまでいくつかの絆も紡いで来た、自分はまだしも出来る限りの良いお肉はそう邪険にも扱えぬハズ・・


「・・まあ、頑張んなさいな!」


 そんな孫を見て、もう少し自然に心一つでぶつかれば良いのに先が思いやられるな、とため息に滲ませた。





 その夜台所には詩織が立ち、献立はすき焼きであった。





 翌日、野菜類は地元で評判のスーパーで、肉は乗り換えのターミナル駅前の百貨店で仕入れ満を持して出陣となった。

 服に悩み時間に迷い、昼過ぎに到着予定である。想像では出迎えられ、買って来た肉に喜ぶ天狛の姿、お茶が出てきて話には花が咲き、二人で鍋を囲み、出来るだけ引き伸ばすそうすれば車も無いから・・



「イケる・・!」


 列車に揺られながら、詩織はイメージを総括して手応えを感じていた。

 天狛の仮住まいの最寄駅、そこから湖を背にたった数分。ほとんど家も無い寂しい場所にポストが見えた。



「・・あった!アレ?」


 ポストから振り返れば、天狛の住処なのだが見知らぬ車が目に映って困惑した。

 赤いスポーツタイプの車で、そこから隠れて見えないが庭に置かれ椅子に誰かいる。



「女・・?」


 年齢で言えば天狛より少し上ぐらいか、長かろう髪を後ろに纏めてタバコを蒸している。

 美女ではあるが、なんというかドスの効いた姿で簡単に言えば夜の蝶、そんな感じのする人物だ。


「まさか・・同伴とか、よくわからないけど穢らわしい事をここで!?」


 人家は少ないが、木陰は多い。それに隠れて、あまり詳しくはないが夜の世界の事ぐらい聞いたり読んで知ってはいた。

 しかし、天狛が酒を嗜むのは聞かない。いままでも呑んでいる所は見た事はない、しかし仕事中はやらないだけかもしれない。


「あんた、何してんだ?」


「うわ!私すき焼き食べさせてあげようと思って、覗くつもりはありませんでした、でも!」


 背後から声を掛けたのは、ビニール袋に洗濯物を抱えた天狛だった。

 この近くにホテルがありそこの近くでコインランドリーと小さな売店があって、何もない此処ら近辺の心細いライフラインになっている。


「天狛さん、あのひと誰ですか!?」


 一瞬取り乱したが、天狛の顔を見るなり問い詰めた。それが無くともあの女性に直接仕掛けるつもりであった。

 自分は管理の責任がある、部外者の出入りは許せないと自分に言い聞かせて。



「ああ?女だぁ?」


 天狛もわからなかった。


「俺ぁ、これ待ってて今帰って来たんだ。とりあえず、行ってみりゃわかるだろ」


 洗濯物は大きなビニール袋2つと、クリーニング屋の袋も下げている。

 正直、猜疑心が先走るが天狛の背中に付いて行った。





「久しぶりだね、天狛俊・・」


「あんた、誰?」


 二人が姿を現すと、その女性が何者か把握していなかったが向こうは名前を知った相手だと言う妙なやり取りがあった。



「アタシだよ、・・約束の物を貰いに来たのさ」


 約束の物?二人はそれぞれ頭の中で考えた。


「グズだねぇ、後ろの娘・・遠野の家の人間かい?」

 

「・・香の匂いでわかるんだよ!」


 固まっている二人に、赤い口紅がひかれた唇を動かして仕方ない様子で続けた。



「あれ?・・お前、妖狐か?」


「稲荷陽子だ、浮世じゃそう名乗ってるって言っておいたろ・・」


 そう言うと、自己紹介代わりに瞳を金色にして詩織を睨む様に見つめた。


「怯えて・・可愛い娘じゃないか!」


 天狛の背中で服を掴む詩織をあざ笑う様に稲荷陽子は言った。

 可愛いとは恐らく姿形ではなく、慄く姿だろうか。



「・・ああ、あんときからいくらか溜まったな。部屋にあるから取ってくるわ」


 そう言うと天狛は詩織を一人にした。



「何故、私が遠野とわかるのです?」


 恐る恐る、詩織はそう質問した。天狛が自分を一人にすると言う事は取って食うつもりは少なくとも無いのだろう。


「・・アタシが何年生きたと思ってんだい?」


 高笑いして、彼女は続けた。


「あんたの先祖だって、アタシぁ見た事あるんだからさ!」


 確かに、どこか前時代的な話し口調だと思う。外見はかなり今風だが、口調と言う物は生きた時代を引きずると言うかアップデートが遅くなりがちで、それは天狛にも感じられる時がある。


「おいくつ・・なんですか?」


「29」


 陽子はそう、即答した。恐らくそこでカウントをやめただけだろう。 



「おい、壊してくれるなよ!」


 部屋から戻った天狛は、ヴァジュラを手渡してそう言った。そうすると嬉しそうに笑い、どこか部屋を借りると言ってヅケヅケ上がり込んで行った。




「天狛さん、どう言う事なんですか!?」


 詩織は詰め寄って問いただした。


「どう、ってお前の所の仕事で何年か前にかち合って・・まあ色々あったが利害が一致したから取引しただけだ」


 妖狐を討つ、それはかなり難しい仕事だが天狛ならやりそうだ。だが、天狛の話しに依ればあくまで第三勢力的に介入して来ただけで、簡単に言えば物の怪同士のいざこざが事件の発端らしく、まだ協調出来るのがあの女だっただけ、との事らしい。


「俺も、自分で使っておいてなんだが・・ヴァジュラはお前らの道具と違って、たまに掃除が必要だと思うんだよな」


 掃除の意味がわからなかったが、何か穢落としなどして貰うのだろうか?



「ふぅ〜美味いねぇ・・若返りには妖気が一番さね、エステ要らずだわ!」


 恍惚と延べながら、陽子が帰って来た。


「終わったか、早食いなんだな」


「俊、お礼にアンタの硬くしたら、それも食べてやろうかね?」


 一瞬、フワッと詩織の髪が動く。天狛はヴァジュラを触り、確かめる様に伸ばしたり鞭の様に変えたり、ヌンチャクにして振り回した。


「確かに、レスポンスが軽くなった様な気はするなぁ・・」


 マイペースにそう呟いた。


「で、そっちの娘の用事はなんだい?」


「え、私は天狛さんにすき焼きを・あ!」


 ビニール袋を覗くと幸いドライアイスはまだ煙を出している様に微かに残っていた。


「天狛さん、冷蔵庫!早く冷蔵庫に!」


「ああ・・はいはい」


 天狛はまたドアを開けて、袋を持って中に入っ゙行き台所ついでにお茶を準備した。

 カップが足りないので、何かの容れ物だったカップを自分に充てた。




「・・アンタ、あの男好きだね」


 まあ座れと言うから、そうしたなり悪戯に陽子は言って笑った。


「アッハッハ!見りゃわかるさ、でもダメだねェ」


 ビクッとした詩織は、すかさず何故か聞いた。


「アンタ、遠野の今の当主なんだろう?ならアンタの命令で、あの男が死んだらどうするんだい?ヤバい話しだって、いくつかあるだろうからねェ・・」


「その時は、私も生きていません」


 詩織は凛としてそう言った、時が来ればはっきりするがとりあえず覚悟は本物なのだろう。




「そこ、それがダメ。重い!単なる自己愛でしか無いだろ、そんなモノ」


 鼻で笑い、つまらなさそうに陽子は肘をついた。


「なっ?」


 そんな風に言葉を詰まらせた詩織に、黙って名刺を1枚取り出して、ツ・・と指でテーブルに滑らせる。

 そこには名前の他、連絡先として会員制のバー、ウェブ上の彼女のプラットフォームが記載かれていた。


「(美魔女っ娘)ヨーコさんの恋愛相談室・・?」


 なんだろう?と言う顔の詩織に、陽子は言った。


「アタシャ見ての通り、人間がまだチョンマゲだった頃から男、誑かしたり夢見せてやってたんだ。あれこれ相談に乗ってるウチに効率よくやる様になったのさ!」


 それは今現在かなり閲覧もあり、人間社会とのビジネスとして成立しているのだと言う。


「は、はぁ・・」



「さっきの答え、教えたげるよ・・あんな捨て鉢の命知らず、元気で危なっかしく見えて女の気は惹くけどね、だったら生きたいと思わせてやんなきゃ」


 最初は半信半疑だったが、陽子の理屈は理にかなっていて聞き入ってしまった。

 自分の為に、または関与する形で男が命を落とすなら女は身体も心もすべてで愛してやるべき。


「あの、合コンで自分に群がる男共を全部振る為だけに来た女みたいな、かぐや姫だって、石上中納言には心動かされたろ?」


 難題の一つ「燕の巣の子安貝」、それを探して命を落とした皇子で、唯一誠実な男であった。




「ん・・ホラ、コーヒー淹れてやったぞ」


 お盆を持って家から出て来て、飲んだら喋ってないで解散しろ、と天狛は二人に差し出した。


「アンタねぇ、そんなだからやもめ暮らしなんだよ!」


「あの、よろしかったら三人ですき焼きを食べませんか?」


 詩織もまだ居たいので、そう言ってせがむ。


「でも、店もあるからね・・まあちょっと遅刻するか。最悪、電話なり来るだろうしねぇ」


 会員制の強みで、こんな時は訪れる客が催促してくれる。それでもこんな事は中々しない、彼女なりに責任感もあるからだ。


「鍋なんかキツネと食って・・エキノコックスとか、怖いんだぞ?」


「アタシぁ北海道出身なんかじゃないよ!」


「あ・・俺、じゃあちょっと玉子買って来るわ。近くに無人販売所あるから・・」


 今日会った時から変だと思ったが、気の抜けた炭酸飲料のような・・いつもの仕事の時に見る天狛と少し違って言ってる事は変わらないが当たりが柔らかい。

 少なくとも多数派の圧力や、民主主義的な意見に従う人ではないと思っていた。




「・・な?アンタ、あいつの猫舌忘れて玉子買わなかったろ!」

 

「はい・・」


 陽子曰く、それは婚活相談に見る年収問題にも繋がるのだと言う。

 まず、より「快適」にしてやり、良い「仕事」をさせて「収入」を増やさせる。

 その為に才能を見つけたら磨き、輝かせるプロデュース能力を女、まして経営者なら高めて行かないといけない。

 この順番を踏まえて無いから幸せになれない、見つかったとて年収で人を買うなら金が無くなれば何が残るのか?と陽子は言った。



「まあ、ヤツは仕事は出来るよ。遠野にゃ金の卵さ!大事にしてやんな」


 その為には快適、愉快な暮らしを与えいつまでも現世に執着せしめ、出来るだけこき使う時間を引き伸ばす事。そのためにまず「健康」「目標」「環境」が男に必要である。と陽子は言う。



「後ね、すき焼きを作るなら・・」


 そう言って陽子は詩織の耳にゴニョゴニョと耳打ちをした。





 詩織の作る「すき焼き」は、先に具材を焼く関西方式で、脂を鍋に敷き、肉、白葱・焼き豆腐などの野菜類などを火が通る順番を考えてざらめを少し、そしてすき焼き用に調合したタレを投入する。

 野菜から水分と肉から旨味が出たら椎茸、春菊にしらたきなどを随時入れてしばらく煮る。


「はい、出来ました!」


 台所で野菜を切り初めて、1時間と半分。部屋中に良い香りが立ち込めて来た。


「たくさん、食べてくださいね!」


「すき焼きなんか久しぶりだねェ!」


 陽子も興奮気味だった、何故なら彼女もまた「最近はとり憑きたい男がいない」と、クロワッサン読者の末路の様な暮らしで、消費に複数人要るメニューからは疎遠になっていた。

 恋愛指南などする人にありがちな、自分は独身貴族と言う典型の人物である。


「はい、玉子・・」


 コンコンと、詩織は玉子でテーブルを叩き小皿に中身を落とす。ぷっくりと黄身が浮いたそれを混ぜるかどうか任意であるため、そのまま渡した。


 よし、そうだ。と陽子は頷く。


「お肉はまだまだありますから・・」


 そう言って詩織は台所に向かって、冷蔵庫から肉を取り出し戻ってきた。

 天狛は無言で、それでも食べてはいる。美味しいかどうか、それは言わないし問わない様にした。


「あ、そうだ・・金、払うよ」


 と、だけポツリと溢したが、会社主催の会食みたいな物と、詩織はやんわり断った。

 ご飯が保温期間が過ぎ、三人分・・と思った時に詩織は戦慄した。


「お茶碗、三つも無い!」


 しまった!そう思った、ここまでのパーフェクトピッチング、完全試合まで後僅かな時間それは起きた。


「ああ、いい!いい!ご飯なんか最後おじやで、このお皿で食べりゃいいんだからさ」


 陽子はそう言ってくれた。


「でも、うどんが・・」


 ご飯を相手にすき焼きを食べ進め、うどんで〆としようとしたのだが。


「いいさ、先に入れて具にしちゃいな。なぁ?駿」


「まあ、いいんじゃないか?辛いけど」


 じゃあ、と言う事で少し水で割ったわり下を差した。

 次々と投入された肉に野菜、豆腐も手伝ってご飯のおかず仕様から丁度良くなった。



「じゃあ、おじやにしましょうね?」


 三人とも会話も忘れてかなり食べていた。だからご飯をそこまで入れず、余った玉子を落として鍋を掻き回す。

 鍋物のグランドフィナーレである。



「ごちそうさまでした!」


 三人の声が揃った後、陽子は時計を見て言った。


「あ、アタシ悪いけど店開けないと・・駿、今日はありがとね、お嬢ちゃんも!」


 そう言って、詩織のわきを抱えた。


「あの、私・・片付けがありますから!」


 そう言ってグズると、耳元でまだ早い、と囁いた。


「片付け、タダ飯なんだから任せりゃいいのさ、なぁ?」



「・・わかった、今日はありがとうな」


 天狛はそう言って、鍋に器を詰めて台所に向かって行った。


「ほら、忘れ物無い?行くよ」




 そして車の中。


「言われた通り、やっといた?」


「はい、でもなんで肉じゃがなんですか?」



 天狛はコンロの上にあった心当たりの無い鍋が、火は消えた後だが汗をかいている事に気がついた。


「肉じゃが・・」


 確かめると買い置きのジャガイモが減っていた。




「男なんて、案外外食してるからね。ああ言う方が効くんだよ・・憶えときな!」


 そう言うと、アクセルを踏み込まれた車はエンジンを力強く唸らせて夜を駆ける様にテールランプを引きずって消えて行った。




「婆ちゃん・・」


 天狛の祖母は生前、肉じゃがにあまり肉を入れてくれず、幼いあの日これは「ジャガ肉」だと言って頭を叩かれた。

 そんな事を天狛は思い出していた。

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