第4巻 桃子と弓弦
天狛は久しぶりにこの門の前に立った。詩織の住まい、古風な日本家屋で遠野の屋敷の立派な門である。
街の北側のこの辺り、かつては鬼門とされ今は裕福な邸宅が並ぶ地域となっていた。全国どこでも金持ちは山手、高い所が好きで天狛はこの場所があまり好きになれない。
「天ちゃん、いらっしゃい。言った通り勝手に入ればイイのに」
「今、そうしようとしてた」
天狛は人間嫌いなのかわからないが、他人の家を訪れる、その身内に会う等はまた極端に嫌う。だから仕事の話しは急ぎなら直接天狛の住処へ、そうでなければ例の喫茶店で、決まった日に落ち合う形を取っていた。
彼も知らず知らずの内にそうなった様で、案外心の在り方に深刻な問題があるのかもしれない。そんな彼の理解者であるこの家の主自ら、さもありなんと約束の時間に出迎えてくれたのだった。
「今日はなんだ?」
仕事の話しでは無い事は、天狛も察していた。
本当は呼びつけられるのはあまり乗り気になれないし断りたかったが、この女性の期待には中々背を向けられないでいた。
「天ちゃん今日からね、私の孫二人正式にウチの仕事する事になったのよ」
今日はその顔見せ、と言う事らしい。天狛はぶ然そんな事か、と言った表情で無言のままだった。
庭を歩いて縁側に着くと、丁度奥から数人出て来た。先頭は詩織と同じ様な年頃の長身の娘、その後ろはまだ少し幼さを残した少年の様で、二人共振る舞いからは今の所育ちの良さを感じる。
続いて、妙に辛気臭い面持ちで詩織が現れた
。
「こちら、さっき話した天ちゃん。天ちゃん、二人とも私の孫で桃子と弓弦・・桃子は詩織と同い年で、ゆずるは弓の弦と書いてゆずるね」
天狛は二人の姿を直接見ようとはせず、そうか。とだけ応えた。そこに間髪を入れず桃子がつっかけに足を入れて庭に降りた。
「天狛さん、私桃子です!弟と、これからよろしくお願いします」
真っ直ぐこちらを見つめてそう言われても、何をよろしくなのかわからないがとりあえず頷くぐらいには反応しておいた。詩織とは違い、プロポーションからも若さと自信に満ち溢れて活発そうだ。
「じゃあ、今日明日にでも四人で行ってほしい仕事があるから・・」
その声に、天狛の頭は素早く振り向いた。
「研修、のようなモノでしょうか?・・天狛さんがいてくれればあぶない事も無いでしょうから」
詩織がそう、天狛の背中に伝えた。その声が少し重く聞こえるのは、実は彼女も天狛と同じく突然だった二人の申し出には困惑していたし、天狛と二人きりの時間が無くなる事や従姉妹の桃子と少し溝があった事に起因している。
「あの、天狛さんボク達頑張ります。よろしくお願いします!」
その弟、弓弦はそう声を張る。どう断るか思案していた天狛は諦めたようにその笑顔を見つめていた。
条件付きでなら、と天狛は2つだけ伝えた。一つ、天狛なりのやり方に文句は言わない。また、指図しない。二つ、ダメだと思ったらすぐに解散。
「俺はこの家が誰を使おうが知った事じゃないし好きにやったらいいが、役に立たないヤツや芽がないと見なしたヤツのヘマは一切手を貸さん。それで良かったら、だがな」
弓弦の眼を見ていて、なんとなく流されるようこれでもまだいくらかは譲歩したつもりの条件である。本来ならキッパリ断っていただろう。
詩織一人でも大変だったし、他人が自分のストレスになる事を心底嫌う天狛にしては一応受け入れただけマシであった。
「ありがとうございます!」
二人はそう言って、さっそく祖母から渡された資料を見つめた。内容はよくある様な話しで、最近開通したそうだが事故が多発する道路。
事故の当事者達は生首を見ただの、白い着物の人物が飛び込んで来た、あるいは真っ直ぐ道を走っているつもりが対向車線に飛び出したなど、これも良く目に耳にする怪奇現象だった。
「場所は?」
弓弦はそう聞かれて、地名を読んで聞かせた。それを確かめるなり天狛は勝手に出て言った。
「あ、あの天狛さん、依頼して来た人に接触しなきゃダメですよ」
当然、天狛が返事などするハズが無い事を今日までの事で知っていた詩織はすぐに玄関に回ってそこに掛けられていた自分の道具と手荷物を取って追いかけた。
「移動しながら見ろ、て事じゃないの?」
姉の桃子にそう言われ、弓弦も気がついた様に慌てて準備して挨拶を言った。
「おばあちゃん、行ってきます!」
急いで駅に向かえば天狛は捕まる、と二人に声を掛けた後、祖母は一人満足気に笑って言った。
「迅速!迅速!商売繁盛!」
結局、駅に天狛の姿は無く詩織には追いついた。
「あのオジサンは?」
桃子の言葉にムッとする詩織、だが桃子は見透かした様に軽く眉を上げた。
「彼の事だから、直接事件現場に向かってると思う、そう言う人だから。私達は、依頼した人と会ってから行きましょう」
「皆で車で行けばいいのに、そっちのが早いわよ。かさばるのよね、荷物・・」
遠野が使う道具は、姿形は丸々古来からの武器である刀や弓だ。もっとも特殊な加工がされ、定まった呼称はないが退魔具、祓い道具等と言われる性能を有する。
彼女の得物は薙刀で、詩織と弓弦は弓を得意とする。全て封じられて手荷物として安全
保管されている。
「乗り換えは、特急なら一本だから・・向こうには2時には着くよ」
険悪な二人の後ろでスマホで色々確認した後弓弦は、特急に乗ったら先方に連絡してみようと言った。
「ありがとう、弓弦くん。先方様へは私が・・」
そう言いかけると、「これも勉強だから」と制止する弓弦に姉の桃子共々変わらないな、と詩織は苦笑した。
子供の頃はよく3人で遊んだ物で、「三つ子の魂百まで」は本当にそうだと、笑ってしまった。
「ウチの名前出せば大丈夫、てゆーけどさぁ・・」
桃子は一際長い自分の道具をして、柄になく不安なのかそう呟いた。
「証明するものもあるから、大丈夫よ。今までだって何か言われたりしなかったから」
そう言って、二人は離さぬよう抱きかかえた道具に気を遣いながら車内の椅子にかけた。
遠野は70年前までは国家が認めていた組織であるから、今そうで無くともある程度理解や認知も残る。こう言った公共機関には特別に公認されてはいる。
だから銃刀法等に特別に抵触しない、と詩織が説明すると、桃子は知った事をとばかりに普通なら凶器集合罪だと返した。
「だから車の方が良かったのに!」
また、と弟の弓弦が窘めると桃子は声を我慢できずに出してしまった。
3人が特急で現地に向かう一方、天狛は私鉄で全く別ルートを走っていた。実は県境から少しの駅からバスが出ていて、それは3人の到着するであろう駅まで路線が伸びている。
乗り換えは面倒だが一番近く、早いかは別として人が少なく空いている辺鄙なルートだ。バスに乗り換える前に駅前なら買い物もしやすいだろう。
「遠足の引率なんぞ、たまらんからな」
人の乗り降りもまばらな、静かな景色を眺めながら天狛はそう吐き捨てた。
3人が目的地に着いて、改装途中の駅舎からロータリーに向かうと役所の車が来てくれていた。
そんなに遠くはないと、運転をする若い男性が言い、続けてお若いので驚いたと助手席に座る初老の男性が溢した。
「はい、もう一人向かっていますので、私達はアシスタントの様なものですから」
詩織は不安視する担当者を宥める様にそう口にした。車はずっと山手に向かって走り、比較的新しい、切り拓かれた土地の住宅地を抜けていく。
目立つ様にマンションも立っていて、そこにも駅があった。都市化計画を推進し、新しい街が出来たのだろう。古い農家なども点在していたし、さしずめ自分達が降りた駅は旧市街地と言う所か。
「あ、この道なんですね!」
「ええ、もう少しで小高い山に挟まれた・・それから抜けて少しカーブがあって、その一帯で・・」
資料とスマホで地図を確認して現地が近いと言う弓弦に反応したものの、事件が理解し難いのか担当者達は説明し辛い様子だ。
ただ、この道はその先に工業団地を拓き、多くの企業が誘致されているらしく、封鎖も難しいと言う。
「あの、私達は現地を見て自分達で調べますので、お二方はお引き取りいただいて結構です」
車が停まるとそう言って詩織は担当者二人に礼を言った。
「しかし、この辺りなにも無いですよ?」
街は開発したがまだまだこれからの部分は多くあり、まず宿泊施設がない。飲食店すら、さっき通って来た歩けば遥かな駅前が賑わっているだけだ。
ここらはほとんど、ただ山と森があるのみである。
「いや・・所轄にもこちらからお話して起きますので、何かあれば。よろしくお願いします」
そう言うと、初老の男性の方は名刺に地元警察署の電話番号を書き込み渡してくれた。
そうして、また車に乗り込みもと来た道を帰って行った。
「公務員ねぇ・・」
時刻は昼の3時、そう伸びをしながら桃子は続けた。
「で、どうすんの?」
「地図に書いている部分、とりあえず歩くしか・・注意しながら」
いつも天狛がやる事だ。それにゲェっと反応する桃子。
「弓弦、お姉ちゃんの持ちなさいよ!」
「えー?ヤだよ、自分で持てよ」
仲が良いのは知っているが、緊張感がない。現場を知らない事にはそんな物だろうが、普段天狛のあの鋭い眼と強張った背中とは正反対だ。
「行きましょう」
道を歩くと、確かに実情が見えてくる部分もある。ガードレールが大きくへこんだり、事故発生の立て看板に酷いものでは小さなバス停に突っ込んだのか片付けの途中であったりした。
詩織自身あまり運転はしないが、見晴らしが悪いなども無いと感じて眼鏡を取り出した。
「なんにもないわ・・」
桃子は結局、弟に荷物を投げて汗を拭きつつ虫よけスプレーを肌に吹き付けて最後に胸元を引っ張った。
「桃、ちゃんとしないと・・」
「なに?アンタも使う?」
薄手の大きな帽子を振って、詩織は桃子の態度に不服を表した。
「ちょっと、二人とも仲良くしてよ!」
重い荷物と二人の険悪さに、やっと追いついた弓弦は叫んだ。とにかく、少し休もうと提案して目についたバス停の椅子に誘った。
「時刻表だけ見とけば、迷惑にならないから」
そう言って、交差点の脇にある古ぼけた半開きの小屋の様なバス停に3人は入り込んだ。
「え、ちょっと汚い!クモもいるじゃない!?」
さっそく桃子が文句を言ったが、弓弦は聞いてられないと時刻表を見た。バスが来たら停まらないで済むように出る為だ。人気はないからここなら荷物だって置いておいて問題ないだろう。
歩いて来た新しい道を斜めに交差しているこの細い道は、昔からあるのだろう。路線図には先々の小さな集落が書かれていて、時間より日で数えた方が早いくらい本数はない。
幸いだ、と詩織は弓の包みを解いて矢じりをねじ込みすぐ弦を張れる様に準備をした。
「フン、そんな事しなくていいわよ。なんかあったら私が薙ぎ払ってやるから」
そう桃子は強気で言うが、詩織はこう言った。
「私達は仕事で来てるの、競争じゃない。いつもの調子ではダメよ、何があるかわからないんだから」
やはり良い顔をしない姉の隣で、引っ込み思案で大人しかった詩織が昔よりずっと大人だなと弓弦は感じていた。
仕事をするって、本当に経験になるんだな。と考えていたその時。
「あ、詩織ちゃん虫!」
「え?いや、え!?取って!イヤ!取ってぇ!」
肩に虫ぐらいでと、桃子は扇子で追いはらった。
「お礼ぐらい、ほしいわね!」
「・・ありがとう」
二人は本当に何か壁がある。自分が小学生だった頃はあんなに仲の良かった二人なのに。
「・・姉ちゃん!」
フン、と横を向いてまた扇子を開いてヒラヒラと仰ぐ姉に、弓弦は理由を聞いても無駄だな、とため息をついた。
「あ・・!」
詩織はまだこの季節にしては暗くなるのが早いな、と腕時計を見る。
それは時間ではなく、霧雨程度少し振り出したと気付いた。
「ちょっと〜どうすんの!中止?」
天狛はもう近くにいるだろうか?彼ならこの程度では引き下がらない。
「二人とも。朝おばあさまから聞いたけど、このバスが来たら乗って、終点の一つ手前で降りて。そこに小さな旅館があるから今から電話したらいいわ」
「詩織ちゃんは?」
合点、電話しようとした弓弦は詩織が気懸かりでそう聞いた。
「私は・・天狛さんを待ちます。一人に出来ないから」
「ヤダヤダ、アンタ・・本気なの?あのオジサンに!」
そう桃子はバカにするように茶化した、しかし詩織は至って冷静に仕事だからと答えた。
「あ、でもバスは1時間はかかるし、その間に天狛さんも来るかもしれない。もしもっと振って明日からにするなら四人予約しよう!最悪、四人分払ったてイイんだからさ!」
そんな風に、さっき初めて顔を見た天狛を気遣える弓弦の優しさに詩織は微笑んだ。
そして、さっそく弓弦は電話を掛けて宿の者と話し始めた。
「ちょ、ちょっと!アンタ達・・」
桃子は霧がかった雨の中に何かを見た。それを慌てて二人に伝えようと、叩いたり押したり忙しく騷ぎだした。
「えっ!?」
「うわ、ウソ!?出た!」
弓弦は実は初めて見る、武者の亡霊であった。それは一人また一人と現れて、驚きながらカメラを向けてしまった。
「バカ!そんな場合?」
桃子はするりと薙刀を取り出し、一人雨の中に飛び出した。弓弦もカメラに何も映って無いと言うと短刀を取り出した。
サブウェポンなのはうっかり弓を準備していないからで、詩織も慌てて弦を張った。
「見てなさいよ!」
弓弦がカメラで見た様に、実体がないと知るや桃子は力強く薙刀を振り払った。2体纏めてそれを消し去る。
更に走って頭上から振り落とし、もう一体。だが、手応えは無いと思える。
「なによ、こいつ等!」
鎧武者の亡霊は、霧雨の中にぼうっと何事も無くまた現れた。
「やっぱり!本当だったんだ、車載カメラには何も映って無かったって!」
打ち下ろされる刀を、短刀を両手で使って防ぐ。そこに詩織は至近距離で射った。それだけの自身はあるし、ましてや目の前だ。
「桃、弓弦くんが立て直すまでお願い!」
「わかってるわよ!」
驚いた弓弦が、立ち上がっても桃子は小さな小屋を守る様に薙刀を振るう。
しかしキリが無いものを相手に、唇を拭った。
「おかしい、まったく効かないなんて・・まさか何かの幻術?」
詩織はそう感じて退路を確保して弓弦達に後退させようとしたが、その道その物が見えなくなっていた。
「そ、そんな!?」
そんな時、弓弦は足元に何か痛みを感じて悲鳴をあげた。
「弓弦!しっかりしなさい!」
すぐに桃子は弟の前に駆け寄ると薙刀を防御の構えに取った。彼女も追い込まれているのだ、打って出て消耗するればもはや後がない。
「天狛さん、どうすれば・・」
亡霊達が二人ににじり寄る中、弓を構えて天狛の名を心で何度も呼んだ。
「姉ちゃん、逃げろ!」
弓弦の叫びに、つい否定しようと桃子が振り返ってしまい一斉に亡霊達は襲い掛かる。
「やめてーー!」
詩織の叫びに呼応すかの如く飛んで来た槍は、天狛のヴァジュラだった。亡霊は一度消えたが、当然蘇り標的を天狛に変えた。
「天狛さん!」
詩織は安堵してその名前を呼ぶが、天狛は亡霊共を引き付ける様に丸腰で攻撃をただ躱すのみだ。
「どうすんの?あの人!」
桃子が疑問に思っていると、天狛は懐から何か取り出し大声で言った。
「おっと!お前達にはこれが目に入らないのか!?」
それは何か小さな小さな動物のようだ。その頭を持って、突き出した。
「・・え?あれ、タヌキの・・子供、なの?」
呆気に取られた詩織達の目には怖がって苦しそうに鳴くそれと、攻撃を中断する亡霊共が見えていた。
「では、この物騒な連中にお引き取り願おうか・・!」
天狛がそう言った途端、亡霊達は消え去り雨も止んだ。いや、最初から雨も降っていなかった。
「・・さぁ、本当の姿を現せ!さもなくばこのガキの頭からケチャップが飛び出すぞ!?」
天狛は周囲を見渡しながら、そう言った。するとガサガサと音がして、足元を黒い影が走り回っているのがわかった。
「皆の者・・待て、よもや人間がここまで卑劣とは」
暗闇からゆっくり現れたのは、そう人の言葉で放つ巨大な狸だった。
「我らの里を荒らし、子供まで盾にするとはなんと破廉恥な・・」
「騙し討ちのお前さん達に言われたくないね!」
すかさず天狛は言い返した。動物は早くて何十年か月の光を浴びると妖力を身に着けると言う。これが古くは日本書紀にも著された化け狸、怪狸と呼ばれる妖かしである。
「ウソ・・なにこれ?」
「タヌキが人を化かす御伽話しって本当だったんだ」
桃子も弓弦も驚くあまり固まってしまった。我にかえった詩織は、天狛に叫んだ。
「天狛さん、その子を放して!あなた、恥はないのですか!?」
天狛はそう言われると、ニヤリと不敵に笑い黙って睨み合う大狸に言った。
「俺だって鬼じゃないし、狸畜生だって子供を殺すほど外道じゃない。・・もちろん、お前達の態度次第だがな!」
そう言って力を少し入れたのか、子狸は悲鳴の陽に鳴き声を上げた。
「キュューッ!」
すると、一匹仕切りに落ち着きなく騒ぐ狸がいた。前足を上げてなんとか届くハズもない天狛の手の中に延ばそうとしているようだ。
「あの子のお母さんだ・・きっと」
「ちょっとアンタ卑怯よ!?」
「フフフ・・・ハッハッハ・・ハーハハハハッ!」
天狛は仲間からの罵倒も高笑いで払うのみ。そして狸達がなぜ子狸一匹を見捨てる事が出来ず手の内を明かしたか滔々と告げた。
「お前達はこの道路が出来たで縄張を分断され、光を見たら立ち止まる習性から何匹もこの場で轢き殺された!堪りかねた怒りを、長!何年生きたか知らんが妖力と知恵を付けたお前が群れに幻術を教え、皆で人間を追い払おうと画策した!」
「その通りじゃ、お前の様な悪魔から仲間を守る為に・・の!」
そう言われても、天狛のニヤけた顔は歪まなかった。
「最初の目的が、そうであるならば子供一匹見殺しには出来まい。その甘さで、俺をこの場だけでだまくらかしてやり過せば、いずれまた同じ事をすればいい。そう考えているな?ハッハッハ、所詮は畜生、浅はかだな!」
原因は突き止めた。役所を使ってここら一帯の汚い害獣共を根こそぎ狩れば、守るべきものが無くなったお前はどうするかな?
「天狛さん・・」
そう続けた天狛の非情さに、涙を堪えられなかった詩織は膝から崩れた。それを二人が支える。
「この人でなし!アンタ最低よ!?」
桃子は心底そう思って叫んだ。ほとんど初対面だから仕方がないかもしれない。
「悪魔め・・」
大きな年老いた狸は、眼を閉じて口惜しさにそう漏らすしかなかった。
「ならば・・その悪魔が契約してやろう!我々人間としても、お前達後から後から湧いてくる奴らを追いかけているほど暇はない。そこで娘!この道路を挟んだ山と山に、橋を掛けると誓え!」
「・・え!?あの、出来ると思います!」
それが解決に繋がるなら、報酬を減らしても遠野からも提案する。そう詩織は言った。
「そして、狸共の長よ。群れの狸に葉っぱ1枚で幻術を使わせるほどに教練出来たお前に、橋が出来たらそれを使わせる事は容易いな?」
そう投げかけられ、多少困惑したが了承するしかなかった。
「では交渉成立だ・・!」
そう言うと天狛は子狸を放した。それはさっきの母親と思しき狸に力無く歩みよりなんとか辿り着いた。
そして狸達のガサガサと草を揺らす音が遠くなっていった。
「へぇ~、契約ってそう言う物なんですか!」
バスの中であまり良くない道に揺られながら弓弦は感心していた。
「じゃあ、もう化けて出ないんだ?」
「いや、物の怪や妖かし、神の類と人間の約束は絶対だ。それを破れば命に関わる。だから、反故にすりゃまたやるよ奴らは!」
今回の場合祟りがあるならそれは自分で、もし行政がケチッて橋が出来無きゃいっそ道路ごとぶっ壊すしかないと素朴な桃子の問いに天狛は笑って答えた。
「天狛さん、許してください・・私、私・・命懸けだなんて知らなかったから」
そう、卑怯者呼ばわりした事を詫びる詩織。しかし、天狛は他に方法が思いつかなかったと言った。
「連中とのやり取りは、とにかくテーブルに付かせる事が難しい。情緒も倫理も人間とかけ離れているからな・・仕方ないんだよ」
まさか本当に全て駆除するほど、自分は動物愛護の精神は欠落してない。環境保護の観点からも行政ひいては人間側にもその程度の義務も慈悲もあるだろうと、動物用連絡橋に期待するしかないと語った。
そんな話しをしていると中々良いと評判の隠れ家的温泉宿の明かりが、バスの車窓から見えて来ていた。
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