第55話 アイリス・オルテンシア②

 ――ばしゃりと髪を洗い流す水の音で意識が現実に戻って来る。


「…………」


 結局、私は愚かなまま捕まってニメア様の足を引いている。

 本当に救えないとはこのことだろう。

 やはり自害すべきだ。


 私などいなくても問題はないのだ。


「……それでもニメア様は、何かできることがあるはず、死ぬなとおっしゃるのだろう」


 でも、こんな私にいったい何ができるというのだろう。



 風呂の後は食事が出された。

 腐れた人の出すものでなければ、絶対に手をつけないだろうと思ったが、出て来たのはヴェルデ国の伝統料理だ。

 サラダとスープから始まり、主菜は肉料理。

 そこにパンやキトゥリノから来る米などが添えられる。


「…………」

「お口に合いませんでしょうか」

「いえ、信じられないほどしっくりきます」

「そうでしょう。これらは全て、エスタトゥア様がお好きなものでした」


 そう言われると、美味しさを楽しんでいた気持ちがしぼんでしまうのでやめてほしい。

 しかし、これは美味しいですね。

 イードールム・ヴェルデ1世が王族だという話を信じるのなら王族の食事。


 脱出できるかはわかりませんが、いざという時の為に食い貯めておくのが良いでしょう。


「おかわりください」

「かしこまりました」


 別に美味しいからではありません。本当ですよ?

 いつもなら5回ほどおかわりをしますが、3回で済ませましたから。


「お食事の後は、何をなさいますか?」

「では、散歩に」

「かしこまりました」


 王墓の中は意外に広く、迷路のような構造になっているらしい。

 普通の墓だったはずだが、イードールム・ヴェルデ1世の力によりこのようなことになったのだとか。

 おそらく私を逃がさないのと、侵入者を撃退するためであろう。


 入口まで連れて行ってもらったことがあるが、見事に砂に埋もれていた。

 この砂自体がモンスターらしく、無手の私ではどうしようもない。

 そんな砂がこの王墓を埋めているらしく、私が自由行動を赦されている理由がわかった。

 逃げ出したところで、この王墓からは逃げられないからだ。


 ならば兵力の方を確認すれば、こちらはほとんど何もない。

 おそらく砂のモンスターを突破できるとは考えていないのだろう。

 突破したところで自分がでれば片が付く。

 なるほど、確かにこれは難攻不落と言っていい。


 ますます、私が自害した方が良い気がしてきたな。

 私の命は軽いぞ、すぐ死ぬぞ。


 問題は、私につけられている侍従か。

 死ぬまでの時間を稼ぐ必要がある。

 あるいは、私の味方に引き込むことができればいいのだが。


「ふーむ、どうしたものか」

「いかがされましたか?」

「いえ、何でも」


 いかん、つい声に出してしまった。

 そうだ、情報収集としてエスタトゥアという人物について聞いておくことにしよう。

 一応、街でもエスタトゥアという初代聖女については聞いたことがある。

 それと照らし合わせておこう。


「ああ、いや。エスタトゥアとはどのような人物でしたか」

「エスタトゥア様は、不思議な方でした。聖女らしくなく、奔放な方で、感情の起伏が大きな方でしたね」


 期待していなかったが、きちんと侍女はエスタトゥアについて把握していたようである。

 もとがイードールム・ヴェルデ1世だからだろうか。

 あるいは、彼が生前のエスタトゥアの侍女でも再現しているのかもしれない。


「なにより――」

「嘘が嫌い、ですか?」

「はい。エスタトゥア様は、嘘がなによりもお嫌いな方でした。故に……」

「故に?」

「なんでしょう。わかりません」


 ふむ……。


「なにかなさいますか?」

「……イードールム・ヴェルデ1世に会えますか」

「もちろん」


 イードールム・ヴェルデ1世の所へ行く。

 エスタトゥアを想われている今なら、色々と聞けるかもしれない。

 エスタトゥアの真似をすればいいだろう。

 私は真似は得意だからな。


「おお、我が妻エスタトゥアよ。どうだ、良い眺めであろう」


 彼がいたのは、自分の遺体が収められていた場所を大いに改造した玉座の間であった。

 もとからある石造りの広大な空間には今や、砂が満ち、黄金に変化した偉大なる謁見の間を作り上げている。

 ここにいるだけで頭を下げたくなるという心理的効果もありそうだった。


 どういうわけか窓からは緑豊かな都市が見える。


「これは?」

「覚えていないか? 我が城から見たヴェルデの風景だ」

「ヴェルデは砂漠の国では?」

「今やそうだ。我がバースクーラが呑み込んだ。我が裏切り者どもにはお似合いの国と言えよう」


 どうやらヴェルデ国は昔は窓から見えるように緑で溢れる楽園のような国であったらしい。

 それをこのイードールム・ヴェルデ1世が砂漠に変えてしまったようだ。

 裏切りものどもへの復讐ということらしいが、それにしたってやりすぎであろう。

 もちろんここでこの王の機嫌を損ねたら大変なことになるから、言わないでおく。


「それで、私をどうにかする儀式の準備は整いそうなのか?」

「ああ、我がエスタトゥアよ。もちろんだとも。ついにおまえを取り戻せる。我が光よ。明日の朝には儀式ができる」


 正直気持悪い。

 砂の怪物にそんなことを言われても何も響かない。

 いや、落ち着け。

 まずは弱点を探ろう。


 明日の朝になる前に、何もわからなければ自害するとしよう。


「聞いても良いですか」

「なんだ、我が妻エスタトゥア」

「あなたはどうやったら殺せますか」

「殺せぬ」

「本当に? 私が嘘が嫌いと知っていますよねー?」


 エスタトゥアではないが、エスタトゥアだと思われているのならそれも利用しよう。

 なに真似は得意だ。

 口調は、どうやらちょっと間延びする感じらしい。

 クローネが近いだろうか。

 あれを私がやるとなると羞恥心が大きいが仕方なしだ。


「そうであったな、我が妻エスタトゥア。我を殺す手段はある。しかし、それは不可能だ。なら嘘ではない」

「本当にぃー?」

「ああ、本当だとも、我が妻エスタトゥア」


 どうやら殺す手段はあるらしい。

 そして、それは不可能だという。


「その手段、教えてほしいなー?」


 媚びてみよう。

 確か、友人になった娼婦がこう胸を寄せて谷間を見せつけてやればいいと言っていたな。

 それを正確に真似してやる。


「むっはー!」


 ガン視された。

 わかりやすいな、こいつ……。


「そ、そこまで言われては教えてやろう、余は不死の匣を持っておるのだ!」

「不死の匣ー?」

「ああ、もちろんそれがどこにあるかは教えぬがな。余と余の家族しか開けられぬ」


 なるほどなるほど。

 私が不死の匣と言った時、イードールム・ヴェルデ1世の視線が微妙に壁の方に動いたのがわかった。

 玉座の背後の壁。きっと何かあるのだろう。


 友人となった商人を暗殺しようとした暗殺者と友人になって覚えた技術だが、役に立ちましたね。

 まあ、あの暗殺者なら私のように話題に出さずともこの部屋に足を踏み入れた瞬間に、あの場所に何かお宝があるとわかったことでしょう。

 所詮は、私は劣化の偽物真似ということですね。


 しかし、どうしたものか。

 不死の匣。

 開けられるのは、イードールム・ヴェルデ1世の家族だけとなると奴がどの時代の者としても今の時代に生き残ってるはずもない。

 つまり開けられない。

 だから倒せない。


 そもそもどのように不死を与えるものなのかわからない。

 開けた者を不死にするのであれば、どうしようもない。

 匣というのだから、何か修めているのか。

 不死にするための道具か、不死の為の核か。


 どちらにせよ開けられなければ意味がない。


 いや、もしエスタトゥアのことを家族と思っていた場合は、どうだ?

 偽物の私ではだめかもしれないが、儀式後ならば開けられないか?


 問題はエスタトゥアが開けてくれるかだが。

 エスタトゥアはこのヴェルデの初代聖女だ。

 聖女ならば国の危機を見過ごすだろうか。


「ここでも聖女頼みか……」


 それしかない現状に私は……。


「儀式の時間だ。我がエスタトゥアよ」


 無為に時間は過ぎ、私は儀式の間へと連れていかれる。

 抵抗は無意味だった。


「さあ、闇の精霊よ、我が魂の片割れ、エスタトゥアを現世によみがえらせるのだ!」


 そして、儀式が始まる。


 侍従が砂に融けて床に広がり、何らかの術式を描いてゆく。


 闇が私を取り巻いて、どろりとした何かがしみ込んでくる。

 誰かのきおくが、見えて、私が、私以外の何かへと――。



 その瞬間、天井が破砕された――。

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