第54話 アイリス・オルテンシア①

 私は、聖女が嫌いだった。


 私たちの価値を奪った聖女が嫌いだった。


 私たちの意味を奪った聖女が嫌いだった。


 私は、神に選ばれた聖女が嫌いだった……。


 ●


「お風呂のお時間です。エスタトゥア様」

「だから、エスタトゥアではないと……」

「あなたはエスタトゥア様です。お風呂はお気に召しませんか?」

「いえ、お風呂には入らせてもらいますけど……」


 私ははイードールム・ヴェルデ1世に攫われたあと、なぜか風呂に入れられようとしていた。

 大がかりな儀式の準備ということで、イードールム・ヴェルデ1世が危害を加えられるわけでもない。

 むしろ大事にされている。


 今も監視かもしれないが侍従がつけられていて、流石に武器の類は奪われてはいるものの、王墓の中を自由に歩くこともできる。

 逃げ道を探り放題ではないかと、私はここぞとばかりに王墓の中を歩き回った。


 だが、わかったことは脱出は現実的ではないということだ。

 王墓の中というには、えらく綺麗で大きな風呂につかって溜息を吐きながら、身体を洗われていると実家を思い出す。


 ニメア様に仕えるようになってからは自分でやっていたが、久しぶりだな誰かに身体を洗われるというのは。

 ふむ、良い洗い方だ。

 ニメア様をお洗いする時の為にも参考にしておこう。


 そこまで考えて自分の置かれている状況を思い出してまた溜息が出る。


「気に入りませんか?」


 人形の侍従はそれを気にしたのか能面のような顔を傾ける。


「いいえ。問題はありませんから続けてください」

「はい」


 自分は虜囚の身。

 明日も知れぬ中で、価値を高めようとしてどうするのだ。


 ああ、まったく私という奴は……。


 私に、私の家に、聖女の護衛騎士というものに価値はない……。


 聖女に護衛など必要ない。

 オルテンシア家に求められていることなどただの肉盾、壁だけ。

 そして、足かせになること。


 聖女という強大な力を持った存在に対して、もしもの時、人質としてその足を引くための存在でしかない。

 それがオルテンシアという家だった。


 最初から、私に意味はない……。


 オルテンシア家が見続けてきた聖女たちは皆、誰もが国の為に、己の使命に忠実だった。

 このような足枷などなくとも、彼らは裏切らない。


「ああ……」


 ふと風呂の気持ち良さに意識は過去へと飛んでいた。


 ●


 私はオルテンシアの家に生まれた。

 オルテンシアは、聖女の護衛騎士を務める家系だ。

 その性質上、女は武術を学ぶことになる。

 女の方が聖女と親しくなれるからだ。


「私の可愛いアイリス。あなたもいつかきっと聖女様の護衛騎士を務めることになるわ」


 母は先代の聖女ヴェルジネ様の2代目護衛騎士を務めていた。


「ふふ、凄いのよ、ヴェルジネ様の護衛騎士になったの」

「すごーい!」

「ふふ、ありがとう。あなたも努力していればきっと聖女様の護衛騎士になれると思うわ」


 母はヴェルジネ様の、聖女の護衛騎士になれたことを喜んでいた。

 母は純朴で、オルテンシアのことを楽観的に考えていた。


「ヴェルジネ様はすごいわ。とっても素早いのよ。負けないようにしなくちゃ」


 母はそう言った。


「もっと頑張らないといけないわ。ヴェルジネ様に頼りにされているんだから」


 母はとても楽しそうにヴェルジネ様のことを話していた。

 けれど、どんどん憔悴していってもいた。


「私……何ができるのかしら。ねえ、可愛いアイリス、どう思う?」


 幼かった私は、何も言えなかった。


「私たちに意味はない……父の言ったとおりだった……。可愛いアイリス。あなたは私にはなっては駄目よ」


 母はその言葉を最後に、自殺した。


 それ以来、私はずっと父に言われてきた。

 ずっと兄に言われてきた。

 

「オルテンシア家に意味はない。どれほど剣を鍛えようとも、どれほど魔術を鍛えようとも、役に立つことはない」


 そう何度も何度も言われてきた。

 私に価値はない。

 私に意味はない。


 オルテンシアは護衛騎士なのに守られる、護衛騎士の恥晒しで偽物まがいもの。


「それでも……」


 それでも……。

 それでも――。


 私は、少しでも価値が欲しかった。

 私は、少しでも役に立ちたかった。

 私にはいる意味があるのだと言いたかった。


 だって、父上の顔が。

 だって、兄上の顔が。

 とても悲しそうだったから。


 何より母の為に。


 だから、幼い私はふたりに言った。


「私が聖女に勝ってみせます!」


 それはふたりには何もわからない無知な子供の言葉に聞こえたことだろう。

 でも、私は真剣だった。

 母を自殺に追い込んだ聖女に、私たちはすごいのだと認めさせたかった。


 私は努力した。

 必死に必死に努力した。

 誰よりも剣を振って、誰よりも魔術を訓練して。


 わからないこと、できないことは、とにかく他人の真似をした。

 優れた人の優れた部分を。

 天才の天才たる部分を。

 怪物の怪物たる部分を。


 そうすればだれかの価値が私の価値になるように思ったから。

 それでも兄は悲観的だった。


「それで、おまえに何ができるんだよ。聖女には敵わないんだ。もうやめとけよ」


 兄にそう言われるのが悔しくて、そう言わせる聖女のことを嫌いになり続けた。


 ヴェルジネ様が亡くなり聖女を継ぐとなって急遽お会いしたのは、ニメア様がまだ12歳の時だった。


 子供だと思った。

 聖女らしい子供だと。

 これならば勝てるのではないかと思った。


 今思うと大人気ない。

 私は本気で、まだ12歳の子供に勝とうとしていたのだから。


 剣も魔術も騎士の中では私に勝てる者などいなかった。

 だから、12歳の子供の聖女ならばと思った私の浅ましさが破壊されたのは、護衛騎士として聖女の城へ引っ越したその日の夜とガリオンの討伐の時。


 表向きを忠義の騎士を演じながら、私は機を待っていた。

 まさしく、偽物の護衛騎士だったわけだ。


 その時、訓練場で剣を振るう誰かがいた。

 夜遅くに、そんなことをするだなんて奇特な者もいるものだと思った。

 あの得体のしれない男かと思ったが、もっと小柄で、それはニメア様だった。


 一心不乱に、何かに憑りつかれたように剣を振るう姿は鬼気迫っている。

 ただそれ以上に、私は見とれてしまった。

 幼い体躯で剣を自分の両腕のように繰り、岩をも砕く剛の剣技を放つ。

 月光の中で雪のように輝く髪が揺れる様は、さながら妖精が踊っているかのようだった。

 それが終わったかと思えば、今度は魔術を使う。


 気がついた時には私は逃げていた。

 目を背けたのだ。

 そんな意味などないことを沈黙平原で味わった。


 自分の力が意味のない無価値なものであったのだと、あの戦いで実感した。

 母の言っていることは正しく、父と兄は私の為に何度も言ってくれていることをようやく認識した。


 ニメア様はそんな私にも、できることがあるとおっしゃってくださった。


 どこにそんなものがあるというのだろう。


 私は聖女が嫌いだ。

 神に選ばれた聖女が嫌いだ。

 神様に選ばれて浄化なんて力を与えてもらって、それで私たちから価値と意味を奪っていく聖女が嫌いだ。


 夜に訓練場に行けば、必ずニメア様がいる。

 一心不乱に剣を振るっている。

 新しい剣をまるで子供が玩具を買ってもらって、それに夢中になっているとでも言わんばかりに。


 やめてくれと思った。

 これ以上私から、何もかもを持って行くのをやめてくれと思った。


「聖女ニメア……」

「っ!? あっ、こ、こんばんは、アイリス」


 突然現れた私に驚いたように、彼女は目を見開いている。

 少しだけ頬に朱が刺しているのは、秘密の特訓を視られたという羞恥からだろうか。

 そんなニメア様に、私は問いかけていた。


「……どうしてですか?」

「はい?」

「なぜ、それほどまでに訓練を? こんな夜遅くまで。やらなくていいじゃないですか。貴女はもう十分に強いのに」


 ああ、本当に私という者は酷い。

 私はニメア様の足を引こうとした。


 そんなことすら知らないニメア様は、少しだけ考えるようなそぶりを見せて答えた。


「わたしを育ててくれた大切な人に、約束したからです。誰よりも強く、誰よりも完璧な自慢の聖女になってみせると。今でも足りませんよ、もっとやらないといけないくらいです」

「…………」

「あとは、これ以外にやることなんてありませんからね。それに聖女として任された以上、わたしはこの国の全てを救いたい」


 ああ……本当に、私はなんて愚かなのだろう。


 私は、努力している。

 それは聖女だって同じだった。

 聖女だってたくさん努力している。


 そして、背負っている。 

 私の理由は、なんて小さいのだろう。

 目の前の少女は、なんて大きいのだろう。


 こんなものにどうやって追いつけばいい。

 こんなものにどうやって勝てばいい。

 こんなものからどうやって私たちの価値を取り戻せばいい。


 聖女が嫌いだと目を背けていられれば良かった。

 そうすれば、こんな思いになることもなかった。


「アイリス? どうかしましたか?」

「いえ……」

「何を悩んでいるのかはわかりませんが、あなたは無価値ではないと思いますよ」

「…………」

「言いましたよ。あなたには、あなたにしかできないことがあります。わたしなんかよりも、きっとそれは凄いことができると思いますよ」

「ニメア様……」

「何より、わたしが必要だというのですから、自信を持ってください」


 私は、私が嫌いになった――。




――――――――――

下記近況報告に、聖女ニメアのイラストあります。

https://kakuyomu.jp/users/takekiguouren/news/16816927859782884146

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