第46話 青の聖女候補
砂漠の夜は冷えるものだ。
イクノティスの夜は、深淵もあって人通りが少なくなる。
警邏が歩き回る以外は、盗人などが暗がりの物陰で蠢くばかりだ。
イクノティスの大通りは静まり返っている。
風の音以外に響くはずのない通りに、歌声が響いていた。
神を讃える聖歌のようである。
「~♪~♪~♪」
通りの向こう側からアロナが歌いながらやってきた。
それはある意味で、奇蹟を希う祝詞でもあった。
もとより祈りさえあれば彼女ほどの高位信徒であれば、発動する。
問題はきちんと望むものが発動するかであるが、どうやらこの時のアロナは相当に運が良かったようだ。
あるいは運命が味方している。
不意に、彼女は止まる。
大通りの中心。
大河から水をひいて生活用水として利用するための噴水がある場所。
丁度、都市の中央。
そこでアロナは歩みと歌を止めた。
目の前に人影がひとつ。
月夜はとても明るく、そこに誰が立っているのかよくわかる。
ハーウェヤ・ラゾールド。
ヴェルデ国の最高聖女長。
ニメアを含んだ聖女候補らが倒さなければならない相手。
実力は高く、6人で挑んでも未だ一撃を入れることすらできずにいる相手だった。
「アロマ・ソルシエール。なるほど、奇蹟でここに
「ふふふ。先生。わたくしは好きにしても良いと言われました。ああ、本当に星の香りの聖女様は、わかっていらっしゃるのですね」
好きにして良いと言われたならば、好きにする。
好きにしていいというのは、彼女の中ではひとつの重大な意味を持っていた。
彼女の中で、好きにしていいという言葉は、許可するということに外ならない。
そっと彼女は服の拘束のひとつを解く。
しゃらりと鎖のひとつが落ちる。
服の中から武器が現れる。
奇蹟を使うばかりで武器をなにひとつ使ってこなかったアロマが初めて武器を取り出してみせる。
それは彼女の中で、普通の人間相手に使ってはならないものだった。
先輩聖女や位の高い司祭から使うなと言われていたものだ。
しかし、その制約は責任者のニメアが好きにしていいと言ったことで解禁されてしまった。
「…………」
取り出された武器を見たハーウェヤが押し黙る。
並んだ刃。
鋸目の刃。
それはノコギリが鎌の形をした異形の武器。
カースラアナ教では、それを異端狩りの鎌と呼ぶ。
「異端狩りの夜を始めましょう――ああ、ああ。異端ではないのでした。ですが、この子を使う時はいつも言ってしまうのです。お許しをハーウェヤ先生」
それは、許しなど求めていないほどに気楽な物言いでうっすらとたたえていた笑みは、今や狂気の三日月を描いていた。
「では、参ります」
夜を切り裂く一撃が放たれる。
「――!」
それをハーウェヤは、跳躍することで躱す。
アロナの手の中で回転する異形の鎌は、即座に追従を示す。
ハーウェヤが袖から取り出した剣でその一撃を受ける。
ギリギリと鋸目の刃がたてる金属異音が月夜へ満ちる。
「神よ」
略式の祈り。
神へ奉る願いは、黒点から大いなる主に届く。
結果、発生するは超常の奇蹟。
アロナの肉体が増える。
幻術などによる増えたような見せかけではなく、本当にアロナという存在が増殖している。
その数は4体。
「参ります」
4人のアロナは寸分たがわぬ動きでハーウェヤの首を刈らんと異端狩りの鎌を振るう。
ハーウェヤは袖からさらに放り投げた4本の剣を蹴り飛ばすことで、鎌の一撃を相殺する。
「神よ」
さらにそれぞれ4人が奇蹟を願い奉る。
分身もまた本体と同等である。
それゆえに、神へと奇蹟を願うことが可能。
そして、神もまた奇蹟を与える。
あるアロナの手には雷の槍が握られている。
神が象徴する武具のひとつ。
神の武具の具現だ。
雷の槍は、あらゆるものを貫くといわれている。
もちろん本物ではなく、奇蹟によるものなので1度の投擲で消える儚いものだ。
あるアロナは異端狩りの鎌が太陽の如き光を放ち始める。
軽く振るえば、斬られた樽が燃え盛り、消滅した。
太陽の光のような炎の力が付与されたようだ。
あるアロナは肉体が回復する。
今は傷を受けていないから、あまり必要としないものだった。
ハズレだ。
あるアロナの奇蹟は即時に発動する。
ハーウェヤの足元から闇色の剣が生じる。
ハーウェヤは空間転移によりひとりのアロナと場所を代わることで回避する。
入れ替えられたアロナは、剣に貫かれて消滅する。
奇蹟によって増えた個体だったようだ。
「ああ。ああ。わたくしがひとり死んでしまいました」
くすくすと楽しそうに笑いながら、アロナは鎌を振るう。
乱立した鋸目の刃の特徴的な風鳴りが、死神のようにハーウェヤへ殺到する。
「ああ、やっぱりそうなのですね」
3方向からの攻撃をハーウェヤは、空間の盾を利用することで受け止める。
そこから派生する空間の刃が同時に貫く。
分身はこれで消滅した。
「おや。おや? なにかお気づきになりましたか?」
「ええ。気がつかないほど蒙昧ではありません。異端狩り。あなたは真っ当な聖女候補ではありませんね」
「ええ。ええ。そうです。わたくしは異端狩りに名を連ねております。貴女様の言う通り、まっとうな聖女候補ではありません」
「カエルレウスの女狐め。ずいぶんと厄介なものを押し付けてきましたね」
ハーウェヤの中では何か合点がいったようである。
「ふふ。ふふふ。ああ、お気づきになられていたのですね。流石はキナアマスカの小間使い様」
「カースラアナの奴隷に言われたくありませんね」
「ふふ。うふふ。酷いお人。わたくしだって、傷つきますのに」
「侮辱されたとして殺しても良いのですが、この国で他の聖女候補と同じく学ぶ姿勢があるのなら、見逃しましょう」
「ええ。ええ。もちろんです。わたくしはいつだって、学びの途中なのです」
それで終了となるかと思われた刹那に、異端狩りの鎌が振るわれる。
完全に虚を突いた形。
さらに奇蹟を上乗せする。
その奇蹟は必中の奇蹟。
ハーウェヤの首が飛ぶ。
「ああ、忘れていました。カースラアナの奴隷にはこれくらい必要でしたか」
「は?」
倒したと思ったその刹那にアロナは剣を胴に一突き入れられる。
痛みを感じた瞬間、恍惚としてしまった。
その一瞬が命取り。
そのまま地面へと縫い付けられる。
ハーウェヤの首は斬ったはずだが、何故かなんともない。
彼女は、そのまま立ち去った。
「ふふ。ふふふ」
剣を腹に刺したまま、アロナは立ち上がる。
「ああ。ああ。とても気持ちが良くて、逃がしてしまいました」
腹に刺さった剣を愛おしそうに撫でる。
「こんなにも冷たく太いものを突き入れてくるだなんて、ふふ。ふふふ。それにしても、首を切ったはずでしたが、なぜ生きているのでしょう」
剣を腹に残したまま、アロナは首を切った感触のある手を閉じたり開いたりしながら帰路についた。
「ああ、アイリス様。どうでしたか? ちゃんとわたくしの動きは見れましたでしょうか」
「ええ、見れましたが……私に見せて良かったのですか?」
「はい。良いのです。それが勝利に繋がればよいと思っています。ふふ。ふふふ」
●
「剣、刺さってますよ!?」
一体どこで何をしてきたのか、部屋を抜け出していたアロナが戻って来たと思ったら腹に剣が刺さっている。
「ふふ。ふふふ。ああ、星の香りの貴女様。御心配には及びません。ちょっと気持ち良くて、そのままにしているだけですから」
俺はドン引きした。
「あら、アイリス?」
おや? なぜか剣の突き刺さったアロナとアイリスが一緒に帰ってきた?
これは、何かあったのだろうか?
「何かあったのですか?」
「いえ、そこでばったりと会いまして。見たら剣が突き刺さっていたので……」
「ああ、うん。気になってついてきたわけですね…………いや、まずは治療では!?」
「は!? そうでした。あまりにも自然だったので、大丈夫なのかと!?」
「ふふ。ふふふ。大丈夫です。気持ちがいいので。明日、頑張りましょうね、プラトリーナと星の香りの貴女様」
おっと?
プラトリーナと言わんなかったか?
「待って、何か知って」
「ふふ。ふふふ」
俺の言葉は聞こえていたはずだが、アロナは笑いながら去って行った。
プラトリーナはクソ親父が言っていた、確か神の名だ。
それを知っているのか。
カエルレウスは宗教国家というから、そういう神への智慧が何かあるのかもしれない。
「いつか、色々聞いてみたいですね……」
「あの、大丈夫なのでしょうか……」
「……わたしもそう思いますけど、良いみたいです……」
「えぇ……」
「まあ、気にしても無駄ですし。それより、バイトをしていたそうじゃないですか。面白い話はありましたか?」
俺は空気を換える為に話を変える。
「ああ。はい。初代聖女エスタトゥアの恋路という話がありまして……」
「ほほう……?」
「実は、初代聖女に恋をしていた王がいたとかで……」
そんな話もありつつ、俺は明日の作戦に想いを馳せるのであった。
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