閑話 アイリスの日常①

「嬢ちゃん、次はこっちの箱を7番の船に運び込んでくれ!」

「はい、お任せください!」


 ひとりの娘が港に山と積まれた荷箱を船へと運んでいく。

 力がるのか、大の男でも苦労するような荷を楽々と運んでいく様を見て、初めて見る商人たちが驚いている。


 異国から来た娘は、1週間ほど前に港にやってきて働かせてほしいと言った。

 身なりが良くいいところのお嬢さんだろうと思った港の労働者たちは、断ろうとした。

 しかし、娘は引かなかった。

 なら労働者たちも荷運をやってくれと折れた。


 すぐに音を上げて帰るだろうと思っていたのだが、なんと数人の男たちが数時間かかる作業を、彼女はひとりで数十分で終わらせてしまった。

 さらには荷の作り方や、縄の結び方を教えればすぐにできるようになる。

 なんでも教えた通りにやるので、どんどん仕事ができるようになる。


 そんな娘の話は港中に知れ渡ることとになり、正式に雇われて彼女は港の荷物を運んでる。


「終わりました。次はどこの荷を運びましょうか」

「今はねえな。休憩してくれ。しっかし、嬢ちゃんすげえ力だな」

「ええ、まあ鍛えてますし」

「おーい、アイリスの嬢ちゃん。飛び入りで商人が乗りたいってんだ。運んでくれねえか! 水夫連中みんな出港準備中でよ!」

「はい、ただいま! では、すみません」


 娘は、今まではなしていた労働者に頭を下げると呼ばれた方にかけていった。

 娘の名は――アイリス。

 アイリス・オルタンシア。

 聖女ニメアの護衛騎士である。


 実は護衛騎士として聖女留学にまでついてきた忠臣ではあるものの、聖女留学中に護衛騎士がやることはほとんどなかった。

 作戦会議や授業の見学もできるときはするが、それでも大半は時間が有り余っている。

 だから、アイリスは暇になった時間を利用してバイトをすることにしたのである。


 金銭を稼げる上に、情報収集もできる一石二鳥の作戦であった。

 港は多くの人や物が行きかう。

 そこで働くことはヴェルデのことを知るにはちょうどいいだろうという考えだ。


「ニメア様は、この国のロガル文字が欲しいとおっしゃっていた。まずはここでお金を貯め、信用を得よう。いずれロガル文字も買えるようになる。それが私の使命だ」


 ニメアから頼まれごとをされた彼女はいつになくやる気である。

 なにせいつもは他にできる者がいる。


 戦闘ではディランがいれば事足りるし、何より聖女ニメアが強い。

 護衛する必要がまるでないのである。

 もし彼女が役に立とうとするなら、肉盾になるくらいだろう。


 それ以外の面ではクローネが八面六臂の大活躍。

 スーパーメイドの名は伊達ではない。

 とくに料理がおいしく、アイリスも胃袋を掴まれている。

 

 そういうわけで役立たずなアイリスは自分が役に立ってる、頼られていると凄まじいやる気を出すのである。

 たまに空回りもするが、簡単な荷運びでは彼女のミスもそんなには出なかった。


「アイリスちゃん、今日は終わりだ、飯行こうぜ」

「はい、ぜひ!」


 仕事が終われば、アイリスは労働者たちに混じって酒場へと行く。

 真面目に働くし、容姿も良いアイリスは港の労働者の中ではアイドル扱いである。

 もっともそんな扱いをされていることには、彼女自身はまったく気がついていない。


 なにせ、この女自己評価が限りなく低い。

 比較対象がニメアとクローネ、ディランの3人である。

 ニメアがやれば魔術で一瞬で終わるだろうし、クローネは荷運びだけでなく、もっと色々気がついて動き回り自然と溶け込んでいる。

 ディランは知らん。

 などと考えている。


 ゆえに、自分がそんな風に扱われているという発想すらない。

 みんないい人たちだと異国での交流を楽しんでいる。


 さて、そういうわけでアイリスが向かった酒場は、既に仕事を終えた労働者や船乗りたちで溢れかえっていた。

 連れ込み宿も兼ねているのか、壁際や席の近くに酒場の営業を邪魔しないように気をつけつつ、最大限目を引くように色っぽい服装の娼婦らがなまめかしく肢体をさらしている。


 席につくと酒が運ばれてくる。


「今日も良く働いた、ヘネケトで乾杯だ!」

「おー!」


 異国の地の酒。

 すっかりと旅の中で楽しみになってしまったものをぐいっとまずは一口。


「ん、これがいいんですよねぇ」

「はは、嬢ちゃん。あんたイケる口かい? そいつは慣れないうちは水で薄めてねえと味がわからないのに、良い飲みっぷりだ」

「旅の間、結構飲んでました。このお酒はとても美味しい」


 白ワインのような味わいだと思いながらぐびぐびと行く。


「へぇ、良いじゃねえか。よっしゃ、オレと勝負しようぜ」

「良いですね」


 アイリスの飲みっぷりを見た労働者らは彼女に勝負を挑んだ。

 酒場の店主も弁えているのか、樽で準備万端だ。

 今日は特に綺麗どころのアイリスが出るということで、多くの男どもが楽しみいしている。


「さあ、賭けだぜ!」

「嬢ちゃんに10!」

「なんの、親方に15だ」

「引き分けに10」

「すごいですね……」

「騒がしい連中だろ。ま、働いた後は騒ぐってのがうちの習わしさ」

「なるほど」


 さて、アイリスは自分がどれほど飲めるだろうかと思案する。

 別に市井の飲み勝負。

 負けても名誉は傷つきはしないが、聖女ニメアの護衛騎士としてはあまり負けたくないところ。


 ただでさえディランやクローネに勝てる部分がないのだから、こういうところで負けたくはない。

 それに勝てば何割かが自分にも入ってくると言われたので、金稼ぎの一環としても勝ちたいところ。


 なにより、大量のお酒が飲めるのだ。

 これほど良いことはない。


「では、いただきましょう」


 飲み勝負が始まった。


 ●


 結果から言えば、勝者はアイリスであった。


「おや? 終わりですか? 私はまだ飲めますが」

「が、ふ……」


 親方はぶっ倒れた。


「こ、この嬢ちゃん、化け物か!?」

「底なしだ!」

「へへへ、あんがとよ、勝たせてもらったぜ!」


 勝負自体は大いに盛り上がって、アイリスの手の中には銀貨が山と積まれている。


「もっと飲みたかったですね」

 

 そうアイリスが呟けば店主は勘弁してくれと苦笑する。


「明日の酒がなくなっちまうよ」

「では、料理を頼みましょう」


 ついでに、こんなに大量の銀貨を持て余してしまった。

 財布もパンパンだし、大勝ちしすぎて恨まれても敵わない。


「この賞金で、皆さんに奢ります」

「ひゃっほー! アイリスの姐御は気前がいい!」

「親方には悪いが、負けてくれたよかったな!」

「ははは、ちげえねえ。あの人、ぜんぜん奢ってくれねえからな」


 店主もにっこり、労働者たちもにっこり。

 宴会は大盛り上がりだ。


 それから何人かが賭けで手に入れた金で娼婦たちを買って2階に引っ込んだり、潰れて眠ったりして、落ち着いたところでアイリスの隣に労働者のひとりが座る。


「ここいいかい?」


 どこか下卑た表情は労働者というより、盗賊などの後ろ暗い職業を生業としている輩のように思える。

 ちらりと武器の有無を確認し、背に短刀を隠していることをアイリスは看過した。


 今のところこちらを害するような敵意は感じられない。

 だが、わざわざ話しかけてきたということは何かあるということ。


「いいですよ」

「ありがとよ」


 そうして、しばらくは互いに何も話さず、酒を飲んだり、大魚の丸焼きを食べたりしていた。


「なあ、あなたどこかのお貴族様だろ?」


 男の方がまず口を開く。


「そうかもしれませんね」


 グレイ王国で確かに貴族であるが、それを正面から認めてやることはない。


「ま、言えねえよな。そんな良いとこのお嬢さんがこんなところで荷運びの労働なんて普通じゃねえ」


 それはそうである。

 アイリスがやっていることは確かに、アイリスの立場を考えればおかしい。

 代々聖女や王の護衛騎士を派出してきたオルテンシア家の娘であるアイリスは、グレイ王国でもトップクラスの貴族である。

 蝶よ花よ、剣に馬にと育てられたアイリスは、高い技量を持つ女騎士なのだ。


 このような下町で労働者に混じって荷運びの仕事など本来する必要はない。

 それどころか、このような世界があることも知らなかった。


 しかし、アイリスは護衛騎士としてはあまりにもやることがなかった。

 実力はディランに劣る。

 家事能力はクローネに劣る。

 護衛対象ニメアは守らせてくれない。

 それどころか有事の際は守られる側だ。


 代々の護衛騎士はそんなものであるが、アイリスは大いに悩んだ。

 そこでニメアに言われた通り、外交を行うことを考えた。

 とりあえず友達100人作るをこのクソ真面目な女は実行したのである。


 その際に王都の下町にも入り浸り、多くのものを見聞きした。

 自らの見識の狭さをまざまざと見せつけられたアイリスは、多くの考えを改めた。


「必要な仕事です。そこに貴賤はないでしょう」

「でも、苦労はあんだろ?」

「まあそれなりにはありますが……貴方に関係がありますか?」

「そう警戒すんなって、いい話があんだよ」

「ほう?」


 良い話。

 大抵の場合、悪事へのお誘いだ。

 もしくは、詐欺。


 こういう輩はどこの国にもいるものだなとアイリスは思う。


「砂漠の蛇っていう盗掘団がいたんだよ。結構、優秀な遺跡漁りどもさ」


 盗掘団、遺跡漁り。

 そういうものがこのヴェルデにあることはアイリスは承知していた。

 働き始めてすぐに、色々と情報を集めたのだ。

 この国には遺跡となった王墓がたくさんあり、未発見のそこを掘り出しては副葬品などを売りさばく連中がいると。

 大抵買い取るのは、王家であったりするので王家がかつての歴史を収集したりするのに一躍かっている部分もあるので大っぴらに彼らが逮捕されることはない。

 合法ではないが、違法でもないグレーゾーンの稼業だ。


「それがどうしたのですか?」

「そいつらがいなくなったんだよ。解散したわけじゃねえ、全滅だ。かといって衛兵らに追われたとかモンスターに食われたわけじゃねえ。墓を暴いた結果死んだ」

「天罰でも当たったのでしょう。それより本題を」

「へへ。オレはその墓の場所ってのを知ってるのさで、今度取りに行くんだが、アンタもどうかなって思ってな」


 へへと下卑た笑いを漏らしながら、男はアイリスの太ももへと手を伸ばす。

 アイリスは自然な動作でその手から距離を取る。

 男は所在なさげに手を振ってから肩をすくめた。


 狙いは、アイリスの身体ということらしい。

 欲深いことだ。


「取りに行ったら天罰が下るのでは?」

「へへ、そんなのあるわけねえよ。大方墓のトラップにでも引っかかったのさ。それれにオレ知ってるのさ、あの墓が呪われた初代王の墓だってなぁ」


 さて、とても興味深い内容であるが、アイリスはこの街を長期間離れる許可を得ていない。

 だからどう答えるかは決まっていた。


「面白そうですが、遠慮しておきます。この街を離れるわけにはいきませんので」

「そうかい。何かあったら言ってくれ。大抵夜はこの酒場にいるからよ」


 男はやけにあっさりと身を引いた。


 その後はなにもなく、宴会がお開きとなる。

 会計を済ませたアイリスはうきうきと宮殿へと帰り道を歩くのであった。


「襲撃はありませんでしたか。あると思っていたのですが……いえ、ないのなら良いことですね、うん。いやぁ、それにしてもたくさん食べれましたね、興味深い料理ばかりで、楽しかった」


 翌朝、すっかりと空になった倉庫を見て絶望する酒場の店主がいたとかいなかったとか……。

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