閑話1 聖女の成長
その少女は、光を見ていた。
月光色をした導きを見ていた。
それは、いつも少女の前にあった。
他の誰にも見えない、少女だけの細い光。
それは少女の人生を何処かへ連れて行こうとしているかのようであった。
それを感じる時、頭に穴が開きそうな感覚と、外から何かに手を突っ込まれてぐちゃぐちゃにされてるような感覚を感じていた。
少女の名はイコナ・ラドーニ。
本来ならば、世に名を残し栄光を手にしていたはずの、本物の聖女であった。
「いいかい、イコナ。君は聖女だ。聖女なんだよ。ボクとお父さんの夢そのものなんだ。だから、ボクを裏切らないでくれよ」
父親であるラディウ・ラドーニは、物心つく前からイコナにそう言い聞かせていた。
言い聞かせるだけで、世話などはしない。
なぜなら、ラディウ自身もまた、自分の父親にそうやって育てられたからだ。
だからラディウも無意識に己の父親と同じようにイコナを育てていた。
それが当たり前だと思っているからだ。
ラディウがこうして生きているのは、先代ラドーニ子爵の頃にいた従者たちが何とか育ってくれたからであるが、現在、ラディウの下には従者がいなかった。
それなら乳母を雇うこともあるだろうがそれすらなく、イコナは放置されていた。
もしそのままであったのならば、彼女は死んでいたことだろう。
そうであったのならば、グレイ王国はラディウに迷惑をかけられることはなかったかもしれない。
しかし、イコナは生き延びた。
彼女を育ててくれたものがいたからだ。
彼女を育てたのは、ぱらんぱらんと音を鳴らして歩く、道化師のようなふざけた怪人だった。
のっぺりとした顔を揺らす、にんまりと三日月の口で笑っているモンスター。
ローロパパガイである。
ローロパパガイは、元々このパナギア大陸に人間がやって来た時に一緒についてきた悪戯妖精どもを先祖に持つ。
彼らは悪辣に進化を果たし、森の付近を歩む旅人の恐怖の対象となっていたが、妖精の本能である子供に対する慈しみを忘れたわけではなかった。
妖精は子供を攫って行く。
攫った子供を妖精国で育てるのだ。
そのため全ての妖精は、子供を育てる方法を知っている。
異形の進化を果たしたローロパパガイも例外ではなく、妖精国に持って行く方法などは忘れていたが、子供に必要なことはなにか知っていた。
妖精鱗粉と樹液で作ったフェアリーミルクを飲ませて、温かな寝床を用意する。
おしめなども変えて清潔に保つといったことは、ローロパパガイでもできた。
妖精とは総じて優秀な乳母なのだ、気まぐれなところを除けば。
ただ、ローロパパガイなので見た目は邪悪極まりない光景になったが、イコナは赤子である。
見た目が邪教の儀式としか思えなくても、気にすることはなかった。
ローロパパガイにそこまでさせた理由は、イコナが特別であったことも大きい。
『コノコ、ツナガッテル』
『フェガロフォス、ツナガッテル』
『アナ、アキソウ』
『コクテン、コクテン!』
『目キレイ、デモ、トラナイデアゲル』
『フェガロフォスノ、ゲッコウ、ヨクミテネ!』
『デモ、イラナクナッタラ、チョウダイネ』
ローロパパガイは、何事かをイコナの中に見ていた。
ローロパパガイに目をつけられるとは破滅を意味するが幸いなことに、イコナは何もわからない赤子であった。
これで転生者でも入っていたのなら、目も当てられないことになったことであろう。
そんな彼女はよく泣いた。
まず飯が不味い。
ローロパパガイが与えるフェアリーミルクは、栄養があり1年に1度与えれば問題なく赤子が生きられる代物だ。
妖精とは気まぐれなもの。子供の世話など、真面目にやるわけもなし。
故にフェアリーミルクは1年分の栄養が詰まっている。
ただし、ローロパパガイのそれはゲロのような味であった。
なにせ使った樹液というものが、人食み花と呼ばれるオミェーラの蜜だったからだ。
オミェーラの実は天国の森に住むニュムパの大好物である。
その味は吐しゃ物を煮詰めて糞尿と混ぜ合わせて作ったスープを半端に固めたものと表現される。
蜜液の味もまたそのようなものであった。
そこにローロパパガイの妖精鱗粉が追加されるのである。
通常の妖精鱗粉であれば、はちみつのようなだとか、甘くとろけるようなだとか、そんな感じに言われるものである。
だが、そこ腐ったローロパパガイである。
彼らの鱗粉は腐敗した肉をさらに腐敗させた、究極の腐れた物質と言っても過言ではない。
そんなものを混ぜ込んでしまえば、何もわからない赤子だろうとも泣き出す味となるのだ。
そうやって泣けば、ラディウも流石に様子を見に来るというもの。
単純にうるさいのを止めるべく、どうにかしようと思ってきただけで、イコナを心配したわけではない。
「おい、貴様ら、ボクの聖女に何をしている」
そこでローロパパガイどもを見つけたわけである。
「どこから入り込んだ」
『ミツカッチャッタ。ミツカッチャッタ』
『キタナイ目、イラナイ、イラナイ』
『コロス? コロス?』
そんな相談をしていたが、ラディウは伊達にラドーニ子爵領の領主をしているわけではない。
これでも若い頃は、魔術子爵として勇名をはせていたのだ。
ローロパパガイの特性もよく理解していた。
「誰に招かれてここにいる」
『ギ、ギ――』
ローロパパガイは、物理的な攻撃の一切を無効化し、魔術に関しては反射してくる。
その上、妖精を起源に持つため己が生まれた森が健在であるならば、そこで転生する。
そんな特性の中で弱点と呼べるようなものが、ひとつ存在していた。
「ボクは、オマエたちなんて招いていないぞ」
ローロパパガイがギギギ、と壊れたような音を立て始める。
まるで壊れたマリオネット。
ばらばらに崩れて消えてしまいそうである。
それもそのはず、妖精は誰かの家に入る時は招き入れられなければならないのだ。
悪戯妖精が持っていた特性であり、あの手この手で人に自分を招き入れさせて悪戯をする生態そのものである。
ローロパパガイも元はそんな悪戯妖精だった存在ゆえに、この法則に縛られる。
しかし、このまま去るか消えるかしようとした瞬間、タイミング悪くイコナが泣いた。
赤子の鳴き声は、それだけで妖精をおびき寄せるエサとなる。
赤子が泣くときは、必ず誰かを呼ぶときだからだ。
「チッ!」
よってここでの存在を赦されたローロパパガイは、即座にラディウの眼を奪いに動く。
それをラディウは迎撃する。
人は魔術を扱う時には、ほぼ必ずロガル文字を読み上げる。
それは意思のみで行うと不純な思考が混じり、魔術が不安定になることがあるからだ。
加えて、自らの意思をより強固に固めるためである。
しかし、魔術子爵とも呼ばれたラディウは、その工程を省く。
魔力変換からの即時発動。
文字を詠唱することなく、魔術が起動する。
それはかつて氾濫したロガル文字を破壊する焚字官が用いた魔術技巧。
超常を犯す魔術師たちを殺すために己の身体操作を超常に置き換える技術だ。
気術による身体強化ではなく魔術による身体強化。
それは少しだけ面白い効果を発揮する。
『アレ、アタラナカッタ』
「やれやれ、一直線かよ。若いな」
魔術は結果のみを出力する。
普通火を出すときは、種火を用意したりしてそれを木などに移すという工程を経るが、魔術はそれらをすっ飛ばして火を熾す。
ローロパパガイの人差し指は、ラディウの眼孔を貫かず空を切った。
だが、ラディウは回避などしていない。
魔術による身体強化を使うと、やろうと思ったことがすでに行われた状態を出力するからだ。
持続的な強化は望めないが回避しようと思ったら、何もしなくとも魔術を起動した時点で、既に回避しているということになる。
そういう性質があることを見抜き、古の焚字官は強化のロガル文字を作ったとされているのだ。
しかし、ローロパパガイの攻撃を1回躱しただけ。
奴らには鋼の剣は効かなければ、魔術の攻撃も反射してくる。
「取引だ、従うよな。おまえらそういうもんだもんなぁ」
だから、ラディウはそう言った。
ぴたりとローロパパガイの動きが止まる。
「オマエらの欲しがるものをくれてやるよ」
ローロパパガイが欲しがるものなどひとつしかない。
「ボクの領地にいるすべての領民の眼をやる。だから、ボクの言う通りにしろ」
『イウトオリニシタラ、目クレルノ』
「ああ、たくさんくれてやるよ」
ローロパパガイはこの取引に応じた。
彼らの興味の対象は子供よりも目の方が高い。
その瞳に何を見ているのかはわからないが、彼らは目を代価に差し出す取引に必ず乗ってくる。
『イイヨイイヨ』
「よし」
その晩、ラドーニ子爵領は阿鼻叫喚の地獄と化した。
突如、家に進入してきたローロパパガイが領民全ての目を抉っていったからだ。
戸締りしていても、領主であるラディウが許可を出したからには、ローロパパガイは全ての家に入ることができた。
夜、安心して眠っていた村人たちは、全員例外なく光を失ったのである。
そして、誰一人として死ななかった。
ローロパパガイの残虐さはここにある。
例え何があろうとも目を奪うだけ。
必ず命は奪わない。
光を失った人間が右往左往するのを見るのが、好きなのだ。
だから、彼らは綺麗な目だけを奪って、あとは放置する。
目を抉った傷すら治して、死ぬことを赦さない。
一夜にして、領民全てが目を奪われたとあっては、気味悪がって商人は回れ右するようになった。
領民は農作業もロクにできなくなり、次第に餓えて衰弱死、死んでいった、ラディウとイコナを除いて。
ラディウは領民の目を対価に従えたローロパパガイが赤子の世話をしていたと知ると、そのまま任せることにした。
古来より、妖精に世話をされた子供には特別な力が宿るとされている。
ほとんどは凶兆でしかなく、忌み子として処分されるがラディウの中には、この聖女をさらに完全、完璧にする以外の考えはなかった。
そうして、ローロパパガイにより育てられたイコナは5歳になると物心もついてきた。
妖精に育てられた子供の常として、ローロパパガイが知っていることを無意識ながら知っていたことで、普通の子供よりも発達が早かった。
「良いぞ、早いうちに教えてやれば、実力が高まる。良いか、オマエはボクに従って、言う通りにすればいいからな」
「はい、父上」
ラディウはあらゆる教育を施し始めた。
「あぅ……」
「どうして、これくらいもできないんだ。君は聖女なんだ。ボクのお父さんの理想なんだよ、これくらいできなくちゃならないんだよ!」
少しでも間違えたり、できなかったりするとラディウはイコナを容赦なく鞭を振るった。
「いたいよ、父上……」
「これもオマエの為だ。オマエは聖女にならなければならないんだから。この程度、楽にできなくちゃならないんだよ」
「聖女って、なんなの……」
「最高の存在だよ、オマエは完璧で最高の聖女にならなければならないんだよ。さあ、もう1度」
「……はい、父上……」
言う通りに出来ればよく褒めた。
「よしよし、流石はボクの聖女だね。君ならできるって信じてたよ」
「はい、父上」
イコナは幼いながらにできなければならない、できなければ痛い思いをすると学んだ。
それが辛いことともわからず、ラディウの教えと生まれた時から見えている導きに従ってイコナは成長を続けていく。
「ああ、お父さん。ボクらの聖女は育っているよ。大丈夫だよ、お父さん。きっとボクらの理想の聖女にしてみせるからね。だから、そんなに怒らないでよ、お父さん」
そんなイコナをラディウは、歪んだ笑みで見つめていた。
「偽物の成人式で、すべてをぶっ壊すんだ。だから、安心してよ、お父さん。ちゃんと聖女を作ったからさ」
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