第3話 モンスターの森を抜ける


 転生した世界にはモンスターがいるようだった。

 この時の俺はまだ楽観していた。

 小説などの異世界転生モノで出てくるモンスターと言えば、たいていが主人公たちのカマセだ。


 俺と一緒にいるのは、年老いてはいるが聖女であるらしいヴェルジネだ。

 聖女がどのようなものかわからないが、明らかに強者オーラバリバリのお婆ちゃんが苦戦する姿など想像できない。

 だから、モンスターが出ても安心だと思っていた。

 だが、すぐにその考えは甘いと教えられた。


 異変が起こったのは、教会を出てから3日後だ。

 揺れが少なかった馬車がスピードをあげて、がたがたと地震のような振動を出し始めた。

 何かが迫ってきているのだとわかる。


「こんなところに出るなんてね、偉大なるガリオンめ、ご機嫌じゃないか。沈黙平原で大人しくしておけばいいものを」


 ヴェルジネがそう言うとともに立ち上がり、俺を抱えたまま馬車の後方を見る。

 砂煙を上げて疾走する狼の顔を持った二足歩行の獣のようなものを俺の目は捉えた。

 目のある位置にはどの個体も十字の傷がついており、目が見えていないようだが、見えているのと変わらないスピードでこちらを追ってくる。


「スピードを落とす準備をするんだよ。盲目のガリオン相手に音が出る馬車で逃げるなんて、自殺行為だからね」

「はい!」

「さて、この辺は天国の森があったね」

「まさか……!?」

「ガリオンとニュムパなら、ニュムパの方がマシだよ。魔術さえ切らさなければいいんだからね。とにかくヤツらの足を止めるよ」


 ヴェルジネはそれから白いもやを魔力に変換する。

 俺が見た中でも、最大量の白いもやを魔力に変換し、魔術を起動する。

 彼女の背後に複数の火の玉が生まれ、それを放つ。


 初めて見る攻撃魔術らしい魔術を見て俺は思わず興奮して声を上げてしまう。

 ヴェルジネは、そんな俺にぴしゃりと言った。


「黙ってな」 


 あまりの怖さに俺の口はすぐに閉じた。

 何か叩きつけられたような気がしたけれど、きっと殺気とか言うものに違いない。

 俺が転生していなかったら漏らして泣き出していただろう。

 少し漏らしたような気がするけれど、きっと気のせいだ。


 そんなことより魔術だ。

 飛んでいった火の玉は戦闘を走っていたガリオンへと殺到する。

 大爆発が巻き起こったが、現象の派手さと違って結果はガリオン1体が焼死するにとどまった。

 ヴェルジネが手加減をしたのか、それとも相手が魔術に耐性があるのだろうか。


 そう考えている俺の目の前でガリオンらは死んだ仲間の死体へと群がっていた。

 共食いをしているのだ。

 そして、食った個体からまるで分裂するように新たなガリオンが生まれていた。


 ヤバイとわかった。

 こいつらを半端に殺してしまうと、増えるのだ。

 ヴェルジネが1体だけを殺したのは、なるべく増える個体を減らすためで、共食いに夢中になっている間に逃げるためだったのだ。

 そして、その間に俺たちは馬車から下りて道を外れたところにある森の方へと向かっていた。


 なぜ馬車を捨てて降りていくのか俺は理解できなかったが、経験豊富そうなヴェルジネが間違ったことをするとも思えない。


「ああ、天国の森に入るだなんて……」

「黙りな」


 御者の嘆きのつぶやきによれば、向かっているのは天国の森というらしい。

 語感からしたら、かなり極楽っぽい印象だったので御者の嘆きの理由がわからなかった。

 背後を探ってみると、ガリオンの群れは残していった馬に喰らいついていた。

 そして、どんどん増えている。


 しかし、俺たちの方へやってこない。

 音をなるべく立てないように移動さえすれば、より大きな音を立てる馬の方に行くというわけらしい。


 森に入ると、ヴェルジネは自分と俺、御者に何らかの魔術をかける。

 頭の中の文字は俺には読み取れないが、魔力がどのような動きをして何かが起きているのかはわかる。

 ヴェルジネは俺たちにシールドのようなものを張ったようだった。


 ガリオンらは森の中まで追ってこないようで、しばらく耳を立てていたが、獲物がいないとわかるとその場から去って行った。


「はぁ……」


 御者がそれを確認してほっと息を吐く。


「気を抜くんじゃないよ。ここは天国の森なんだからね」

「わかってますよ」

「それじゃあ、行くよ」


 ヴェルジネは俺を抱えたまま杖を突きながら先導を始めた。

 御者は腰の剣の調子を確かめてから、ゆっくりと彼女の後に続く。


 森の中は、昼間だというのに夜のように暗かった。

 深緑は森の豊かさを伝えるよりも、おどろおどろしさをこちらに訴えかけてくる方を選んだようで、こちらに覆いかぶさるかのように枝が垂れ下がっている。


 辛うじて人が歩ける場所を進んでいくと、妙に整備されたかのように通りやすそうな道が現れた。

 ヴェルジネはそれを一瞥して、何も言わずにそれを避けるように歩いていく。


 一体その先に何があるのかわからないが、聖女と呼ばれるような存在が避けるような場所に違いない。

 そう思っていると、人の笑い声が聞こえてきた。


「あはははは……」

「えへへへへへ」

「うふふふふふ」


 それもひとりではない。

 3人、いや5人ほどの人たちが森の中へわけ入って行くのが見えた。

 まるで気軽な散歩とかをしているかのような感じで、楽しそうにどこかへ向かっていく。

 彼らが向かうのは俺たちの進行方向のようでもある。

 ヴェルジネは、忌々し気に舌打ちをした。


「ありゃぁ、ニュムパの瘴気にやられてるね。また縄張りを広げたようだ」

「呪いが強まっていると?」

「さてね。ともかく、行くしかない。どの道、私らがこの森を抜けるにはこの先に行かなくちゃならないんだからね。気をしっかり持ちな」


 ヴェルジネは御者にそう言ってから、こちらに視線を向ける。


「黙ってるんだよ。そうじゃなくちゃ、恐ろしいモンスターに食われちまうからね」


 俺はわかったというように目で伝えておく。

 流石に頷くのは早すぎるだろうという判断だ。


 そのまま俺たちは笑い声がする方へと進む。

 笑っている人たちは、違法な薬物を使っているかのようだ。

 もしかして、何らかのキノコとか、何かの影響で幻覚を見ているのかもしれない。

 ヴェルジネはニュムパとかいうのの瘴気の影響と言っていたし、それだろう。


 そして、彼らは沼地のほとりで急に眠り始めた。

 うるさいほどの笑い声がなくなった後は、うるさいほどの沈黙が訪れる。

 あんなところで眠ったら死ぬのではないかと思っていると、案の定危険の方がやって来た。


 彼らのそばに生えていた植物のつるが彼に巻き付き始める。

 眠ってしまった彼らは気がついていない。

 植物のつるは彼らの耳や口などといった穴から体内へ根を伸ばしているかのようだった。

 そして、腹を破って茎が出てくる。


 寄生植物というものだろうか。

 成長速度が尋常ではないし、その上、あんなになっても苗床にされた人間は生きているようであった。

 楽しそうな夢でも見ているのか、笑っている。


 寄生植物はその間に成長し、赤い実をつけていた。

 これがとても美味しそうな匂いをさせている。

 赤い実はバスケットボール大はあるだろうか。もし人間が苗床になっているところを見ていなければ思わず手に取って口にしていたかもしれない。


 それくらいには美味しそうな匂いがしているのだ。

 赤子でなければ駆けだしそうになる中で、ヴェルジネは声を潜めて目の前の沼をにらみつける。


「ほら、ニュムパのお出ましだ」


 沼の中から巨大な影が起き上がって来た。

 白いナメクジとヒルのあいのこのような生物で、口に当たる部分にはノコギリのようになっている鋭い歯が見えた。


 ニュムパと言うらしいナメクジヒルは、のそのそと動いていって先ほどの赤い実を無造作に食べていた。

 食べている間、ニュムパの背中から紫色の霧が噴霧されている。

 おそらくそれが先ほどの人たちに幻覚を見せて、眠りに誘ったものの正体なのだろう。


 ヴェルジネが使った魔術によって守られているが、俺たちはこの瘴気の中にいたのだ。

 ぞっとする。

 もし魔術の効果が切れたりしたら、俺たちも苗床にされていた可能性があるのだ。


 さらにニュムパは隠れている俺たちに気がついているようで、じっとこちらを見ていた。

 手を出す気はなく、見ているだけだったが生きた心地がしない。

 あれはここの主だ。

 逆らえば反撃もできず殺されてしまうにちがいない。


 何時間にも感じる数秒のあと、俺たちに覆いかぶさる影は、動き出した。

 俺たちが出てこないし、何もしてこないのを見るとのそのそと沼の中へ戻る。

 生き延びたのだ。


 その時、沼が溢れてごろごろと人間の骨が辺りへ転がるのが見えた。

 それはもう一山できるほどの数であり、かなりの人間がここで犠牲になっていることが知れた。


「さて、行くよ」


 ヴェルジネはニュムパが沼に完全に潜ったのを見てから歩き始めた。

 日が暮れる頃には、何とか森を抜けることができた。


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