一章 鈴音

第9話 新しい日常


 六月の始めごろ。

 いつもと変わらない平凡な朝に少し刺激があった。


「おはようございます。私の名前は上赤アリスです。病気で入院していて、わからないことも多いですが気軽に話しかけてくれると嬉しいです」


 四月まで幽霊だった少女、アリスが俺のクラスに転校してきたのだ。

 ……いや、正直自分でもおかしなことを言っている自覚はあるが、これは紛れもない事実。他に表現の仕様がない。


「これからも、末永く、よろしくお願いします」


 最後の挨拶が、どうも転校時のものには似つかわしくなかったのでクラスから笑いが起こる。


「なんで結婚みたいな挨拶なんだよ」

「面白そうな人だね」

「すごい可愛い……。モデルみたい」


 反応は多種多様だが、第一印象は好印象をもって貰えたようだ。


「優作! 綺麗な人だね!」


 隣の席のショートボブな快活女子、鈴音が満面の笑みで話しかけてくる。クラス全員友達である鈴音にとっては、新しい友人が増えるという意味で目を輝かせているのだろう。


「そ、そうだな……。俺もビックリしてる」


 アリスが転校するなんてマスターから一切聞いていない。これは、上手く隠されていたな。


「それじゃあ、アリスさんは山元くんの後ろの席に座ってください。」


 窓際最後尾の俺の背後がアリスの席になるようだ。


 クラスの男子から羨ましそうな視線を向けられる。そりゃ、俺だって何も知らなければ多少は嬉しいが、あの件以来アリスとはそこまで話す機会がなかったので、どちらかというと気まずい。


「よろしく! アリスさん!」


 俺と鈴音の間をアリスが通るとき鈴音が元気に挨拶する。

 初対面の相手にこうもフレンドリーに接する所は、鈴音のかなり秀でた強みだろう。

 アリスも一瞬だけ驚いたが、鈴音に笑顔を返す。


「うん。よろしく」

「ふわあ」


 妙に上品な風格漂うアリスの雰囲気に鈴音が頬を赤らめた。

 アリスは俺の方を一瞬だけ見て目が合う。

 しかし、なにか言葉をかけてくれるのではなくそのまま素通りして着席したのだった。


 う、背後にアリスがいると思うと妙に緊張するな……。


「朝のホームルームは終わりでーす! 大門寺くん、お願い!」

「はい! 起立! 礼!」


 クラス委員の大門寺の挨拶でホームルームは終了する。

 後ろの席なので一限目が始まる前に少し会話しようと思ったが、俺がアリスに話しかけるよりも先に閃光のごとき速さでクラスの女子陣に囲まれていた。


 こ、これは。

 噂に聞く転校初日の洗礼ってやつか……。


「おはよう、アリスさん!」

「前の高校どこ?」

「すごい綺麗な髪! お人形さんみたい!」

「……え!? あ、その!」


 怒涛の質問責めにアリスが困り顔だったのが隙間から見えた。

 見るからに困ってそうだし、俺から助け船を出すか。


「なあ、アリス――」

「アリスちゃん! 友達になろー!」


 我がクラスのハイテンションコミュ力お化け、鈴音がアリスに着弾した。

 うん、もう駄目だ。俺にはどうすることもできん。


 相変わらずコミュ力がすごい、開口一番がそれとは。流れ的に何かおかしくないか。


 まあいいや、次の授業の準備をしておこう……。

 俺は引き出しに手を突っ込んで教科書を探り、アリスに関わることを諦めた。



 午前中の授業が終わる。

 アリスは既に必要な教材を揃えていたようで、転校生あるあるの教科書を共有するイベントは発生しなかった。

 アリスとはそれなりに仲が良いとは思っていたけど、実際に学校で会うとやっぱり男の俺よりは女子との交流が多くなっていた。

 しかし。同じ学校といっても初日だしそこまで関わりはないかと思い始めた時、事件は起こる。


「アリスさん! お昼食べよう!」


 案外人見知りもしないアリスは、休み時間の度に誰かに話しかけられていた。

 みんなアリスの事を知ろうとしてくれいるのだ。しばらくはこんな調子が続きそうだけど良いことだろう。


 アリスは俺のように学校で悪い意味で浮きそうにも無かったので安心する。ボッチだったらどうしようかと思ったが杞憂だったらしい。


「ん、ごめん。もうお昼食べる人いるから、また今度でいい?」

「あれ、そうなの? 全然良いけど……」


 アリスの一言を不思議そうに同意した女子たち。朝から自分たちと喋っていたので、意外だったのかもな。

 俺はそんなことを考えながら、学校に来るときにコンビニで買ったパンを取り出す。


 いつもならオカ研にでも行って部室で食べるが、今日は部長の友華が昼休み用事があり部屋が開かないので教室でボッチ飯だ。

 そう思った矢先、背後から背中を優しく叩かれる。

 振り向くとアリスがそれはそれは、待ち望んでいたかのようにワクワクした笑顔で俺を見ていた。


「ねえねえ山元。一緒に食べよ?」


 まさしく瞳のなかがキラキラしているような愛くるしい小動物的な顔から放たれた、誤解を生みそうな狂気の一言。

 それが、アリスが学校で俺に発した初の言葉だった。当然教室も凍りつく。


 さあ、どう誤魔化したもんか……。


「あ、アリス。久しぶりだな」

「うん。久しぶり。話すの楽しみにしてた、ふふ」


 瞬間クラスが再度凍りつく。

 俺も含めて。


「……あ、アリスさん? その、山元くんと知り合いなの?」


 一人の女子が尋ねる。アリスは頷いた。


「うん。前に色々とあって」

「色々!?」

「違うんだ! 通学路で一回会って道案内しただけだ!」


 即座に弁明を入れる。

 しかし、アリスの天然物の凶刃はさらに振りかざされた。


「私の家に最近よく来てくれてるし、お母さんとも仲良し」

「親公認!?」

「こいつの家は喫茶店やっててな! 今度みんなも行ってみてくれ!」

「むう……。なんか山元、様子が変だよ。」

「お前のせいだろ!?」

「酷い。あの夜は抱き締めてくれて、膝枕までしてくれたのに……。」

「「「ヤった!?」」」

「お前ら最悪だ!」


 初めてクラスの男女の声が綺麗に重なるが、酷い内容だ。


「く、くそ! こんなやつに先を越された、だと!?」

「孝宏。お前はいつからいた? 別のクラスだろ。」


 何故かこの教室にいる悪友が一人、膝をついて項垂れている。

 こいつはまあ、無視していいな。気にするだけ時間の無駄だし。


「ともかく! 俺はなにもしてない、冤罪だ!」

「……本当に、わすれちゃったの?」

「だ、だから、何もしてないだろ……」

「大丈夫。山元が、忘れても、私は覚えてるから……ずっと」

「とっても柔らかかったです!」


 アリスが悲しそうに言うので、俺は潔く土下座し膝枕のお礼を言う。

 あの時膝枕をした側だったが、女性の体はこんなに柔らかいのかと頭部だけでも伝わってきたのを覚えている。


 その声は学校中にこだまし、クラスメイトの誤解を解くのには昼休みを丸々使うことになった。



―――――――――――――――――――――――



「ってことがあってさー」

「あはは! はは! ひぃひぃ! 優作、あなた、本当に話題に欠けないわね!」


 放課後。オカルト研究会の部室は相変わらず騒々しかった。


 机を囲むように置かれた大きなソファに座った鈴音が教室の出来事を話し、校長室にあるような高そうな机の場所で、一人回転する椅子に腰掛けていた友華はお腹を押さえて笑いこけている。椅子を回転させながらだ。


「その話はやめてくれ……。孝宏が今日ずっと殺すような目を向けてくるんだ」


 俺は隣に腰掛けていた孝弘にちらりと視線を向けた。その目には嫉妬や憎悪の感情がふんだんに込められていて少し怖い。


「当たり前だ! お前最近まともに授業に出るし、なんか丸くなったと思ったら彼女ができたからなんだろ!」

「ちっげえよ! アリスとはそんな関係じゃない!」

「じゃあなんで……!」


 孝宏がプルプルと震える。そして、座っている俺の太ももを指差した。


「なんで、アリスちゃんがそこで寝てるんだよお!」


 アリスは今、規則正しい寝息をたてて、俺に膝枕されている。


「久しぶりの学校で疲れたらしくてな。少し寝たいそうだ」

「あ、そうなのか……。まあ、一年も空いたんだしそうだよな、って! お前はいらないだろ!?」 


 一瞬納得しかけた孝宏だが、すぐにツッコミをいれてくる。流石にこのくらいだと誤魔化しは効かなかったか……。


「アリスちゃんのご要望よ。私も驚いたけど、優作だしいいんじゃないかしら。そんな度胸はこの男には無いわよ」


 友華が援護になっていないフォローを入れてくれる。

 いや、まあそうですけど。実際その通りなだけに何も言い返せん。


「はあ、友華ちゃんは優作に甘すぎなんですよ」

「この部屋にいるもう一人の男が孝宏だからね。相対的に危険度は少なそうじゃない」

「そいえば孝宏。なんかバレー部の人たちが怒ってたよ! 次会ったら埋めるって!」

「お前、今度はなにしたんだよ……」

「別に何も。ただバレー部の一年は僕のこと知らないから、外部コーチだって言って話しかけただけだよ」


 鈴音の話に悪びれた様子もない。顔はいいんだから普通にしていればモテそうなものを……。どうしてこいつは、イケメンなのに性格が悪いんだろう。


「まあ、その話は後よ。実は、皆に報告があるわ。」


 突然、友華が机に両肘をついて手の甲に顎を乗せた。


 割りと真面目な話が始まりそうだったので、俺たちもふざけるのは止めてソファから友華の方を向いた。アリスがいるので、俺は顔だけ。


「報告って……。そうえば、今日の昼休みに先生に呼び出されてたんでしょ。何かあったの?」


 いったいどこでそんな情報を仕入れるのか、孝宏が尋ねる。それは正解だったらしく、友華は頷いた。


「実はね、本当に言いにくいんだけど……。」


 友華が悔しそうに手を握りしめる。どうやら今回ばかりは本当に深刻な悩みっぽい。


「それは私から言うわ!」


 友華が話す前に何者かがドアを勢いよく開ける。

 我らが生徒会副会長にして、幼馴染みの神谷飛鳥が立っていた。ポニーテールを揺らし、脇にはファイルを挟んでいる。


「飛鳥ちゃんだ! こんにちわ!」

「ええ。こんにちわ、鈴音。大切な話をしに来たわ」

「お茶いる?」

「いいの? ありがとう。」

「あ、僕和菓子持ってきてたはずだから、取ってくるよ」

「確か奥の方の砂糖菓子が期限近いから、そっちから持ってこいよ?」

「悪いわね」

「冷蔵庫に入ってるプリン食べて良いわよ?」

「本当に!? 太っ腹ね、友華先輩!」


 飛鳥が冷蔵庫を開けてニコニコしながらプリンの容器を机まで持ってくる。

 その間に鈴音がお茶をコップに注いで、孝宏が和菓子の箱を机に置いた。

 机の上はあっという間にお茶会モードになる。


「どう!? 美味しいでしょ!」

「ホントねー。結構高いプリンみたい。流石、友華先輩だわ」


 一気にお菓子タイムになったので、みんなで談笑しながら和菓子を食べようと俺も手を延ばす。


「って、違う!」

「わあ! 急に大声出すな!」


 飛鳥の大声に驚いて心臓の動悸が速くなっている。

 たく、落ち着きのないやつだな。


「私は、今日ここに報告に来たの。学校のある決定をね」


 ファイリングされたプリントの束をパラパラめくりながら話す。心なしかポニテも凛としているように見える。いつもの飛鳥ではなく一気に副会長モードだ。

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