第7話 幽霊の正体見たり寂しがり

「うん。そんな理由。他の人とは少し違うと思う。……でも、私にはそれが十分すぎる理由になった。毎日胸が締め付けられるような気分になって、親から距離を置かれているように思ったの。それで、このまま楽に死ねるんなら、生き憎いこの世界から離れられるなら、もういいかなって」


  アリスは本当に満足そうにそう語る。


「……だ、駄目だ!」

 

  俺の口から出たのは慰めの言葉はなく、ありふれた否定でしかなかった。


「駄目、か。山元は本当にお人好しだね。私なんかをそこまで気にするなんて」

「誰だってそうする!  今じゃないはずだ!  お前はこれから色んなことを経験して、まだまだいっぱい人生を楽しめるはずなんだ!」

 

 そう言ったところでアリスは目を細めた。まるで俺の解答を既に知っていたかのように。

  いや、きっとこの程度の考えならアリスも何度だって思い浮かんでいるはずだ。


「山元。人はね……、みんな違うんだよ」


  アリスが壁にもたれ掛かって、俺との視線を合わせる。薄っすらと笑みを浮かべながら。


「野菜が好きな人、嫌いな人。特定の人を好きな人、嫌いな人。色んな人がいるの。そしてそのたくさんの価値観の中で山元は、生きていれば楽しさを感じられる人なんだと思う。すごく、すっごく幸せな価値観。でも、私は違う。そうは思えない。だって、山元と私は違う人間だから。幸せな家族に囲まれて、なに不自由なく生きていける場所で、私は幸せに全身を犯されて生きていく気力すら持てないんだから」


  言葉を、失った。

 駄目なんだ。

 きっとアリスは死ぬべきではない。


 でも、俺はそれを止める言葉を持っていない。 だが、何かを言わなくては。会話を中断することは、アリスの考えを暗に肯定してしまうことに繋がってしまう。


「お前は、本当に死ぬつもりなのか? 幸福を、感じていたんだろ……」

「うん。今日久しぶりにお母さんやお父さんを見て思い出せたから。私は、この人たちの足枷になっているんだって」


  返す言葉が見当たらない。

 俺と違う人間、違う考えの少女の決意に共感することもできないし、それを否定する権利はあるのだろうか。


「そ、そんなことない。あの人たちは、初対面でもわかるくらい良い人だ……」


話すだけ自分の声が小さくなっていく。


「山元にはわからないよ。すごく愛されている、非難されない。それが鎖みたいに体に巻き付いて毎日気を使うようになった私の気持ちなんて」


 まるで懺悔のようにアリスは語る。


「いつからか、親の期待に答えるためだけに生きてた。病気になりやすいから、親に嫌われるわけにはいかないんだもん。少しでも迷惑をかけたくないから、私はお利口にしてた。わがままなんて言ったことないくらい……。幸せの対義語は不幸って言うけど、私は違うと思う。きっとその関係は同義。幸せなんて、人の価値観一つで簡単に不幸になるんだもん。嫌な考え方だよね」


 アリスは苦しそうに顔をしかめた。


  同時に俺の中ではパズルの最後のピースを得たような衝動が沸き上がる。

 これまでの自分の行動の意味を、ようやく理解できた気がした。

 ああそうか、だから俺は目の前の少女が放っておけなかったんだ。


 自分の中でもようやく納得がいく。

 親と暮らすのが酷である。

 その一点において俺はアリスと共通点を持っていた。


 その感情の起源は逆にあるのだろうが、同じ気持ちを俺もアリスも持っている。

 だから、俺はアリスのことが妙に気になっていたのだ。どこかで自分と同じ気配を感じていたから。

 

 本当にどれだけ、こいつは不器用なのだろう。 最初に会ったときもそうだった。記憶を探すとか言いながら、交差点で事故を防いでいた。

 自分のことで極限まで追い詰められているのに、幽霊になってまで他人を助けるなんてどうしょうもない位のお人好しじゃないか。

  アリスは、死ぬべきじゃない。 アリスのことはよく知らないが、知っていることもある。 


 ぶっきらぼうでそれでいて感情は確かにあって、俺みたいな不真面目なやつすら正面から接してくれる。

 俺なんかよりも、ずっと良い人間ってやつに近いのだ。


「お前は、意思を変えるつもりは無いんだよな」


 ふう、やっと決意が固まった。

 

  俺がベッドの横を歩いて幽霊のアリスに近づく。アリスはこくりと頷く。

 話しても俺の言葉は今のアリスに絶対に届かない。しかし俺には、少しばかり強引だけど一つだけ取れる行動がある。


「もう、決めたことだから……」


  自分よりも他人を大切にできる人が自殺して良い訳がない。

 だから。


「わかった。なら、俺も協力してやるよ。お前の自殺に」


 言いながら窓を開ける。

  うわ、思ったよりも高いんだな。


「え? なに言って――」


 俺はアリスの言葉を聞くよりも先に、ベッドに寝転んでいたアリス本体を横向きに抱き上げた。

  そして、窓枠に足をかける。

「俺も一緒に死んでやるってことだ!」


 笑えていたのかは分からない。恐怖でひきつった笑顔になっていたかもしれないが、俺は足を前に動かし勢いよく四階から飛び出した。


「――っ!?」


 アリスの息を飲むような声。

  何を言おうとしたのかは不明だ。


 俺は重力に任せて眠り姫と一緒に落下しているのだから。

  世界が、時間が、止まったように感じていた。


 未練が無いと言えば嘘になる。俺はさっき死にかけたばかりだし。

 でも、アリスが死ぬのを黙って見ているだけなのは耐えられなかった。


 反転した世界で、俺はアリスを抱き抱える。仮に頭から落ちても、死ぬのは俺だけ。アリスは俺の体がクッションになるから命までは無くならない。

  最悪の事態は起こらない。

  それに、そんな結末はそもそも訪れないんだ。 だってこれは、結果の決まった賭けなのだから。


「うおっと!」


 何かに足を掴まれる。 見上げないでもわかったので俺は安堵の息だけを吐いた。


 こうなるとわかっていても、死の恐怖は俺の体を無意識に硬直させていた。

  今、俺は空中に浮いている。 地面に頭から落ちる残り一メートルほどの場所で、足をつかまれて浮いているのだ。


「ありがとうな。アリス」


 俺の足をつかんだ幽霊、自ら死ぬことを望んでいる少女アリスに礼を言う。

 ずるい方法だ。

 

 自分を呪い殺してやりたくなるほど、嫌悪感を抱いている。侮蔑され、悪人と蔑まれても反論できない。 アリスの善意を信頼した、最悪な方法だから。 でも、俺の馬鹿な頭ではこのやり方しか思い浮かばなかったんだ。


「何やってるの!?」


  初めて聞くような大声。

 幽霊なのにその額には汗のようなものがにじんでいた。


「俺はな、お前が死ぬのを許さない。やることをすべてやってないのに、最後の手段をとるのは逃げだ」

「そんなことのために、飛び降りたの!?  おかしいよ!  もし私が助けなかったら……」

「信じてたからな。お前は絶対に助けるって」


 抱えていたアリスの本体を見る。傷一つなく、規則正しい寝息をついていた。


「何言ってるの!?  何も知らないくせに信じるとか言わないで!  私はずっと耐えてきてたの! も う楽になっていいでしょ!」


 俺の予想外の行動に自暴自棄になっているのか、アリスはわがままを言う子供のようにそう叫んだ。

 ずっと耐えてきた。楽になりたい。

 なんだって、そんな悲しいことを言わないといけないんだ。 まだ子供だろ……。


「ふざけるな!  どんな理由があったとしても、お前の命に釣り合う訳がないだろ!」


  俺の大声にアリスがびくりと肩を強張らした。構わずに続ける。


「親に迷惑かけたくない?  贅沢な悩み抱えてんじゃねえよ!  んなもん一度話し合えば何かが変わるだろうが!  お前は体のいい理屈こねて悲劇のヒロイン気分に浸ってるだけだ!  面倒ごとを無視して楽してるだけじゃねえか!」


 アリスは俺の圧に気圧されるように目を閉じた。まるで説教をくらっている子供みたいに。 


 その目尻には雫が、今にもこぼれ落ちそうなほど溢れていた。


「だ、だから、それは、山元の価値観で……」 「そうだよ。俺の考えだ。でも、お前言ったよな、幸福は考え一つで不幸にもなるって。なら何で逆を考えないんだよ。それは、どんな不幸もどれだけの絶望も、てめえの頭一つで乗り越えていけるっていうとんでもない発見じゃねえかよ!  自分で自分を、生きていこうって思わせるなんて凄いことだろ!」


 俺の大声に驚いてか、アリスが目を見開いた。


「そ、それは……。でも!  山元はこの件には関係ないでしょ!  同情だけで、首を突っ込まないで!」

 

 アリスもむきになって声を荒げる。俺は地面に座るような体制になり、アリス本体の頭を太ももに乗せた。

 上を見上げアリスと視線を合わせたら、瞳が潤んでいるのに気づく。

 違う。同情なんかじゃない。 お前を哀れんで、俺はあんなことをしたんじゃないんだ。


「関係はある。俺はお前の話に共感できるからな。同情なんかじゃ、無い」

「共感……」

 

  そう。俺はアリスと似ている。 境遇ではなく。感じている思いが。


「俺の家は、母子家庭なんだ。親父の顔なんて見たことがない。母さんが若いころにどこぞの男と作って、蒸発されて、俺だけが残ったって感じだ」

「……え?」

「今はもう家であの人と喋ることはない。他人なんだよ、俺と親は。家の居心地が悪いって言う点だと俺とお前は同じ状況だろ?」


  アリスは言葉を忘れたかのように、俺から目をそらして虚構を見つめる。


「その、ごめん」


 申し訳なさそうに謝るのだった。

 でも、俺にとっては日常の光景を紹介しただけに過ぎない。話すのはそれほど難しいことではないし、気にも止めていない。


「構わない。アリス、俺はそんな家で育ってきたから、人一倍他人の感情に敏感なんだ。親の機嫌が悪いと暴力を振るわれていたから、子供のころから自然とそんな特技がついていった」


  今でこそ関わりすらないが、子供のころは親に頼らないと生きられない。昔の俺は、嫌でもあの人と接点を持つようにしていた。


「だから、アリスの親が良い人だっていうのはわかる。もちろんアリス、お前もだ。きっと互いに相手のことを思いやりすぎてすれ違ってるだけなんだよ。それが積み重なって一年も幽霊やるなんて大それたことにつながったんだろうけどな」

「すれ違ってる……だけ」

 

 アリスが呟く。きっと、簡単な話だったんだ。当事者だけでの解決は難しいが誰かが間をつなげば直ぐに解決するような話。


「アリス。もう一度だけ、生きてみないか。不安があるなら、俺が支えられる部分のフォローはする。必ずだ」


  きっと、これからアリスは親とのすれ違いを解消していける。 だって、良い人間は幸せになるべきだから。


「わた、しは!」


 アリスの瞳と視線が重なる。それは今まで見たアリスの中でも一番綺麗な顔で、俺は直ぐに目をそらした。


「――!」


  アリスの決意は言葉となって発せられた。 俺はそれを聞いて唯々笑い頷く。


「ああ。わかった。そうしよう」


  そして俺は立ち上がり寝ているアリスの体をおぶって移動を始めたのだ。

 ある場所を目指して。

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