歪な真実②
「今の、アリス……か」
マスターは黙り込んだ。
最初に見た印象は底抜けに明るい名物マスターといった感じだが、今は全く別の考えを持てる。
「あ、いや無理にとは言わないんだが。その、出来ればでいい」
「そうですよ。優作も無理やり聞きたいとは思ってないはずです」
この人はアリスを本当に愛しているんだ。
俺が口にするたびに、アリスを思い出して頭を抱えるほどには。それはさっきの幸耀さんも同じだろうがあの人は、マスターとはまた別な視点でアリスを愛しているように感じた。
親に愛された経験がない俺だからこそ、大人が子供に向ける感情には敏感になっている。この二人からは軽蔑や侮蔑といった邪な気持ちは感じなかった。
きっと、アリスは恵まれた環境で育ってきたのだろう。
「奏」
いつの間にかマスターのもとに来ていた幸耀さんが肩に手を置く。
マスターは顔を上げて幸耀さんを見つめていた。
それだけで意思疎通できているかのように。二人の間には強い信頼があるのだと傍から見ても感じた。
「アリスの友達なんだ。この子にも知る権利はあると思うよ。アリスもきっとそれを望むはずだ」
幸耀さんの優しい声にマスターは少しだけ安心したように表情が柔らかくなった。
この人の声には不思議な魅力がある。
聞いている人の心を無意識に和ませるような、そんな力。マスターも声を聞いてから一気に何かを決心したような顔になる。
そうして俺をじっと見る。品定めするように全身を観察していた。
「あの、私、邪魔なようなら帰りますけど……」
飛鳥が気を遣って話しかけるが、マスターは首を横に振る。
「いや、飛鳥ちゃんはもう知っとる話やしここにいてええよ。うちらが悪い気持ちになるわ」
飛鳥は次に、俺と視線を合わせる。
何が言いたいのかは何となくわかった。会って間もない人の過去に触れるんだ。俺も生半可な気持ちで聞くのでなく、自分なりに受け止めて、この厚意を無下にしてはいけない。
「アリスは、去年のちょうど今頃、病気にかかったんや。」
病気。それが、アリスの死因なのか……。
マスターがズボンのポケットに手を入れると出て来たのは一枚の写真。
一度その写真に目を落としたマスターの顔は、宝物を見るような綺麗な笑顔を浮かべる。そこで初めて、この人もアリスの親なんだなと感じた。
笑顔にアリスの面影があったから。
「これが、先月。アリスの前で撮った写真や」
そして写真を見せてくれた。
アリスの墓の。
いや、違う。
「な!? これは!」
「――っ! うそ……」
驚きのあまり声が出る。
俺の横にいたアリスは目を見開いて、化け物でも見たかのように口を両手で抑えた。
だって、そこには。
「アリスは、うちらの会話には答えられん。でも、ご飯は自分で食べられる。もうどこまでが自分の意志があるのかは医者の先生もわからんらしい」
無表情で虚構を見つめ病院のベッドに座っているアリス、笑顔でカメラにピースを向けるマスターと幸耀さんが写っていた。
理解の追い付いていない俺にマスターがさらなる言葉を伝える。
息をするのも忘れ俺はその話に聞き入った。全身が石のように硬直している。目の前の現状に呆気にとられて、脳みそが体を動かすのすら忘れているように感じた。
「俗にいう植物人間。アリスの今の状態はそれに限りなく近いらしいんや。体の機能は何も悪ないのに、自分から動くのは最低限。病名もわからんし、医者も対応の仕様がわからんそうや」
自嘲気味に苦笑して話を終えた。
病名もない病気。確かに悪いところが分からないのは非常に親として心苦しいだろう。でも、そんなことより。
アリスが生きていた。
その事実が俺の胸に弾丸のような衝撃を伝える。
俺は今まで横にいるアリスのことをずっと、死んだ人間だと思って接していたんだ。多分、アリス本人も自分は死んでいると本気で思い込んでた。
「山元くん。顔色悪いけど大丈夫?」
幸耀さんが、心配そうに覗き込んでくる。
「あ、いえ! 何でもないです!」
そう言って俺は視線を逸らした。横にいるアリスへと。
俺でさえ放心するほど驚いたんだ。アリスにはどれだけの衝撃があったのか、想像することも出来ない。
俺しかそれを受け止められないのだし、アリスの様子を確認しなければ。
「アリ……ス?」
視線の先に人はいない。
さっきまで俺の横にいた少女は、姿形がその場に存在していなかったのだ。
視線の先に人はいなかった。
さっきまで俺の横にいた少女は姿形がその場に存在していなかった。
……どういうことだ。
自分の状態がわかって未練が無くなって消えた? 成仏したのか?
それとも俺にすら遂に見えなくなってしまった?
わからない。わからないんだが、心臓が妙に速く脈打っていいる。警戒アラームのように何かを状況への理解が追い付かない脳みそに伝えようとしているようだった。
そうだ、確かに今の状況は何もわからない。やらなければいけないことがあるのは、何となくわかる。
「アリス!」
名前を呼ぶ。当然幻想的な幽霊少女からの返答は無い。
最初から世界に存在していなかったかのように驚くほどあっさりと消えてしまった。
その現実を否定するために俺は立ち上がり、勢いよく駆け出す。
「あ、マスター! 幸耀さん! アリスのことありがとうございます! ご馳走さまでした、また来ます!」
時間が一秒でも惜しいのでそう言い残して俺は店を出た。
飛鳥が俺の行動に驚いて止めようと何か口にしたが、それが聞こえるよりも先に俺は店を出ていた。
「……なんやったんや?」
「優作……。いつも変だけど、今日はとびきりおかしいわ」
「まあまあ。男の子だからね。やらないといけないことが、きっとあるんだよ」
――――――――――――――――――――――
俺は夜の町を駆けた。アリスを探して。
自分の足が無くなったのではないかと思うほど無我夢中で走り続けた。
駅前。
いない。
学校の部室。
いない。
屋上。
いない。
最初に出会った交差点。
ここにもいない。
肺が酸素を求めているので口が激しく呼吸をしようとする。
そんな時間のロスになるようなことをしている場合ではない、一秒でも致命的な何かに繋がりそうな状況の気がするのに体は意思に反して限界を訴えていた。
いま探した場所以外にアリスの行きそうなところが浮かばなかった。
だって、俺はアリスについて全く知らないからだ。そりゃ、出会ってまだ三日目だ。まともに話したのは二日前からだし、知っている方がおかしい。
……あいつの行きそうな所。
「はあ! はあ! 何か、何かヒントはなかったか!?」
趣味でもいい。癖でもいい。
アリスに対して俺は何を知っているんだ。何か知っていないのか?
交差点前で前屈みに膝に手を置き、息を落ち着かせる。
町は広い。闇雲に探しても見つかるはずがない。
アリスとの会話を思い出せ。あいつは、あいつなら、こんなときどこに。
普段は全く使うことのない頭をフル回転させて俺はアリスの情報を必死に探る。
全ては推測になるけれど、突然いなくなった理由は俺が見えなくなったからじゃないはずだ。多分アリス自身がどこかに移動した。
親から自分が生きていることを聞いて、そしてあいつは思い出したんだ。自分が忘れていた過去を。
俺に探してくれと頼み、乞い願う程求めていたものの答えを得た。
それは確実にアリスに変化を与えた。アリスがどんな事を考えたのかは不明だが、妙に嫌な予感がする。虫の知らせとでも言うべきなのか、自分でも理解不能の衝動に駆られて体を突き動かされていた。
「……あ」
ある一言が頭をよぎった。
そして、それはヒントではなく答えだ。アリスがどこにいるのか、とっくの前に答えを手にいれていたのだ。
「あそこしかない……!」
酸欠のせいか上手く考えがまとまらない。もはや本能で足を動かし続けているような状態だ。
心臓も音が聞こえるほど激しく脈打っている。持久走大会でもここまでキツく自分を追い込みはしないだろう。
それでも俺は足を動かすのを止めない。止めれないんだ。ここで走らなかったら、きっと俺は一生後悔する。
多分、きっと、いや絶対にだ。
そう思う方が自分を納得させられた。確信にも似たただの思い込み。
アリスが何かを抱えているのなら、それから救えるのはあいつが見える俺しかいない。
他人をを自分の力で救えるのならそれは何物にも代え難い、人生にもそう多くない瞬間だろう。だから、俺は走っているんだ。
いや、不思議な感情だが、多分今のは綺麗ごとで、別な目的が俺にはある。
それが何なのか今は激しい運動のせいで考える余裕が無い。
「あと少し――だ!」
目的地手前の国道に差しかかる。
目と鼻の先にこの町で一番大きなそれがあった。
だが、ちょうど信号に止められる。夜の暗さで信号機の赤い光がくっきりと見える。限界まで力を振り絞っている俺をあざ笑うかのように闇の中で怪しく光っていた。
数秒が数時間のように感じられる。信号を待っている間も、心臓の鼓動が俺を急かし続けた。
神経が速く動け、さっさと行動しろという脳の命令を伝達するが虚しくそれは体から地面に通り過ぎていく。
「くそ! じれったい!」
気づけば眼球が無意識に動いていて周りを手早く見渡す。……車は無いよな。
それがわかればここで無意味に足止めされる必要はない。再び下肢に力を込めて全力で動かし始める。
今なら!
信号無視になるが、俺は時間を優先して横断歩道へと侵入した。
暗闇の中にぼんやりと光があったのに気付かずに。酸欠で焦冷静な判断力が失われた脳は、落ち着いて周囲の情報を吟味する手間すらとっくに失われていたんだ。
次の瞬間。
真横から金切り声のような音がなる。その音の正体は深く考えるまでもなかった。コンマ一秒もかからず俺の頭に浮かび上がる。
ブレーキだ。車が急ブレーキを踏んだ音だ。
「……あ」
反射的に音の方を見る。予想は当たっていた。
声も出せない程すぐそこ。数十センチの距離に軽トラが接近している。ブレーキ音が聞こえた瞬間が近かったので、おそらくスピードはそう緩まない。
鉄の塊は俺の人生最大の頑張りすら嘲笑い、小馬鹿にするように甲高い声を出していた。
守らければいけない。俺じゃないと助けられない少女がいる。
他の誰でも無い俺にしかできないこと。それを成し遂げたかった。……それだけだったんだ。
距離が近すぎて脳が働くことも出来ず、痛みとか悔恨の念が増幅することが無かったのだけは幸いだ。
それくらい唐突にテレビのモニターのように、プツリと俺の視界は暗転した。
ああ、死んだ。
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