第5話 歪な真実

 二人に口元が見えないようメニューで悩んでいるフリをして口を小さく開く。

 アリスは首をかしげて、訝しげな表情を浮かべていた。


「ここ、私が気がついた時にいた喫茶店なの。でも、何かが引っかってるけどわからない」

「その時は中に入ったのか?」

「入ってないけど……。でもさっきここに入ったら懐かしい気がして、それを頼まないといけないって気持ちになったの。駄目?」

「駄目じゃない。むしろそれで少しでも思い出せるなら安いもんだ」

「お前、一人でなにぼそぼそ言っとるんや?」


 マスターが怪しいやつを見るような視線を向けるが俺は構わずにメニュー表を見ながら注文する。一応悩んでいたフリをしながら。


「なんでもない。そうだな……。この炒飯を一つ頼む」

「「……な!?」」


 違和感の無いよう普通に注文したつもりだったが、マスターと飛鳥は若干引き気味に俺を見る。どうしてそんな顔をするのか意味が分からない。

 まさか、幽霊と喋ってたことがばれたか……?


「お、おう。ホンマにええのか?」

「優作。私は止めないわよ、あなたがしたいのなら」

「二人してどうしたんだよ……。まあ確かに、喫茶店のメニューで炒飯は珍しいと思うが」

「ええんやな? 注文の変更は出来へんで……」


 アリスの頼みなら断る理由もないし、炒飯が嫌いなわけではないので俺はそのまま注文を通すことにした。


「ともかく、炒飯一つ頼む! もう炒飯のお腹になってるんだ」

「お、おお! なんや兄ちゃん結構たくましいやんけ! 幸耀さーん、炒飯入ったで!」

「え! 本当!? 了解、すぐ作るよ」


 カウンターのドアから入れる厨房の方にマスターが声をかけると、背の高い男の人が出てくる。アリスと似た銀髪をしており、優しい目をしていた。体格は良い方だが、虫も殺さなそうな雰囲気の人だ。


「なあ、アリス。この人たち見て何か思い出さないか?」


 アリスがこの店を知っていること。

 そして、マスターの顔や厨房の男の人の雰囲気。ここまで揃えば俺も少しだけ予感してしまうことがあった。


「……知ってる人だと、思う。多分だけど」


 未だに俺や飛鳥の近くに座っているマスターと、いま厨房から顔を出した男の人。

 アリスはその二人の顔を見ながら、首をかしげていて何かを考え込んでいる。


 予感でしかないが、俺にはこの二人からどことなくアリスの面影を感じていた。銀髪の人間なんて日本にはそういないだろうし。いや、それはあまりにも都合が良すぎるのか?


「ごめん。もう少しで思い出せそうなんだけど……。あと一つ何かわかれば……」

「任せろ。それを聞くのが俺の役割だ」


 アリスと視線は合わせず小さな音量で話す。

 その時だった。アリスの手が俺の手の上に重なる。少しだけ力がこもっていた。多分本人も無意識にやっていることだろう。


 自分の過去。死んだ原因を知るというのは、当事者でない限りその気持ちを理解出来ないが恐ろしいに決まってる。

 俺はその手を握り返す度胸はないので、手を地蔵のように固定する形で受け入れた。

 決意を固める時間を少し作って、一息ついてからマスターに声をかける。


「なあ、一つ聞いていいか?」

「なんや? ちなみにウチはもう既婚者やで。この刺激的なボディと美貌に釣られたのなら諦めや」

「そんなんじゃない。初対面で聞くのもアレなんだが、アリスっていう名前に聞き覚えないか? 俺と同い年くらいなんだが」


 話している途中で、マスターの顔が目に見えて曇っていくのがわかった。


「……お前、何でその子のこと知っとるんや?」


 俺への警戒を隠そうともしない。

 ただでさえ鋭い目付きが一層それを俺に伝えてきた。


 その迫力に気圧され思わず横のアリスに視線だけ送る。アリスは俺と目が合ったのを知ると、助けを求められているのを察してくれたらしい。


「友達だから、って言えば?」

「友達だから」


 アリスのアドバイスを、そのままオウム返しのように反復した。

 それだけだ。

 マスターは信じられない者を見るように俺を眺め、そして先ほどまでの賑やかな雰囲気でなく落ち着いた声で飛鳥に話しかけた。


「飛鳥ちゃん。山元も、アリスの知り合いなんか?」

「い、いえいえ! 初めて聞きました! え、あんたアリスと面識あったの!?」


 飛鳥が心底驚いたように口にするが、それ以上に動揺しているのは俺だ。

 アリスが多くの生徒を見ても知り合いを見つけられなかったのに、まさかこんな近くにいただなんて、しかも飛鳥の通っているお店もアリスに関係しているという偶然。


 俺はいま、苦笑していると思う。

 世間は狭いとは本当だったのか……。


「町で以前声をかけたときに知り合ったって言って誤魔化そう」

「町で声をかけて知り合ってな、それ以来の関係だ」

「なに人の娘にナンパしとんねん!」


 マスターに胸ぐらを掴まれた。そのまま少し揺らされるので脳みそが前後に振られ気分が悪くなる。

 や、やっぱりこのハイテンションな女の人はアリスの母親だったんだ。なら流れからして先程の厨房の人は父親だろうか? ……それは何となく理解できるな。


「こら奏。お客様にそんなことしたら駄目だよ?」


 注文した炒飯が乗せられた皿をトレイに乗せた旦那が慌てて仲裁に入った。


「せ、せやけど。家の天使がこんなやつの毒牙に……」

「こんなやつて」


 俺から手を離してもじもじと指を遊ばせ始める。その姿はまるで恋を恥じらい楽しむ、うら若き乙女のようだ。

 この人、旦那の前だとこんな感じなんだろうか。


「アリスは僕らが思ってる以上にハッキリ物を言う子だったよ。そのアリスが話をしたのなら、この子は悪い子じゃないでしょ?」

「う、そんな目で見つめられると……。ええわ、少しだけ認めたる。男の友達がおったていうのは意外やけどな」


 アリスの一言のせいで何故か俺が追い詰められたが、マスターはひとまず納得してくれて短く息を吐いた。


「ごめんね、山元くん。アリスに関わることになると、奏は心配性になるから。はい、ご注文の炒飯になります」


 幸耀さんが言いながら炒飯を机の上に置く。

 見た目はいたって普通の炒飯だが、香ばしいにんにくの香りが鼻を刺激してきて途端に食欲がそそられた。本格的な中華の炒飯にも見劣りしない出来だった。


「いいんですか? 話中に……」


 流石に目の前の人たちがアリスの親だとわかった今、呑気に食事を取るのもどうかと思ったのだが幸耀さんが笑顔で頷いたので厚意に甘えることにした。


「その炒飯。アリスが好きでよく作っていたんだよ。他のお客さんから注文されることは全然ないんだけどね」

「そうなんですか? こんなに良い匂いなのに」

「つうか坊主、なんで幸燿さんには敬語なんや?」

「……大人っぽい雰囲気があるからだな」

「このガキ!」

「まあまあ奏。僕は子供っぽいお茶目な面も好きだよ」

「キュン! うちも好きや!」


 バカップルは無視して食べ物と一緒に置かれたスプーンを手に取り、俺は炒飯をすくう。

 見た目もいいし変な焦げ目もない。本当に美味しそうな炒飯だ。


 俺はそれを一口、口の中に入れた。

 うん。味も大丈夫だ。美味い。いや、え、なんだ?

 何か変な感じが……。


「あの、これって……」

「隠し味を入れててね。恥ずかしながら、炒飯は僕の十八番なんだ」

「は、はあ……」


 なんか、ネバネバする。最初はパラパラの炒飯だったのに口の中に入れると途端に食感が変化した。というか、もはやガムだ。

 食感の変化は他の何物よりも不快感を底上げしていき、思わず口を開けそうになってしまう。もはや本能がこれを飲み込むことを拒否しているようだった。

 すぐにでも吐き出したい。

 口全体におぞましい何かが広がっていく感覚。

 力んでいなければ、口が開くな……。


「じゃ、僕少し洗い物あるから。後でアリスのこと聞かせてね」

「は、はい!」


 必死に口を手で抑えて返事を返した。なんというか、この人に正直に話すのは流石に良心が痛む。

 厨房に入ってこちらの声が聞こえなくなるくらい離れてから、全身を使って飲み込み一気に咳き込んだ。


「げほ! ごほ! な、なんなんだこれ!?」


 マスターと飛鳥がそんな俺に同情するような視線を向ける。


「幸耀さんの特性炒飯や。アリスしか食べられへん」

「私はアリスとこのお店でしか話したことないけど、かなり壊れた味覚を持ってるわよ」

「壊れた、味覚……」


 横のアリスがショックを受けたようにうなだれていた。

 にしても、これだけ見た目が完璧なのに食べたら不味いとは。隠し味にどんな劇物を混入しているんだ。


「山元、なんやその、それでお金取るのは悪いから何か他の作ってもらおか? その炒飯はタダでええから」


 マスターが心配そうに忠告してくれる。

 た、確かにこの味を食べ続けるのは無理があるな。勿体ない気もするがここはありがたく別の注文を……。いや、それはよくないよな。

 人が手を込んで作った料理なんだし。


「大丈夫だ。折角作って貰ったんだ、全部食べるよ」


 別に毒が入っているわけではないのだ。食感が苦手だからという理由で食べ物を粗末にするのはよくない。

 俺は炒飯を食べ進めた。


「はぐ! た、確かに、不味いが! 何とか食べ進めれば!」


 口の中にガムのような食感が広がり気持ち悪くなったが、もう勢いで口に入れ続けた。


「優作、あんたはよくやってるわ! それ以上は!」

「そうや! うちの店で死人を出すのは勘弁してや!」


 飛鳥とマスターが二人して止めに入るが俺は食べ続けた。

 確かに最初は勢いで口にかっこんでいた。しかし、四口目あたりからだろうか。

 ――俺の手は止まらなくなっていた。


「なんでか、手が止まらない!」

「ふっふー。その秘密は隠し味にある」


 俺の驚きに横にいたアリスが腕を組んで自信満々に答えた。少し誇らしそうに鼻を鳴らす。


「その炒飯は謎の隠し味で最初の数口は地獄みたいな味がするの。でも、少し我慢すれば手が止まらない。とんでもない中毒性が秘められているの、私もそれがたまらないから定期的な摂取を辞められなくなった」

「なんか、変なもん、入ってないよな!」


 あっという間に一皿食べ終わってしまった。

 生まれて初めて味わう何かが満ち足りたような謎の感覚に陥っているが、不思議とすがすがしい気分だった。


「ま、まさか、食べきるなんて……」

「うちでも一口以降手が伸びへんのに。なんて根性や……」


 女性陣が若干引いたように俺を見ていたがそんなことは気にならないくらい達成感に震えていた。



「いや、普通に美味しかったぞ? 飛鳥も頼めばどうだ?」

「それだけは本当に勘弁して。一回食べようとしたけど、まだ口の中にあの感覚を思い出せるわ」


 本当に美味しいのに、もったいないことをしているな。

 俺は腹も膨れたので横にいたアリスに再度視線を送った。本当は声を出して話をしたいが、人の目がある。探るような視線で訴えることしかできない。


 幸いなことに、アリスも俺の考えを既に理解していたらしく短く頷く。


「いいよ。私のこともっと深く聞きたいんでしょ。お父さんの炒飯を見て久しぶりに懐かしい気分になったの。気持ちは整理できた……と思う」


 最後、少し自信なさげに呟くような声になっていたが許可はもらえた。

 目の前の人がアリスの両親であることは分かったんだ。ならば、アリスがどうして今この世界に幽霊として存在しているのか。何が原因で亡くなったのか。


 そのすべてを誰よりも理解しているはずだ。嫌というほどに。


「あの、マスター」


 空になって中華っぽい柄が見えている炒飯が入っていた皿を珍しそうに眺めているマスターに声をかける。


「なんや? 女に二言は無い、今回のお代は無料でええで」

「そうじゃないんだ。最初に言っただろ。俺はアリスを探しているって」


 やはりアリスの話に触れられるのは好ましくないのか、少し顔をしかめた。

 普段の俺なら流石に人の思い出したくもない過去を掘り下げるなんてことはしない。でも今だけは、アリスのために聞く必要があった。


「アリスは今、どこに眠っているんだ? 昔のよしみもあるし、その、挨拶に行きたくてな」


 ストレートに死因を探るのは余りにも失礼なので、俺が考え付いた最大限に配慮した聞き方をした。


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