第2話 しかし、子の背景に親はいる

「おっはよー優作!」

「ごふあ!」


 登校中、正面から鈴音の頭突きを食らって悶絶する。朝食べたものが出てきそうなほどのクリーンヒットだった。

 俺のほうが後ろを歩いていたのにむこうが気づいたら走って突撃してきたのだ……。追尾式のミサイルのように確実に急所を。


「お、おはよう。鈴音。今日は遅いんだな……」

「優作はいつもどおり遅いんだね!」

「そうはっきり言うな……」


 女子の攻撃で瀕死になっては情けないので、必死に平気なフリをしておく。

 鈴音は学校にはいつも俺より先についている。まあ、俺が遅刻しない日の方が珍しいので基本どの生徒も俺よりは早いんだが。


「えっとね、ミケが木から降りれなくなってて助けてたんだ」


 天真爛漫な笑みを浮かべる。

 朝からこっちまで元気をもらえそうな笑顔。鈴音は先週も上級生から告白されていたと噂を聞いたけど、どんな人にでもこの調子で接するのだから無理もない。

 高校生男子とは単純なもので、明るくフレンドリーで顔の良い女子なんていたら好意を寄せてしまうのだ。


「ミケって野良猫のことだろ? 放っとけば降りたんじゃないか?」

「ミケは野良だけど人からエサ貰っててデブだから、高いところから降りるのは危ないの」

「あのデブ猫。野生としてそれでいいのか……」


 ミケとは鈴音が友達と言ってる野良猫で、名前のとおり三毛猫。鈴音以外には俺くらいにしか懐かない気難しい奴だ。


「まあ何にしろ急いだほうがいい。俺は今日も遅刻するだろうからな」


 そう言って手を普段とは逆方向に扇いで、先に行くように促すが鈴音にその手を掴まれた。


「もー、駄目だよ遅刻は……。そうだ、優作も一緒に行こ!」


 そう言って駆け出す。予備動作もなしに唐突にだ。


「ば、ちょ、待てって!」


 俺も少し遅れながら足を動かすけれど、上手くペースが合わない。

 あ、これはやばいな。駄目な奴だ。そう思った時には既に俺の未来は決定していた。


「急がないと、始まっちゃうよー!」


 久しぶりに遅刻せずに学校にたどり着いた。暴走元気女のせいで両足を犠牲にすることによって。



――――――――――――――――――――



「ちーっす」


 誰もいないオカ研の部室に入る。本来なら二限目が始まっている時間。

 俺はその授業をばっくれて、部活棟に来ていた。


 授業は出たとしてもどうせ寝るだけなので大して影響もないだろう。もちろん何回かやっているので、学校が家に連絡してるだろうが母さんからは何も言われない。


 放任主義とは便利な言葉だ。


「あ、優作。今日は少し遅いのね――って、なんで生まれたての小鹿みたいな歩き方してるのかしら……」

「気にするな。朝から町内全力疾走の刑にあってな」

「拷問?」

「そんなところだ」


 先客はオカ研の部長。三年の友華がパソコンをいじっている。


 友華は俺みたいに落ちこぼれて授業に出ないのでなく、その逆で頭が良すぎて行かないのだ。退屈すぎてその時間を別なことに使う方が有意義と考えたらしい。流石にテストと出席数で考えて最低限単位が取れるくらいは出席してるらしいが。


 期末テストでは常に学年でトップの成績を修めているので学校側も注意しにくい状況にある。なろう系主人公みたいな先輩なのだ。


「朝から鈴音に捕まっててな。おかげでホームルーム前に出席してたのを串木野先生に驚かれたよ。保健室に行けって言われた」


 言いながらソファに腰を下ろす。

 俺も友華ほどではないが普通の生徒と比べたら授業に出席していない方だ。


「あら、良かったんじゃないの。私と違って優作はただの不真面目なんだから。鈴音に感謝したほうがいいわ」


 ぐうの音も出ないほど事実だが、俺はそうですかと軽くあしらってスマホの画面を見ている。

 今日ここに来たのはアリスを待つためだし。それまではやることもなく手持無沙汰だ。


「そういえば昨日の塩は効いたかしら?」


 同じように暇を持て余している友華が、からかうように頬杖をつきながら尋ねてくる。この様子からして本人もただの塩だということは知っていたのだろう。


 幽霊が見えるという俺の話も面白半分で聞いていたのかもしれない。いや、そもそも部長というだけでオカルトに興味のないこいつが、あんなにあっさりと信じる方がおかしいんだ。


 そう思うと少し腹が立つな……。


「ああ。効いたぞ、幽霊も逃げ帰っていった」


 折角だから少しからかってやろう。

 友華が幽霊を信じない理由を俺は知ってるからな。


「え! ほ、ほんとに? こほん……、ま、まあいいでしょう。というかその話しぶりだと幽霊と会ったのかしら?」


 動揺した友華だが必死に余裕そうな顔を作って額に汗を流しながら俺に質問を重ねる。

 そう、目の前の知的な雰囲気を醸し出し、幽霊なんて非科学的なもの信じないといったタイプの先輩は何を隠そう心霊現象が大の苦手なのだ。


「ああ、それはそれは怖くてな。足の震えが止まらなかったが、友華の塩が役に立ってなんとか逃げられたよ」


 大げさに思い出して恐怖しているようなフリをする。

 友華は膝に手を置いて姿勢のいい座り方をしていた。わかりやすく動揺し始めたな。


「そ、そう。まあ優作にしては面白い作り話じゃない。まあ、幽霊なんて観測できる人間が限られているプラズマ現象のようなものだし、そもそも人の怨念が存在として固定されること自体があり得ない話であって――」


 落ち着くために必死に喋っているけれど、そろそろいいか……。


「でもなあ。一つおかしいことがあるんだよ」

「……ど、どうしたのかしら?」


 俺が独り言のように呟いた声に、友華がひきつった笑みを浮かべながらも反応を示す。


「昨日の霊が逃げてる時に俺が落としたタッパーを持ってな。こいつか、って言っていなくなったんだよ。あれは何だったのか……」

「……ふえ?」


 見るからに汗の量が多い。


 小学生でも信じるか信じないか微妙なラインだが、上手く話に乗っているようだ。よし、ここでトドメ。


「ああ! 後ろに髪の長い女が!」

「――っ! いやあああ!」


 友華が突然大声を挙げて部屋のドアを勢いよく開ける。

 そして、一度振り返って室内を見渡すがもちろん俺しかいない。


「ね、ねえ! 本当にいるの!? この部屋に!?」

「ああ! ここは俺に任せて先に行け!」


 そう言って俺が大げさに見えもしない何かに向かってファイティングポーズを取る。

 友華は俺の行動に一瞬驚いたが直ぐに頷いた。


「ま、任せたわ! あなたのことは忘れないから! いやああああ!」


 そう言って駆け出した。

 俺は一人部屋に残される。


 いやああああ、ってあんなに女っぽい悲鳴を出すこと出来たんだな。おかしかったが、妙に可愛いと感じてしまった。

 情けないことに変わりは無いけど。


「ふう……もしかしなくてもやりすぎたな。後で冷静になったら怒るだろうなあ」


 部屋のドアを閉めて、室内に備え付けられていた冷蔵庫から麦茶を取り出しコップに注ぐ。

 少し悪趣味な嘘をついたかもしれないが、友華が俺をからかったのが事の発端なのだから自業自得だろう。うん。多分。


 冷えた麦茶が喉の奥をつんと刺激する。心地よい勝利の気分に浸り、そのままコップを持ってソファに座ろうと振り向く。


「あ、ついたよ」


 するとソファには俺より先にアリスが座っていた。


「いやああああ!」


 俺は乙女のような悲鳴をあげてコップの中身を机上にぶちまけたのだった。


「わ! な、何急に……」


 俺の声に驚いたアリスが目をぱちくりさせ借りてきた猫のように背筋をピンと張る。緩みきっていた心臓には刺激の強すぎる出来事だ……。

 何度か息を深く吸って吐いてを繰り返して、動悸を落ち着けさせアリスに話しかけた。


「お、驚かせるなよ……。幽霊だからって趣味悪いぞ」


 アリスが不服そうに顔をへの字にしかめる。

 相変わらずソファには座ったままだが。


「むう、別にそういうつもりじゃない。ただ部屋に入っただけ。足音がしないから気付かなかったんだと思う」


 淡々とそう告げる。まあ、知り合って時間は経っていないがアリスが人を驚かせようとするタイプでないのは何となくわかる。


 逆にクール系幽霊銀髪美少女なのに、ドッキリ大好きキャラを付けられても大渋滞を起こしそうで困るし。


「そうか、悪い。俺も少し驚きすぎた」

「ん、別に気にしてない。今日は昨日の続きをしに来ただけだよ。――というかここは部室なんだよね? ホテルの部屋みたい……」


 キョロキョロ物珍しそうに周りを見渡していた。

 まあこの部屋を見たら誰でもそう思うよな。写真で見たらまず学校の部室だとは思うまい。


「そのとおり、ここは学校の一室だがホテルが買い取っててな。フロントサービスもあるぞ」

「ほんと!? 呼んでみたい!」

「や、すまん。嘘だ」

「……」


 鬼のような形相で睨むな。普通信じないだろ。


「オカ研の部室だよ。部長が色々とすごい人でな。こんな部屋でも何故か許されてるんだ」

「そうなんだ。ついさっき廊下で凄い顔で泣いてる人とすれ違ったけど、この学校ってなんかすごいね」


 おそらくそれがここの部長だ。


 アリスは感心したように笑みを浮かべている。まだ汚れを知らない純粋な表情。俺の知り合いの中でも初めてのタイプの人間だと思う。


 ……二人きりで部屋にいることに今更ながら緊張してきた。

 友華や鈴音のように親しくないからこそ、妙な雰囲気を感じてしまう。

 

 それを払拭するべく、勢いよくアリスと向かい合い机を挟んでソファに座る。


「ああ、俺はいつでも大丈夫だ。話を聞いてもいいか?」


 元からそのつもりだったのかアリスは特に前置きのような話をすることなく一度俺の言葉に頷いてから口を開いた。


「えっとね、どこから話そう……。何から聞きたい?」


 可愛らしく首をかしげる。小動物みたいなやつだ。


 しかし、その質問はあまりにも予想外なものだったので俺は昭和のリアクション芸人のように頭を前に倒して机にぶつける。そして、すぐに顔を上げた。


「いや、それがわからないんだろ。俺はアリスに関して何も知らないからな。なんでもいいが、そうだな……。お前が幽霊になった瞬間は覚えてるのか?」


 アリスは少しだけ考え込むような素振りを見せた。


「うーんと、そこからなら覚えてる。確か寝起きみたいにボーってしてたけど白い所にいて歩いてたら暗くなって、気づいたら駅前の喫茶店の外にいた」


 かなり、漠然としているな。

 起きた場所は白い所なのか?

 はっきりとわかったのはどこかを歩いて喫茶店の前にいたことくらいだ。


「駅前の喫茶店……。何か大切な場所だったのか?」


 アリスは首を横に振る。


「わからない。意識がはっきりしたのがそこだっただけ」


 そうか……。なら特に関係性は無いのかもしれない。いや、まだ可能性なだけだから断定はやめておこう。


「ちなみに記憶は何なら残ってるんだ? どんなものでもいい」


 アリスは自分の名前や、交通事故の多い場所、さらには学校にまで来れる土地勘は覚えている。

 未だに残っている記憶の把握も重要だろう。


 俺の言葉にアリスは耳にかかった銀髪をどけながら答える。


「自分のこと以外なら結構覚えてるよ。町の大きな施設とかお店の場所もわかるし」

「……なるほど、土地勘はあるんだな。出身はこの辺りで間違いなさそうだ。あ、年が近そうだしここの生徒って線は無いのか?」

「うーん……。ごめん、ちょっとわからない」


 目を閉じて真剣に考え込んでくれるが、肝心な部分はやはり抜け落ちているようだ。


「そうか。まあ、その辺は薄々想像してたから大丈夫だ。今日は学校の生徒を見て心当たりのある顔があるか探す、最初はこれでいいか?」

「うん! ありがとう。同年代には見覚えのある人もいるかもだし、頑張って探してみる」


 アリスが元気に答える。

 この作戦が一番効果的だし、本人も納得してくれているのならありがたい。


「よし。なら、授業中だけど今のうちに教室回ってきたらどうだ?」


 その一言にアリスは考えるように顎に手を当てる。

 何かひっかる部分があったのか?


「え? 優作は授業に出ないでいいの?」


 どうやらこんな状況なのに俺の事を心配したらしい。本当にどうしてこんなにお人好しな奴なんだ。


「俺はまあ、出ても寝るだけだしな。少しぐらいサボっても平気だ」

「サボりって……」

「説教ならよそで頼む。ふわあ、この時間は眠いんだよ」


 俺はアリスの意思も確認できたので、安心してソファに横になる。

 こうすればソファは俺の専用ベッドだ。ここでしばし眠りの世界を堪能するのが日々のルーティーンのようなものになっている。


 そのまま眠ろうと目を瞑り、意識を溶かす感覚を味わいながら――、


「駄目!」


 突然の大声にびくりと強張る。

 見るとアリスが俺の目の前に移動して見下ろしていた。その表情は怒っているようだ。蒼眼が俺を写し、ぷっくりと頬を膨らませていた。


「授業には出ないと。当たり前のことだよ」


 どうやらかなりの真面目なのか、律儀に説教をするつもりのようだ。

 ……知り合ったばかりの相手に、よくここまで出来るなと思った。


「悪いがそれは無理だ。俺はもう寝る姿勢だし、二限目も始まって二十分は経つ。いまから行っても意味ないだろ? 次の授業には出るから」

「だーめ! それがどんどん癖になって気付いたらサボってた、なんてことになるよ。授業に出たくないの?」


 う、正直図星だ。

 最初はドキドキしながらサボったが最近はもはや何も思わずに授業をサボるようになっている。


 出たくない理由なんて特に無いんだ。

 飛鳥や友華も最初こそ注意したが、俺の親事情を知ると口を出さなくなった。


 だから、今回もそうすればいい。


、うるさくて寝れないんだよ」


 我ながら最低なことを言っている自覚はある。家での会話なんて無いのに、都合の良い時だけ言い訳に利用する。

 子は親に似るとは、本当によく言ったものだ。腐った性根をまるっきり受け継いでいる。


 ここでアリスが追求してくるようなら、さらに親の迷惑を訴えれば同情されて話は終わる。いつものパターンだ。

 教師も、生徒も。自分のせいで誰かの傷をえぐることを恐れて、責任を恐れているから関わらない。もちろん逆の立場なら俺もそうする。


 しかし。



「知らない。ほら教室に行く!」



 俺の全く予想しない答えが返ってきた。

 アリスは相変わらず頬を膨らませて怒っている。俺の話はまるで聞いてないようだった。


「だから、話を聞けって。俺は母子家庭でな――」

「聞かない。私はそれに興味がないから」

「な!? お前が授業に連れていこうとするからこんな話をしてるんだろ!」


 アリスの返事に少しだけむきになった。

 だが、アリスは白いワンピースを押さえながら、しゃがんで俺と視線を合わせる。


「勘違いしてるのは山元だよ。私が聞いたのは山元優作がどうしたいのか。今は親の話は聞いてない」


 その一言は不思議と、俺の心に溶けた。

 目の前の少女はそれが当然の事のように、純粋な目でじっと俺を見つめる。

 次第に俺自身の浅はかさが見透かされているような気分になり、目をそらした。


 初めてだ。そんなに真っ直ぐ人と視線を合わせたのは。

 初めてだった。俺と親が、別の人間だと誰かから認められたのは。


「だー! もうわかった! 出るよ、行けば良いんだろ!」


 残りわずかしかない授業に向かうために半ばやけくそ気味に立ち上がる。

 いまの空気が続くのは、なんか耐えられない。


「うん。ありがと」

「なんで、ありがとうなんだよ……」


 出会ってからこちらのペースを乱しまくる幽霊、アリス。


 でも、アリスの言葉は、嬉しかった。

 純粋に、真っ直ぐに俺という人間を受け入れてくれるようなそんな気がしたから。こんなの出会って直ぐの人間に抱く感情でないのはわかっている。

 それでも、そう思わずにはいられなかった。


「ほら、立ったんだから早く行く!」

「わかったって! 押すな押すな!」


 幽霊に背中を押されて俺は二限目に途中参加した。周りの驚いたような視線や、何より教師の動揺が印象に残った。

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