アリスとの出会い③
鞄を肩から下げて、オカ研の部室から少し歩くと階段付近の曲がり角で階段から登って来ていたある女子生徒に遭遇する。
向こうが走っていたので危うくぶつかりそうになった。紙一重で身を引いて回避できる。
「どわあ! あっぶな!」
「ひゃああ! ごめんなさい! って、優作? ビックリさせないでくれない……」
悲鳴を上げたと思ったら、人を見るなりケロッと表情を変えて悪びれた様子もなしに失礼な事を言うこの女子生徒は
俺の幼馴染であり、一年の頃から生徒会副会長として持ち前の生真面目な性格を発揮してきた次期生徒会長候補の一人。
トレードマークのポニーテールをふよふよと揺らして、俺を見ている。
男子からだけでなく、どちらかというと女子からの人気が高く入学式当日に当時の三年から告白されたのは最早伝説として語り継がれている。
「は、俺の心が広くてよかったな! 今は急いでるから見逃してやるよ!」
出来るだけ暗くなる前に帰りたいのは本音だ。
武器を貰ったとはいえ、不安なもんは変わらない。
「あ、待ちなさいって」
横を通ろうとする俺の前に体を入れてきて、通せんぼをしてきた。
表情からもわかるが、結構怒っているようで頬が膨れている。最近はストレスのせいか少し怒りっぽい気がするんだよな。
この前なんて体育の時間にサッカーボールで玉乗りしていた孝宏が、ジャーマンスープレックスをくらっていたし。
「優作いま、オカ研から来た?」
やはり怒りの矛先は孝宏に向けられていたようだ。
それならば俺は今回は無関係。さっさとお暇させてもらおう。
「ああそうだ。今日は少し用事があってな。それが終わって帰るところだ」
「孝宏はいた?」
鋭い視線を向けられた。しかし脅しに俺は屈しない。さっき約束したしな、友情には逆らえないんだ。
「悪い。あいつは今日来てな――」
「今日の宿題、解答送るわよ」
「入って左側のソファ。窓は空いてないから逃げるのは不可能だ。間に障害物は無い」
「っそ。ありがと」
言って飛鳥が走り出した。俺が両手で開けるドアを片手で勢いよく開き、中に突入していく。
「どわあ!? なんで! 裏切ったな、優作! にぎゃああああああ!」
さらばだ。孝宏。
友だった男の最後の悲鳴が響き渡り、騒がしくなった校舎を後にする。
時刻は午後五時半。
今日は会いませんように……。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……フラグ建築しちゃったな」
ため息が漏れる。
昨日の交差点。住宅街の近くにある道路なので車通りは程々に多い。
そんなどこにでもありそうな交差点の真ん中に白いワンピースを着た銀髪の少女が立っている。
大方この世のものとは思えない浮世離れした容姿。今回も一瞬だが目を奪われた。
この異状な光景に俺以外の人間は気づいていないようで、小学生や仕事帰りのサラリーマンは横断歩道を渡る際に少女に限りなく近づくが、見向きもしない。
少女は無表情でその人々を眺めるだけ。存在そのものが世界にないようだけれど、俺の視界には確かにある。そんな矛盾にも近い現象は、生憎一つしか知らない。
本当に、幽霊なんだろうな。
少女のあまりにも常軌を逸脱した振る舞いと、周囲の反応からその存在を自信を持って決めつけた。
「昨日よりも早い時間なのに……なんだっているんだよ。まさか待ってたのか?」
ぼやいてももう遅い。
少女の幽霊は俺に気づき信号待ちをしているところに近づいて来ていた。
無意識にポケットにあるタッパーを握る力が強まる。
偶然か必然か、周囲に俺以外の人間はパタリと見えなくなった。車通りも少ない。
足がすくんでいるが、大丈夫だ。昨日と違って想定していたことだし武器もある。
「やられる前に、こっちからやってやる!」
ポケットに若干はみ出しぎみに入れていたタッパーを開ける。
中には対幽霊用の塩があるので、無造作に手を突っ込み一握り。さらさらした感覚がこんなに頼もしいとは。
間合いに入った! 仕掛けるなら今だ!
完璧なタイミングで手の中の必殺の武器を勢いよく放り投げた。
「くらえ! 悪霊退散!」
塩は近づいてきていた幽霊の胴に命中する。
これで少しは足止めが……!
恐らく苦しんでいるだろう、幽霊の顔を見る。無表情だ、声も出せないほどのダメージを喰らったのだ。
「……え、いや、なに?」
じと目で不審者を見るような訝しげな視線を向けられた。うん。これは、苦しんでませんな。
「――やっぱ! 普通の! 塩じゃねえか!」
タッパーを地面に叩きつけた。
そりゃあ怪しいと思ったさ。友華が何で除霊の塩を持ってるんだって。
でもなんというか、その場のノリで信じてしまっていた。ないよりはマシだし、塩なら何でも効くんじゃないかって。
神社の除霊の塩もその辺に売ってる塩を袋分けして売ってるだけだと思ってるし。
「……ねえ」
幽霊が話しかけてくる。
不味い、完全に無防備だ。唯一の頼みの綱はなまくら以下。というか塩。
俺はこれから呪い殺されるのだろうか……?
少しだけ後ずさるが相手の接近速度の方が速い。
幽霊は俺を睨みながら口を開いた。呪詛の籠った言霊の力で俺の体は弾けて――。
「食べ物を粗末にしちゃ、ダメ!」
「……は?」
体が爆発四散はしなかった。
代わりにまったく予想外のことを言われる。
呆気にとられた俺を無視して幽霊はタッパーを拾い上げた。
「調味料も大切にしないとダメだよ? 人に投げるのも良くない。良い気持ちはしないでしょ。自分がされて嫌な事はしちゃ駄目」
「……え、あ、はい」
タッパーを持ってない方の手で俺を指差し注意してくる。
動揺と、あと普通に正論を言われたので頷いてしまった。
「ともかく、二度とこんなことしないで。次は怒る」
「悪い。今度から気を付けるよ」
「もう。男の子なんだから乱暴しちゃめっ、だよ」
幽霊はそのままタッパーを俺の手に握らせて、プンプンという擬音が似合いそうな表情のまま、背を向け歩き出していく。
「って! そうじゃない!」
突然肩をびくりと強ばらせ、振り返ってきた。
び、びっくりした。無感情のように見えて、意外と声が出るんだな……。
目を見開いて俺に顔を寄せてくる。
幽霊のはずなのに、吐息が伝わってきた。深い海の底を彷彿とさせる蒼眼に、至近距離で見られると普通に緊張する。
「あなた、私が見えてるでしょ?」
「お、おう。ばっちりと」
「昨日言ったこと聞こえてた?」
「もちろんだ……。過去を知らないか、だったよな」
そこで幽霊は俺から少し離れて、大きなため息を吐いた。
残念そうに肩も下がっている。
「やっぱり……聞こえてて、逃げたんだ。」
「すまない! その、驚いてな……」
なんというか、思ったよりも接しやすいやつだ。
幽霊は意志疎通できないと思っていたが、普通に会話できるし姿もくっきり見えるからその辺の女子とのコミュニケーションとなにも変わらない気がする。
いつの間にか、俺の中にあった恐怖は薄れていた。
「……ひとつ聞いていいか?」
幽霊に初めて自分から話しかける。
これまでそんな経験はなかったのか、少し驚いたような目をするが幽霊は頷いた。
「いいけど、どうかしたの?」
「話を聞かなかったら、俺をどうするつもりだ? の、呪うのか?」
幽霊といえば人を呪い殺すようなイメージが心霊番組のせいで定着している。いずれにせよ得体の知れない存在に対して、コミュニケーションがとれるだけでは不安も大きい。
銀髪の幽霊は不思議そうに首を傾けた。
「そんなことしないよ……。私が見える人はいつもそうやって怯えるけど、私はただ生きてる人に協力してもらいたいだけだよ」
話しながら徐々に落ち込んでいって、少し泣きそうな顔になった。
見れば見るほど普通の女の子だ。
「わ、悪い! 今の質問は忘れてくれ。」
必死に弁解すると、幽霊は俺と視線を合わせる。
「そうだ! もう一つ質問だが、お前はここから離れられないのか?」
話を変えるために、友華が言っていた地縛霊かどうかの話題を持ち出す。
幽霊は俺の言葉を聞いて首を横に振った。
「ううん。違う」
予想外の返答だ。
当たり前のように答えたが、そうならこの場所に居続ける理由がわからない。
「じゃあ、なんでこの交差点にいるんだ?」
「うーんと、私が見える人に会えたらって言うのと、あとはここ昔から事故が多いから少しでも手助けできればなって。ほら、私を見えない人でも触ることはできるから。」
そんな事を当然のように言ってのけた。
俺は思考が一瞬停止し、その場に固まる。
だってそうだろ。大勢の人間が利用するところなら商業施設とかに行けばいい。わざわざこんなところで突っ立てるのは効率が悪すぎる。
だとするなら、こいつが言ってることは後者が本音だ。
自分の過去が分からないくせに、他人の手助けをしていたんだ。
そういえば、一年前からこの辺りで交通事故はぱったり起こってないような気がする。
まさか……こいつ。
「い、移動できるってことは他の交差点や事故の起きやすい場所にもいたのか?」
幽霊は頷いた。
「うん。まあ人探しも兼ねて、ね。」
少しだけ恥ずかしそうにそう言った。
そんな。そんなことって。
「――っく、はは、あははははは!」
気づけば俺は声を出し腹を抱えて大笑いしていた。
何が幽霊は怖いだ。
俺は今目の前にいるやつほど馬鹿みたいにお人好しなやつを知らない。
自分のことよりも幽霊になって人助けをしてるなんて、んな話聞いたこともなかった。
「ど、どうして笑うの!」
頬を膨らませて少し怒っているのがわかった。
俺は笑いすぎて目尻から流れてきた涙を指で取る。
「聞くよ。話」
「え?」
信じられない言葉を聞いたように幽霊は目を丸くして俺を見つめた。
「ほんとに、ほんとに聞いてくれるの!?」
顔が目と鼻の先にまで近づいてきて無意識に後ずさる。
「本当だって! ここまで喋った相手を放っておけないだろ!」
咄嗟にそんなことを口にしてしまったが幽霊は納得したように目を輝かせた。
「本当なんだ! じゃあ、あなたの家で話をしよう!」
そう言って手を掴んでくる。
幽霊という割には体温もある。ふよふよ浮いてるわけでもないし、尚更普通の女子との違いが感じられなくなった。
――でも。
「それは駄目だ!!」
語気を荒げて否定してしまう。
直ぐに今の発言がまずかったと思ったが、幽霊は動揺して少しオロオロしながら俺を見ていた。
ああ、やってしまった……。
「す、すまん。そのあれだ、親がお前が見れたらビックリするだろうから。……今日はお開きにして、明日細かい話をしよう。」
幽霊は俺の言葉に頷いた。
「いいよ。ごめん、私も取り乱しちゃった。――でも、嬉しいのは本当。明日は学校で待っとくね」
「学校? 記憶が無いんじゃなかったのか?」
そういえばこの辺りの事故が多いということも知っていたな。
幽霊は耳にかかった髪を手でどけながら答えた。
「無いのは記憶の一部。この辺は明日に詳しく話すね」
……さっそく新しい情報が出てきた。
しかし全く記憶がないよりはその過去とやらの解明も遥かに簡単かも知れないな。
「おう。じゃあ、また明日。」
そう言って奇妙な関係を持った幽霊に別れを告げようとする。
明日から、少しだけ忙しくなりそうだ。
「あ、待って。」
肩に手を置かれて止められる。
振り返ると幽霊は夕焼けのさいか少し顔が赤くなっているように見えた。
「どうした? やっぱり学校はわからなかったか?」
「ううん。その制服はよく見るからわかるよ。それよりも、私はアリス。名前だけは覚えてる」
そう言ってはにかむ。
その笑顔が綺麗で俺は顔を背けてしまった。不思議そうにアリスは横から俺を覗き込んでくる。やめろ、心臓がもたん。
「それで、あなたの名前は?」
協力する以上最低限の自己紹介が必要だと考えたんだろう。
本当に律儀なやつだ。
「俺は山元優作。二年三組だ。まあ、明日は部活棟のオカルト研究部にいると思う。だからまず部活棟に行ってみてくれ」
「……そうなんだ?」
疑問を浮かべていたが、アリスは俺に左手を差し出す。
これは、握手ということなのだろうか。
「ん。手出して」
予想通りだ。
言われるがまま俺もアリスの手を握る。
想像以上に小さく細くて、少しでも力を込めれば壊れてしまいそうなほどに華奢な手だ。
「お、おう! これからよろしく、アリス」
「よろしく。山元」
そして互いに視線を重ねた。
いつもの午後にほんの少しの新たな出会い。
奇妙な幽霊少女アリスとの出会いは、俺にとって哀れみにも似た同情だった。不器用すぎる目の前の少女を放っておけなかったのである。
この日からだ。
俺が、忘れることの出来ない、輝きに満ちた日々を送るのは。
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