第1話 情報共有(2)

 花売りの少女リェティーについて、クレイドは彼女と出会ったきっかけから話し始めた。

 売上金をなくして生気を失ったリェティーの姿は、思い浮かべるだけでも辛いことだったが、たくさんの会話を重ねていくうちに、ようやく彼女の笑顔を見ることができるようになったのだ。


 それから、親友ロディールと三人で顔を合わせることも増えて、次第にリェティーの個性も見え始めた。


 そんなある日、楽器店“avecアヴェク des cordesコード”に貴族の男――ウェリックス公爵が訪れたのである。

 一切不調のない楽器を修理するように命令されて、クレイドは体調不良も相俟って困難を極めていた。


 公爵の意に沿うを成し遂げたとまでは思わないが、最終的にクレイドは自らのその仕事を完遂させたのだ。

 そして、公爵の反応はクレイドの想像を遥かに越えていた。その証拠こそが、不本意ながらに得た対価――いわゆる大量の金貨だったのである。


「彼がウェリックス公爵だったなんて、本当に知らなくて……」

 今思い出しても、嫌な悪寒が背筋を走る。

「それでも上手くこなしたんでしょ? さすが職人さんだよ」

 クレイドは目を見張って、「まさか」と少しだけ声を大きくして言った。

「上手く対応できなかったのに金貨を寄越してきたんです。だからこそ、不気味で仕方なくて」


 そして、その後の状況は一変した。

 リェティーの捜索願が街中に貼り出されたのである。それからは、顔を上げて外を歩くことができなくなってしまったのだ。

 クレイドはため息をついた。

 一人の少女の幸せを願うだけで、なぜそこまでされなければならないのか。これを罪だというならば、救いの神など到底信じられそうにない。



「その捜索願にはなんて書かれてたの?」


 レオンスが真剣な顔で関心を示した。

 クレイドの記憶の中には、その文言が嫌でも残っていた。


『――娘を捜しています!!

 リェティーという名の花売りの少女に心当たりありませんか?


 年齢13歳、身長150センチくらい。

 髪を二本に分けて編んだ、瞳の大きな少女。


 現在、誘拐事件として捜査中。情報があれば、今すぐスベーニュ地区の役場へお越しください。


 犯人へ告ぐ!

 街の治安を悪化させた罪は重い!

 禁錮刑に処す! ――』



 レオンスの表情が曇り始めて、最終的に首を傾げた。


「随分とざっくりした内容じゃない? 有能な情報屋でも、もう少し基礎情報がほしいところだけどねえ。たとえば、髪色や瞳の色。リェティーって子のフルネームとかさ。どうして名前だけなんだろうね?」


 考えてもみなかったが、言われてみれば確かにおかしい。捜索を依頼するにしては、情報量が少なすぎるように思う。

 本当にリェティーを探しているのなら、情報を全て公表してでも大捜索するのが普通であろう。


「クレイド、その子のフルネームは?」

 レオンスに問われて、クレイドは躊躇することなく答えた。

「リェティー・フェネット。昔、アルマンに住んでいたことがあるらしくて」


 すると、レオンスが無言で黙り込んだ。その表情は不自然に引きつっていた。

 何か強い圧力に押さえつけられているようで、どこか苦しそうにも見える。


「大丈夫ですか?」

「……どうかな。少しだけ、頭の整理が必要かも」

 そのレオンスらしからぬ返答に、アルディスが咄嗟に声をかける。

「外に出ます? 少し揺れるとは思いますが」


 アルディスは立ち上がると同時に、慌てて船体の壁に手をついた。

 船に乗り慣れているであろう彼ですらも、垂直に立っていられないほどの揺れなのだ。


 レオンスはやや青ざめながら、わずかに口角を上げる。


「……いや、お気遣いはありがたいけどね。悠長にしていられないことが分かったから。俺もちょっと真面目な話をさせてもらうよ」


 クレイドは不穏な空気が漂う感覚を全身で味わった。

 何かとんでもないことが明かされる――そんな気がしてならなかった。

 目を逸らしたい気持ちを抑えて、クレイドはレオンスの顔を見た。


「結論から言うと、俺はフェネット家が没落した理由を知っている。そして、その原因を作ったのはウェリックス野郎だということも」

 ここで言葉をとめると、レオンスは目を細めて話を続けた。

「……俺の予測が正しければ、その捜索願を出したのもあいつだ」


 それは言いすぎだ――とクレイドは眉を寄せた。

 レオンスが真面目に話していることは分かるが、到底納得できるものではない。


「リェティーが花の売上金を失くしたのは偶然ですよ。俺がリェティーを迎え入れたのだって、もちろん偶然で――」


 クレイドは言いかけて唐突に口を噤んだ。


 ――今なんて言った? 偶然……?


 その瞬間、船体が大きく縦に揺れた。

 座っている三人の身体が否応なしにあらゆる方向に飛ばされる。

 クレイドは楽器ケースに手を伸ばし、危機一髪、なんとか掴み取ることに成功した。


 アルディスが最初に態勢を元に戻して、状況を確認する。

「二人とも、大丈夫?」


 レオンスは船体に打ち付けた腰や背中をさすりながら身体を起こす。

 クレイドは楽器を死守するために頭を打ち付けてしまい、まだクラクラする感覚が残っていた。


「びっくりした……」

 クレイドがぼそりと呟くと、レオンスが慌てて自分の荷物を手繰り寄せた。ちらりと中を見て、小さく唸る。

「……弦が二本切れてるなあ」

 レオンスは荷物の中から、シトールの切れた弦を一本つまみ上げた。

「良ければ交換しましょうか? 確か、予備の弦があとニ本あったはずなので」

 クレイドは右手を差し出して楽器を受け取ろうとする。

「いいや、そんな貴重な予備を俺が使うわけにはいかないでしょ。また揺れるかもしれないし」

「確かに、俺の手元が安定せず楽器に傷でもつけたら大変ですかね。スベーニュに着いたら先に俺の店に寄って弦を交換して、それからミセス・ヴェルセーノの家に行きましょうか」

「それは正直ありがたいかも。代金は後で必ず払うから」

「いえ結構です。俺がお金を取るには、色々なことをやってもらいすぎました。……それに、あなたがシトールを持っていくということは、何か意味があるのかなと思いまして」

 レオンスは肩をすくめてクレイドを見た。

「これは護身用だよ」



「あ、あの。話を戻すようだけど、さっきの『偶然』って話は本当?」


 アルディスの言葉でクレイドの記憶が現実に引き戻された。

 だが、船体の激しい揺れのおかげもあって、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んだような気がする。

 クレイドは視線を床に落とした。

「レオンスさんの話が本当なら、偶然じゃなくて、全て仕組まれたことだった可能性も否定できないと思う。でも、そうでないことを願いたい。……じゃないと、ちょっと怒りが込み上げてきそうで」

 レオンスが同調するように小さく二回頷いた。

「気持ちは分かるよ。まあ、あくまで仮定だから。……ただ、今から話すことは全て事実だ」

 

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