第5話 密会

 ミセス・ヴェルセーノはカップを三つ、トレイの上に乗せてゆっくりと戻って来た。二人の正面の椅子に悠々と腰掛けると、テーブル上のランタンを持ち上げて中心部に寄せた。

 これから真夜中の密会が始まろうとしていた。


「私は、初対面のロディールにも分かるように説明するからね、よくお聞きよ? 第一に、私の家はここじゃない。お店を兼ねた家が別にあるからね。第二に、じゃあ私がなぜ今ここにいるのか。それはここが孤児院で、私はこの場所で働いているからさ。ここの管理は交代制で、今晩は私がたまたま担当だったんだ。この建物――外観はそう見えないかもしれないが、二階より上は子供たちばかりだよ。人数で言うと、ざっと二十人程度の孤児院だけどね。……さて、まずはここまで聞いて何か質問はあるかい?」


 クレイドとロディールが表情をかたくして真剣に話を聞いていたところ、突然、ミセス・ヴェルセーノが朗らかに笑い出した。どう考えても、今の話の中に笑えるようなエピソードはないだろう。


「ははは、こりゃ随分と深刻そうな顔をしてるじゃないか。あんたたち、何があった?」


 二人は顔を見合わせると、同時に無言で頷いた。これを合図に、クレイドが口を開けた。

「その……。まず、この建物の子供たちは、どのような経緯でここに住むことになったのですか?」

「それを聞くなら、この街の嫌な部分を知る必要がある。貧しさゆえに育児放棄する親があまりにも多いという事実をね……。そんな子どもたちが幸せに暮らせるように、私らが手をさしのべるんだ」

 クレイドはミセス・ヴェルセーノのことをそれなりに知っているつもりだった。だが、そのあまりに高潔とも思える彼女の裏の仕事に、言葉が出てこなかった。

「まぁ、これはここだけの秘密にしておくれ。良いことをしてるなんて柄でもないからね。……まぁ、この街には良い人間だってたくさんいるさ。ただ、信用しすぎてはいけないってことだね」


「それは、あなたのこともですか……?」


 あまりに直球すぎるクレイドの訊き方に、ロディールはカップを持つ手を震わせた。


「お、おい……!」

 ところが、ミセス・ヴェルセーノは笑い出す。

「あっはっは、クレイドは面白いことを聞くねえ。私のことを信用してくれなくたっていいさ。信用されすぎると、ちょっと想定外の行動をしただけで一方的に裏切られたなんて言われかねないからねえ?

 だが、私は嘘を吐くつもりはないし、あんたたちのことは信じてるよ」

 そう言ってカップを手に取り、コーヒーを啜った。その表情はどこか微笑んでいるようだった。

「まったく可愛い子だこと。これでこそ私の知るクレイドだよ。そういや、ロディールはクレイドの友人なのかい?」


 唐突に会話の矛先を向けられたロディールは、口角を上げて頷いた。

「ええ、親友です。でも昔の後輩なんで、弟みたいに感じることもありますね」


 かと聞かれてだと答えるロディールを、クレイドは横目で見る。


「親友かい。クレイドも紹介してくれれば良かったのに。仲良さそうじゃないか」

「そう言っていただけると嬉しいです」

 ロディールがにっと笑顔を見せた。


 ミセス・ヴェルセーノがコーヒーを一口飲むと、続けて二人の青年の顔を交互に見た。

「……で、本題は何だい? 私に何か聞きたいことがあると言っていたね?」


 彼女のあえての『本題』という言葉に、二人は同時に息をのむ。今さっきミセス・ヴェルセーノの話を聞いて、クレイドは彼女のことを信用して良い人であると再認識したばかりであった。それなのに、どこか慎重になっている自分がいた。


「私なら、何か協力できることがあるかもしれないよ?」


 ロディールは首を傾けてクレイドを見ると、ゆっくりとした声で促した。

「なぁ、クレイド。このままにしても、何も変わらないと思うんだ」


 クレイドは無言で頷いたが、ミセス・ヴェルセーノを前にして、どこか緊張感が抜けきらない。

 意識して数回呼吸を繰り返し、最後に息を深く吐いた。


「……あの。いま巷で噂になっている行方不明の少女の話って、ご存知ですか?」

「あぁ、有名になってるやつだね? 知っているよ?」


 ミセス・ヴェルセーノならば知っていてもおかしくはないと、クレイドは心のどこかで思いつつ、彼女がどこまで知っているのだろうかと疑問が浮かぶ。


「その件について、あなたはどう思いますか?」

 話の取っ掛かりとして、クレイドは彼女の意見を聞くことを選んだ。

 会話の方向性は、相手の出方を見つつ決めるとしよう。


「私から見れば、あれが事実なのかどうかも疑ってしまうね。花売りなんて、裕福な人がやるものじゃない。13歳の我が子を働かせるなんて、余程じゃなければできることじゃないよ」


 クレイドはミセス・ヴェルセーノの目をしっかりと見て頷いた。お互いに視線を一切逸らすことはなく、穏やかな口調で話しているにもかかわらず、どこか空気が緊迫していた。


「だから、私はその花売りの娘が養子であると推察する。それも、そこそこ良いところの娘だろう」

「……さすが、ミセス・ヴェルセーノ。そこまで分析されていたんですか」

 クレイドの言葉に、ミセス・ヴェルセーノはニヤリと笑った。

「クレイド。お前、何か隠してるだろう? 直接話してくれたら何か協力できるかもしれないよ?」


 これは彼女の厚意による提案なのだと、クレイドは無理やり自分を納得させた。どこか不敵な笑みにたじろぎそうになりながらも、視線だけは逸らさなかった。緊張ゆえに膝の上で拳を握りしめ、唾をごくりとのみ込む。


「実は、その花売りの少女なのですが……」


 クレイドが話し始めた瞬間、彼女はさらっと、とんでもないことを口に出した。


「お前が誘拐犯なのかい?」


 間違ってはいないが、これだと意味的にかなりの語弊があった。クレイドは弁解しようと慌てて口を開いたが、この行動自体、犯人であると自白したようなものである。


「た、助けたつもりだったんです。端から見るとそう見えるかもしれませんが、かなり意味合いが違うので……」

「なるほどねえ、本当だったわけかい。人助けはクレイドらしいと言えばらしいが、これは世間に知れ渡るとまずいと言うわけだね?」

 ミセス・ヴェルセーノは特に驚きもせず、状況をすぐに飲み込んだ。

「だが、普通に聞いただけなら誰もが誤解するだろうね。若い男が少女を誘拐したということだろう?」

 世間一般的に捉えられるであろう解釈を聞いて、クレイドは肩を落として無言で俯いた。

「それだけ聞くと、誤解しますね……」

 ロディールは慰めるようにクレイドの肩に静かに手を置く。

「要するに、あんたが捕まらないためには、バレなきゃ良いんだろう?」

「そうなんですが、あの子を帰すわけにはいかないんです。何とかしてあげなくちゃいけなくて……」


 クレイドは自分の思考が限界に達したことを悟った。言葉を話そうと思うと、湯気のようにぽっと出ては声に出す前に消えていく。


 ロディールは隣でクレイドの変化を察したらしく、代弁を自ら買って出た。

「……あの子のためにも、クレイドのためにも、この件の話題が落ち着くまで、何とか疑われずにすむ方法はないでしょうか。あの子もクレイドを兄のように慕っていて、前の家には帰りたくないと言っています。連れ去ったことが世間に露呈すれば、こちらには一切のメリットがないんです」


 クレイドは暗い表情のまま、少しだけ頭を上げてロディールを見た。

 何か反応する間もなく、ミセス・ヴェルセーノが口を開く。


「ふうむ。その子は元の家に帰れないから、クレイドの家に残る必要がある、と。だが、世間で事件として扱われてしまった以上、どうしたらよいか分からなくなってしまった。その子には家に帰して嫌な思いをさせたくないし、だからといって自分が捕まるわけにもいかない。そういうことだね?」


 ミセス・ヴェルセーノによる要点集約は見事なものであった。現状が少し整理されたことで、クレイドの顔色には血の気が戻り始めていた。

 こういう時、矢面に立たされた当事者よりも、周囲の人間の方が冷静に判断できるものである。この二人なら何らかの妙案を出してくれるのではないかと、そんな期待をクレイドは抱き始めていた。


「……それで、どうする? 私に何をして欲しいんだい?」

 突然の質問に、クレイドとロディールは無言のまま顔を見合わせた。ミセス・ヴェルセーノはやれやれと肩をすくめる。


「よし、分かった。しばらくその子を私の家で匿ってあげようじゃないか」


 クレイドは反射的に口を挟んだ。

「で、でも……! あなたの身に危険が及ぶんじゃ……!」

「大丈夫さ、この私がミスをすると思うかい? 事が落ち着くまでは何とかしてあげるよ。その子には、信頼されているクレイドから事情を話をしてあげておくれ。不便は絶対にさせないさ。……それとも、他に何か心配事でもあるのかい?」

「そ、そういうわけでは……!」

 クレイドは少しだけ声を荒らげた。

 ミセス・ヴェルセーノがそう言ったとしても、彼女の身に危険が及ぶ可能性は否定できない。クレイドは何もできない自分の不甲斐なさに、ため息をついた。


「……あの子は頭の良い子ですから、必ず分かってくれると思います。ですが、あなたにこんなにも迷惑をかけてしまうことになるとは……」

「若いうちは、迷惑かけてなんぼのものさ。ただし、誰にも話すんじゃないよ? あんたのことも、その子のことも、この孤児院のこともね」

 ミセス・ヴェルセーノの声のトーンが少しだけ低くなったことにクレイドは気が付いた。

「えぇ。それは、もちろんですが……」

「なら問題ないね。今日の話は全て私たち三人だけの秘密だ」

 協力者となるミセス・ヴェルセーノの身を守るためにも、この秘密は絶対に厳守しなければならない。

「急だけど、明日の真夜中にでもその子を連れておいで。いいかい、この孤児院じゃないよ? 私の家に連れてくるんだからね?」

「は、はい、分かりました」

 ミセス・ヴェルセーノの誘導尋問のような念押しに、クレイドはただ頷くだけだった。


 ***


 孤児院をあとにしたクレイドとロディールは、冷たい外気を受けて身震いした。月に照らされた地面に目を向けながら、どこか神妙な面持ちで楽器店の方向へ歩みを進めた。


 二人は肩を並べながら、ゆっくりと進む。

「帰ったら、温かいコーヒーでも飲むか?」


「あぁ、そりゃありがたいな」


 

「……あ。コーヒー切らしてたんだった」

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