第3話 真夜中の市場
リェティーが部屋に戻った後、クレイドはどこか肩の力が抜けたように眠い目を擦った。
「ロディール、俺たちもそろそろ……」
「クレイド。夜に悪いんだが、どうしてもお前に話しておかなきゃならないことがある」
ロディールが改まった態度で言い出す。表情は真剣そのものだった。
クレイドは視界が霞むなか、目をしばたたかせた。
「何だ? それなら俺もお前に言いたいことがあるんだが」
ロディールは何のことやら、全く想像がつかずに首を傾げた。
「……分かった。それなら、お前の話から聞こう」
二人は再び向かい合うように椅子へと腰かけた。
「話ってなんだ?」
「ロディール、俺に言ってないことあるよな? フィナーシェという子が店に来たんだが」
クレイドは口を開いて早々、ロディールに追及した。フィナーシェが一人で来店してから、ロディールはクレイドに対して妹に関する一切のことを話していなかった。
「ん……? もしかして、あいつ俺の名前出して話したのか?」
「丁寧に教えてくれたぞ。まさか隠すつもりだったのか?」
クレイドはやや強気でロディールに詰め寄った。危うく声を荒らげそうになる。
ロディールは苦笑しながら、いやいやと顔の前で右手を振った。
「別に、そういう訳じゃないけどさ。フィナーシェがこの店で楽器を購入するなんて、俺は本当に聞いてなかったんだよ。お前のこと聞かれたけど、俺が余計な先入観与えるのもどうかと思ってさ。それで、クレイドの店に行って聞けばいいって言ったんだよ」
「それならそれで言い方あるだろ? お客様相手に、俺から自分のことをペラペラ話すのは違うと思わないか? 公私混同してる気がして、正直接客しづらかったよ」
ロディールは少し目を逸らしながら、頭を掻くような仕草をした。
「……いや、それは悪かった。謝るよ。今度から行くなって言っておいた方がいいかな……?」
「それは必要ない。絶対に言うなよ? あの子の意思で店に来るのは問題ないし、お客様の来店は絶対に断らない。俺はロディールの対応に納得できなかっただけだ」
クレイドは正面切ってロディールを論破しようとした。楽器を購入してくれた客人が誰であろうと、「店に来るな」など言語道断である。それに、フィナーシェについては、クレイドから「また来るといい」と言った手前、ロディールに余計なことを言われてはたまらない。
とにかく、経営者として店の信頼度を下げることだけは避けたいのは当然だろう。
ロディールが心配するような目でクレイドを見た。
「……お前、真面目なのは良いが、その考え方は生きづらくないか?」
「余計なお世話だ」
クレイドはテーブルに片肘をつき、フンと顔を背けた。
「悪かったよ、本当に今度から気をつける。……なぁ、今度は俺の話をしてもいいか?」
クレイドは顔を背けたまま、ちらりと視線だけロディールに向けた。
「……何だ?」
ロディールは階段方向にリェティーがいないことを改めて確認した後、小声で話し始めた。
「あのな、クレイド。実は……」
ロディールは一旦ここで言葉を止めた。
クレイドは姿勢を正すと、ロディールに向き直った。背筋に妙な緊張感が走る。
「な、何……?」
「う、うん。あまりお前にとっては良くない話かもしれないんだ」
クレイドは不思議そうに首を傾げた。
「……ほら、リェティーのことだよ。あの子、前の家から勝手にいなくなったことになっているだろ? 実はつい最近、捜索願が出されたらしいんだよ」
「何だって?!」
クレイドは声を張り上げてしまい、慌てて両手で口を塞いだ。完全に予想していないことであった。
「ロディール、それって結構まずいんじゃ……」
クレイドの表情から一気に血の気が消え失せた。
「あぁ、そうなんだよ。もしあの子が見つかれば、火の粉はお前に飛ぶことになるだろうな」
ロディールは重々しく、虚ろな目でクレイドを見た。
その一方で、クレイドは真っ直ぐにロディールを見る。
「そしたら、あの子はどうなるんだ?」
「間違いなく、前の家に連れ戻されるだろう」
「せっかく家を出られたのに?」
「おいおい、クレイド。お前、自分の処遇は心配じゃないのか?」
「俺が罰を受けるのは、まあ仕方がない。どんな罰なのかは気になるところではあるが……」
「どうだかな。このご時世だ、軽くはないと思った方がいい。何とかして避けられないものかと……」
暗い表情を見せるロディールに、クレイドは不自然なほどにっこりとした笑みを向けた。
「ロディール、良いことを思いついた。……要するに、見つからなければいいんだろ?」
ロディールは目を丸くした。
「な、何だか紳士らしくない言葉が聞こえたぞ? 見つからなければいいとしても、簡単じゃないだろう。お前はリェティーを外に出したことがないのか? あと、店に来た人に姿を見られていたりとかしてないのか?」
クレイドは図星を突かれて、ぎくりと肩を小さく跳ね上がらせた。確かにロディールの言うとおり、一度だけリェティーを連れて広場へ行ったことがある。
さらに、つい先日はルオントと名乗る老夫に、リェティーの姿を見せて「妹である」と紹介したばかりだった。
「……ま、まぁ。確かに思い当たる節はある。でも、貴族でもない俺たちをじっと見て記憶に留めておく人なんていないだろうし……。リェティーを会わせたのは一人だけだよ、何とかなるさ」
ロディールの目はクレイドを信じていなかった。
「……少し心配だが、まあ、分かった。お前がそう言うなら、俺もできる限り協力する。今できることは何かあるか……?」
クレイドは静かに口を開いた。
「……それじゃあ、一つだけ。リェティーにはまだこの事を話さないでおいて欲しい。状況を見て、俺から伝えようと思う」
これはリェティーのためであり、余計な不安を抱かせたくないという兄としての思いだった。
ロディールはクレイドの心境を察して、どこか辛そうな表情を見せながら頷いた。
「あぁ、分かったよ」
「ちなみに、一つだけ聞いてもいいか? 捜索願が出されたことを、お前はなぜ知っているんだ?」
やや鋭い問いかけに、ロディールは苦笑いをした。
「あぁ、なるほどな。まず何でも疑った方がいいもんな。……実は、親方が噂で聞いたらしいんだ。リェティーの名前までは言ってなかったが、『元花売り娘』と言ってたから、間違いないと判断した。もしものことを考えたら、親方に直接聞くわけにもいかなくてさ……」
クレイドは納得したように何度も頷いた。
「そうか、街でも噂になってるということか。俺がその話を聞いたとしても、おそらくリェティーだと判断しただろうな」
「人が集まる市場には張り紙もしてあるらしい……」
クレイドは顔をしかめた。
「何か他に書いてあったりするんだろうか。例えば、犯人に関する事とかさ」
「見に行ってみるか?」
ロディールのこの言葉、さすがに冗談ではないだろう。
「怪しまれないか?」
「問題ないさ。真夜中なら人もほとんどいないだろうよ。夜警の人間がいたら厄介だが、まぁ夜の散歩とでも言おうぜ」
――いや、それが一番怪しくないか?
クレイドは今このタイミングで突っ込むのも野暮だと思い、声に出さずに飲み込んだ。
「分かった。それなら行ってみたい」
クレイドはリェティーが熟睡していることを確認するため、部屋の扉の前でそっと耳を澄ませた。
数秒経っても物音一つ聞こえず、熟睡している証拠だろうと判断した。
上着を羽織り、いつもの革製鞄を肩にかける。お金は、夜警の人間に出くわすことを想定して、盗人であると誤解されないためにも持ち歩くことをやめた。
クレイドとロディールは店を出ると、外には月明かりが照らしていた。雲ひとつない満月であった。少し前まで建物を揺らすほどの強風だったが、そんなことを全く思わせない美しさである。まるで二人の出発を後押しするようだった。
クレイドはもう一度店に向き直り、扉を施錠した。深夜とはいえ、もしも睡眠中のリェティーの身に何かあったなら、ただでは済まされない。
スベーニュの街に住む人々は、捜索願の張り紙を通りすがりに視界に入れている可能性がある。警戒心を高めなければならないのだと、クレイドは自分の心に言い聞かせた。
「ロディール。真夜中に市場なんかに行って、怪しまれないだろうか……?」
歩く道すがら、クレイドは不安そうに言い出した。
「今さら? 人に会いたくないなら真夜中が一番いいと思うが?」
もちろん、ロディールの言い分も納得できる。真夜中の市場はひと気がないぶん危険と隣り合わせではあるが、"危険を冒す"には丁度良い。それゆえ、悪人と見間違えられる可能性も高いのだ。
「俺たちが不審者として疑われないか?」
クレイドは神経質になっていた。
「その時は言い訳なんざいくらでも考えられる。さて、どうする? このまま行くか、やめるか?」
ロディールは一度立ち止まり、この場でクレイドに判断を委ねた。
「い、行くけど……」
いずれにせよ、貼り紙の事実をこの目で確認しなければならない。
「ははっ、それでこそ俺の相方だな!」
ロディールに肩をバンバンと叩かれたため、クレイドは痛そうに自分の肩を手でさすった。
家屋や店の明かりは完全に消えて、月明かりの下、二人は暗闇に目を凝らしながら市場まで歩いた。周辺が生活圏内でなければ、方向も分からず足がすくんでいただろう。
周囲を見回すと、市場の露店はもぬけの殻と化しており、昼間の活気がまるで嘘のようだった。人のいない異世界に辿り着いたような感覚である。
クレイドは隣を歩くロディールに小声で話しかけた。
「月明かりが俺たちの味方に付いているとはいえ、これはさすがに暗すぎるな……。スベーニュってこんなに危険そうな街だったか?」
これにはロディールも顔をしかめて小さく唸った。
「うーん……。世間一般に言われているほど、この街の治安は良くないんだよな」
クレイドはロディールの言い方にどこか引っ掛かった。まるで何か知っているような口ぶりだ。
「何を根拠に?」
「お前だってすぐ分かるよ。ほら、あそこに貼り紙あるだろ?」
ロディールが指さす方向を見たクレイドだったが、その場所を特定することはできなかった。
「どこだ? 貼ってある場所を知っているのか?」
「ほら、すぐそこに貼ってるだろ?」
クレイドは眉を寄せてロディールを横目で見た。ロディールの態度に違和感を感じた。
「どこだ? 暗くて見えない……」
すると、ロディールはスタスタを数歩前へ進み、建物の壁に手を触れた。
「これだ」
クレイドもその場所へ歩み寄った。
二人は貼り紙の文章を読むために、壁に顔をグイと近付けた。
クレイドが目を凝らしながら、文章を目で追い始めた瞬間、息を呑んだ。
「こ、これは……」
《――娘を捜しています!!
リェティーという名の花売りの少女に心当たりありませんか?
年齢13歳、身長150センチくらい。
髪を二本に分けて編んだ、瞳の大きな少女。
現在、誘拐事件として捜査中。情報があれば、今すぐスベーニュ地区の役場へお越しください。
犯人へ告ぐ!
街の治安を悪化させた罪は重い!
禁錮刑に処す! ――》
「本当に、リェティーだ……」
クレイドは見たくないものを見せられたような気分だった。これが現実なのかと、ショックのあまり足元がふらついた。
ロディールは反射的に片腕を差し出してクレイドを支える。
「大丈夫か……? こんなの役場の連中もどうかしてるよな。初めから治安が良くないことぐらい知ってるだろうに。……それにしても頭の悪い文だ。禁錮刑と書いて、のこのこと出てくる犯人なんて普通いないよな?」
クレイドはさっとロディールの腕を払い、正面から向き直った。
「おい。お前、何か知っているな?」
真剣な態度にもかかわらず、ロディールは誤魔化すように苦笑いした。
「……いやいや、すまん。悪いようには絶対にしないから信用してくれ。これから場所を移動して話す」
クレイドはロディールのすぐ後ろをついて歩いた。
辿り着いた場所は市場からそれほど離れておらず、それでいて人があまり通らないと思われる路地裏――しかも袋小路になっていた。月明かりすら届かないこの場所は、真夜中でなくても薄気味悪く感じるだろう。
しかし、クレイドにとっては、ロディールが迷いもせず淡々とこの場所に辿り着いたことが何よりも気味悪く感じた。
「ロディール、この場所は?」
クレイドは前方を歩くロディールに、強い口調で問いかけた。
「……うん。この路地裏と周囲の建物は、すべて孤児たちの住処なんだ」
クレイドは耳を疑い、復唱した。
「こ、孤児たちの、住処……?」
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