モノクロの奏者

プロローグ

プロローグ

　羽毛のように柔らかな雲がたなびき、夕陽が群青色に染まり始めたころ、教会の鐘の音が街に響き渡った。

　一日がもう少しで終わりを迎えようとしていた。

　街の広場には、鐘の音に紛れて様々な音があふれていた。

　風に吹かれ、木々の葉が擦れ合う音。歩く人々の話し声。演奏を楽しむ者たちによる癒やしの音楽。

　人々の間でとりわけ話題になっていたのは、時々広場に現れるという、ヴィオラダガンバ（※ヨーロッパの古楽器、チェロに似た形状の擦弦（さつげん）楽器）を演奏する淡い栗色の髪をした青年のことであった。

　彼が奏でる自然と耳に入り込んでくるような太く優しい音色は、広場を歩く人々に癒やしと安らぎを与えていた。

「あら、まだここで演奏していたのね」

「本当ね。私たちは久しぶりに来たけど、今も変わらず夕方に演奏しているのかしら」

　ここは人々が自由に利用できる公共の広場であり、時には騒がしいほどにもなる場所だが、どれほど周囲が騒がしくとも、この青年が自分のペースを乱すことはなかった。

　ある意味で一目置かれた存在であり、彼の存在を噂する人々は、彼の演奏やその風貌を高く評価していた。

　それでも、彼と実際に会話を交わしたことのある者はほとんどおらず、彼が何者なのか知る人は少なかった。

　ヴィオラダガンバを演奏する彼は瞳を深く閉ざしていたが、ただ一人、幼い少女が目の前でじっと静かにその演奏に耳を澄ませていた。

　青年は長い一つの曲を弾き終えると、ゆっくりと目を開けた。

　ふと、少女と目が合う。

　彼女の鮮やかな色味の服が貴族らしさを窺わせて、自分とは違う、育ちの良い子供なのだろうと青年は思った。

　数秒の沈黙があった後、彼は穏やかに尋ねた。

「……お嬢さん、もしかして私の演奏を？」

「うん！　演奏、上手だね」

　少女は屈託のない笑顔で答えた。

「聴いてくださったのですね。ありがとうございます」

「また、聴きに来るね！」

　少女はそう言うと、手を振りながら颯爽と駆け足で去って行った。

　彼はその後ろ姿を眺めながら、もう一度、ありがとうと心の中で呟いた。　

　＊＊＊

「お母様！　広場で演奏していた人、とても上手だったの！」

　少女は眠りにつく直前、広場で出会ったヴィオラダガンバ奏者の話を持ち出した。

「ほら早く寝なさい、ティフェーナ。もう知らない人と話をしてはいけませんよ」

　母親は厳とした態度で娘をたしなめる。

「どうして？　あの人、いい人だったのに」

「たった一回話をしただけで、そんなに軽く人を判断するものではありません」

　傍らで話を聞いていた使用人の女性が、軽く頭を下げて口を開いた。

「失礼します、奥様。その奏者の事でしたら存じております。街の楽器店で働く若者のようです」