体が言うことを聞かない
駄目だ…この男が私を見る度、舌なめずりをする度に、全身を蛇が這い回っているような気持ち悪さに支配される。私を、殺す…一体何の理由で、私はこいつと面識もなんてない。なのにどうしてこの男は私を殺すと、こんなにも嬉しそうに言うのだろうか。
「ま、待って…!どうしてあんたに殺されなきゃならないの?まず私はあんたのとこの囚人じゃない…他の島の囚人に手を出すのは、ご法度だって、黄緑さんも言ってたけど!?」
「黄緑までお前に接触してたとは…やっぱりぬかりねぇっての、あの偽善者は。おい風篠さくら…朗報だ。昨日の会議で閻魔様より、今後2週間、閻魔選定までは自軍の囚人以外にも罰を与えることが許された」
「「!!」」
私とおばあちゃんはこれでもかというほど眼を見開いた。そして絶望した。そんな。そうしたら、今この男が私やおばあちゃんに手を下すことも可能。…やばい。本能が、逃げろと叫んでる。でも足が動かない。
「ま…条約の解消がなくても、俺はお前を鍵強奪犯として殺すことができたがな…」
「くっ…」
「あぁそうだ、そっちにするかぁ、閻魔様からの評価そっちのが高そうだっての。なぁ、風篠さくら。ありがとなぁ、俺に大義名分をくれて」
久須郎が懐から取り出したナイフを、長い舌でペロリと舐めた。あれで殺る気だ。や、やるしか、ない…。何とかおばあちゃんと団寿は逃がして…!
「お、おばあちゃん、団寿…こいつは私が相手するから、逃げ…、」
後ろを振り向いてハッとした。喪失している。戦う気も、逃げる気も感じられない。まるで蛇に睨まれて動けなくなってしまった獲物のように…。
「そっちの女も囚人の匂いがするっての…。まぁ、殺っても対して成績に影響なさそうだけど…ないよりはましか」
まずい。久須郎の矛先がおばあちゃんに向く。
「お前の相手は私だ!」
「おっと。なかなかいい動きするっての、重罪人。ムエタイだな?やっぱりお前は俺が死ぬくらい痛ぶって、輪廻転生してもらわねぇと」
「な、そういうことか…!私を輪廻転生させたら…」
「お前みたいな重罪人、百鬼に輪廻転生させたら成績また開いちまうじゃねぇか。俺の餌になってもらうっての!」
久須郎の振りかざしたナイフを躱して、後ろへ下がると久須郎が着ている着流しの袖から、首にいたはずの蛇が2匹私の方へ飛び出してくる。建物の影に隠れてその牙を何とか回避。久須郎の方へ近付いて打撃を与えようにも蛇がそこかしこに飛びかかってくる。近付けない。
「言ったよな?蛇の嗅覚は人間よりもはるかに鋭いって」
その声がした途端、左脚に鈍い痛み。
「うっ…!」
「どこに隠れようとも微かな匂いだけでお前を突き止めることなんて容易いっての」
くそ…噛まれた。押さえてもどんどん血が出てくる。右肩に続き左脚も…片手片足しか使えないとなると、かなりやばい。そうでなくても近付くことすらできないのに…!
…近付けない……ああ、そうか。こちらから近付けなければ、近付かせればいいのか。
「っな、何の真似だってのお前…!」
左脚に噛みついていた蛇の身体を、左手でぐっと力強く握る。この蛇の長い体の後ろは、まだ久須郎の首に巻きついている。
「近付けないから…、お前が近付いてこいやぁああ!」
思いきり蛇の身体を引き寄せれば、久須郎の首を先頭に、ぐわんと体が思惑通り私の方へ引き寄せられた。そして近くまできたベストなタイミングで、私は踏み込んでいた右脚を地面から思い切り離す。
ガンッ…!!
私の回し蹴りが、左側から久須郎の顔面にヒットした。そして、すさまじい勢いで久須郎は路地裏の壁へとぶつかり、コンクリートの外壁がばらばらと崩れ落ちて行った。
「っ、はぁ、はぁ…」
何とか、直撃させられた。人間界でこの蹴りを食らって経っていた人物を、私は知らない。お願い、くらばって。お願いだからこれで立ち上がってこないで…。
「さ、さくらっ…!早くそこから逃げな!!」
「…え?」
おばあちゃんの悲痛な叫び。私の目の前には、倒れていたはずの久須郎が血を流して立っていた。さっきよりも恐ろしい目つきをして。
「参ったなぁ…僕を怒らせるなんて…やっぱり百鬼の島の囚人は百鬼に似てむかつくっての…。もう輪廻転生とかいいや、風篠さくら、お前ここで首斬ってあげる」
振り上げられたナイフ。私の首へ振り降ろされるその太刀が、妙にゆっくり見える。
ゆっくり見えたのに、動けない…。
あぁ、殺されるのか。
ブシャァアアッ……
高く血飛沫が、吹き荒れた。壁に銃弾のように打たれ広がる鮮血が、そこのいた者の目に焼き付いた。
痛い、痛い。
…違う…これは私の血じゃない。私が痛いのは、さっき噛みつかれた右肩と、左脚だけだ。
ならこれは…誰の、血?目の前に立ちはだかる大きな体。逞しい筋肉。麻で作られた囚人服…………。
…………嘘だ。
「あ、英、雄っ……!?」
「…、がはっ…」
「英雄!!!!」
私の方をゆっくりと振り返って、口元をにこ、と緩ませたのは、ここにいるはずのいない英雄だ。胸元に斬り傷を負って、その場に崩れ落ちた。それを必死に支える。
「おい…女…俺にでけぇこと言っておいて、簡単に、殺されそうに、なってんじゃねぇよ…」
「何でっ…何で英雄がここにっ…何で私なんか庇って…!」
「お前が、言ったんだろ…人を強くすんのは…想いだと、」
「っ…!」
「俺は…今度こそ大事なもんを護る英雄(ヒーロー)になる、それが俺の、償いだ…!」
そう言った英雄の眼には、涙しているおばあちゃんの姿が映っていた。おばあちゃんは英雄の傍に駆け寄って、涙を零す。
「…さくらを護ってくれて、ありがとよ…英雄。」
「…」
英雄は切ない顔をして、何も言わずにおばあちゃんの涙を指で拭った。
「あー、なかなか成績が上がりそうな囚人がもう一人いるっての。百鬼島の囚人って頭悪いの?鬼ノ街道に潜入するとか…。どの道皆殺しだっての…」
久須郎は口から流れる血を手の甲で拭って、私達に殺気を向けた。
:
「っひゃ、百鬼様っ…!大変です!」
「…騒々しい。何だ」
落ち着かない心の天気に、騒々しい音は掻き消したくなる。墓石の前に立ち尽くす俺のところへやってきたのは、俺の島の看守だ。睨みを利かせてそちらを見れば、男は肩を大きく揺らした。
「ひっ…!申し訳ございません!!ば、番人の久須郎様が、とうとううちの島の囚人に手を出されましたっ…!」
「…とうとう?意味が分からないな。そもそも他島の囚人への介入は禁じられている」
「えっ…ひゃ、百鬼様、ご存じないのでっ…!?昨日の会議で、閻魔選定までの残り2週間は、それが撤廃されたんです!」
…何?そんな話は、会議内容を伝達しに来た歳ノ成からは聞いていない。あの変態科学者のことだ、自分に分配が上がるよう、わざと俺に教えなかったのだろう。だが、その程度の事、俺には関係ない。
「…囚人くらいくれてやる。あの蛇小僧が今更俺に追いつけるとも考えにくい」
「は、はっ…!で、ですが百鬼様、どうやら今騒ぎになっている鬼ノ街道に侵入し、ここの地獄墓石門の鍵を奪ったのもその囚人達らしく…!久須郎様と戦いを繰り広げているそうです…!どうやら、うち一人は、ムエタイの使い手の囚人で久須郎様の怒りをかってしまったようだと…!」
………………………………………………………ムエタイの使い手の、囚人、だと?
「で、ではっ…近くにいるうちの島の看守に、囚人たちは見殺しで良いと、電報を入れ…………百鬼様!?」
…俺は俺の意志でしか動かない。今も、これからも。そうだ、俺は何かに突き動かされることなんて、ないはずだ。
なのに何故今勝手に、この脚は動いている。
何故俺に生意気な物言いをした看守の始末も忘れて、拳を握っている。
何故……俺の心臓は、数百年ぶりに音を立てている。
どこまでも不可解で、不愉快で、不快だ。
ただそんな俺の脳裏に一つ浮かぶのは、俺が心から憎んだ、忌々しい太陽だった。
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