蛇に睨まれてしまった

閻魔に番人と看守のみ立ち入りが許された鬼ノ街道。禍々しい重厚な鬼の門の先には地獄と思えない街が広がっている。道なりにある店も、江戸の町を思わせる。更にその先には、閻魔のいる地獄中央がある。囚人たちは勿論この世界を知らない。誤ってこの場所に踏み入った囚人が再び姿を現すことはなかったためだ。囚人たちにすれば、憶測でしか、この門の先を語ることは不可能だったのだ。看守らにしてみれば、地獄は人間界と同じような生活ができる地獄でないのかもしれない。



「…ま、まさかここが地獄だなんて…まるであちきらがいた人間界だ」


「いや…人間界はもっともっと進化した街並みだったよ!?これじゃぁまるで教科書の中の世界…っていたたたばあちゃん何すんの!」


「何だい?今流行りのジェネレーションギャップだとでも言うのかい?あちきが昔の人間だとでも?さくらちゃん」


「ち、違う違うおばあちゃん!でも令和はもっと機械化が進んでて…」


「おばあちゃんって言ってるじゃないかい!」


「それはいつもじゃんかぁああ!」



耳を引っ張られてつい声を上げてしまった。全く、容赦ないなおばあちゃん。何とか看守を二人ボコして……こほん、眠らせて、看守服を着て潜入したはいいものの、驚きの世界が広がっていたからついおばあちゃんと騒いでしまったのだ。だが看守服を着ているからか、幸い私達を警戒する者はいなかった。



「…とはいっても、あちきらがいないことが百鬼にバレるのは時間の問題だよ、さくら」


「そうだね…それまでにここで百鬼のことと輪廻転生の方法を探るよ。…ていうか、おばあちゃん英雄に一応声掛けてたけど…来なかったみたいだね」


「嫌な奴だが、こういう時はあいつがいた方が戦力になるだろうと思ってね。誰がお前らなんかと行くか!って言われたけどね」


「(…英雄顔真っ赤だったけどね。おばあちゃんのこと好きなのばればれすぎて周りの囚人たちも気使ってたよ。ツンデレかよ)」



確かに英雄がいたらいざという時心強さはあるけど…致し方ない。嫌なものを巻き込むわけにもいかない。何としても一晩で情報を掴んでみせる。



「…とにかく、時間は制限されてる。なるべく目立たずに、事なきを得るんだ。いいかい、さく…」


「てめぇ、舐めてんのかゴラァ!」


「ひ、ひぃ、ごめんなさいっ…!がはっ、!」


「ごめんじゃ看守も番人もいらねぇんだよぉ!」



グレー地の看守服を着た男が一人、カーキの看守服を着た男たちに蹴られて地面に蹲っている。



「ちょっと!謝ってんだからそれ以上やるなんて反則でしょうが!」


「(って、さくらぁあああ!入ってる側から…!全くあの馬鹿っ…!)」



蹲っている看守を庇うように男たちの前に立ちはだかれば、男たちは顔を歪ませた。



「何だぁ?グレーの看守服…百鬼様んとこの看守…同じ島だからってこいつ助けようってのか?」


「何だそれ、そんな話聞いたことねぇし見たこともねぇぜ。人助け、とか」


「へー、なかなか可愛いじゃねぇか…」



まじまじと私の顔を見るカーキ看守服を纏った男たちがそんな反応をすると思わなかった。この地獄では人助けは世にも奇妙な物語らしい。何かそれらしい言い訳を。じゃないと折角潜入したのが無駄になる。



「わ、私はこいつを助けたわけじゃない!自分の島の不始末としてこいつをボコすためだ!」


「え、えぇーーーー!」



助けられたと思ったのか、蹴られていた看守は悲鳴に似た声を上げた。そしてカーキ看守服の男たちは、一瞬呆気にとられた後、大声で笑い出した。



「がははは!流石は百鬼様の囚人!冷酷だぜ!わーったよ、ま、俺も肩にぶつかられた苛立ちが収まんねぇもんでよ…それ、見物させてくれや。そしたら俺の恨みも浄化すらぁ」


「!」


「ひ、ひぃい…」



…やばい。どうする。今更本当は助けたことを明かせば、食って掛かられるのはこっちだ。この男を本当にボコすか?…いや、選択肢は一つだ。



「…分かったよ。覚悟しな」


「お、お許しをっ…!」


「ムエタイ必殺技、回し蹴り!!」


「「ぐぁあっ!!」」


「…っな!?」



見物を、と趣味の悪いことを口走った男の左側にいた二人が私の回し蹴りによって吹っ飛んだ。男は、驚きの声を上げて地面で伸びている二人と私を交互に見、勿論の如く私を敵だとみなしたようだ。



「てめぇ…!どういうつもりだ!やっぱそいつ助けるつもりか!?んなの御伽噺でしか聞いたことねぇぞ!」


「だろうね!人間界ではみんなそうしてるんだ、輪廻転生するまでに覚えときな!次はい地獄送りにならないようにね!」


「うごふぁあっ!」



こちらにも回し蹴りがクリーンヒット。上手く気絶してくれたようだ。もう一つの不幸中の幸いが、この場所に今自分たち以外がいなかったということ。



「さくら!あんた本当にハラハラさせるんだからっ…!」


「おばあちゃんごめんよ!ほらあんた、今のうちに逃げるよ!」


「ひ、ひぃっ、ほ、本当に僕を助けてくれたんですかっ…!?」


「当たり前じゃん!ほら、行くよ!」



男の手を引いて建物の路地裏へと逃げ込む。細い道のすぐ側面には用水路があるためか、人間界で嗅いだことのあるような臭いがした。男は壁にもたれかかって座り、はぁはぁと息を切らした。



「あ、あの…本当は僕今からここでボコされるんじゃ…、」


「違うって言ってんだろあんた男ならもっとしゃきっとしな!こっちだって命がけであんた助けたんだからさ!」


「ひぃいすいませんすいません!」


「(おばあちゃん怖!怒らせるのやめておこう)」



おばあちゃんに怯えている男の身体にはいくつもの痣があった。それはまるで、囚人たちのそれと同じように。しかし身に纏っているのは間違いなく看守服。グレー地の、百鬼の島の看守服だ。



「…あんた、看守なんだよね?」


「ぼ、僕は看守です…え、あなた達も、百鬼様直属の看守ですよね…?その服、」


「あ、そ、そう。私達も百鬼の…ひゃ、百鬼様の看守~。もう、百鬼様ほんっと尊敬もっと貢献、いえー」


「さくら、逆に違和感だ。顔引きつってるよ。ていうか何でラップ?」



彼の名前は団寿(だんじゅ)というらしい。最近、囚人から看守へとなったらしい。だがまだまだ染みついた囚人魂が抜けておらず、強気な看守たちに目を付けられてはカツアゲ、恐喝に遭い痛い目をみているのだという。



「…待ってよ。ねぇ団寿、囚人の行く末は、やっぱり看守なの…?輪廻転生は!?」


「な、何だ…君たちどうやって看守になったの?百鬼様に、首を斬られたんじゃないの?」

「「!?」」



団寿は相変わらず眉を下げて、私達の方を不安そうに見ている。しかし彼は嘘や冗談を言えるような器用な人間には見えない。つまり首を斬られたというのも事実なのだろう。頭に貼りついていた疑問が、少しずつ埋まっていくような、パズルをはめていくような感覚から、私の口は止まらなかった。



「首を斬られたら…囚人から、看守になるってことね?」


「え~…もしかして、君その時の記憶ないタイプ?羨ましいなぁ、僕なんか百鬼様のあの悍ましい顔が頭から離れなくて夜も眠れないのに…。そうだよ。囚人は番人に首を斬られたら、正真正銘地獄の住人である看守になるんだ。そこで輪廻転生の権利はなくなる」


「…!!」



まさか…とは思った。いや、当たってほしくない予想がパズルがはまったことで正解だと証明されてしまった。ここにいる看守も、門の向こうで囚人たちをシメている看守も…もともと囚人だったんだ。それが番人に斬首され、看守となり今度は戒める側へと回った。もう二度と、人間界へ行くことのできない体へとなって。


ぞっとした。つまり、団寿も、この地獄にいる看守も、番人たちも、百鬼も…人間界へは帰れない。ずっとずっと、この暗がりの中で生きていかなければならない。



“ここは地獄。太陽など昇らない。”



百鬼のあの言葉が、それを知った今体に重くのしかかった。もう二度と自分は陽の眼を見ることができないと知っていたら、少なからず私だってそう思うはずだった。絶望の中に閉じ込められて、光を失うはずだった。何も知らなかった。…悔しくて拳から力が抜けない。



「さくら…」


「…団寿、番人は…勿論番人も、輪廻転生は…」


「…できるはずないよ。僕ら看守の中から優秀な5人だけが選ばれる生粋の鬼なんだから」


「……そう」


「でもその番人様たちは今、多くの囚人を輪廻転生させようと必死だよね」


「…どういうことだい?団寿」



おばあちゃんが団寿に問う。団寿は、おばあちゃんに怯えながらも口を小さく開けて答えた。



「だ、だって、昨日の会議で言ってたじゃない…。閻魔選定が10日間早まったって…。だからあと2週間の間で、番人の中から閻魔が決まるんだ。今までの功績で一番輪廻転生させた番人が閻魔になれるでしょ」



私とおばあちゃんは顔を見合わせた。



「筆頭候補の百鬼様は、ここから2週間、他の番人様達から狙われるはずだよ。勿論、看守の僕たちもね…あぁ、考えるだけで怖いよぉ…」



団寿は細い体を震わせた。どうやら、私達が探ろうとしていることはもっともっと根が深いらしい。それはこの地獄の暗闇のように。落ちても落ちても底のない、暗闇だ。





「へぇ…よく見たらそこに倒れてんのは俺んとこの看守じゃん。おい、起きろっての」


「うぐっ!」



首にに引きの蛇を巻いた青年は道に倒れているカーキ色の看守服を着た男を蹴り飛ばして意識を戻させる。激痛から目を覚ました男は、目の前にいる主に、一瞬にして顔を青ざめさせる。



「く、くく久須郎様っ…!も、申し訳ありません…!ど、どうかご慈悲を…!」


「だっせぇな、仮にも俺の島名乗んならやられてんじゃねーっての。おい、誰にやられた?」


「ひゃ、百鬼様の島の、馬鹿強い女の看守に…!」


「百鬼…」



その名前を聞くと、久須郎は目の下をピクリと動かした。



「へぇ…牙むき出しにしてくれるじゃん。百鬼。こっちもやりがいがあるっての」


「く、久須郎様…、その、我々に挽回のチャンスを…」


「うるせぇな。お前、邪魔だっての。食っていいよ、さり、うり」


「待っ…久須郎様、ぐ、ぐぁああっ!」



久須郎は首にいる蛇にそう言うと、蛇2匹は男にものすごい勢いで襲い掛かる。そしてその後、目を伏せたくなる光景がそこに広がり、地面は血塗られた。



「さーて、その女看守は何処に行った?さり、うり。この匂い、ただの看守じゃないっての」



蛇のように鋭く、獲物を逃がさない目つきをした番人久須郎が、動き出した。

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