地獄に太陽を上げましょう
ひどい重労働だった。先日の岩運びなんて比にならないほどの過労。足場のおぼつかない岩道で、ひたすらに鉄材を運び積み上がさせられる。百鬼は息を切らしている私を足を組みながら満悦そうに眺めている。私の降参を今に待っているといった感じだろうか。
「降参なんか、するか…!絶対に人間界に帰るんだからね…!」
「ほぅ…まだそんな口が利けるなら仕置きが足りないようだな」
百鬼を見上げて睨みを利かせる。だが残念なことに、私の百鬼を見る目は、昨日から少し変化をしてしまった。こいつの寂しそうな黒い眼が、目に焼き付いて離れない。まるでブラックホールのように、奥底が見えない暗闇の中にたった一人、放り込まれたような気持ちになる。冷たくて悲しくて死んでしまいそう。そんな眼が気になって何とも言えない感情が湧き上がってくるのだ。
「…百鬼、あんたは一人じゃないよ」
…ぽつり。自然と口から言葉が漏れた。
…ん?私、今何を口走った?え?私を虐げるこの冷徹無慈悲鬼畜阿保無関心無愛想の百鬼に向かって、一人じゃないよ?そ、そんなこと言ってる場合か私ぃい!?何なら今現在進行形で虐げられてる途中だっていうのに…!自分が冷静になった時には百鬼は既に鬼のような形相で私の目の前に来ていて、勢いよく右手が伸びてきた。
…でも不思議だ。いつもみたいに、怖くない。それどころか百鬼から不安や迷いすら一瞬感じたような気がした____。
…むぎゅ、
…頬が、両側から中心に寄せられた。
「っ…、ひゃ、百鬼、?」
あ。ほら。その眼。悲しくて、寂しくて、一人ぼっちな眼。光のないそこに自分が映るのは二度目だ。私の声に、百鬼ははっとしたように気が付いて、眉間に皺を寄せた。
「…何故逃げなかった。今俺はお前の首をへし折ろうとしたが」
「…いつもみたいに、怖い感じがしなかったから」
本当の事だ。自分でも驚いたくらいだ。百鬼があの勢いで近付いて来たら逃げなきゃ、とか、避けなきゃ、とか。考えてもおかしくないことばかりされてきたのに、脳がそう指令を出さなかった。それどころか大丈夫とすら思った。百鬼の眼を見ていると、心に止まない雨が降ってくるんだ。
「…でもどうして、あんたも私の首を折らなかったの。そうすることだってできたはずなのに」
百鬼は答えを出さない。私の頬から手を離して、背を向けた。
「…作業の続きをやれ、すぐに戻らなければ今すぐ首を斬る」
「…」
…私のこの感覚は間違っているのだろうか。百鬼は計り知れないほどの悲しみや苦しみを背負っている気がする。
“…噂によるとあちきらと同じ囚人だったとか。”
…おばあちゃんが言ってたことは本当なのだろうか。もしそうだったら、長い年月、どんな思いで地獄で過ごしてどんな思いで番人をしている?どうしてそんな悲しい眼になった?
「…百鬼。あんた、私と同じように、囚人だったの…?」
百鬼の足がピタリと止まる。
「もしそれが本当なら、どうして番人なんか、「おい。」
ガッ…!
「いづっ…!」
「図に乗るな。俺の言ったことだけ従順にこなせ。くだらない情をもつな」
「っ…!」
「何か期待したような顔をしていたが…お前の首を折らなかったことに深い意味はない。俺の気分だ。すぐに戻らなければ今すぐ首を斬ると言ったはずだぞ」
地面に倒れている私に、百鬼は二刀を抜刀し、刃先を向けた。
「……あんたが本当の地獄の鬼なら、私はきっと初日に首が切り離されてた…。百鬼…それをせずに賭けをしたのは…あんたの人間としての優しさがまだ残ってたからじゃないの?」
ごくん。
場合によっては切り刻まれる。そんな恐怖から、固唾を音を立てて飲み込む。でも言いたかった。何て言うか、地獄にずっといることになっても、“人間でなくなる”わけじゃないことを証明してほしかっただけかもしれないけど。
「…………。…俺も初めはそんな眼をしていたのかもな」
「…!」
「だが、ここは地獄。太陽など昇らない」
そう言うと百鬼は私の前から姿を消した。暫くそこに座り込んでいたのだろう、いつの間にか私の前方に鉄材を運ぶ囚人たちの背中がたくさん見えた。
「…太陽は、昇らない…」
百鬼が言っていた言葉だ。地獄の空に浮かぶのは、ただの血の塊。人間界に浮かんでいた神々しい太陽の光は決してここには届かない。初めはそんな眼をしていたのかも、と言ったのは、やはり百鬼も囚人としてここへ来た…ということだろうか。
百鬼のこと、ちゃんと知りたい。
「さくら!大丈夫かい!?」
「…おばあちゃん」
鉄材を運んでいたおばあちゃんが、座り込む私を発見して駆け寄ってきてくれた。大丈夫サインを送ると、びっくりさせないでおくれよ、と安堵のため息をついていた。
「おばあちゃん…輪廻転生って、どうしたらできるの?」
「え…あちきも詳しくは知らないけど…人間界で起こした悪行を洗い流すほどの罰を受けた魂だけができるって噂だよ…。それがどうかしたのかい?」
「百鬼がもし囚人としてここに来たなら…どうして輪廻転生せずに番人になったのかなって…もしかしたら囚人の成れの果てが看守や番人なら、救われないよ」
「あんた…どうしてそこまで百鬼のことを…自分を虐げてる番人だよ」
「うん…でも、その中にもまだ優しさを掛けられてる気がして。それに、私を見て俺も初めはそんな眼をしていたのかもって言ってた。嫌だけど、似てるところがあるのかもしれない」
「…さくら」
「看守と番人しか入れないところに、基本百鬼たちはいるんだよね?」
「そうだけど…あんたまさか」
「今日の罰が終わったら、そこに行ってみる」
「な、何考えてるのさ!いくら何でもそれは止めるよ!あそこに囚人が踏み入ることは厳禁だ!」
「そこに行けば輪廻転生のことが何か分かるかもしれない…そしたらおばあちゃんたちも…囚人のみんなも輪廻転生できるかもしれないじゃん」
「だめ、危険すぎる!」
やっと腰を上げた私の腕をとって必死に止めるおばあちゃん。よっぽど危険な場所なんだろう。私が今言っていることはきっと、知らないからこそ言えることだ。
「…でも、やらないと何も変わらない」
「あ、あんたは百鬼との賭けに勝てば人間界に帰れるだろ…わざわざそんな危険なことする必要なんてない。耐え忍ぶ方がよっぽど、」
「それじゃぁ私一人しか助からないじゃん。私を助けてくれたおじいちゃんも、おばあちゃんも…みんなずっと地獄で苦しむことになる」
そして、百鬼も。
「私、人間界で中学生の時に両親を殺されたの。ずっとずっと誰か分からない犯人が憎くて本当に地獄のような10年を過ごしてた。やっと犯人を知ってるって男に出会って犯人を教えてもらってその夫妻を殺しに家に侵入したんだけど、その夫妻…私が殺す前にもう、殺されてたの」
「え…」
「私に犯人を教えてくれた男がそこにはいて、私もそいつに銃で殺された。すっごく後悔した。10年間、ずっと犯人を見付けたかったのに、結局自分に力がなくて何も出来なくて…やっと犯人が分かったと思ったら簡単に騙されて。自分でちゃんと行動してたら、何か違ったかもしれないのに」
誰かが変えてくれる、いつか勝手に変わる、報われる。全ては幻想だった。自分で作りださないと、地獄からは抜け出せない。私は…今度は自分の力でこの地獄を抜け出したい。そして、同じように苦しんでる人たちを救いたい。
「おばあちゃん…この地獄に太陽を上げるよ」
おばあちゃんは私の顔を真剣な眼で見つめて、黙っていた。暫くして、ふ、と笑い、はぁー、と盛大な溜息をついた。
「お、おばあちゃん?すんごいため息…聞いたことないレベルのあれだったけど」
「全く、ほんっとに罪な子だね、あんたは。花魁をここまで虜にするなんてさ。それでもって、やっぱり不器用で、馬鹿で、馬鹿さ。大馬鹿さ、ほんとに」
「馬鹿の数も一回の台詞に盛り込まれていい量じゃないよ!?おばあちゃん!?」
おばあちゃんは鉄材をもう一度持ち上げて、ふん、ふん、と怒ったように歩を進めていく。花魁の涼やかな感じには見えない。…愛想を尽かされただろうか。
「…さ、どうやって潜入しようかねぇ」
背中を向けて、私にそう言った。
「…え、おばあちゃん。それって」
「太陽なら一つ上がったよ、私の心にさ」
私は出そうになった涙を、ぐっと堪えた。そうか、そうだ。本物の太陽なんてなくても、人が太陽だ。集まれば大きな光となって輝かしい光を照らす。
…百鬼、地獄にも太陽は、あるんだよ。
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