俺は英雄になりたかった

どうしてこうなったのだろう。いつからこうなった。一体いつから俺は、こんなにクズになったんだろう。


慶長の江戸。徳川家康公の側近としてお仕えできるとあって、その時将軍家他の役職の御方に仕えていた身を転身させ、あの頃ではなかなか考えられない大出世。絶対にこのチャンスを逃しはしない。なんたって俺は英雄(ヒーロー)だ。父さんと母さんが、俺が英雄になると信じてつけてくれた名だ。俺が出世すれば、貧しい農民の家族も、もう飢餓で苦しむことはない。もうすぐで楽させてやれるから…待っててくれ。みんなが不自由なく暮らせるようになることが、俺の夢なんだ。



「____蟄居の刑でございますか」

※蟄居…小屋などに閉じ込めて出てこられなくする刑罰。実質の終身刑。


「あぁ…家康公側近としては初めての仕事となるな…英雄(あやお)」



緊張していた。ただでさえ実家とは似ても似つかぬ壮大な屋敷だ。そんな場所に俺が足を踏み入れることができるようになった。下げたままの頭を上げよと言われ上を見れば、髷を結った役人が3人、俺の前に座っている。



「…お言葉ですが、その若僧、何か重罪を犯したのでしょうか…。歳はまだ6つと聞きますが、その歳で蟄居とはいかほどの…」


「何、将軍様のお名前を軽々しく呼び捨てた。それだけだ」



…そうだ、ぞっとした。俺はこの時、体中の血液が逆流するような不安と嫌悪に巻かれたのを覚えてる。たった6つの少年が、徳川家康公を敬わずに呼んだ…偶然役人に聞かれたのだろう、で、たったそれだけで。それだけで一生その折から出てこられないのか。なんという世界だ、ここは。



「…英雄」


「はっ」


「何か…不服か?」


「いえ!有り難きお役目…しっかり果たさせていただきます」


「うむ、期待しておるぞ。英雄」



俺はやらなければならない。例えそれがどんなに理不尽な要求であっても、出世したこの地位を守り抜くために、家族に、楽をさせられるように…。



「何!?蟄居閉門のわっぱが逃げた!?」


「英雄は何をしている!?」



…一瞬の心の緩みだった。俺のくだらない情が、その結果を生んだ。少年は家族にも会えずに、毎日毎日目が腫れてタコのようになるまで泣いていた。この少年は大好きな家族に一生会えずにここで死んでいくんだと、家族のために頑張ることすらできないんだと思うとあまりに辛かった。ある日監視の俺に少年が、太陽が見たい、と呟いた。少しだけなら…そう情けをかけたのが運の尽きだったのだ。少年は俺を突き飛ばして、逃走した。



「英雄は不届き者だ…家康様に仕えられた恩を仇で返しおった」


「名ばかりの使えない愚者よ…奴には罰を与えねばならぬ」



どうして。



失態を犯したのは俺だ。


なのに、どうして。



どうして……。





俺の家族は何者かの奇襲によって、虐殺された。



「父、さん、母、さん…」



あちこちについた刀傷。役人の仕業なのは明らかだった。



「うわぁあああああああああ!」



……情などは必要ない。大事なのは力。人を支配できるほどの力を振りかざすことしかこの世で生き残る道などないのだ。何が英雄(ヒーロー)だ。何も守ることのできないヒーローなんて、いらない。くだらない情は捨てて行け。



「おやまぁ、どうなさいました、悲しい眼をされて」



常夜の闇を照らす美しい華、吉原桃源郷の花魁紫太夫…。名の通り紫がかった美しい髪、白くて艶やかな肌、麗しいほどの瞳。彼女を一目見て頬を染めない男などいないのだろう。それほどまでに彼女は美しく、輝いていた。



「英雄さんとおっしゃるのね。何て素敵なお名前だこと。きっとヒーローのような方なのね」



だが俺には眩しすぎる、眩しすぎて、目が眩む。欲しくても、求めていても、俺はそれに歩み寄る術がもうわからない。



「英雄さん…やめて、!どうしてっ…どうしてっ…!!」



力づくで奪う事しか。





「っぐ…!」


「おばあちゃん!!」



敵わないと分かっているくせに、何故まだ歯向かってくる、紫太夫。お前がいくら殴りかかてかかってこようが、噛みついてこようが俺は痛くもかゆくもない。それはあの時痛いほどわかってるはずだろ。俺が、お前の目の前でお前の男を斬った時に…。



「っ…詫び、な…!」


「…詫び、だと?」


「私の旦那に、心から詫びろ…!」



煙管も折った。腕も捻じ曲げた。足も踏み躙った。絶望的な状況だろ、それなのに口から出る言葉がまだ、詫びろ、だと?



「…そのくだらねぇ情は、お前を強くするのか?しねぇだろ、紫太夫…!終わろうぜ、もう」



この一撃で、終わりだ。お前の怨念も、俺の胸騒ぎも。どこから考えても、どう考えても、もう俺には爪を突き立てることしかできない。




例えその涙が…あの時と同じ、本当に愛した女のものであっても。




ガッ!



「!?」


「……もういいよ、おばあちゃん…。大丈夫。もう泣かないで」



馬鹿な。この女…紫太夫を庇って、俺の拳を足裏で止めただと。同等の力…いや、寧ろ押されているのは俺の方だ。こいつ…百鬼様と渡り合っただけあって、やはり人並み以上にやる。奥歯がぎゅっと締まった。



「お前なんかに負けたら俺の肩書きが泣くぜ…!」


「その肩書きってやつは、本当にあんたを幸せにしてくれるの?」


「、何?」


「あんたが肩書きだけのためにこんなことをしてるなら…どうしていつも寂しそうな眼をしてる」



…寂しそう?この女何を言ってるんだ。



「肩書や権力なんかじゃ…心の隙間すら埋まらないことをもう十分わかってるはずなのにいつまで虚勢を張るの…!」


「ふざけたこと、抜かすんじゃねぇ!」



捕えた。確実に女の顔面を捕えた。でもすぐに、女が俺の視界から消えた。



「!?(こいつ、避け…!?)」



しまった。何ていうスピードで避けやがるんだ、こいつのムエタイ技の蹴りが来る!腹を腕でガードして…、



「人を強くするのは肩書でも権力でもない、お前がくだらないと言った想いだ!」



ドッ…!



…蹴りじゃなくて、拳…!


女の硬い拳が、俺の顔面にめり込んだ。体が後方に勢いよく飛ぶ時、頭の中に白い光のような何かが、流れ込んでくる。


思い、だと…。そんなものがどうしてこれほどまで人に力を与える…。どうして他の誰よりも武力をつけ支配してきた俺よりもそいつに味方する…。そんなものじゃ大切な家族一人、護れないのに…。




“英雄。”



!!

突然天から声が降ってっ来ているような感覚に襲われる。…何だ?何の記憶だ?誰の声だ…?俺の名を呼ぶのは、誰だ…。




“英雄、家康公の側近になったんだって?おめでとう。”



あぁ…あの頃の記憶か。




“流石は父さんと母さんの英雄(ヒーロー)ね。”



ヒーロー…俺は母さんや父さんを幸せにするヒーローになりたかった。でも、どうしてこうなったのだろう。いつからこうなった。一体いつから俺は、こんなにクズになったんだろう。




“英雄さんとおっしゃるのね。何て素敵なお名前だこと。きっとヒーローのような方なのね。”



紫太夫…本当は愛しいお前に牙を向けるんじゃなくて、抱きしめたかった。正々堂々あの男から奪いたかった。俺は…みんなの望むヒーローにはなれなかった。


派手な音を立てて、岩山に背中がぶつかる。胃の中から血液が逆流してきた。それからガラガラと、嫌な音がする。俺がぶつかった岩山が崩れて、地面にひびが入った。今度は地面がばらばらと崩れ始めて俺に下へ落ちていくふわっとした感覚に襲われた。落ちる。血の池地獄に。



「英雄!」



…落ちそうになった俺の手を引いて、女が俺を助ける。俺の重い体を両手で必死に掴んで。



「女…何故俺を助けんだ」


「っ…おばあちゃんが、助けようとしたから…!」



…紫太夫が?ますます不可解だ。俺が血の池地獄に落ちることは本望だろうに。何故助けようとする。



「あんたがおばあちゃんにひどいことをしたのは絶対に許せない…でも、そんな眼をほっとくこともできない」


「…!」



女と一緒に、紫太夫も俺の腕を引き上げるために引っ張り上げた。何とか助かった俺は、息を切らしている二人を見る。思い…こいつらのこれが、そうなのか。だとしたら、何て不可解で理不尽なんだ。自分たちまで血の池地獄に落ちていたかもしれないのに、わざわざリスクを犯してまで敵である俺を救うなんて。とんだ御人好しだ。でも。


何てあったかいんだろう。



「…あちきら二人、さくらに思い出させてもらったのさ。人情ってやつを」


「!」


「だからもがいてあがいて…それでもいばらの道を強く生きていかなきゃならない。業も背負って。その先にしか未来なんてないんだよ」



俺は一瞬、時が止まったように感じた。凛とした紫太夫が、あの頃と同じ美しく強い、花魁姿に見えたからだ。そこには紫太夫の覚悟……思いが乗っかっていた。



「…………紫太夫……………………悪かった」



なぁ父さん母さん…俺はどうしようもないクズだけど…今度こそ…





今度こそ、こいつらのように強く優しい、英雄(ヒーロー)になれるかな…。

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