まだ死んでなんかいないさ

「やっぱりここかい、百鬼」


「……お前に追いかけられるような間柄になった覚えはないが」


「え?僕は前から百鬼のファンだよ?」


「…………」


「ちょ、無言で斬ろうとするのやめてくれるかい」



両手を軽く挙げて敵意がないアピールをする黄緑に、百鬼は表情を動かさずに刀をしまい、まだ何か用があるのか、とぶっきら棒に聞いた。百鬼の目の前には果てしなく続く地獄の土地に広がる十字架だ。ここはこの地獄にて唯一の魂を祭る場。地獄での刑を終え、人間界へ輪廻転生を果たした魂ではない。地獄である理由によって転生が叶わず、本当の死を迎えてしまった魂だ。やっぱりここか、と言われるくらいだ、百鬼は何かの目的で度々この場所を訪れているのだろう。無言を貫く百鬼に黄緑が軽い物言いで尋ねた。



「どうしてさっきさくらちゃんの意を汲んだの?」



黄緑も恐ろしく広がっていく十字架の連なりを見て、百鬼の答えを待つ。



「…あの女の意を汲んだわけではない」


「僕が交渉したからだとでも?」


「交渉ではなく脅しとも取れたが」


「やだなぁ。実際僕が来なかったところで、君はさくらちゃんの条件を飲んでいた。違うかい?」


「…何のハッタリだ。」



黄緑は鼻で静かに笑い、ハッタリなんかじゃないさ、と付け加えた。



「君は驚いた。彼女の執念に。この地獄で自分の身を顧みず誰かを護るなんて、あり得ないことだった。昨日まではね。君はあの珍しい生き物に少なからず興味が湧いた。だからすぐに心を殺してしまわずに賭けをしたり今日の勝負に応じたりしたんだろう?そして今日の希望にしがみつく姿…。あれを見た時点で、君の心は決まっていたはずだ」



百鬼の頭の中に、先程藁に縋りつくように血まみれで足首にしがみついてきたさくらの姿が思い浮かぶ。俺があの女に驚かされた?あの女の意図を汲んだ?有り得もしない戯言だ。閻魔の操り人形の黄緑のことだ、こうして俺の反応を確かめているに違いないと、百鬼は黄緑を蹴散らすようにくだらない、と言った。



「俺は俺の意志でしか動かない。今も、これからもだ」


「君がこのタイミングでここに足を運んだのは…突如現れた彼女の存在によって思うところあったからなんじゃないかな?」


「…おい黄緑」



百鬼は腰かけていた岩から立ち上がり、鋭い目つきをして黄緑に二刀を向けた。



「詮索はよせ…。今すぐ肉塊にされたくなければな」


「…ふふ…。これ以上はまずいようだね」



閻魔選定まで1ヶ月を切っている今、筆頭候補番人の君と争う気は毛頭ないよ、と黄緑は百鬼と同じ岩場から下へ降りる。



「ただ…隙を見せるとすぐに付け込まれるから、注意はした方がいいね」



黄緑はこの場から姿を消した。百鬼は黄緑がいた場を少し見つめてから、静かに二刀を背中の鞘へ戻す。



「…問題などない。俺は閻魔となり責務を全うするだけだ」



そう小さく呟いて、百鬼もここを後にした。





「はぁっ!?地獄の番人始まって以来の最強最悪の番人!?」



黄緑の手下の看守たちに手当をしてもらってからというもの、さくらの身体は多量出血していたのが嘘かのように痛みも出血も引いて行った。それにしても、同じ地獄の番人だというのに、担当が違うからとそれだけの理由で虐げられないのは不思議なものだ、とさくらは頭を悩ませた。勿論そうに越したことはない。聞くところによると今の閻魔のやり方がそのような担当制になっただけで現閻魔大王が執権を握っていたときは違ったそうな。現閻魔様万歳じゃん、とさくらは喜びの基準が低くなっていることに自分では気が付かなかった。そして、同じ百鬼の担当の囚人たちと宿舎に帰るなり囲まれ、昨日と今日の雄姿を称えられたのだ。百鬼は番人始まって以来の最強最悪の番人と言われているのだという。



「百鬼様は人間界で名を馳せた名だたる囚人たちをも全く寄せ付けなかった、最強の番人じゃ。また無慈悲な罰の執行を繰り返していることからもそう言われとる」


「まさかそれを知らずにあんな命知らずな行動をとってたとは…嬢ちゃんおめぇよく今ここにいるな」


「でもよ、今日はあんたのおかげで俺達は罰を逃れ、恒例の最終到着者炙りもなくなったわけだ…とりあえず礼を言うぜ」



茣蓙に座っているさくらを囲むようにして、さくらが助けた老人を筆頭に囚人たちが話しかけてくる。比較的老人が多いが、中には強面の中年やらさくらと歳が変わらなさそうな男性の姿もあった。みな、毎日百鬼に怯え切っているようだった。



「…まぁこの担当制も、残り1ヶ月も続かないかもしれねぇがな…」



輪の中の一人の男がそう言った。さくらはその言葉をしっかりとキャッチし質問をする。



「え、どうして!?閻魔のやり方なんでしょ?」


「1か月後、その閻魔様が今の5人の番人の誰かに変わる。詳しいことは知らねぇが、百鬼様を含めた番人たちが鎬を削って競ってるようだ」



看守たちが立ち話をしているのを小耳にはさんだという男は、部屋の外にいる看守たちに聞こえないよう、小声で言った。



「閻魔が、変わるぅ!?」


「嬢ちゃん声がでかいわ!大方一番閻魔に向いてると判断された番人が閻魔になるんだろう。さっき黄緑様と百鬼様があと1ヶ月とか、俺に勝つとか話してたろ…多分そのことだ。」

「確かに、よく分かんない話はしてた…。え、じゃぁ何、もし百鬼が閻魔になったら…」



さくらがそう言うと、囚人たちは黙り込んだ。皆良くない想像が頭を巡ったのだろう、すぐさま青い顔をして眉を顰めた。



「想像したら、生きた心地がしないぜ…。俺達は一生輪廻転生できないんじゃないか」


「その輪廻転生っていうのは何なの?」


「簡単に言うと生まれ変わるってことじゃ。地獄で罰を受け前世の罪を償ったら、再び人間界に新しい魂として生まれ変わることができる。こうして人間は人生を繰り返していくんじゃ」


「…そうだったんだ。じゃぁ、おじいちゃん、私も誰かの生まれ変わりなの?」


「そういうことになるな。過去の魂が地獄産かどうかは知らないがな。天国産かもしれん」


「ぷぷ、おじいちゃん、産って、食品みたいな」



さくらが吹き出すと、囚人たちもつられて笑った。一瞬部屋に笑い声が響いた後、突然、水を打ったように静けさが部屋を支配した。さくらが疑問に思って囚人たちを見れば、彼らは泥いたような顔をしてプルプルと手や体を震わせていた。



「…………俺、笑っ、た?」



一人の強面の男が、言った。



「わしもじゃ……笑う、なんて、一体何年…いや、何十年ぶりにしたんじゃろう…」


「……こんな感覚だったんだっけな、」



心から勝手に上がってきた笑いに、囚人たちはみな戸惑いを隠せないようだった。


死んでいない。まだ死んでなんかいない。絶望的な眼をした彼らもまだ、心の奥底では生きた魂が残っている。さくらはそれを肌で感じて、思わず頬が綻んだ。



「…私も、地獄で笑うことがあるなんて、思わなかった」


「…お前のおかげじゃよ、さくら」


「おじいちゃん…。よし、とにかく、百鬼を閻魔にしちゃいけないね!」



茣蓙の上に立ち上がったさくらは、力強く拳を掲げた。まるで試合に勝った格闘家のようなポーズを見せる。そんなさくらに、部屋の中央部で胡坐をかいていた男達の中心にいる人物が、部屋全体に響き渡るほどの声で言葉を発した。



「めでたいこったな」



まだ20代後半くらいだろか、さくらと同じく、地獄ではかなりの若僧だ。顔に着いた無数の傷、麻の囚人服では隠しきれない筋肉、いかつい不良を思わせるモヒカン頭。その男は顔をニヤつかせて同じ囚人の身体に肘を乗せ、胡坐をかいている。見るからにその集団のボス、不良のリーダーだ。男が話した途端、さくらを囲んでいた囚人たちも身を縮めて視線を床に背けさせた。



「ここに来て2日のお前が囚人の頭気分か、能天気すぎて欠伸も出ねぇぜ。なぁ、お前らもそう思うよな?」



男はさくらの周りで急に大人しくなった囚人たちにそう問う。ピリついた空気の中、何も答えられない囚人たちに、男は追い打ちをかけるように、おい?と発する。すると囚人たちは、肩をびくつかせて男の方を見た。



「「も、勿論…」」


「そうだ、それでいい」



囚人たちの答えに男は満足そうに口元を歪ませると、肘置きに使っていた囚人の身体を蹴飛ばし、立ち上がった。立っているさくらとの身長差は歴然だ。190センチほどあるのではと思う大きな図体だけでも大した圧だ。



「おい女…ここでの苦しみはここからだぜ。ちょっと番人と渡り合ったからっていい気になってんじゃねぇ…。ここでのルールは俺だ」


「……成程、猿山の大将ね」



さくらはそう理解した。男はさくらの強気な態度に苛立ちを覚えたのか、大股で向かってくる。老人たちが、再び顔を青ざめさせた。あと1歩で胸倉を掴まれる、そこまで近付いてきた時、入り口から看守の張り詰めた声が聞こえた。



「おい!何してる!石膏運びの時間だ!すぐに持ち場へ行け!」



ぴたりと、男の手足が止まる。



「チッ…。運が良かったな、女」



さくらを見下げてそう言うと、男は仕わせているのだろう男たちを引きつれて部屋を出て行った。

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