歯を食いしばれ番人様

最後尾で集合場所に到着した者に罰を…つまり、遅刻に関係なくドベになった者には罰が与えられるということか。きっとおじいちゃんは知っていた。それを知っていてどうして、何も知らない私に声を掛けてくれたんだ。私を放っておけば自分が罰の対象になることなんてなかったはず。



「お、おじいちゃん…どうして、」


「…」


「今すぐに決行だ。おい、2975番をマグマ地獄へ連れて行け」


「「はっ百鬼様」」



名前からして生半可なものじゃないことが容易に想像できる。軍服の看守たちが未だ息苦しそうなおじいちゃんを無理矢理掴んで、連れて行こうとする。だめだ。こんなのだめだ。



「やめろ!何のためにこんなことするの!?」


「…何のために?」


「時間にも間に合った、一番最後に来ただけで…!」


「ここは地獄。罰をどのように行おうとおかしいことではない。理由をつけるとするならば…ただの余興だ」


「なっ…!」



囚人といえど、ただの余興であんな絶望的な顔をしなくてはいけないほどの苦しみを与えられなくてはいけないのか。無慈悲な百鬼をギリ、と睨みつけて、私は捉えられているおじいちゃんの元へ走り出す。



「おじいちゃんを離せ…!」


「な、何だお前…!昨日といい今日といい百鬼様に抵抗しやがって…!」


「おじいちゃんは私と一緒にこの場についたはずよ!」



看守の腕にしがみつくと、私の後ろにいつのまにか百鬼が現れる。



「お前が先導して、目的地に着いたのはお前の方が速かった。よって2975番が最後尾だ。お前が一歩でも先に進まなければ、自分を助けてくれた2975番を見殺しにすることはなかったのに、残念だな」


「っ…百鬼っ…!」



この状況を楽しんでいるのか。百鬼は私を敢えて煽るような言葉を吐いて看守の腕にしがみついている私の腕を掴み、看守に行けと合図した。



「っ待て!」

「自分のせいで地獄を見せられる人間の姿を見て…お前は正気を保っていられるのか…見物だな」



____そうか、こいつ、私を試しているんだ。




“賭けだ。あと1ヶ月、俺がお前のその眼を殺すのが先か、お前がその生きた眼のまま俺の試練に打ち勝つか…”




昨日交わした賭けの一環で、私を屈服させるためにあのおじいちゃんを使っているんだ。それに気が付いた途端、自分のせいであのおじいちゃんを巻き込んでしまったこと、良かれと思っておじいちゃんを先導したこと…悔しくて申し訳なくて、唇を噛みしめた。口の中には昨日と同じ、鉄の味がした。



「……いいんじゃ」



刹那、百鬼でもなく、看守でもない掠れた声が耳に届いた。



「…長らく居続けたこの太陽の出ない地獄で…昨日久しぶりに光を見た。生きるという感覚を思い出させてくれたお前を放っておけなかったわしだけの責任じゃ…」



おじいちゃんだ。看守2人に腕を捕えられ、私に背中を向けながらそう言った。



「わしは人間界にいる時…自分の妻を殺した。一生かけても償えない業…罰を受けるのは当然なんじゃ。罪のないお前が百鬼様に抗って刑期を延ばす必要はない」



いつの間にか、目の前には鬼の顔の形をした大きな壺が現れる。そこからは見る見るうちに龍のように燃え上がる炎が立ち上り、周りにいる私達ですら皮膚を焼かれるような熱さを感じさせられた。



「マグマ地獄は…今から丸3日焼かれ続ける無限灼熱。この中で叫んでももがいても炎から逃れることはできない」



百鬼は瞳に赤い炎を写しながら言う。この男は、今まで何人の人間をこうして殺してきたのだろう。たった一人の老人がこのマグマの中に放り込まれることなんて数秒後には忘れてしまうほどの小さなことなのだろうか。だから、何の躊躇いもなくマグマに入れろ、と合図ができるのだろうか。



__おじいちゃんは、私のせいではないと言った。刑期を延ばすなとも言った。即ちそれは、自分を見捨てろ、ということだ。そして気負うなと。そういうことだ。


でも。…私は…。



「できない…!!」



私は百鬼の手の平で転がされていようと、刑期が延びようとも、目の前で苦しみに飲み込まれていく人を見捨てるなんてできない…。



「離せって、言ってんだよ!」


「ぐぁあ!?」


「しゅ、囚人貴様ぁあ!」



おじいちゃんがマグマに飲み込まれるあと一歩のところで、両側の囚人二人を飛び蹴りで薙ぎ倒し、おじいちゃんを炎の届かない場所へ引っ張った。



「……ムエタイ。昨日から並外れた打撃技に度量は何かと思っていたが…人間界での格闘技、ムエタイの技だな」


「!」



言い当てられた通り、私は幼いころからムエタイを修練させられ、日本においたムエタイの女子大会で優勝した経験をもつ。この地獄に来てムエタイのおかげで血の池から這い上がったり、おじいちゃんを助けられたりした。心の底から習っていてよかったと思ったよ。百鬼がムエタイを知っていたのは意外だ。



「百鬼…私を殺すために他の人を巻き込むなんて…あんたのやり方は許せない」


「…ほう。重罪人の分際で俺のやり方に口出しか、4771番。ならば、どうする?」


「私とタイマン勝負しな…!」



数秒の沈黙が訪れる。初めに驚きの声を上げたのは、おじいちゃんだった。



「な、何を考えてるんじゃ…!お前がいくら強かったとして、番人最強の百鬼様には…!」


「…はっ。俺とタイマン勝負だと?馬鹿だとは思っていたが…これほどまでとは」



一切表情を変えない百鬼が、刺々しい笑顔で笑った。灼熱の炎が上がっているはずのこの空間が一瞬で凍るような冷えを感じる。



「…やってみないと、わからない。これで私が勝ったら最後に集合した者へ罰を与えるこの制度を廃止して」


「ひゃ、百鬼様…この囚人我々が追放しましょうか…!?」


「いい」



看守の言葉に耳を貸さず、百鬼は口元を釣り上げた。



「面白い、いいだろう。立ち上がることもできないほど切り刻んでやる。身も、心も」



百鬼は背中にバツ印で背負っていた二刀を抜き、私に刃先を向けた。やはり百鬼はあの刀を使うようだ。ただならぬオーラに私も冷や汗を手にも握りながら拳を構える。百鬼は音もなくいつの間にか近くまで来ていることが多かった。一瞬でも眼を離したら、きっとその瞬間に斬られる。眼を凝らして百鬼を見つめるも、気がついたら視界から姿が消える。




________後ろ!



シュバッ!



「…ほう」



百鬼が私の後方に回り、首を斬るように動かした刀をギリギリのところでしゃがんで躱す。息を吸う暇もない間にもう一方の刀が上から突き刺さすように振り降りてくるのを見極め、隙をついて渾身の拳を百鬼の腹部に振り放った。


ドォンッ…


岩も壊れるような衝撃が、地獄に響き渡った。

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