血の契約を交わしました
手までならぬ、足首まで拘束されて放り投げられたのは、おそらく血かと思われる池の前だ。先程歩いていた囚人たちは、何故か5つのグループに分けられてそれぞれの場所に連れて行かれた。私が送られた島は、底の見えない赤色の池に、そびえ立つマグマの山。所々に脆そうな小屋が見られ、何人もの囚人たちが唸り声をあげながら働いている。まるで何百年も遡った戦時中の世界のようだ。既にこの島で虐げられている囚人たちなのだろう。体中には痣や血痕があり、目は死んでいる。
「お前らの成れの果ての姿が、あれだ」
地面に放り投げられている私達の前に用意された地獄と不釣り合いの椅子に座って話し始めたのは、百鬼だ。周りではその手下と思われるグレーの軍服を着た者たちが百鬼に敬礼をしている。先程百鬼にやられた傷が、まだじんじんと痛む。百鬼の顔をよく見ると、自分と変わらないくらいの年の男性だということに気が付いた。人間界で会っていれば、イケメン、と思わざるを得なかっただろう。しかし、先程の事があっては、百鬼はその名の通り鬼にしか見えない。百鬼は続けた。
「お前らの担当番人はこの俺だ。覚えておけ。俺は容赦も情けもしない。この死ねない地獄で計り知れない苦しみを味あわせてやる。そして人間界での行いを悔いろ」
百鬼の言葉に、周りにいる50人ほどの囚人たちはがたがたとおもむろに震え出した。血の池やマグマ火山、死んだ目の囚人たちを前にして重く受け止めるなというほうが難しい。自分たちにはこれから想像を絶するほどの痛み苦しみがきっと訪れるのだ。その恐怖からか、後ろにいた囚人の老人が嘔吐をし出す。
…人間界での行いを、悔いろ…?
私は汗まみれの拳をぐっと握って、百鬼を見る。相変わらず冷たい目だ。
「…4771番、何だその眼は?」
高圧的な視線気が付いたのだろう、百鬼が再び圧を込めて私を見た。
「情報に誤りがあるわ…!私は社長夫妻を殺ってない。そこで殺されたのは私。それを訂正して地獄行きかどうかもう一度ちゃんと選定しろ!」
勢い余って命令口調が飛び出したことは、後悔していない。納得がいかないものはいかないし、怒りたいのはこっちだ。どうせ地獄に来る運命ならば、ちゃんと両親の仇討を達成してからが良かった。やってもない罪を着せられて地獄で大人しく罰せられるほど、私は諦めもつかないのだ。
「…4771番、何故この新規の囚人たちの中で、お前だけが手だけでなく足までも拘束されているかわかるか?」
百鬼は、ゆっくりと腰を上げて私の前まで歩いてくる。今度は右手で私の頬をおもむろに掴んで、無理矢理上を向かせた。両頬に百鬼の指が食い込んで、痛いったらありゃしない。
「お前は地獄に来てからも既に罪を重ねたからだ。人間界からの情報の詳細などどうでもいい。それだけでお前がここにいる理由は十分だ」
「っ…!お前…!」
「それから、この生意気な口もどうにかしてやらないとな。こいつらのように」
百鬼は部下たちに顎で何かを指示する。それを受け取った軍服の部下たちは颯爽と荷物を運んでいた囚人の一人を捕えて、血の池に放り込んだ。
「ぐぁああああ!た、助け、てくださぁっ…!ぐっ!」
どろどろとした血の池から何度も顔を出しても、囚人たちによって沈められる。続く酸欠に体が疲弊していく様子が見える。しかし、この地獄では死ぬことができないからこれの繰り返し…というわけだ。死ぬよりも辛い生き地獄、見せしめだ。見るに堪えないそれを目撃してしまった囚人たちの顔からは、精気が抜けていく。百鬼は表情一つ変えずにそれを見つめていた。
駄目だ、こいつ、狂っている。地獄の番人が何者かなんて私は知りはしないけれど、こんなことが平然とできるなんて腐っている。
「……ろ、」
「…何だ、怖気づいたか。先程の威勢が聞いて呆れるな」
「…しろ」
「…は?」
「その人を解放しろ!」
「!?」
私の頬を掴んでいた百鬼の手首を掴んで、言い放つ。一切表情を変えなかった百鬼が目を見開いているところを見ると、予想外の反応だったようだ。しかし次第にその眼は元の暗さを取り戻していく。
「……いいだろう。おい、そいつを解放しろ。その代わりにこの女を放り込め」
「!」
「…どうした。まさか自分が身代わりになるなんて、とでも言い出すのか?そんな覚悟でよくあんな物言いができたものだ」
百鬼はどこか勝ち誇ったように言った。ぐぐぐ、と頬を掴んだまま私を持ち上げて、血の池の上に晒す。まるで私の明暗は自分次第だからさっさと屈服しろというように少し声を跳ね上げて。
「……っそれで……その人を助けてもらえるのね……」
「……」
やればいい。私は百鬼の手首を離さずに、力いっぱい握った。屈服なんてするもんか、そんな異常な意地と、心底湧いて出ている恐怖を込めて。百鬼は私の目を数秒見つめた後、目を伏せ、私の手を叩き落として手を離した。
興冷めだ。
そう言って。
バチャン!
血しぶきが舞い上がる。どのくらい沈んだのだろうか、一気に苦しくなる呼吸と、浮き上がれない恐怖。酸素を求めて必死に重々しい体を上に上げようとしても、どろどろとした液体がそれを容易にさせてくれない。それに付け加え、目を開けられないのだ。
「ぶはっ!」
何とか水面まで来られて、一気に酸素を取り込む。薄らと歪む視界を開けていくと、部下たちの手が私を再び沈めようと迫ってきているのが見えた。ここで沈められては、エンドレスで苦しむことになる。それに抗える体力ももう少ししか残っていない…今しかない。一か八かに賭けるのだ。
「沈め囚人!」
「っ、あんたも、ね!」
「な!?」
頭上に迫ってきた手を手錠のはまった両手で掴んで、池に引きずり込むと、男の身体が私の横に勢いよく落ちる。何ぃいい!?と、他の軍服の部下たちが驚いている声が聞こえてきた。そして沈んだその男を水の中で両足で踏む。その動作によって足を拘束されていた縄が解けた。反動で何とか地上へと這い上がる。顔を拭って、大きく酸素を取り込むと部下たちが何だこの女はぁああと騒いでいるのが見えた。何とかなったことにホッとしたのも束の間、軍服の一人が私の方に走ってきた。再び池に落とそうと、拳を掲げて。
「……もういい」
ピタリ。
しかし男の動きは、百鬼の一言により、私の目の前で静止する。百鬼が、何の風の吹き回しなのか止めさせたのだ。
「っはぁ、はぁ…どういう、つもり…!?」
「……4771番。何故そこまでして抗う。何故、苦しみに屈しない」
血に塗れた私を見下している百鬼は、静かにそう聞いた。
「…こんなの、苦しみでも何でもないわ…!両親が殺された日からの10年に比べれば…!」
私の言葉に嘘偽りはない。15の時に両親が殺されてからというものの、私にとってはそれこそ生き地獄だった。苦しくても苦しくても這い上がれない、血の池地獄なんかよりももっともっと深い沼。
「…その眼は、この地獄でしていい眼ではないな…」
興冷めだと言って私を池にはなったはずの百鬼は、今度は面白い、と言って私の手首の手錠を取り外した。あまりの変わりように眉間に皺を寄せると、再び右手が私の頬を力強く掴み、顔を百鬼の顔の前まで引き寄せられた。
「賭けだ。あと1ヶ月、俺がお前のその眼を殺すのが先か、お前がその生きた眼のまま俺の試練に打ち勝つか…。もしお前が勝ったならば、お前を人間界へ帰してやろう」
「っ!?」
人間界へ、帰す?そんなことができるのか?いや、この冷徹無慈悲な番人の事だ、これも私を転がして遊んでいるだけかもしれない。半信半疑な眼で百鬼を見続ければ、百鬼はより顔を近付けて、ただし、と付け加えた。
「俺が勝ったら…閻魔となった俺の下僕として屈服し働き続けてもらう。輪廻転生の権利は与えない」
閻魔になるとか、下僕とか、輪廻転生とか。わけのわからないことばかりだ。でももし、もしも…もう一度人間界へ戻れるのなら。私を騙したあの男と両親を殺した本当の犯人に復讐できるのなら。
「…やる」
どんな藁にだって縋りついてやる。
「…決まりだ。すぐにその眼を殺し、屈服させてやろう」
つまらない勝負にならないようせいぜいその持前のみっともない意地で虚勢を張るがいい、と言い残して、百鬼は私を地面に落とし、その場を部下に任せて後にした。
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