地獄の番人蹴散らして帰ります
@aoihanashi
閻魔帳に誤りがあるので人間界に帰してください
≪只今速報が入りました。世界30か国に事業を展開するマーケティング企業の美南茂(みなも)社長夫妻が自宅にて遺体で発見されました。犯人は下請け企業○×コーポレーションに勤めている25歳女性社員であり、自宅に侵入し刃物で夫婦を殺害した模様____…≫
「__…重罪人だな。このやろう」
赤い雲が浮かび、茶色の山々がそびえ立つ地獄の果てにて、番人はため息とともにそう呟いた。最新版と血塗られた字で書かれた分厚い手帳をパタリと閉じて、背中に背負っている2メートルほどの金棒を地面にドン、と叩きつける。
「…で、この罪人は誰の島が担当すればいいんだ?このやろう」
スキンヘッド強面の男は口元を怪しく歪ませて血気盛んさを振りかざした。この男、この地獄で知らない者はいない与太造(よたぞう)という名の地獄の番人である。刺々しい金棒と同じく2メートルほどの長身に、逞しい筋肉、その上に着用しているのは袖のない着流しだ。
「んほほ、ちょっと待ちなさいよ与太造クン。先程の人間界の速報で流れていた情報によるとこの囚人、若い女性ですよ。私の島でならじっくり恥辱的にいたぶってあげますけどね…じゅるる、おっと失礼」
「うわっ、相変わらずきんめぇ、変態仮面野郎が。若い女ってだけで興奮してんじゃねーよ、金目当てに成金殺しに行くようなバイオレンスな女だっての、どうせろくなツラしてねーっての」
若い女という情報に鼻血まで垂らしそうになっているのは、同じく地獄の番人である歳ノ成(としのなり)である。ひょろ長い長身、銀髪を後ろ一つで束ね、白衣を着ている。左目には眼帯を着用している。笑った時以外にも存在を現す法令線が変態発言をより加速させるように思えた。
それに対し悪態をついたのは、番人の久須郎(くすろう)だ。メイクなのか、目元の赤い囲いと黄金の瞳が、捕食者をイメージさせる。髪の毛も赤色で、ヘビのごとくうねりを伴ったマッシュヘアだ。しかし見た目は歳ノ成とは相まって少年を思わせる。着用している白いスーツを着崩し、首には2匹のヘビを巻いて挑発的に笑う。
「はぁ…久須郎クン、変態仮面野郎とは、よく言ってくれたものですねぇ…んほほ、私は男は自分以外消滅すればいいと思ってるタチですので、あなた如き今すぐ毒で葬ってあげてもよいのですよ…んほほ」
「やってみろよおっさん。毒なら俺のヘビ達の方が強烈だっての。噛みつかせて即死させてやるっての」
「はいはい、二人ともやめないか。閻魔様がお怒りだ」
いがみ合う二人の間に入ったのは、番人の中でも一際強いオーラをもった男…黄緑(おうみ)だ。着こなされた紺色のスーツ、襟足から少し覗く長さのさらさらした栗毛。額に描かれた星印の紋章、目の下のクマ。穏やかな喋り口調とは裏腹に、緊張感の高まる圧を放たれては仕方なく口を噤む二人。言い合いが収まったところで、与太造、歳ノ成、久須郎、黄緑の四人は自分たちの目の前にある階段の一番上に座している閻魔に向き直った。
「__…貴様ら、覚えておるな?」
閻魔は四人に向けて、言葉を発した。その瞬間、四人は地面に立膝をつく。
「あと1ヶ月…。番人として一番成果を上げたものが、次期閻魔の座をくれてやろう」
地獄の空に浮かぶのは、太陽ではない。血の塊が浮かび上がったものが空に浮かんでいる。赤い光を放つそれが、赤い雲から顔を出して、閻魔の姿がやっと四人の目に映る。その姿は、閻魔というよりも悪魔を思わせる。赤色から黒色に変わっていくグラデーションの髪の毛、三白眼、頭の左右から突き出している大きな角、鋭利な牙。頬についている無数の赤い傷。久須郎と同じくらいの年齢に見える閻魔は、真っ黒なマントに身を包んでいる。
「あと一ヶ月…」
与太造がそう呟いた。この地獄は、転換期に向けて動き出していた。現閻魔であるこの男は、現閻魔大王が引退することから閻魔大王になることが決まっており、実質の政権を次期閻魔へと譲渡するのが一か月後に迫っている。ちょうど11ヶ月前、地獄の番人たちがこのように召集を掛けられ、閻魔よりこの旨を聞かされた。閻魔になれば、地獄の政権を一挙に握れる。番人にとって、これほどの昇格はない。彼らはこぞって闘争心を滾らせたのである。
「承知しております」
黄緑は自信に満ちた顔でそう言った。番人の成果、即ち囚人たちをいかに罪人の責を感じさせ、懲らしめてきたかである。
「…それから、先程の新しい女の囚人の事であるが。」
手負いの囚人が多ければ多いほど、又は重罪人の囚人を裁けば裁くほど、言わずもがな自分の実績となる。既に多量の囚人を各々抱えてはいるが、残り1ヶ月、走りきらねばならない。
「この重罪人の女は、あやつに受け持ってもらうことにした」
「「「「!」」」」
4人の脳裏に、一人の男が浮かんだ。地獄の番人きっての実力者で、冷酷、無慈悲…感情を殺した男、百鬼(ひゃっき)の姿が____…。
:
__騙された。自分の眉間に銃口が当たって、初めて謀られたことを悟った。鳴り響く銃声音を耳で聞き取りながら、体から一気に力が抜けていったのだ。あの男____初めから私を陥れるために、仕組んでいたんだ。最後に目の奥に焼き付いたのは、男の憎たらしい笑みと、遠い過去、愛してくれていた両親の顔____。
「…ここ、どこ?」
「囚人番号4771番、やっと気が付いたか。早く立って歩け」
頭に走る鈍い痛みに眉を顰めながら、視界を開いていくとそこには見慣れたビルなどの建物の代わりに、マグマを吹き出している茶色い山々、でこぼことした舗装されていない地面、禍々しい赤色の空という世界が広がっていた。…おかしい。私は今しがた、両親の下手人である社長夫妻暗殺のために屋敷に乗り込んで…、あぁそうか、そこで銃で頭を打ち抜かれて死んだんだ。私を欺いた詐欺師に殺されたのか。
「そうすると、ここは…天国?」
「何をめでたいことを言ってる、どう見ても地獄だろう」
私の腕を引いて無理矢理立たせた男は、呆れた顔をして、人間界上がりはのぼせてる奴が多くて敵わねぇ、と言った。地獄?嘘だ、私は地獄に落ちたのか?もう一度辺りを見回しても、確かに花畑もなければ天使もいない。あるのは血色の空に、グレーの軍服を纏ったみすぼらしい男だ。私の手には手錠が嵌められており、服は半身と下半身がかろうじて隠れる麻の布きれのみだ。前後は私と同じように手錠を付けられてとぼとぼと歩く中高年が多くいる。一瞬で脳が理解した、私は地獄に落ちて、今からここで虐げられるのだと。全身の血液が引いた感じがする。
「っちょ、ちょっと待って!私地獄に落ちる覚えはないんだけど!?ほら、どっちかというと殺された側だしっ…!」
私は必死に抗議した。男は面倒臭そうに耳をかっぽじり、胸元から手帳を取り出して舌打ちを落とした。
「…風篠さくら。25歳。O型。独身。彼氏なし。○×コーポレーション所属。両親の仇討で親会社社長屋敷に侵入し、夫妻を斬首し殺害。S級重罪人」
「ち、違うの!名前とか、その、彼氏なしとかはあってるんだけど…ってか言わせんな!私は殺してない!私殺してないんです!ある男に騙されてっ…寧ろ殺されたんです!」
嫌だ。地獄に落ちるなんて絶対に嫌だ。怖すぎる。必死にその男に詰め寄るも、男の腕でふり払われて、再び腕を掴まれてしまう。周りで歩いている囚人たちは、そんな私達に、見向きもせず、ただ地面を虚ろな目で見つめながら誘導されるがまま歩いている。心が死んでしまっているんだ。あぁなりたくない、ここから逃れたい…。逃げるのは、きっと今しかない。
「ぐぁっ!?なっ…、何をするこの女!?お、おい!逃げるな…!」
私は全身の力を振り絞って男の急所にとび蹴りをかました。男が震えながら地面にうずくまっている間に、囚人の列に逆行してでこぼこ道を走り抜ける。靴を履いていない足裏は、石によって簡単に切れる。血が出るのなんて気にせずに私は右も左もわからずに駆け抜けた。もしかしたら逃れられるかもしれない、淡い期待を抱いて。
「何を手間取っている?」
__________この異様なオーラをもつ男が降り立つまでは。
「ひゃっ、百鬼、様っ…!」
男の怯えきった声が聞こえた。背中に、感じたことのない冷たい空気が当たってぞっとした。心の奥底から冷えてしまうような、死んでいるのにそれでも死をイメージさせられるような闇深い圧。全身から冷や汗が吹き出して、呼吸が困難になる。このままでは背中が潰れてしまいそうで、思わず後方を振り返った。
「…虫けら一匹」
そこにいたのは、頭の後ろで結んだ黒いハチマキをし、黒い着物に身を包んだ男。でもすぐにいなくなった。振り向いた私の背後に回っていたなんて、全然気が付かなかった。潰れてしまいそうだった背中に、潰れてしまいそうな鈍い痛みが走る。
「…調子に乗ったな」
ドスッ…
男の拳が、地面に倒れていく私の腹部にめり込んだ。声もなく、ただただ口から血が噴き出す。苦しすぎて声なんて出そうにない。そのまま地面に蹲ると、男は私の髪を上から鷲掴みにして自分の目線と同じ高さまで顔を上げさせた。視界が霞む中、男の光のない冷たい目が映る。
「っぐっ…!」
「…ここは地獄。逃げられるなどと思わぬ方がいい。4771番、これからお前は俺の元で苦しくても死ねない裁きを受けるのだ」
百鬼と呼ばれる男は表情もなく、冷たくそう言い放った。
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