第8話 バレてはいけない



 ベルシュカは吹き出した紅茶を手で拭う。

 

 フランシスの鋭すぎる考察力に恐怖すら感じそうだった。

 それでもなんとか平静を装わねばと考えを巡らせる。


 ベルシュカはとりあえず何を言っているのかよくわからない作戦で行くことにした。


「……それは一体どういう意味ですの?」


「言葉通りの意味ですよ」


「今がよく分かりませんわ」


 冷や汗が止まらないが何としても誤魔化したいベルシュカは知らぬ存ぜぬで通す。


フランシスと視線が視線がぶつかり、背中に汗が流れる。


 一瞬の沈黙の後、フランシスはやれやれと肩をすくませる。


「まあこの際あなたがベルシュカ・フランベルクでもそうでなくてもどっちでもいいんですがね。むしろ以前よりもマシになってますし」


「どういう意味よ!」


 ベルシュカは苛立ち紛れに紅茶を含む。

フランシスは口元をニヤリとと緩ませ、嘲笑うようにしてベルシュカを見た。


「そういうところですよ」


「………………?」


ベルシュカは訳もわからず小首を傾げる。


「以前のあなたならばこういう悪口を面と向かって言われたら、すぐ部屋から追い出すでしょう。それかものを投げつけたりして暴力で訴えるか。……愚鈍なことです」


たしかに、とベルシュカは納得しかける。

 それと同時にそこまでベルシュカのことを観察していたのか、と気味悪く思った。


「……言っておきますが、僕がそう思ったのはあなたの行動をいちいち目で追っていたからではありませんよ。ただ少し考察しただけです」


「こ、考察? なにを……」


「まあ最初に違和感を覚えたのは陛下との謁見のときですね。僕に突っかかってくるのはいつものことですが、いつもより──弱い。前はもっと暴れ馬のようでした」


フランシスの言うことは妥当な指摘だ。


 以前のベルシュカであればもっと偉そうで、そして悪辣に接しなければならなかった。

 けれど前世の記憶が戻ったベルシュカにはそこまでの激しい気性は持てない。

 もし仮に演じようとしてもおそらく躊躇してしまうだろう。


 ベルシュカは不意に不安に襲われる。

 もしかしたら既に周囲の人間から違和感を覚えられてしまったかもしれないということを。


「これに気が付いているのはあなたと対等に話せる僕くらいでしょうね。あとは……先程の召使いの女ならばもしかしなくとも──」


「私はベルシュカよ。あなたが何を言おうとも」


 ベルシュカはフランシスの言葉を遮るようにして即答した。

 きりりと睨むように視線を向けるとフランシスはふぅ、と小さく息をついた。


「あなたがそういうのであればそういうことに致しましょう」


「そうね。────で、そんなくだらないことを聞くために突然押しかけてきたんじゃないでしょうね?」


フランシスは「もちろん」と言って口元に弧を浮かべた。


「ここへ来たのは本日の陛下との謁見でのことです。一週間後より週に一度、僕が教師として勉学やらの基礎知識を担当しますので、よろしくとお伝えにまいりました」


その報告を聞いてベルシュカはさっと顔を歪める。

 

 今の今まで忘れていた。

 それもフランシスが突然の爆弾を放り投げてきたからだ。


「ほ、本気?」


「もちろん。あなたが陛下に教師をつけてほしいと嘆願したのでしょう? ここまできてやっぱりやめるだなんて言わないでくださいよ。僕もスケジュールを調整するの大変だったんですから」


ベルシュカは苦い思いで臍を噛む。

 そんなベルシュカの様子などお構いなしにフランシスは続けた。


「あと私が教師としてつけない間は別のものを遣しますので。そうですね、その人には大体週に三日ほど頼むことになるでしょう。時間はだいたい朝食を終えてから一時間ほど経ったタイミングから。初回は二時間程度でいいでしょう」


ベルシュカの預かり知らぬところでぽんぽんと予定が立てられていく。

 フランシスは「細かいことは追って書面にて知らせますので」と言う。


 全てを伝え終わったフランシスは退出しようと席を立つ。

 ベルシュカはそこで一つ思い出したことを尋ねる事にした。


「ねえ。そういえば私、最近暗殺者に狙われることが多いのだけど、あなた何か知らない?」


「そういえば謁見のときもそんな事いってましたね。……ですが、生憎と心当たりが多すぎて見当もつきません」


やはり、と思いベルシュカは肩を落とす。


 ベルシュカを嫌っている相手であれば眼前の男もその一人ではあるが、彼が暗殺者を差し向けるというのは十中八九あり得ないだろう。


 フランシスが宰相をしていられるのは皇帝の後ろ盾があってのことである。

 そしてその皇帝が溺愛する愛娘をいくら国のお荷物だからといって暗殺することはまずありえないだろう。


 それにベルシュカは皇女であり、婚約や結婚といった外交手段の道具になる。

 それをむやみやたらに壊すことはしないに違いない。

 …………たぶん。


「そうですね……国の駒の一つを失うことは僕としても遠慮願いたいことですし。こちらでも調べておきますよ」


「え、あ……ありがとう」


フランシスが暗殺者のことで協力してくれるだなんて思わなかったベルシュカは目を剥きながらもお礼を告げた。

 

「────いいえ、どういたしまして」


そう述べたフランシスの顔は既に背中を向けていたために見ることはできなかった。


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