第2話
夢見屋の事務所の扉を開けると、
依頼者の夫の寝室に出た。
チトセが窓を開けて下を見る。
ここはベランダが無い部屋で、5階のようだ。
「よし、じゃあ、シロガネとアヤメは、彼女を送り届けて。」
アランは2人に指示を出す。
「うん。行ってくるよ。」
シロガネとアヤメは
彼女を抱えて窓から飛び降りた。
途中で壁を思い切り蹴り、隣の建物へ移動し、夜の闇に消えていった。
「ターゲットのところに行こう。」
残りのメンバーは窓から外に出て、壁の僅かな凹凸を掴みベランダへ向かう。
ベランダの窓から部屋に入る。リビングのようだ。
ソファにターゲット、つまり依頼者の夫が寝ていた。
そして、いつものように、彼のフィールで、彼の記憶や想いを覗き込む。
–−−−–
俺は、失敗をしたことが無い。
幼少期から、なんでもそつなくこなし、大人は俺を褒めた。そして、ある程度裕福だったこともあり、俺になんでも与えた。俺に手に入れられないものなど、なかった。
そして、俺より劣る人間には、少し優しくしてやるだけで、俺を尊敬し、あるいは俺に従順になった。中には俺を妬む者もいたが、それは負けた奴が陥る感情だ。自ら負けを曝け出しているようで、実に滑稽であり、俺に優越感をもたらした。
大人になり、社会へ出ても、さほど変わることは無かった。
会社では、すぐに役職を持つようになった。
上司には評価され、部下には尊敬され、同期には時に妬まれ…学生時代と何も変わらず良い意味でつまらなかった。
しかし、なかなか思うようにいかず、俺に刺激を与えるものがあった。恋愛だ。
金で釣れる女はたくさんいた。しかしそれではつまらない。素性を隠して、自分の人柄だけで勝負して、告白させる遊びを学生の頃からしていた。他校の学生や社会人など、ターゲットは様々だった。付き合ってみた奴もいれば、面倒でその場で断った奴もいる。まぁ、だいたい狙った奴はみんな落とせた。
あぁ、しかし、若い頃一度結婚したが、妻を思うようにコントロールできなかった。唯一の失敗と言ってもいい。
それからしばらく独り身で、恋愛ゲームを楽しんでいたが、周りが次々と結婚し、子どもを持つようにもなった。売れ残りなどと揶揄される前に…と、今の妻である春子と結婚した。しばしば通っていたバーで、何度か一緒になった女だ。周囲の男の目を惹くような綺麗な顔立ちである。11も年の離れた彼女を惚れさせるのは、難易度高めのゲームのようで、刺激的だった。周りは、年下で綺麗な彼女と結婚した俺を羨ましがった。
しかし結婚後、彼女は最初は従順ではなかった。彼女も仕事をしており、それを理由に俺の指示に背いた。そこで、子どもを作り仕事を辞めさせた。飴と鞭をうまく使い分ければ従順な妻が出来上がる…そう思っていた。だが彼女は反抗し、子どもは泣き喚き、俺を苛立たせた。俺は毎日辛辣な言葉を彼女に浴びせた。彼女は次第に自信を失くしたようで、ただ怯えるようになり、完璧に指示をこなせない彼女に、さらに俺は苛立った。だからといって、この年で11歳年下の女と離婚なんて、笑われてしまう。仕方ないので、ストレス発散の道具として使うことにした。仕事中のストレスも、彼女のミスをでっちあげて、彼女にぶつけるようになった。
そして事件が起きた。俺から逃げたのだ。
「貴方とは、もう居られません。」
というメモと、離婚届を置いて。
…は?まるで俺が悪いようじゃないか。
俺が負けたようじゃないか。
許せない。許せない。
俺のストレスを発散させることしか能が無いくせに…誰のおかげで生活できてると思ってるんだ…。
許せない。
俺は一度許せないと思ったら、手段を選ばない。
悪い癖だ。だが、そうさせた春子が悪い。
俺は早速、ホームセンターへ向かった。
−–−–−
「反吐が出そうなほどのクソ野郎だな。胸糞悪ぃ。」
椿が言う。
「…難しい相手かもしれないけど、絶対に後悔させてやる…」
アランがもう一度フィールに触れた。
−–−−−
目が覚めた。
「くぁぁ…。」
ソファから起き上がり、
大きな欠伸をして背伸びをする。
「さて…」
春子がいる部屋の鍵をゆっくり開ける。
「おはよう春子。よく眠れ…」
…?
「…春子?」
春子が…いない。
隠れているのか?
「春子〜?」
クローゼットやベッドの下を見るが、姿がない。
「…まさか!」
急いで窓を確認する。
鍵がかかっている。
鍵を開け、窓を開けて下を見る。
血溜まりは無いし、人だかりも無い。
壁を伝っていくのは、常人には100%無理だ。
しかも窓の鍵はかかっていた。
窓から脱出はしていないだろう。
だとしたら、どこから?
部屋の鍵は閉まっていた。
まだ部屋のどこかにいるのか?
この部屋に限らずくまなく探したが、どこにもいない。玄関は鍵もチェーンもかかっていた。どういうことだ…?昨日の出来事は、夢だったのか?いやでもベッドに血の痕があるし、暴れた形跡もある。それに、春子の靴が残されたままだ。
…どちらにせよ、外に出たのであれば、このままではまずい。すぐに見つけ出さなければ…。
とりあえず、春子の実家へ電話をした。
「…もしもし、おはようございます。あの、春子、そちらに戻っていますか…?」
「…はい?話し合いのためにしばらく近くの友人の家に泊まるって言ったのでしょう?その方の家じゃないの?」
「あぁ〜…いえ、その方が、春子が出かけたまま帰ってこないと言ってきたもので…。」
「え!?大変…!早く警察に…!」
「あ!もう連絡してあるので大丈夫です!僕の方でも、周辺を探しておきますので!では、失礼します。」
「ちょ、ちょっと!」
電話を一方的に切る。
実家には帰ってなさそうだ。
匿っているのかもしれないが、
話し方的にその可能性は低そうだ。
…警察か。可能性はあるな。
念のため、自分の身体に傷をつけておいて、被害を最小限に…
––ピンポーン…
…?誰だ?
モニターを覗く。
…誰もいない。悪戯か?
––ピンポーン…
!…モニターに誰も映ってないのに…
様子が気になり、玄関のドアを少し開ける。
…誰もいない。
チェーンを外し、外に少し出て様子を見る。
…誰もいない。…どういうことだ?
子どもが悪戯をして、走って逃げたのか?
まぁいい。こっちはそれどころじゃない。
ドアを閉めようとした、その時。
バンッ!
ドアを誰かがこじ開け、ドンッと押し倒される。
次の瞬間、頭に衝撃が走り、意識を失った。
–−–
「うぅ…。」
意識を取り戻す。
ゆっくり目を開け、自分の居場所を確認すると、春子がいたベッドに寝かされていた。手足には、春子に使った枷がはめられ、チェーンで壁のふさかけに繋がれている。
「あら、起きたぁ?」
顔を上げると、
ボロボロになった春子が、俯きがちに不気味な笑顔を見せる。髪がぐしゃぐしゃで、顔にかかっているが、気にする様子もない。
そして、春子の横には、フードを被り全身黒色の服を身に纏った、見知らぬ大男がいる。黒のマスクをしており、目元しか確認できない。
「…は…はる、こ…!ど、どうして…」
「どうして?貴方が私にしたことを、そのままお返ししてるだけ。」
「な、何言ってるんだ…?お、おい…。」
声が震える。
「こわい?ふふ。私もすごくこわかったのよ。…さぁ、たんと味わいなさい。」
男が俺に馬乗りになる。
「や、やめろ!」
俺は必死に抵抗するが、男の力はとても強く、全く歯が立たない。
そして、男は俺の顔を中心に何度も殴った。
何度も。何度も。もう一発。また一発…。
恐怖と衝撃のせいか、不思議と痛みを感じない。
しかし、腕や足に次第に力が入らなくなり、目が見えにくくなっていった。腫れているのだろう。ゼェゼェ、ひゅーひゅーと、一生懸命口呼吸をする。
そして、男が俺から離れた。
春子がゆらゆらと揺れながら喋り出す。
「…私ね、昨日よく考えたの。私が逃げたら、私の家族が狙われる。だから、もう貴方に消えてもらうしかないなって思ったの。」
「き…消える…?」
「そう。警察に突き出すことも考えたけど、いずれは出てきてしまうでしょう?貴方がいる以上、私達は一生安心できない。この植え付けられた恐怖は、決して消えないのよ。」
「は…?恐怖?じ、自分ばっか被害者面するなよ!元はと言えば、お前が悪いんじゃないか!俺の言う通りにできないお前が!」
「…貴方はどこまでも、貴方だね。」
「は…?そ、それに、これは犯罪だぞ!いいのか!?」
「ふふ。貴方だって、他人のこと言えないじゃない。これはね、私と私の家族を守るためにすることなの。わかってね。」
「お、俺は家族じゃないのか!?」
「うん。だから、消えて?」
「う…うぅ…うわああああ!!!」
俺は必死にもがいた。すると、壁のふさかけが壊れ、壁に繋がれた状態から解放された。
両足に枷がはめられ、枷同士がくっついているので、歩くことができない。俺は器用にぴょんぴょんと跳ねながら男と春子を押し退けて、急いで玄関へ向かう。鍵を開けてドアノブを回すが、何故か開かない。ドアに体当たりをしても開かない。
「誰か!誰か助けてくれ!!!」
ドアをドンドンと叩く。
2人が気になり、振り返るが、こちらに来る様子は無い。余裕なのだろうか。
外へは知らせた。
もしかしたら、誰かが異変に気付いたかもしれない。
助けが来るまで隠れよう。
春子と優太の部屋へ入り、クローゼットの奥の方へ隠れる。
「あれぇ?静かになったと思ったら、いないじゃん。ふふ、かくれんぼかなぁ?」
春子の楽しそうな声が聞こえる。
そして、ガタガタと乱暴な音が聞こえ始めた。俺を探しているのか…。
「アハハハ!何処かナ何処カなァ?」
時折、ガシャン!と何かが壊れたり、割れたりする音が聞こえる。その度、俺の身体はビクッと反応し、恐怖が倍増した。
「ココかナ?…チガぁウ…。ココ?…いなァイ。」
来るな…来るな…。
「こコだッ!!!!!!」
––ガチャン!!
「ヒッ…。」
「アれェ、イナい…。」
––カチャン。
「…ぁ…。」
クローゼットの隙間からニッコリとこちらを覗く彼女と…目が合った。
「見ィつケタ。」
−–−−−
「うわあああああああ!!!!!」
バッと起き上がる。辺りを見ると、誰もいない。いつもと変わらない部屋で、俺はソファにいた。自分の身体を触る。怪我はない。枷もない。
「ゆ、夢…?」
…そうだ!春子は…!?
急いで部屋の鍵を開ける。
「…!?」
いない!夢…じゃなかったのか!?いや、でも怪我はない…でも春子はいない。
「は、春子!?どこだ!?いるんだろう!?」
大声で叫ぶが、何の反応もない。
どこへ行った?まさか、さっきのは予知夢…?違うとしても、ここにいないということは俺にとって危険だ。逃げなければ…。いや、でも外の方が危険かもしれない。インターホンが鳴ってもドアを開けなければ…。部屋中をくまなく探したが、春子の姿は無い。もしかしたら、家が1番安全かもしれない…。
「俺は失敗しない。部屋の細工だって完璧だった。絶対に出られない。なのになんで…こんなことに…。どうする……どうする…どうしよう……。」
俺は頭を抱え、その場にうずくまった。
その様子を、アランとチトセ、椿、瑠々が見ていた。
「反省はみられないね…。」
「うん…。でも今回はガチの犯罪だから、まずはちゃんと警察に捕まえてもらわないと。」
「そうだね。そういう意味では、ここにとどまってもらえてるから、ひとまず成功なのかな。」
「チトセ、お前こんな奴までどうにか救ってやろうって思ってんのか?犯罪者だぞ?」
「いや…まずはちゃんと法的に裁かれて、刑務所に入らせるのが一番だけど…この人、このままだと、また同じことを繰り返すような気がして…。だって、自分が悪いことをしたって、思ってないんだよ?」
「それは…そうかもしれないね。刑務所に入った後、少し様子を見ようか。それで、必要ならケアを行おう。」
「わかった。ありがとう、アラン。」
「うん。…そういえばシロガネ達、まだ戻ってこないね。」
「家を探すのに手間取ってんのかもな。」
「ちょっと外に出てみよっか。」
4人は外へ出た。太陽はまだ見えないが、僅かに外が明るくなってきている。
すると、ちょうどシロガネ達が戻ってきた。
「おかえり。彼女の様子はどう?」
「うん、怪我が心配だけど、呼吸も安定してるようだったし、すぐにどうこうなることは無いと思うよ。目が覚めたら、ご両親と一緒に、証拠を残す為になるべく身体の状態を維持したまま警察に行くよう、置き手紙をしてきた。」
「ありがとう。じゃあ、今日のところは帰……ぅ…ぐっ…。」
アランが突然苦しみ出した。
「アラン!?どうしたの!?」
「ハァ…ハァ……ま、まずい…早く事務所に戻らないと…!」
「ど…どういうこと?」
「…!避けろ!!」
ダダダダダダッ!!!!
椿が叫んだ瞬間。
無数の銃弾が、夢見屋目がけて飛んできた。
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