第4章

第1話

3ヶ月後。

深夜1時30分、いつもの事務所には

全員集合している。



「椿達も、この仕事に慣れてきたね。」



アランがコーヒーを飲みながら言う。



「まだ半人前だ。こいつら含めてな。十人十色の人の心を扱うってことに、慣れもクソもねぇしな。」



「バッキーって顔に似合わず真面目だよねぇ。」



ビビがクッキーを食べながら椿に言う。



「口にものを入れながら喋るな。汚ねぇ。」



「ママみたいなこと言わないでー!ママはアヤちゃんだけで十分なのー!」



「いつ私がアンタのママになったんだい。」






––カランカランッ。



1人の女性が夢見屋にやってきた。

そして、急いで扉を閉める。




「…!ど、どうされました…?」



チトセが慌てて聞く。



「あ…あの…た…助けて…くだ…」



女性がふらつき、その場に倒れた。

シロガネが咄嗟に反応し、身体を支える。



女性を見ると、衣服はボロボロで、あちこちにアザがあり、見るに堪えない姿である。



「…息はしているよ。」



シロガネは、女性をソファへ寝かせた。



「とにかく、フィールで何があったのか見てみよう。」



一同はフィールが出てくるまで待機した。

やがて、フィールが浮かんでくる。


アランがギアを使って、フィールの中を覗きこむ。

他の者は、アランに触れ、彼女のフィールを共有している。



そして、原因であろう記憶と想いに触れた瞬間。






––ドクン。








「…?」



チトセは、一瞬自分の心臓が跳ねた気がした。

少し驚いて、意識がそれてしまった。



––いけない。ちゃんと集中しなきゃ。



チトセは再び、彼女の記憶に集中した。





−−−–−




「言ったよね?今日は大事な接待があるからって。どうして靴が磨かれてなかったの?ちゃんと説明して?」



目の前の男性––夫が笑顔で問い詰める。

その笑顔は、なんの温かみもなく、冷たい。



「ご、ごめんなさい…磨いたつもりだったんだけど…」



「磨いたつもりぃ?ここ、見てよ。白い線が入ってるよ?これじゃ磨いたって言わないよね?」



よく見ると、側面にうっすらと白い汚れがある。

しかし、仕事から帰ってきた後なので、外でつけてきた可能性もある。



「なんでこの汚れ、落としてくれなかったの?」



「い、いつもと同じように隅々まで確認しながらやってたんですけど、昨日目が霞んでいて見落としたのかも…」



「は?じゃあ今日の朝もう一回見ておこうとか思わなかったの?自分の都合で決めちゃった?」



「あ、あの…その…」



「もし、お得意さんがこの汚れに気付いて、俺がだらしない人間だってレッテル貼られて信用損なったら、どうするつもりだったの?もしかしたら社内でも評価が下がって給料も満足に貰えなくなって、生活出来なくなるかもしれないんだよ?ねぇ、どうするつもり?」



「…ごめんなさい…」



「ごめんだけじゃわかんないんだけど。そんなことあるわけないじゃんって思った?」



「ち、違います…あの、あの…」



言葉が出ない。



「はぁ。春子にとって、この汚れは大したことないことだと思ってるってことだね。俺のこと、考えてくれてなかったわけだ。もういいよ。ちょっと1人になるから。」



夫は靴を思い切り玄関へ投げつけ、自室へ向かった。



私は、その場で静かに泣き崩れる。



こんなことが日常茶飯事だった。

私は彼の言う通りに動いているが、彼は小さな綻びを決して見逃さない。そして、自分のミスや苛立ちを、その綻びを用いて言葉巧みに私にぶつける。特に、自分に被害が及びそうなこと、または被害が及んだことに対して、些細なことでもとことん私を責めた。



最初はしっかり言い返していた。しかし、彼は冷静かつ理論的に責め立て、私は何も言えなくなってしまう。そして、最後は必ず物を破壊する。力の差を見せつけるかのように。今では、私はすっかり縮こまってしまい、些細な責めでも動悸が止まらなくなってしまった。




しかし、暴力は一切ふるわれず、外では私を大切に扱うので、他人からは仲睦まじい夫婦に見える。



––いつまで続くのだろう。もう、疲れてしまった。いつから食べ物の味がわからなくなったのだろう。むしろ食べたいとも思わない。もういっそ、消えてしまいたい…。




「…ママ?」



振り返ると、9歳の息子が私と息子の寝室から心配そうにこちらを覗き込んでいる。

私は涙を急いで拭き取り、息子を抱きしめた。



「ごめんね優太。心配させちゃったね。大丈夫だよ〜。一緒に寝ようね。」



私は息子とベッドに入り、そのまま息子を寝かしつける。

しばらくすると、寝息が聞こえてきた。



「…ごめんね。ママがダメなばっかりに…。でも、もう疲れちゃった…。一緒に逃げようか、優太…。」



次の日、夫が仕事に出た後、

荷物をまとめて優太を連れ、

7時間かけて実家へ戻った。

記入済の離婚届を置いて。



両親はボロボロの私を見て、

何も咎めず迎え入れてくれた。



1週間後。



––ピンポーン…



インターホンが鳴る。

モニターを見ると…夫が立っている。



「はぁ……はぁ……。」



うまく息ができない。



「私が出ようか?」



母が私の背中をさすりながら言う。



「……ううん。私が出なきゃ。私と彼の問題だから。」



呼吸を整え、モニターの通話ボタンを押した。



「…何でしょう。」



「!良かった!ここにいたんだね!本当に…心配したんだよ…!あちこち探し回ったんだから…。」



「…離婚届、提出していただけましたか?」



「…何が1番気に食わなかったの?」



「…わかってないんですね…。そんな貴方とはもう一緒にいられません。」



「ご…ごめん!一回、ちゃんと話し合おう?俺、ちゃんと直すから!俺は疎いところがあるから…。でも君が1番大切なんだ!」



「…私が大切なら、離婚してください。」




「………。わかった。もう覆らないんだね。じゃあ、君の目の前で書いて渡すよ。1日でいいから、一度家に戻ってきて。」




「…わかりました。」



夫は帰っていった。



「…大丈夫なの?私も行こうか?」



「…ううん、大丈夫。優太をお願い。優太は連れて行けないから。」



「…わかったよ。何かあったら、すぐ連絡しな。」



「うん、ありがとう。」



そして、私は1人で夫の待つマンションへ向かった。





––ガチャ。



深呼吸をして、ゆっくりマンションのドアを開ける。



部屋の中は暗い。

玄関を見ると、靴が無い。

どこかへ出かけているのか…?



もしかしたら、顔を合わせるのが嫌になって、出たのかも。

記入した離婚届があったら、それだけもらってすぐに出よう。




そそくさとリビングへ向かう。




その時。




––ゴッ。



鈍い音と衝撃が後頭部から伝わり、

目の前が真っ暗になった。




−−–




目が覚める。

床が柔らかい。

ベッドにいるのか…。

ここは、夫の寝室だ。



起き上がろうとする。

ズキッと頭と手足に痛みが走る。



手足を見ると…枷がはめられており、左手の枷から伸びる鎖が、壁につけられたカーテンのふさかけへ繋がっている。



一気に恐怖が私を襲い、息が荒くなる。



その時、寝室の扉が開いた。



「あ、起きた?おはよう。」



夫だ。ニコニコと私に近寄ってくる。



「な…なんで…こんなこと…!」



「春子がいけないんだよ。勝手にいなくなるんだから。ちゃんとお仕置きして、反省してもらわなきゃいけないからね。」




夫の手が私の顔に触れる。



「や…やめて!」



抵抗する私を見て、夫から笑顔が消えた。

そして、冷たい目で私を見つめる。



––バチッ!!!



夫が、思い切り私の頬を叩いた。



痛みと衝撃で、私は固まってしまう。



「春子が悪いってこと、ちゃんとわからせてあげる。」









私は一方的で圧倒的な暴力を前に、抵抗することもできず、気付けば衣服も身体もボロボロになっていた。



このままでは…死んでしまう…。




「ふぅ。…どう?反省した?」




「……ごめんなさい。私が…悪かったです…。」




「…うん、そうだね。わかってくれて、嬉しいよ。」



夫がボロボロで横たわる私の頭を撫でる。



「もう、俺から離れないよね?次、離れたら…わかってるね?…家族は…君だけじゃないから。」



「…はい。」



「よし。じゃあ、それ、外してあげるね。一応心配だから、部屋の鍵は閉めとくけど。何かあったら、俺を呼んでね。君の実家には、うまく連絡しとくよ。」



夫は枷を外し、私の額にキスをして、寝室を出て行った。

そして、いつの間に取り付けてある、外からしか開けられない寝室の鍵を閉めた。




もう、逃げられない。

次逃げたら、優太が、お母さんが…私の大切な人が同じ目に遭う。それ以上かもしれない。




…どうして……こんなことに……



もう……嫌………誰か………




しばらくして、ハッと意識を取り戻す。

気を失っていたらしい。

痛む身体を少し起こした。




「…え?」



思わず声が出た。

壁に…見知らぬ扉がある。



これは…夢?

何?この扉…。



何処に繋がっているんだろう…。

急に現れたこの扉。この世のものではないだろう。恐ろしい場所に繋がっているのだろうか…。

…いや、でも、この地獄ほど、恐ろしい場所はないか…。

それに、もしかしたら、助けが呼べるかも…。



私は夫に見つからないうちにと、急いで扉の向こうへ足を踏み入れた。




−−−–−




「…ひどい…。」



チトセがグッと怒りを堪える。



「人間って、ほんとにこわい…。こんなところで生きてたんだって思うと、頭おかしくなりそう…。」



シバが少し涙目になる。



「とりあえず、この人をこのままあの部屋に戻すわけにはいかない。どうするか…。」



「アラン、そしたらボクが彼女を実家まで運ぶよ。」



「私も手伝うよ。」



「じゃあ、シロガネとアヤメで彼女をお願い。ビビとシバは店番の日だから、事務所をお願いね。」



「任せて!気をつけてねぇ。」



シバは笑顔で手を振る。

ビビは無言で下を向いている。



「…大丈夫だよ、ビビ。俺達が、なんとか助けるから。」



アランがビビの頭にポンと手を乗せる。



「…うん、いい報告、待ってるね。」



そして、一同はそれぞれ行動を開始した。



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