終章
終章 イミタツィオ
「イーリス・パルファン」
岩肌のむき出しになった一室。
照らすのは小さなランプが二つ。
「かつてシュネーヴ革命で、かの裏組織デジールを潰した張本人」
魔鉱石によって灯された炎はゆらゆらと妙齢の男の影を映し出す。
「現国王セオドア・ウィンガードとは旧知の仲で、あのまま表舞台にいれば王妃だったかもしれぬ存在」
じじ、と音を立て、
「──間違いはないかな、ソリテール」
テーブルに肘をついた男の顔を顕にする一瞬。
傍らには、膝をついて男をうっとりと見上げる灰緑色髪の青年の姿があった。
「はい、お父さん。その通りです」
淀み無く、彼は答えた。
男はうんうんと頷き、続ける。
「そのイーリス・パルファンは、現在かのティラン地区に住み着き、テオドールという組織のボスとなった」
歳は人間で言えば六十程か。
品のいいスーツに身を包み、フレームのない大きな眼鏡をかけた紳士だった。彼は整えられた口ひげを撫でながら、椅子に深く腰を掛ける。
「テオドールには、多くの改造済みの被害者がいると聞くね。──あぁ、なんて可哀想に。彼等は利用されているだけだ。愛しいセオドアを守る為だけの駒として使われている」
紳士の言葉は熱を持ち、やがて演技がかった声で大げさに手を広げる。
「そうです、その通りです、お父さん」
それにソリテールは同調し、優しく重ねていた手をぎゅっと握りしめた。
「全く嘆かわしいことだ。行き場を失ったことを盾に偽りの愛で彼等を支配している。お前の友達も、そうだったね?」
「はい。そうです。アッシュは騙されているんです。だから、僕の言葉を聞かなかったんです」
ふむと一つ息をつき、哀れみの目を向けたままやれやれと首を振る。
「それは困ったものだ。ところで、ソリテール。お前に私は尋ねなければならない」
ぴくりとソリテールが固まった。
「お前は随分前にルクレツィアを見つけていたらしいね。何故すぐに知らせなかったのかな?」
ソリテールはややしばらく閉口し、やがて懇願するように紳士を見上げた。
「ごめんなさい、お父さん。ルクレツィアはアッシュに懐いていて、僕は、アッシュに嫌われたくなかったんです」
「そうか、そうかね、ソリテール。しかし、ルクレツィアは私の大切な娘なのだ」
「ごめんなさい、お父さん。僕は……」
ソリテールから紳士は手を離す。
「みなまで言わなくていいんだよ。私だってこんなことは言いたくはないんだ。けれど、お前のことを思うなら言わなければならない。そう、これはお前を愛する故なんだ、ソリテール。わかってくれるね?」
そして、紳士は黄土色の目を細め、そっと彼の頬に触れた。すると、ソリテールはぱっと顔を上げ、嬉々として答える。
「もちろんです、お父さん。お父さんは、僕の為を思って言ってくれてるんだもの」
まるで無邪気な子供のように、爛々と目を輝かせて彼は肯定する。そんな彼を見て、紳士は満足げに口の端を上げた。そして、彼の左頬をしわがれた手で撫でる。
「あぁ、いい子だねソリテール。さすが私の可愛い息子だ。──さて」
紳士は再び机に両肘をついた。
「そのテオドールに、どうやら私の可愛い娘であるルクレツィアが拐われてしまったらしい」
ぱちりと、一際大きく灯火が弾けた。
擬似的に作られた魔法の炎は、一瞬、岩肌に囲まれた部屋を照らし出す。
六つ。
中央から壁に伸びる影の数である。
男とソリテールを中心に、左右に二人ずつ何者かが存在していた。
明かりの十分でない岩窟では、彼等の顔はよく見えない。
「お姫様を救い出しに行くのが僕達の仕事というわけですね? ボス」
一つ。濃紺色のフードの男が柔和に微笑んだ。
「えぇぇ……テオドールをぶっ潰すんじゃねぇのぉ?」
二つ。フードの男の隣に座った、青い炎のような髪をした男が不満げに漏らす。
「……ボスが決めたことなら、僕は異論ない」
三つ。淡々とした口調で角のような耳飾りをした小柄な人影。
「ケケケ、目的を達セば俺様はなんでもいーゼ」
四つ。ガサガサとノイズがかった中性的な声は、大きな花咲く少女から発せられた。
「テオドールは、イーリス・パルファンに強く洗脳されています。どうやって助けに?」
五つ。ソリテールが立ち上がって尋ねると、
「なに、簡単だよ、ソリテール」
六つ。最後に紳士が不敵に笑んだ。
五つの視線を集め、彼は手の甲に顎を載せ、ぎらりと視線だけを正面へと向ける。
「柱が脆くなれば家は崩れるものだ」
低く、野心を限りなく殺したその声は、石壁に反響するまでもなく消えた。
「さあ、可愛い我が子供達。イーリス・パルファンの手から、哀れな改造済みの子供達を救い出そうではないか」
ぱちりと。
一際強く燃え上がった灯火は、暗闇の下、男の額に咲いたダイヤの花を照らし出した。
影差す夜明けの子守歌・上 藤宮ちかげ @arresterandco
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