4-6. ケジメ
「出かけてくる」
夕刻。
ちょうど夕食の準備に取り掛かろうとしていたリチュエルに、アッシュはそう言った。
隣には共に大量の食材を持ったグリズラの姿があったが、あくまで無視を決め込んだ。
「お夕飯は、シチューです」
アッシュの表情から何かを察し、しかし、リチュエルはあくまでいつも通りに返した。
「わかった。ツィアのことだけよろしく」
「はい、今日は後で夕飯を作るお手伝いしてもらいまーす」
リチュエルの返事を待たず、アッシュは早々に屋敷を出て行った。
グリズラが怪訝そうな顔をしていたが、リチュエルはすぐにくるりと背を向け口を開く。
「グリズラさんは、お芋さんよろしくお願いしますね」
ランスロットは、けじめをつけた。
ならば、自分もいい加減に覚悟を決めねばならないだろう。
アッシュは足早にグルッグ通りを抜け、マルク広場へとやって来た。
月は既に落ちかけていて、調光師が魔鉱石の街燈に火を灯して回っている。
相変わらずこの時間になると人はほとんどいない。アッシュはベンチに腰をかけたまま何かを待つようにじっと目を閉じた。
「今日も喧嘩?」
間もなく、彼は姿を現した。
「ううん、お前に用があったから」
アッシュは目を開き、自分の前に立った友人を見上げる。
灰緑色の髪で右目を隠した彼は、少し驚いたようだった。しかし、アッシュの言葉を反芻すると、嬉しそうに笑う。
「もしかして、決めてくれたのかな?」
「うん、そう」
アッシュがベンチの隣を空けると、そこにソリテールが座る。
彼の明るい赤紫色の瞳は、期待に満ちていた。
「それで? 答えは?」
座ったまま身体を横に向け、ソリテールは返事を急かす。
アッシュはまっすぐ彼の瞳を見つめると、あくまで冷静に尋ねた。
「ソルは、俺のこと恨んでる?」
「えっ?」
虚を突かれたソリテールが驚いた声をあげる。
「……あの日、俺だけが助かったこと、ソルは許せないと思ってる?」
あの日。二人の──不本意ながら──住まいとなっていた研究所が崩壊した日。
アッシュはイーリスに助けられ、ソリテールは瓦礫の下に埋まっていた。その後どうやって彼が助かったのかは知らないが、さぞかし無念だっただろうことは想像に難くない。
「そんなわけないよ。ほら、今僕だってこうしてピンピンしているし、むしろ君が生きていたことに感謝したくらいさ」
ソリテールが怪訝そうな顔でアッシュを見た。
「一体どうしたんだい、そんなこと聞いて。……僕はただ、君とあの時みたいに一緒に過ごしたいだけさ」
窪んだ赤紫の瞳が細らむ。昔と何一つ変わらない、気の弱そうな笑顔。
アッシュは蜂蜜色の瞳を凍らせたまま、眉尻だけを下げる。
「……なら、何であの時攻撃してきたんだ?」
「あの、時?」
ソリテールが僅かに動揺の色を見せた。
「この前ルクレツィアが一緒だった日だよ。羽根みたいな魔法で攻撃してきたの、お前だろ」
「何言ってるの、アッシュ」
「調べがついてる」
「は……」
ソリテールの表情から笑みが消えた。
アッシュが立ち上がる。
「俺は行かないよ、ソル」
ぎゅっと拳に力を入れ、淡々と告げる。
「俺は行かない。商隊を襲ったり、自分を攻撃してくるような組織には行けない」
「誤解だよ、アッシュ! 騙されてるのは君の方だ!」
ソリテールも立ち上がる。赤紫の瞳が鋭くなった。
「イーリスは君を利用してるだけだ、アッシュ。君を利用して、いいことをしたフリをしてる」
「それは、誰の入れ知恵? リーベ・マリス?」
「なんでお父さんの名前を!」
アッシュはおもむろに手袋を外した。
そして、まっすぐに手のひらをソリテールの眼前に突き出し、
「俺をこの身体にしたのが、そいつなんだよ!」
吼えた。
かつてないほど、アッシュの瞳は怒りに満ちていた。
孤児院に迎えに来たダイヤの花の紳士。改造される直前に名を聞いた。忘れるものかと心にこれでもかと刻み付けた名前だ。
「騙されてるのはお前だよ、ソル」
「違う」
「ソル」
「違う、違う違う違う違う! お父さんは、そんなことしない! 僕のことを本当に愛してくれてる人なんだ!」
アッシュが一歩前に出ると、ソリテールは一歩下がる。
ソリテールの目が充血し、隠れているはずの右目が仄かに発光している。
「あぁ、そうか」
ほの暗い視線が、アッシュを刺す。
「それもイーリス・パルファンの入れ知恵か。ふふ、やだなぁ、困ったなぁ」
「ソル」
暗闇にぼんやりと浮かび上がる赤紫が、弧を描いた。
アッシュは少しずつ距離を測りながら、ぐっと手のひらに力を込める。
「わかったよ、アッシュ。君の周りには、君を騙す奴らしかいないんだね」
「何言って──」
「大丈夫、言ったろ。僕が手伝ってあげるって」
ソリテールが近づき、思わず動きを止めたアッシュの頬に触れた。骨ばった指先が、アッシュの左頬の刻印を撫でる。
「僕は、いつだって君の味方さ」
そう言って、彼はもう片方の手で長い前髪をかき上げた。
「ソリテール」
アッシュは冷や汗を垂らし、顕わになった彼の右目から目を反らす。
赤紫色の宝石が、目であっただろう場所に埋め込まれている。過去に何度も目にしていたものであるが、いつ見ても見慣れない。
「……見えてるなら、離せよ」
アッシュは手袋をしたままの左手でソリテールの手を無理矢理引きはがす。
ソリテールが、感情のない瞳でアッシュを見つめた。
「……そうだね、今日のところは引くよ。でも、僕は諦めない。君を必ず解放して見せる」
そう、口元だけで笑って。
「それじゃあね、アッシュ」
彼は静かに、消え入るように去って行った。
高鳴る胸を押さえ、アッシュはびっしりと汗をかいた手のひらをズボンに擦りつける。
ゾッとするような手のひらの深淵を覗き込んでから、
「……お腹、空いたな」
アッシュはそう言って、静かに息をついた。
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